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〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉

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〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉 Flukzeugtrager Tachibana-VON RICHTHOFEN-Amane,KM

カクテル・ソフト「CANVAS〜セピア色のモチーフ〜」橘 天音

概要



 第3次世界大戦末期、ドイツが送り出した装甲空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉級の一番艦である。正式名称は〈マンフレート・アルブレヒト・フライヘア・フォン・リヒトホーフェン〉。第1次世界大戦の空の英雄からとられた。同級艦に〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉がある。
 通商破壊艦としての性格を色濃く残すドイツ空母群にあって、水上砲戦用の15センチ砲を廃した初の正規空母となった。ある意味、ドイツが初めて建造した機動部隊用の空母である。
 設計はガヤロー設計局が担当(注1)。建造はブレーマー・フェーゲザックのフルカン社。〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉はダンツィヒのシーヒャウ社である。進水後はバルト海へ曳航されて、ゴーテンハーフェンで艤装をおこなった。
 1950年初夏の進水式においては「レッド・バロン」の従兄弟ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン空軍元帥の出席を仰ぎ、艦首にリヒトホーフェン家の紋章を麗々しく取り付けた。〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉の進水式では、ゲーリング国家元帥が、妻エミー、愛娘エッダとともに出席し、自ら紋章を付けている(注2)。これらの措置は、長く続けられていた海軍と空軍の確執が融けたことを示す意味があったとされる。事実、海軍航空隊への航空機の供給は以前に比して円滑となり、最末期のドイツ航空艦隊はドイツ製航空機を主力艦載機とすることが出来た(注3)。

 〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉は、ドイツ正規空母として初めて満載排水量は7万トンを超え、搭載機数は81機に達した。内訳はHe481戦闘機が36機、Me462攻撃機が45機である。
 設計の原型となったのは、ドイツがカリブ海で失った空母のうちの1隻、〈高井《エーリヒ・レーヴェンハルト》さやか〉である。基準排水量4万3千トン、搭載機数60機の正規空母だった。彼女は〈グラフ・ツェッペリン〉を拡大し、そして英国で鹵獲した「二枚の羽を持つ」〈遠野《インドミダヴル》みちる〉の調査結果を生かして、水上砲戦用の15センチ単装砲8門とアングルドデッキを持つ装甲空母として完成したのだ。
 〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉もまたアングルドデッキを首尾線に対して11度20分の角度で取り付けている。油圧カタパルトは3基。艦首に平行して2基、アングルドデッキに1基である。
 エレベータは3基で、いずれも飛行甲板に穴を開けて設置している。その装甲は強度甲板でもある飛行甲板と同じ材質と厚みを持つ。日本の〈長森《大鳳》瑞佳〉級が装甲を薄目にしてエレベータの軽量化を図ったのに対して、いかにもドイツらしくエレベータの昇降機構の能力を強化することで対処していた。
 主缶はワグナー缶を8基、主機はゲルマニア式ギヤード・タービン4基4軸で35ノットを出す。82気圧、摂氏510度という高温高圧缶の恩恵により、航続距離は巡航速度20ノットで1万2千海里である。
 しかしながら〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉は「寝ぼすけ艦」にして「大食い艦」という、有り難くない異名を戴いている。「寝ぼすけ艦」とは始動までに恐ろしく時間を必要とするためで、どういう訳かノルトマン航空艦隊司令が乗艦しているときでないと起きあがりにくいのである。さらに運動能力の面でも、どこかトロくさく、対空回避訓練では被弾判定が相次いでいる。この惨状に艦長以下乗組員らは「艦隊のお荷物」と自嘲したが、ノルトマン航空艦隊司令の励ましで気を取り直した。
 そして「大食い艦」とは、「あんパンは別腹だもん」と女の子が主張するように大量の燃料をタンクに飲み込むからである。ドイツ海軍が保有する小型の給油艦1隻程度では全く追いつかず、追加の給油艦を手配しなければならなかった。このため燃料事情が悪化している大戦末期にあって、海軍総司令部第12課の護衛参謀グロスブルネン大佐らは頭をかきむしる羽目に陥っている(注4)。
 なお〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉はキビキビとした動作を示し、「活動に熱心な後輩」との評判を得ていた。また、海軍艦艇でありながら艦長と飛行隊が空軍所属という、世界の海軍の常識からすれば極めて「おかしな」空母でもある(注5)。同艦の艦長シェーンハイト空軍大佐は、「うちの軍がおかしいのは、いつものことってやつだ」と全く取り合っていないのだが。

 〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉は、1952年1月のドイツが起死回生を狙った突入作戦「北の暴風」に、第1航空艦隊の主力として参加している。それはドイツ航空艦隊の最後の機動部隊決戦にして、水上砲戦部隊をレイキャビクに送り込むために敵機動部隊を引きつける囮でもあるという、気宇壮大にして苛烈な作戦だった。
 彼女らは第3次世界大戦開戦時に、ドイツがこのクラスの航空母艦を数隻保有していたならば、戦局は全く異なっていたであろうと言われるほどの艦であった。しかし、現実は苛酷な運命を〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉らに強いて、その短い生涯をノルウェー海に閉じたのである。


注1:シュテルン・ガヤロー造船官が主宰し、ブリュッケ設計局と共に第3次大戦後半の主力設計局となった。手がけた〈フィーリア〉級護衛艦、〈カノーネ〉級大型駆逐艦、O級巡洋戦艦が著名である。M級軽巡洋艦もガヤロー設計局麾下のフェルゼンブルク造船官が担当し、その外観はO級に酷似している。〈カノーネ〉級大型駆逐艦は戦後さらに大型化し、M級と融合する形となって巡洋艦と駆逐艦の区別が消滅している。ユニット化で兵装組み合わせが多岐に渡り、輸出型も多数建造された。
注2:この進水式がゲーリングの絶頂にして最後の晴れ舞台となった。名実ともに嘗ての上官と名を並べることが出来たからだったが、式典以後はモルヒネ中毒が悪化して事実上の廃人となったからである。
注3:戦闘機はハインケルHe481とフォッケウルフTa483。He481は北崎エンジニアリング・ヨーク(KEY)によるハインケル教授引き抜きの後に、残された技術者達が生き残りをかけて開発した全天候ジェット戦闘機He281を原型としている。エンジンはBMW024D(推力2900Kg)を1基。Ta483はTa183フッケバインの艦載型で、エンジンはHe481と共通。攻撃機はメッサーシュミットMe462(Me262シュワルベの艦載型)で、ドライザック偽対艦ミサイルを1発搭載可能である。
注4:「ステーキをおごらされる」とか「鬼だ」と言われるほどに食いまくる〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉と比較しての話ではある。
注5:航空機供給と引き替えに、空母を空軍所属にさせようとしたゲーリングとの妥協の結果といわれる。〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉という艦名を海軍将兵はよく思わず、為に空軍士官の艦長が誕生している。ゲーリングの秘蔵っ子シェーンハイト空軍大佐の、尊敬するノルトマン提督と共に戦いたいという強い希望でもあったらしい。


いつも隣にある笑顔


 ゲオルク・ジークフリート・ノルトマンがゲッチンゲン駅に降りた時、ホームに出迎えの者はいなかった。
 当たり前の話で、航空艦隊司令官を辞する旨をしたためるや否や机に置き捨ててゴーテンハーフェンを飛び出してきたからだ。家族に連絡を入れていないのだから、出迎えがあろう筈がない。途中停車した駅で連絡を入れることもできたが、それははばかられる気分だった。ゴーテンハーフェンを飛び出した直後はせいせいしていたが、早くも断ち切った筈の未練がこみ上がっていたのだ。
 季節は秋。北東に主峰ブロッケン山をいただくハルツ山地をのぞむゲッチンゲンは盆地の町である。夕方ともなれば、町を囲む山々から吹き下ろす風は強く、そして冷たかった。
 ノルトマンは画学生を思わせる、繊細で神経質そうな細面をしかめ、コートの襟をたてて頑丈な旅行カバンをつかみ、グローネル・ラント通り沿いの妻と子供たちの待つ我が家へと向かった。自宅では妻のマリーアが獣医として開業している。ほぼ1年振りの帰郷だった。
「あら?」
 ノルトマンが玄関を開けて入ると、ベルが鳴って、帳簿つけから顔を上げた妻のマリーアが目を瞠った。ミディアムボブにした栗色の髪に、濃い緑玉の瞳を持つ女性である。小柄な体躯は、30代半ばとなっても燕のような軽やかさを保っている(その割には鈍くさかったのだが)。元から大きな目がこぼれ落ちんばかりに開かれている。
「どうしたの?急な休暇をとったの?」
 幼なじみから夫婦へとなった気安さでマリーアが尋ねた。
「まあ、そんなものだ」
 ノルトマンは出来るだけ笑顔を作ろうとしたが、努力は報われず仏頂面のままだった。その表情からマリーアは何かを感づいたようだったが何も言わず、彼女は夫から荷物を受け取り、コートを脱がせて、奥にいる筈の子供達へ声を掛けた。
「ヨハン!ヤーコブ!ハンス!お父様が帰ったわよ。ご挨拶なさい!」
 海軍少将閣下の家族とは思えぬ騒々しさで、男児ばかり三人が飛び出してきた。そして、声を揃えて「おかえりなさい!」と元気良く挨拶するのだった。
「うん。ただいま」
 こればかりは満面に笑みをたたえたノルトマンを、マリーアは気遣わしげに見ていた。

 久しぶりに家族揃っての夕食は、隣に住むマリーアの父母の住宅でとることになった。マリーアの家とは子供時代からの家族ぐるみでの付き合いだったし、マリーアの父は男の子が欲しかったらしく、ノルトマンを実子同然に扱っていたのだ。ノルトマンもまた幼い頃に母を失い、地理学者の父は調査旅行の連続で家を空けがちだったためにマリーアの家と自分の家とを往復していた。その関係はノルトマンと一人娘のマリーアが結婚してからも変わることがない。マリーアが男子を産んでからは、孫を珠のように可愛がっている。
 岳父たちとの夕食は大変に暖かいものだった。ライ麦パン、じゃが芋、キノコ料理、そして詩人ハイネが賞賛したゲッチンゲン名物のソーセージ。料理はマリーアの母が腕によりをかけて作った。自慢の「息子」が帰ってきたことは彼女を大いに喜ばせたのだ。
 マリーアは子供達に手伝わせて食器などを揃えさせていた。「獣医さん」と「お嫁さん」という夢を二つともにかなえたマリーアではあったが、料理の腕だけは母に遠く及ばないのである。大学に進学する女性の数が少ないドイツにあって、賞賛されるべき努力を重ねた彼女だったが、つまみ食いの癖が祟って母に手伝い禁止を言い渡されていたからだ。マリーアに言わせれば「お母さんの料理がおいしすぎるから」ということらしい。
 子供達ははしゃぎ、孫に甘い祖父でも少々叱らねばならなかった程だった。
「お父さん、戦争はもうじき終わるの?」
 食事中に長男のヨハン・エックハルトがノルトマンに尋ねた。父親よりも母親に似た愛らしい顔立ちをしている。
「どうしてそう思うんだい?」
 ノルトマンは長男の問いには答えず、逆に問いかけた。
「うん。ラジオで言ってるよ。日本人の空母を10隻、戦艦を2隻沈めたって。そんな大損害を受けたのなら、戦争が嫌になるんじゃないかな」
 ノルトマンは長男を凝視した。叱られると思ったらしいヨハンが身じろぎした。
「敵に沈めるフネが無くなって、だからお父さんが帰ってきたんだなって。それで、戦争もおわるのかなって思ったんだけれど…」
「いや、怒っているんではないんだよ。ただ、夜の戦いだから、戦果の確認は難しいしね」
 ノルトマンは泣きそうな長男(泣き虫だった母親に似ていた)を宥めた。
「本当に、戦争が終わるといいのだけどね」
 インド洋、地中海、カリブ海と熾烈な航空戦を戦った日本機動部隊が、付け焼き刃の航空部隊如きにやられるはずが無いと、ノルトマンは思っていた。日本第2機動艦隊を襲撃した「タイフーン」部隊は、海上攻撃に未だ及び腰なルフトヴァッフェ第2航空艦隊と、ようやくのことで再建なったドイツ機動部隊航空戦力からなっている。敵味方の実力の差をノルトマンは知っていた。撃沈、爆沈、轟沈とゲッベルスらが叫んでいても、実際には1隻を沈めていれば良いほうではないだろうか。
 ノルトマンの推測は正鵠を射ていた。もっとも、沈没艦が1隻も無いことまでは考えつかなかった。
 食後には居間に移った。
「お父さん、超人シュタイナー、見ていい?」
 次男のヤーコブ・ヴィルヘルムがノルトマンにお伺いを立ててきた。どうやら見たい有線TV番組があるらしいが、父親の同意をえなければいけない、と考えたらしい。祖父母の薫陶を受けて行儀の良い子供達だった。ゲッチンゲンに家族を置いておいて良かった、とノルトマンは内心で岳父母に感謝した。
「どういう番組だい」
「悪い英国人と、英国人の手下の日本人を、超人シュタイナーがやっつけるの」
 ノルトマンは頬がひきつるのを感じたが意志の力で無理矢理押さえ込んだ。馬鹿どもめ、子供向けに何て番組を放送するのだ。
「どうして見たいんだい」
「友達が見てるから」
 察するに、国民学校での友達同士での話題についていきたいが為らしい。
「わかった。お父さんも一緒に見よう。但し、今日は特別だからね」
「やったー!」
 ヨハンとヤーコブが手を合わせて鳴らした。どうも兄が弟を焚き付けたようだ。有線TVは岳父の家にあり、ノルトマン家には置かれていない。そういう教育方針だったし、祖父母もまた孫かわいさの余りに無制限にTV視聴を許すような人物ではなかった。今日は子供達にとって千載一遇の機会だったのだ。
 番組自体は興趣があった。旅行中のドイツ青年シュタイナー(当然ながら金髪碧眼)が、英国人や日本人(小柄で扁平な顔に眼鏡をかけている。よく探し出したものだと感心した)に苛められて困っている合衆国人を救うという筋立てだった。悪役面の英国人のしかけた悪辣な罠にシュタイナーは苦しむものの、最後には超人へ変身して悪漢どもを倒すのである。道化役というか、事態を悪化させる役どころとしてフランス人とイタリア人まで出ている。フランス人はお高く止まっている口ばかり達者な役立たず。イタリア人にいたってはワインとパスタと女にしか興味がない意気地なしで、危難に遭うと「マンマ・ミーア!」と一つ覚えに叫ぶのだ。
 恐ろしいばかりのステロタイプさにノルトマンは怒るよりも呆れ、かつ激しい頭痛を覚えたが、子供達は食い入るように見入っている。主人公が危機におちいるとハラハラし、英国人と日本人の悪辣さに憤慨して、超人となって事件を解決したシュタイナーへ喝采を浴びせた。
 なるほど、娯楽こそが最大のプロパガンダである、とはまさに至言だなとノルトマンは思った。隣のソファーでくつろいでいる岳父をちらと見てみると、彼もまた顔をしかめていた。子供達の教育上まったく宜しくない、と顔に出ている。
 ノルトマンは子供達に、お父さんの知っているフランス人やイタリア人は、みな知恵があって勇敢だと言い、ドイツ人にだって悪人や役立たずに意気地なしがいるのだ、と諭した。そうせずにはいられなかった。
 同時に、20歳前後の士官や水兵達の意気盛んな理由が理解できた。彼らが物心ついたとき、すでにヒトラーが政権を握っており、その経済復興政策や軍備拡張の成果はめざましく、そして遂にフランス、ソ連、英国を打倒してドイツは欧州の覇者となった。輝かしいドイツの足取りと共に成長した彼らが国家に対して熱狂的な忠誠を捧げるのは当たり前だった。彼らにすれば英国や日本は倒すべき存在であり、ユダヤ人、スラブ人は唾棄すべき存在なのだ。ノルトマンは暗澹たる思いに捕らわれた。こんな偏った教育を子供に施して、国家は成り立ち得るのだろうか。
 その後は子供達を寝かしつけるべく、岳父母の家を辞去した。金ぴかの軍服を着た小男が司会する「ゲッベルス・ショー」などという低劣な番組を見せる訳にはいかないからだ。
 子供達を寝かしつけた後、電話が鳴りだした。マリーアが電話に出た。相手はノルトマンの父、マリーアにとっては義父というべき人物だった。
「あなた、かわってくれってお義父さんが」
「ああ」
 生返事をして電話を受け取った。
「元気か、息子よ」
 声ははっきりと聞こえたが、随分と遠い。国内にいないことは知っていたが、海底ケーブルを経由しなければならない程、遠いところにいるのだろうか。
「親父もね」
「この間は急な話で済まなかったな」
「ああ、いいよ。まあ、いきなり弟ができて驚いたけど。この間、オットーが挨拶に来たよ。で、今はどこ」
「ラサだ」
「ラサ?どこの国?」
「チベットだ。地理学会報くらいは読め。莫迦息子」
「…………まさか、新婚の身で?」
「もちろん、彼女も一緒だとも」
 唖然とした。レニ・リーフェンシュタールの秘書兼助手をつとめていた女性と結婚したばかりでなく、チベットにまで連れていっているのだ。イランから陸路でインドに向かい、そこからチベットへ入ったという。
「まあ、英国の密偵がうろちょろしていて煩わしいのを除けば、上手くいっている。こちらの法王はドイツに友好的だしな」
 チベットのダライ・ラマ十四世テンジン・ギャツォと摂政政府が、中国・インドからの影響を排除しての独立を願っているのは周知の事実だった。ドイツに親交を求めるのは外交上の術策である。
「あとは付いてきた親衛隊の連中が馬鹿げたことを言い出すのがちと厄介だが」
 苦笑した。歯に衣着せない言動は相変わらずだった。
「ところで、そちらはどうなのだ」
「え?ああ、何とかね」
「ふむ、芳しくないようだな。地中海を奪われたのではな」
「…詳しいね」
「カトマンズ経由でインドの新聞が入って来るんだよ。ゲッチンゲンはどうなのだ」
「ああ、大学町だからね。爆撃の標的になるようなものは何もないから大丈夫だよ」
「そうか、…ゲオルク。何もかも一人で背負い込もうとするな。人は一人では生きていけないものだぞ」
「………」
「後がつかえているようだから、これで切るぞ。子供達にも爺ちゃんから電話があったと伝えてくれ」
「わかった。それじゃ」
 電話を切った。どこか見透かされたようで不快感があった。そういえば、とノルトマンは思った。ヨハンが地理学者になりたいとか言っていたな、親父め、子供達に何を吹き込んでいるのやら。
「お義父さん、どうしたの?」
「うん?ああ、今チベットだってさ。英国のスパイにつきまとわれて困っているらしい」
「うー、…大丈夫かな?」
「大丈夫だって。アフリカや北極、南極にまで行ってきたんだから。殺したって死にやしないよ」
 ノルトマンはわざとおどけるように言った。
「ゲオルク……」
 真顔でマリーアが問いかけた。
「なに、マリーア?」
「……ううん、なんでもない」
「変な奴だな」
 ノルトマンは敢えて気づかない振りを押し通した。彼女が何を言いたいのかは分かっている。子供時分からの付き合いなのだ。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」

 日曜日には市内中心部のマルクト広場に隣接する聖ヨハネス教会に一家総出で詣でた。全員で祈りを捧げるとき、マリーアが夫について何か祈っているのをノルトマンは耳にしたが、気にしないことにした。
 夕方にはマリーアと末っ子のハンス・アウグストを連れて粉挽き堀(ミュールグラーベン)沿いに散歩した。おとといが大雨だったらしく、堀は常よりも増水していた。
「あっ!犬だよっ!」
 突然にハンスが声を挙げた。ハンスが指さす方を見ると、確かに子犬が船着き場の先端の石にしがみついていた。だが、今にも落ちそうだった。
「おぼれちゃうよー」
 ハンスは早くも涙を浮かべ始めている。マリーアはハンスをなだめつつ、助けてあげてと言った。彼女まで泣きそうになっている。こうなった時、ノルトマンに否応は無い。というより妻の涙に弱いのだ。
 船着き場の先端まで行き、子犬を掴むべく手を差し出したが、寸前に子犬がずるりと石から落ちた。
「あ!」
 ノルトマンはためらい無く運河に飛び込んだ。腰まで水に浸かったが、なんとか子犬を捕まえることができた。途端に泥に足を滑らせて頭まで水没してしまったものの、すぐさま水底を蹴って浮かび上がり、子犬を胸に抱えて、ノルトマンは岸に這い上がった。
「あなた!」
「お父さん!」
 二人が駆け寄ってきた。大丈夫とばかりに手を振ってやった。子犬をハンスに渡す。ハンスは慣れているように子犬を受け取り、子犬が体を振るわせて弾いた水を掛けられて歓声をあげた。
「早く家に戻ってお風呂に入らないと。そのままでは風邪を引いてしまうもの。ワンちゃんもね」
「わかった」
「うん!」
 ノルトマンは子犬を挟んで喜び合っているマリーアとハンスを見て、久しぶりの喜びを実感していた。同時に、マリーアを守りたいからと軍人になったことを思いだし、そして自分が指揮すべき艦隊を放り出した事への後ろめたさも感じていた。艦隊を放り出した自分はマリーアを守れるのだろうか?
 未練だ。ノルトマンは頭を振って、未練を振り払おうとしたが出来そうになかった。水に濡れた服が肌にべっとりと張り付き、不快感を一層あおった。
「…いつも、ヘルマン叔父上の喜ぶことは何かなどと、今から思えばくだらないことばかり考えていたんです。戦果をあげることばかり考えて、部隊全体の協調など考えてもいなかった。気づかせてくれたのは、提督です。…提督は私の憧れなんです。いつも目指すべき目標なのですよ」
 そんなことを言われたのが、遙か昔のことに思われた。

 次の日、子犬はすっかり元気になっていた。皿に入れられたミルクをしっかりと舐めている。ハンスは子犬を飼いたがったが、ある老夫婦のもとに貰われることになった。夕べの内に、相談をうけたマリーアの母が貰い手を見つけてきたのだ。ハンスは父親の名前をもらった子犬と名残惜しそうにしていたが、老夫婦が大事にするからと約束したのを聞いて機嫌を直している。
 老夫婦は丁寧にノルトマンとマリーアに礼を言った。戦争で亡くした息子の代わりに、家族の一員として扱うらしい。ノルトマンは少々忸怩たるものを感じた。自分は人に礼を言われるような立派な人間などではない、そう叫びたく思うのだ。
「…どうして、そう考えるの」
「………」
 表情がこわばるのが分かった。午後にマルクト広場までマリーアと共に買い物に出かけた時だった。自分は礼を言われるような人間じゃない、とノルトマンが言ったことにマリーアが反駁したのだ。
「ゲオルクは立派に戦っているじゃないの。どうしてそう自分を卑下するの」
「…マリーアに何が分かる」
 ノルトマンの声は呻くように低かった。辺りをはばかるためではない。怒りを押さえるために力を込めているため、声が低くなっているのだ。
「戦争のことは分からないわ。ただ、状況が良くないことは分かるの。牛さんの往診に行った先で農家の息子さんが徴兵されていたり、街でも学生さんの数がめっきり減って、学生さんの飼っていた猫さんや犬さん、兎さんを預かることが多いもの」
「………」
「前の戦争で、ゲオルクは一所懸命戦ったじゃない。立派だったわ。なぜそんなにふてくされているの?」
「立派に戦って、死んでこいというのか?まさに総統閣下の求める兵士の母の鑑というやつか」
 せせら笑った。そうせずにはいられなかった。虚勢でしかないことは、自分でも気づいている。しかし、止められない。
「違う!ゲオルクに死んで欲しくなんかない!けど………あの時のゲオルクは溌剌としていたわ。…今のあなたを見ているのは…辛いの」
 今度は憐憫か。羞恥に顔が赤くなり、次いで怒りにドス黒くなった。負の感情が弾けた。理屈屋なくせに鋭敏な感性を持つ、感情的な性格である。これまで押さえていたものが噴出し始めると、後は止めどがなかった。
「ふてくされたくもなるさ!戦いたくても戦うことなんか出来やしないんだからな!」
「…ゲオルク?」
「母艦に載せる航空機が無いんだ!ようやく一人前になったパイロットは全て、タイフーン作戦とやらに引き抜かれて、格納庫は空っぽだ。さあ、これでどうやって立派に戦えというんだ!」
 夕食の支度の時間にさしかかっているため、マルクト広場には人通りがない。商店も店じまいの時間である。ノルトマンの軍部批判を聞く者はいないのが救いだった。でなければ政権批判と密告されて逮捕されかねない。
「は!天才的ひらめき、には恐れ入るよ。夏には英本土の奪回に来る輸送船団を航空機で攻撃する計画だった。それには納得できるよ。理屈に叶っているからな!しかし、今度の一体なんだ?ビスケー湾とノルウェーを空襲して廻っていた敵機動部隊が英本土に近づいてきたから、欧州本土攻撃が高くつくことを教えるために攻撃する?戦果が上がったから、追撃をかける?夜間攻撃だぞ?海上をろくに飛べもしない空軍機が命中弾なんて出せるのか?ろくに戦果を確認もせず、なけなしの空母艦載機を夜間攻撃に投入するのか?どこをどうしたら、そんな話がでてくるんだ。夏の計画はどこに行ったんだ!誰か、教えてくれよ!」
 ノルトマンは狂騒していた。両手を振り回し、口角から泡を吹きこぼさんばかりである。
「ゲオルク、ゲオルク、あなた、お願いだから、落ち着いて!」
「うるさい!うるさい!大体、どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって!なにが戦艦だ!〈ティルピッツ〉を女に沈められても気づかないとは、全く石化した爺どもには恐れ入るよ。おまけにラインスベルガー提督に戦艦喪失の責任を押しつけやがって!母艦戦力を最大限に活用するには集中運用が必要なんだ。日本人と合衆国人は9年前に実行して、効果を確認している。それを何のかんのと言って潰した挙げ句に、カリブ海だ。空母をバラバラに投入して、護衛の駆逐艦はせいぜい2隻か4隻。日本人に、どうぞ沈めてくださいと言っているようなものじゃないか!そして貴重なベテラン・パイロットを多く死なせてしまったんだ!その結果が、これだ。世界に冠たる一等国家のドイツが、劣等人種とさげすんでいる日本人に国土を灼かれているんだ。何が優秀な北方民族だよ!それもこれも、カリブ海の制海権を確保できなかったからだ!戦艦ばかり作るのも、潜水艦ばかり作っているのも気に入らん!航空機を渡さない空軍も嫌いだ!太っちょの馬鹿野郎!チリアックスのやかまし屋め!ズューデンヴォルケの意気地なしめ!ネーベルの詐欺野郎!」
「………ゲオルク」
「そして、一番滑稽なのは、自分さ。何もかも嫌になって艦隊を放り出してきたくせに、未練ばかりが募っているんだ!この間、ドイツ人にだって役立たずの意気地なしがいるって、子供達にいってたろう?役立たずで意気地なしなのは、この自分だよ!まったく、お説教できる柄かってんだ。どうだ、情けない亭主だろう?憐れだろう?惨めだろう?言えよ!みっともないって言えよ!」
「そんなことない!絶対にそんなことないもの!ゲオルクは、そんな簡単に諦めたりしない人だもの!」
「今度ばかりは無理だ」
 にべもなく返答する。
「思い出して。英国海軍と決戦したとき、倍以上の敵と戦って、勝ったじゃないの。何度ももう終わりかって思った、けれど最後まで諦めなかった、勝つ方法を考えに考えたよ、って言ってたじゃないの」
「………」
「ゲオルク…」
「うるさい!」
 狂騒から覚め、そしてマリーアに切々と説かれ、ノルトマンは憤激した。理不尽なことと分かっている。マリーアに憤懣をぶちまけることしかできない醜い自分。それでも自分を信じるというマリーア。愛しさが募る。しかしマリーアの正しさが分かるだけに、さらに何よりもマリーアの信頼を裏切っている自分が許せない。だから、一層狂おしく荒れずにいられない。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい!偉そうに説教しやがって!何様のつもりだよ!説教は親父と坊主だけで沢山だ!」
「…ゲオルク」
 マリーアは大きな瞳に涙をこぼれんばかりに湛えていた。図らずもノルトマンの心を傷つけたことに気づいたのだ。両手を口元に当てて、立ちつくしている。
「ごめんなさい。ゲオルク、ごめんなさい」
「………」
 うなだれるマリーアに、ノルトマンは何も言わずに背を向けた。ズンズンと歩いていく。
「…ごめんなさい。ごめんなさい」
 繰り返し、繰り返し謝るマリーアの声を背に受けて、しかしノルトマンは絶対に振り向かなかった。一旦振り向いてマリーアの涙を見たが最後、ひざまずいて許しを請わずにいられなくなると分かっているからだ。マリーアの声が段々と遠くなって聞こえなくなっても、ノルトマンは振り返らなかった。

 夕食の時間になってもマリーアは帰ってこなかった。
 夕食はノルトマンがあり合わせの材料でシチューを作って子供達と一緒にとった。一緒に買い物に出かけた筈のマリーアが帰ってこないことに子供達は不安を隠さなかったが、ノルトマンが、お母さんは頼まれてロッソウさんのところに行っているんだ、と言うと安心したようだった。というより、何があったかは知らないが怒っているらしい父親にそれ以上何も云えなかったのだ。
 父親は父親の方で、子供達に嘘をついたことと、すらすらと嘘が出てきたことに自分がますます嫌いになっていた。嘘つき野郎が父親面をする。食べたものを吐きそうだった。
 子供達が寝る時間になっても、まだマリーアは帰ってこない。さすがに頭は冷えたものの、ノルトマンは余計に意固地になっていた。
 いつだって最後に折れるのは自分だった。今度ばかりは許してなんかやるものか。なあに、深夜になればこっそり帰ってくるさ、人一倍怖がりのあいつが夜のマルクト広場で辛抱なんて出来るはずがない。うーん、でもあいつは恐がりだから、帰ってこれるかな。腰を抜かしているんじゃ無かろうか。途中まで迎えにいってやろうか。何でもない顔をして手を差し出してやればいいのかも。
 地理学会報をひもときつつ(内容は頭に染み通っていない)、あれこれと考えているとき、出し抜けに空襲警報が鳴った。

 北方の空が紅く燃えていた。地上の火炎が雲に反射しているのだ。ラジオはミンデンが空襲されていると報じていた。ミンデンは北海に流れ込むヴェーゼル川と、ライン川からヴィスワ川までを繋いでいるミッテルラント運河が立体交差する地点である。枢軸軍は運河を破壊するべく爆撃機を繰り出してきたのだ。
 ノルトマンは子供達を寝台からひっぺがした。まだ眠いらしく目をこすっている末っ子のハンスを抱え、ヨハンにはヤーコブの手を握らせ、そしてヨハンの手を繋ぎ、岳父の家に駆け込んだ。
 義父母たちも警報を聞いて起き出していた。
「お義父さん、防空壕は作っておられますか?」
「ああ、地下室をベトンで強化してある」
「賢明です。子供達を頼みます」
「それはいいが、君はどうするんだね?それにマリーアは?」
「探してきます。俺が悪いんです!」
「それはどういう…」
「あなた!……マリーアをお願いしますね」
 ハンスを抱え上げたマリーアの母が夫を制止して、それ以上聞かないように、と首を振った。
「…ああ、わかった。マリーアを頼んだよ」
「はい!ヨハン、ヤーコブ、ハンスをお願いします!」
「お父さん!」
「ヨハン、お前はお兄ちゃんなんだから、泣いては駄目だ。おじいちゃんとおばあちゃんの言うことをよく聞いて、ヤーコブとハンスを守るんだ。お母さんは、お父さんが迎えに行って来る。大丈夫、ちゃんと連れて帰ってくるから」
「うん!行ってらっしゃい」
「ああ!」
 空襲警報のサイレンが鳴る中を、ノルトマンはマルクト広場へ向かって駆け出した。マリーアはあのままマルクト広場にいるに違いない。自分のことよりもノルトマンを傷つけたことを気にして、心を押しつぶされたようにしている筈だ。昔からそうだった。そういう少女だったのだ。マリーアはどんなときも、ゲオルク・ジークフリート・ノルトマンを信じてきたのだ。
 マリーアがいなくなるかも知れないなどと考えたことはなかった。いつだってノルトマンの隣に笑顔の彼女がいたからだ。それが当たり前のことのように思っていた。そして今、空襲で彼女を失う可能性に思い至ったとき、身がすくんだ。ノルトマンは自分自身を痛罵した。そうせずにいられなかった。
 馬鹿野郎!いつだって、そうだったじゃないか。マリーアに頼られている積もりでも、頼りとしていたのは自分の方だったじゃないか!あいつの励ましがあったからこそ、俺は戦えていたんだ!畜生、畜生。何だって、こんな大事なことを忘れていたんだ。自分の大馬鹿野郎!
 爆音が近づき、警報がさらに喧しく騒ぐ中をノルトマンは駆けた。駆け続けてマルクト広場に躍り込んだ。

 広場の中心、がちょう番の娘リーゼルの銅像が置いてある噴水の縁石に、マリーアは腰掛けていた。警報のサイレンが聞こえているのか聞こえていないのか、肩を落としてうつむいている。夜露に濡れたままだった。
 息を整えて声を掛けた。
「マリーア!」
「ゲオルク!」
 ノルトマンの声にマリーアは顔を上げた。ぱっ、と白い華が咲いたような笑顔だった。ノルトマンの胸には、急に愛しさが込み上がってきた。
 ノルトマンはマリーアを抱き寄せて、マリーアの頭を胸にかきいだいた。
「ばっかやろう!心配かけさせやがって…」
 声が震えて涙含みになってしまった。
「ごめんなさい…」
「いいんだ、俺が悪かったんだ。当たり散らしてごめん。置いていって、ごめんな」
「ううん、私が悪いの。ゲオルクが疲れているのに、無理強いなんてして。それに、ゲオルクは迎えに来てくれたもの」
「……マリーア!」
 ノルトマンは、ひしとマリーアを抱きしめた。
 天空を火炎と爆音が占拠した。伝説の化鳥のような巨大爆撃機がゲッチンゲンの街をかすめるように飛んでいく。
「臥せろ!」
「!」
 ノルトマンはマリーアを抱えて石畳に身を投げ出した。そしてマリーアに覆い被さった。マリーアがぎゅっ、としがみついてくる。
 火のついた爆撃機は聖ヨハネス教会の尖塔をかすめるような低空飛行をしていた。火のついた外板や部品をまき散らしている。翼の大半はすでに炎に包まれ、6発の発動機の半分がすでに停止していた。ミンデンを爆撃している最中に夜間戦闘機に捕まり、梯団から脱落して、帰るべき北方ではなく南方へ追い立てられてしまったのだ。
 既に助からない事を知っているのだろう。それでも爆撃機の機長は人家のあるところに墜とさないように必死で機体を操っている。
 その機長の姿をノルトマンは石畳の上から見た。一瞬のことではあったが、操縦室にまで侵入してきた炎に身を焼かれつつ、なおも操縦桿を離さない姿を見た。それが義務を果たすべく戦う、倒すべき、憎むべき、尊敬すべき、ドイツの敵だった。
 爆撃機はゲッチンゲン東方の山地へ飛んでいった。広場に静寂が戻った。しばらくして、大音響と共に巨大な火球が発生している。ハルツ山地に爆撃機が墜ちたのだ。
 静かになった広場で、ノルトマンとマリーアは顔を見合わせた。ほうっ、と互いに息が漏れる。ついで、どちらからともなく笑い出した。おかしかった。うれしかった。二人で、一緒に、ここにいることが嬉しかった。
「ふふふふふ……」
「あはははは……」
 笑いあって二人は立ち上がり、手を繋いで踊った。消防車が東の山へ向かうべくサイレンを鳴らして出動しても、周りの民家から火災見物に人が出てきても、二人は踊っていた。
 いつまでもいつまでも、くるくるとステップを踏み続けた。

 巡洋戦艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉艦長オットー・レニ・キルシェバウム大佐は、苦虫を何匹もまとめてかみつぶしていた。
 それも無理はない。死人のような顔で出奔した第1航空艦隊司令長官を連れ戻しに彼の郷里に来てみれば、当の本人は至って元気に家事に勤しんでいたからだ。そしてノルトマン家の居間で(本物の)コーヒーを一緒に飲んでいる。見れば血色も良い。ますます腹が立った。
「……で、何をしていらっしゃったのです。お・義・兄・さ・ん?」
 カップをソーサーに戻して、オットー・レニは今にも噛みつきそうな表情で尋ねた。
「何って………マリーアに風邪を引かせてしまったからな。かわりに食事の支度や洗濯、掃除、いろいろだな」
「ほほう、つまり、お義姉さんに風邪を引かせるようなことをしていたわけですね。成る程」
「あ。変なことを考えていないか?断じて、そんなことでは無いぞ」
「夫婦仲の大変よろしいことで」
 じと眼で睨む義弟に慌てて弁解するが、誤解が解けたかどうかは自信がなかった。
 ごほん、と咳払いをして、ノルトマンは知りたいことを尋ねた。
「ところで、オットー。アイルランド沖はどうなんだ?国内のラジオは大戦果と言っている。変な歌まで作っている始末だ。BBCは空母の損失無し、重巡1隻と軽巡1隻の大破のみと言っている。BBCが比較的客観的な報道をしているとはいえ、この差が気になる。本当のところはどうなんだ?」
 義兄が正常な精神状態を取り戻していること、そして鋭気が戻っていることを確認したオットーは背筋を伸ばした。鞄から書類を取り出した。
「ええ、結論から言えばBBCが正しいです。敵機動部隊の健在を、追撃に投入されたマルザン中将の遊撃部隊が確認しています。総統大本営は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているそうですよ。戦果誤認の理由ですが、海面への着弾を命中、味方機の爆発を撃沈と見誤るケースがほとんどでした。そして、こちらの受けた損害ですが………ひどいものです。のべ1200機が出撃して、400機近くが失われています。海上護衛戦隊の第901航空戦隊に至っては夜間偵察と誘導に駆り出されて壊滅状態です。虎の子をすり潰されたグロスブルネン大佐らは上官達の責任追及をすべく息を巻いています。あと、引き抜かれた艦載機部隊ですが………」
 オットーの報告を聞きつつ、ノルトマンは何も問わなかった。瞑想しているように半眼で聞いている。オットーの言葉が止まった。目を上げてみれば、不安そうな表情をしている。
 空軍と海軍とを合わせて、航空機による海上攻撃兵力の過半以上を一挙に失ったのだ。とりわけベテラン・パイロットの損失は大きかった。マルセイユなどの数少ない超エクスペルテンを除けば、開戦当初以来のベテラン・パイロットの数はカリブ海で大きく減らし、最早指折り数えた方が早いほどだった。その貴重極まりないベテランすらも消耗させてしまっている。
 基本的に大艦巨砲主義者のオットー・レニでも、今や水上艦艇がエア・カバーも無しに活動できるとは考えていない。不安になるのは当然だった。
「訓練を急ごう。次の準備をしなければいけない。人員は各地の教官クラスを集めて基幹要員とする。後方の錬成に支障が出るが辛抱して貰うしかない。新人は…前の戦争の時に要員を集めた手で行こうと思う。空軍でこぼれた連中、好奇心の強い奴はそれなりの数がいる筈だ。あと、艦載機だがマンフレート(シェーンハイト)を頼ろう。心苦しいが、空軍行政に影響力のあるマンフレートならば何とかしてくれるはずだ。パイロットも頼むことになるかもしれないが…」
「ちょっと待った!次なんてあると思っているんですか?」
 いきなり「今後の構想」を語り始めたノルトマンに、オットーは慌てた。シェーンハイト空軍大佐を頼るというのも気に入らないが、それよりも次の作戦の機会なんてあるのだろうか。エア・カバーを失ったドイツ海軍に。
「ある。彼らは英本土奪回に必ず来る。彼らは上陸部隊をレイキャビクから輸送船で運ばねばならない。それを叩く機会はある。大損害を生じせしめれば、講和の機会ができる」
 断言したノルトマンの目に、強い光が宿っている。これだ、とオットー・レニは思った。自然現象や物体を見て、その本質を見通す画家の目だ。彼の脳裏には北大西洋全体が画布として広げられ、画布には彼が筆を振るった、来るべき戦いがすでに描かれているのだ。
「急がねばならない。今はもう晩秋だ。冬も間近い。2月には東海(バルト海)も凍ってしまう。それまでに攻撃部隊を一人前にしなければならない。なぜならば」
「なぜならば?」
「うん。日英米枢軸は東海が凍るのを待って、英本土奪回作戦を開始する筈だからだ。つまり、2月があぶない」
「ええ、そうでしょうね。我々が出撃不能になってしまえば、大西洋は彼らの庭も同然です。北米艦隊はグアンタナモの艦隊に牽制されて動けませんから」
「その前に決戦が起きる。いや、戦いを挑める最後の機会だろう。氷が溶ける頃には、彼我の形勢は逆転も何も、挑戦すらできなくなっている。〈カツラギ〉級空母は来年春の就役なのだろう?」
「帝国軍対外諜報部(アプヴェール)ではそう見ていますね」
〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉を上回る超大型空母が4隻。我が方の空母はどんなに急いでも春までに間に合う艦がない。フランス本国に〈島津《ラ・サール》一葉〉があるが、箱入りだから手放さないだろう。つまり空母7隻の現有戦力で戦うしかない。しかも我が方は軽空母を3隻含んでいる」
 枢軸軍主力はレイキャビクとグアンタナモを合わせて、〈長森《大鳳》瑞佳〉級5隻に〈芳賀《翔鶴》玲子〉級3隻、英国空母〈リアン〉と合衆国空母〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉他からなる。その他にも軽空母や護衛空母が両手両足では足りないほど。そこに超大型空母4隻が加わった後では、艦隊決戦を考えることすら莫迦らしくなる。
「随分と楽しくなりますね」
「決戦を起こすならば1月末が最終期限だ。絵画コンクールの〆切と思えば、まだ気が楽だよ」
「〆切、ぎりぎりまで粘った口でしょう。お義兄さん?」
「ばれたか」
 合衆国人のように肩をすくめたノルトマンにオットーは耐えきれずに腹を抱えて笑い出し、ついで二人で笑い転げた。
 ひとしきり笑った後で、ノルトマンが大事なことに気づいたように声をあげた。
「いかん、忘れていた。俺は辞表を出していたんだった」
「いいえ、第1航空艦隊司令長官は貴方です」
 何を慌てているのか、と言わんばかりにオットーは落ち着いている。
「え?辞表をデスクの上に出して置いたんだぞ。それに無断で勤務地を離れたんだ。いくらなんでも解任だろう」
 怪訝な顔のノルトマンである。オットーは貸しを作る機会ができたとばかりに、にんまりと笑った。
「辞表はアロイス・ヒンメル艦長が預かっています。副官が艦長に取り扱いについて相談したそうですから。なお、貴方は悪性の風邪をひき、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉の司令長官室で寝込んでいることになっています。軍医殿の見立てでは絶対安静、面会謝絶とのことであります」
 いかが、とばかりに小悪魔のようにオットーは笑みを浮かべている。降参、とノルトマンは両手をあげた。

 その日の夕食はお隣の岳父の家でとった。マリーアも調子が良くなったので同席している。マリーアの母は「息子」が二人に増えて、さらに喜んでいた。
 なにしろオットー・レニは絵に描いたような金髪碧眼の美形である。だからといって冷たい感じを与えることはなく、綺麗なお人形といった風情なのだ。但しモデルになるには少々背丈が足りず、さらに黙っていればともかく、口を開けば悪口雑言が飛び出し、おまけに口より手や足の方がずっと早い。喜怒哀楽がはっきりしており何とも憎めない性格で、水兵達からも慕われている。
 そのオットー・レニは少々かしこまっている。彼は3歳で父を失い、母が働きに出なければならなかった為、こういった家庭の雰囲気が(憧れているにも関わらず)苦手なのだ。
 ぎくしゃくしているオットーをノルトマンはからかっている。そういえば画家の卵の女の子と付き合っているんだって?さっきの仕返しだった。むーっとばかりにオットーが頬をふくらまして上目使いで睨むが、何とも愛らしいばかりである。
 夕食後には居間で歓談となった。大人の会話ということで、子供達はマリーアに連れられて家に帰っている。
「そういえば、超人シュタイナーというTV番組を知っているか?」
「随分と人気だそうですね」
 それがどうしたのか、とオットーは首を傾げている。
「うん、この間子供達と見たんだが、党のプロパガンダが入り込んでいるようだな。思ったんだが、ああいったプロパガンダ番組を見て育った子供達が、国家に熱狂的な忠誠を捧げることになるんだよな。若い水兵達のことを、ちょっと思い出したんだ」
「まあ、確かに士官連中にも熱心な奴はいますから。若手ではユーゲント上がりでない士官を探す方が難しいですよ。なにしろ大学入学資格を取りやすいですからね」
「そうだよな…」
「でも、超人シュタイナーはおしまいですよ」
「そうなのか?」
 ノルトマンばかりでなく、岳父まで興味を引かれたようだった。
「ええ、なんでも同盟国から抗議が寄せられたそうで、ゲッベルスが番組担当責任者をこっぴどく叱りつけて左遷したという話です」
 ゲッベルス・ショーのアイン・シュバルツ・ブリーフの方がよっぽど差別的なんですが、とオットーは笑った。
「低俗な番組ばかり作っている報いだ。全く嘆かわしい」
 岳父はうんうん、と頷いている。
「ふ〜ん。子供達ががっかりするな。国民学校では話題のタネになっているそうだし」
「後番組がすぐに始まるから大丈夫ですよ。今度はプロパガンダは無しだそうで、ロンドン民政府管区で作られているんです。“Ring The World”という題で、地球内部の空洞世界に飛行船で探検にいく話だそうです」
 地球空洞説というオカルトのどこが大丈夫なのか、ノルトマンには皆目分からず、頭を抱えざるを得なかった。なお、“Ring The World”全40話は見事な特撮で知られ、英国と日本のスタジオは特撮の世界を二分することになる。
「それにしても、随分と裏の事情に詳しいな?」
 オットーは肩をすくめた。北米暮らしが長かったので様になっている。
「アイの実家がスポンサーになっているので、試写とかによく呼ばれるんです」
「ああ、なるほどね」
 オットー・レニの大親友にして同僚のアイゼンバルト・トリスタン・フォン・ライヒャーシュロスは、巡洋戦艦〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の艦長であり、玩具の製造販売を中核事業とする財閥ライヒャーシュロス家の末っ子(兄が二人、姉が三人)である。オットー・レニとアイはキンダーガルテン(幼稚園)以来の付き合いなのだ。そのライヒャーシュロス財閥が子供向け番組のスポンサーになるのは、全く持って理にかなっている。
「そうそう、チベットの地底都市探検の話も作られているそうですよ。世界初公開のチベットの映像を使うので、現地で取材が行われているんです」
 ママもお義父さんと一緒に行って撮影を進めています、知っているでしょう?オットーは嬉しげに言った。
 親父め、チベットというのはこれか!調査資金の捻出のためには手段を選ばない父に、ノルトマンは激しい頭痛を覚え、こめかみを押さえた。

 翌日の昼前、ノルトマンはゲッチンゲン駅のホームに立っていた。この前、駅に降りたときとは違って、今度は家族の見送りを受けている。
 天気は快晴。吹く風も暖かく、まさに小春日和だった。
「子供達へのお土産、ありがとう。オットー、身体に気を付けて」
「はい、ありがとうございます、お義姉さん。お義兄さんを借りていきますが、出来るだけ無事にお返しします。では、お元気で」
 オットーが先に汽車に乗り込んだ。ノルトマンは視線を家族に戻した。マリーアは無理に笑おうとしているが、努力は報われずに涙を浮かべている。つられて子供達もちょっと泣きそうだった。
 ノルトマンは息を抜いた。子供達一人一人の頭にぽん、ぽん、と手を載せていった。
「休暇が終わったから、仕事に戻るよ。お母さんや、お祖父ちゃん、お祖母ちゃんの言うことをよく聞くんだよ」
 そしてヨハン、ヤーコブ、ハンスを抱きしめる。
「大丈夫。お前達がお祈りしてくれるなら、お父さんは負けないから」
「はい!」「はい!」「うん!」
「いい返事だ。マリーア」
 マリーアは慌てて涙を拭った。ノルトマンはマリーアを引き寄せて抱擁した。耳元で囁く。
「いつまでも、一緒だ、俺達は」
「…ゲオルク、ずっと、ずっと、一緒にいようね」
「必ず、生きて帰る。約束する」
「うん。ゲオルクは約束を破った事なんて無いもの。信じるよ」
「ああ」
 マリーアの頬に接吻した。マリーアもノルトマンの頬にお返しの接吻を贈った。それが二人の約束。
 岳父とは握手をし、義母には抱擁をして、そしてノルトマンは汽車の人となった。
 ハノーバー行きの汽車が動き出す。家族はみんな手を振っていた。ノルトマンも、彼らが見えなくなるまで手を振った。
 汽車はハノーバーからベルリン経由でゴーテンハーフェンへ。

 ここに、闘将と謳われるゲオルク・ジークフリート・ノルトマンは復活したのだった。


勇者の如く倒れよ〜北の暴風〜


 第3次世界大戦末期、戦局の転換を求めてドイツが起こした「北の暴風」作戦は、北はノルウェー海、南はキューバ島、東はバルト海から西は北米大陸東岸に至る広大な戦域でもって戦われた。その焦点は英本土奪還軍が集結するアイスランド島のレイキャビクである。

 1951年、ドイツを盟主とする欧州連合は苦境に陥っていた。カリブ海の争覇に破れ、パナマ・グアンタナモ・レイキャビク線を断ち切るどころか、大西洋両岸の通交を日英米枢軸軍に断ち切られつつあったのだった。ドイツ本国の海軍総司令官デーニッツは新型ヴァルター・ボートを繰り出したものの、枢軸軍の投入した新型海防艦やハンター・キラー戦術、対潜水艦音響ホーミング魚雷による交換率の悪化に苦しんでいた。ドイツ北米艦隊もまた、グアンタナモに拠点を置く枢軸軍艦隊によって一敗地にまみれたとはいえ努力を重ねており、単艦あるいは2、3隻の戦闘グループでもって船団襲撃をおこなわせていた。しかし航空母艦のほとんどを失った北米艦隊に枢軸軍の2個機動艦隊に対抗する術はなく、港に逼塞せざるを得ず、ヒトラーの言うところの「のらくら艦隊」へと陥っていたのだった。
 同年の夏には、さしものヒトラーも大西洋の状況を理解し、新たな国防計画を承認した。それは枢軸軍の侵攻箇所を英本土と見定め、「空陸海の戦力を極度に集中し、敵空母及び輸送船を殲滅する」のである。船団を撃滅することで枢軸軍の人命を徹底的に奪って戦意を破砕し、その上で講和を強要するのが目的であった。
 しかし、第2機動艦隊が欧州沿岸を空襲して回ったことに総統ヒトラーは苛立った。特にビスケー湾岸を荒らされた事により、ヴィシー・フランス政府が枢軸側に寝返るのではないかと疑心暗鬼に陥ったのである(注1)。そして遂に彼は命令を下した。欧州沿岸を荒らす、敵機動部隊を撃滅せよ、と。
 これを知ったデーニッツは激しく抗議したが、水上艦隊の不甲斐なさをヒトラーに責め立てられては、海軍組織を防衛するためにも総統の「政治的判断」に同調せざるを得なかった。ためにノルトマン少将の元で、バミューダ沖海戦(注2)の打撃から再建なった艦載機戦力をも英本土へと投入したのである。
 10月10日、日本第2機動艦隊がヘブリデーズ諸島と北アイルランドの間の海域にまで侵入して英本土を空襲したとき、「タイフーン」作戦が発動された。12日から15日までの4日間にのべ1200機でもって夜間空襲をおこない、空母10隻を撃沈したものと見られたのである。この「大戦果」に気を良くしたヒトラーはデーニッツを呼びつけ、航空機ばかりでなく戦艦をも投じて戦果を拡大することを求めた。「大戦果」に疑問を感じていたデーニッツは、高海艦隊ではなく、ノルトマン麾下の第1航空艦隊の護衛部隊であるフランス遊撃戦隊を投入した。そして、それにより判明した事実は驚愕すべきものだった。「大戦果」の殆どは誤認であり、敵空母部隊は健在だったのである。
 この無益に終わった「タイフーン」作戦により、ドイツとフランスは航空機による海上攻撃兵力の大半を失った。さらに英本土においては、ルフトヴァッフェが秘匿していた退避基地をレジスタンスによって通報されてしまい、相次ぐ空襲によって航空戦力を潰されていく結果を招いたのである。
 ヒトラーの致命的な失策により、英本土上陸を迎撃し、航空兵力全力による輸送船団撃滅、という新国防計画の基本戦略は初手から瓦解しさったのだった。

 この大敗の後、第1航空艦隊司令官のノルトマン少将はバハマ沖航空戦後、バミューダ沖海戦後に続いて、実に三度目の機動部隊再建に直ちに取りかかった。アイルランド西方沖航空戦当時、「悪性の風邪」をひいて寝込んでいた彼だったが、復帰後は空軍の協力も取り付けて精力的に行動している。
 パイロットは教育部隊から教官クラスを引き抜き、空軍からも移籍希望者を募って数を揃えることに成功している。機体も〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉艦長シェーンハイト空軍大佐の助力もあって、最終的に200機近くをかき集めることが出来た(注3)。細々とした備品についても、軍務局に勤務するノルトマンの同期にして親友のグラブベルク中佐の援護で、優先的に揃えることが出来ていた。
 そして曲がりなりにも体制の整った機動部隊はゴーテンハーフェンから、海軍が建設を進めている新根拠地リガへと移動していった。燃料の供給については、バルバロッサ・ポリス(モスクワ)の外港であるリガの方が潤沢なためである。
 第1航空艦隊は昼夜を問わない猛訓練に邁進した。〈七城《ヴェーゼル》柚子〉では飛行甲板に機体の尻をぶつけてしまう者や疲労の余りに倒れる者が出たりしている。〈鈴原《エムス》琴美〉もまたパイロットの急速養成の母体として酷使されていた。
 司令官ノルトマンは各艦やパイロット達の間を回って歩いて意志の疎通を図った。気むずかし屋なところのあるノルトマンではあったが、こまめに声をかけて親密さを得ている。峻厳な人格により指揮統率をおこなうことの多いドイツ海軍の中では異色の方法であった。しかしこれにより第1航空艦隊は上下一体となった雰囲気を形成し、厳しい戦いの中でも士気の崩れない一因となったのである。
 機体の引き渡しが遅れたりと環境は必ずしも良好ではなかったが、それでもバルト海結氷の時期が来るまでに平均200時間強の訓練時間を稼ぎ出すことができた。もっとも、それはようやく発着艦をこなせるというレベルであり、飛行総隊長をつとめるマルセイユ中佐から見れば殻を尻に付けたひよこも同然であったのだが。
 これが、欧州最強にして最後の機動部隊の実情であった。教官クラスを隊長機に配属しているために後方でのパイロット養成に支障が出ている。そして練習用空母も実戦部隊に配備している。もはや、後はないのだった。

 「北の暴風」作戦発動に至る直接原因には、枢軸軍のベルリン大空襲が挙げられている。1951年のクリスマス・イブにおこなわれた大空襲は、イブの夜を静かに迎えようとしていたベルリン市民に被害をもたらしている。〈富嶽〉と〈富嶽改〉を護衛するために、機動部隊は北海沿岸に大胆に接近して戦闘機を発進させていた。さらに機動部隊護衛の戦艦部隊がヴィルヘルムスハーフェンへ艦砲射撃をかけ、Uボート・ブンカーやアウロル燃料タンクの破壊に成功している。
 ドイツは巨額の損失を被り、国民もまた心理的衝撃を受けていた。その中でも最大の衝撃を受けたのは、総統ヒトラーであった。ヒトラーはこの攻撃を自分個人に対する、戦争の早期終結へのメッセージと解釈していた。彼はメッセージに応えねばならぬ、と決意した。
 つまり枢軸軍の一連の攻勢に対するヒトラーの返答が、「北の暴風」と言う次第であった。

 その大攻勢作戦「北の暴風」は北大西洋全域の海軍戦力をレイキャビクへ集中させるだけに、緊密な連携が必要であり、フィラデルフィア、ダカール、ボルドー、リガに分散している各艦隊指揮官相互の、互いの任務に対する正確な認識と信頼感が無ければならなかった。しかし、現実には齟齬が当初から発生していたのである。とりわけドイツの指揮官達の関係に問題がありすぎた。
 高海艦隊司令長官オットー・チリアックス上級大将は1891年の生まれで、1910年に海軍士官学校に入学し、主に参謀畑を歩いている。
 北米艦隊司令長官オスカー・クメッツ大将も1891年の生まれで、チリアックスとは同期であり、水雷関係の職を歴任している(注4)。
 この二人が佐官から将官へと昇進したのは共に1940年。同じ頃のノルトマンは大尉であった。それから10年余りが立ち、ノルトマンは40才前にして少将へと昇進している。ドイツ海軍の量的拡大と長期化した戦争に伴う措置とはいえ、尋常ならざる昇進速度である。これは「特待生」である彼の才幹を示すと同時に、ドイツ海軍の航空派閥の人材層が薄いことを意味している。
 そしてノルトマン率いる第1航空艦隊は建制上、高海艦隊隷下の一部隊であったが、事実上の独立機動部隊である。40才に満たない少将が高海艦隊と北米艦隊に匹敵する艦隊を率いている(注5)。軍人であり、厳密な秩序を愛する官僚でもある老提督達にとり、ノルトマンと彼の部隊は組織秩序の異物だった。さらにノルトマンの昇進の背後に、潜水艦派閥の領袖デーニッツによる航空派閥取り込みの意図があることが見えたのでは尚更だったのだ。
 それゆえの反感と嫉視、さらにチリアックスとクメッツの間にある競争意識も相まって、ドイツの三個艦隊の協調は難しいと言わざるを得なかったのである。

 作戦発動に当たって、海軍総司令デーニッツとしては、囮任務を受け持つノルトマンに総指揮を執らせるべきと考えていた。敵機動部隊をレイキャビクから引き離した隙を狙って戦艦を突入させるには、囮部隊指揮官が突入タイミングを測り、全艦隊に突撃命令を下すのが良いからである。
 しかし、それでは少将が大将に命令を発することになってしまう。組織秩序上からは、そのようなことはできず、まして両者には親子ほどの年齢差がある。しかも今すぐにノルトマンを昇進させることもできない。そしてチリアックスとクメッツを作戦発動間近のこの時期に交代させることもまた出来ないのだった。
 ノルトマンが構想した別案には、高海艦隊と第1航空艦隊を一塊りとして突撃させるというものがあった。空母には戦闘機だけを積み込んで、ひたすら艦隊上空のエア・カバーをおこなうのである。しかし、この案もまた指揮権の所在が問題視されて却下されている。
 戦艦と空母が同一行動をとるということは、戦艦を防空陣形に取り込むということであり、艦載機発進の際に空母が風上に向かった場合には戦艦もまた回頭しなければならない。それではやはり空母部隊指揮官が主導権を握ることになってしまう。これを回避するために戦艦部隊と空母部隊を分離させては、空母部隊が敵機に襲撃された際に戦艦部隊が何らの寄与もしない結果になってしまう。
 かつての東太平洋海戦での日本艦隊の場合には、戦艦部隊指揮官近藤提督から空母部隊を率いる山口多聞提督に全権が委任されていた。それでも混乱が限りなく発生しているのである。この指揮権の混乱を収拾するために、日本海軍は合衆国の任務部隊制を折衷案として取り込んでいる。それらをおこなっていないドイツでは、チリアックスがノルトマンに指揮権委譲をおこなう筈も無かった。
 議論と図上演習の末に、精悍さあふれる軍令部参謀長エーベルハルト・ゴート中将の素案通りになった。ノルトマン艦隊が囮となって枢軸軍第2機動艦隊をアイスランドから引き離し、その間隙を突いて高海艦隊と北米艦隊(とフランス艦隊)がレイキャビクへ突入して輸送船団を撃滅する。
 しかし、ドイツ艦隊の指揮官達は互いに対して不信と不満を秘めている。チリアックス率いる高海艦隊は北米艦隊を、要求ばかり多い割に損害が大きく戦果をあげない雇われマネージャーと考えていた。クメッツの北米艦隊では高海艦隊を、コタツに入って寝てばかりいるか遊んでばかりの、婚き遅れの怠け者艦隊と見なしていた。そして両者はノルトマン艦隊を孺子が率いる艦隊と見ることでは一致している。学園祭でダンスを踊っているのが似合いであろう、というのだった。
 そのノルトマンは、チリアックスを艦隊指揮官としては保全主義に傾きすぎ、消極的に過ぎると見ていたし、クメッツに対しては周囲の状況を見ない猪突の提督と考えていたのである。かえって「先輩」または「隣のお姉さん」ともいうべき、年齢の近いフランス機動部隊に親しみを感じている始末であった。
 そして、日本海軍に当てはめるならば連合艦隊長官に相当する高海艦隊の司令官チリアックスは、戦力を北米や地中海に引き抜かれた上に、自分の指揮下にあるのが水上砲戦部隊のみというのが不満の種であったし、北米艦隊のクメッツは、作戦説明の為に軍令部参謀長ではなく作戦参謀が飛来したことに、本国の北米軽視を感じてむくれていた。
 ノルトマンにしても、艦載航空隊のみならず〈篠宮《アルザス》悠〉などの護衛部隊を気軽に引き抜き、部下を次々と死地に追いやるデーニッツを批判的な目で見始めていた。その衰えない闘志には敬意を抱くものの、総統に影響されたのか反ユダヤの言動が多くなったデーニッツに、学都ゲッチンゲンで生まれ育ったためにユダヤ系の友人知人を多く持っていたノルトマンはついていけないものを感じていたのである。チリアックスとクメッツに対しては言わずもがなであった。

 斯くして、不協和音を秘めながらもドイツ海軍は総力をあげた攻勢を開始する。もっとも早く動き出すのは大西洋を横断する北米艦隊である。彼らは1952年1月18日、フィラデルフィアとノーフォークから出動した。これにダカールのフランス本国艦隊とボルドーの遊撃戦隊が合流する。次いで、リガより第1航空艦隊と高海艦隊が出撃する。
 1月22日、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉は第1航空艦隊の旗艦として、浮氷の浮かぶドヴィナ川を氷を割りつつ下った。リガ湾でエスコート艦艇とフランス機動部隊と会同し、クールラント半島とサーレマー島の間のイルペンスキー海峡を経由してバルト海へ抜けた。
 指揮下にある艨艟の群を航海艦橋から眺めながら、ノルトマンはデーニッツ総司令との会見を思い起こしていた。
「心苦しいが、本職は貴官に命令せねばならぬ」
「お気になさらないでください。自分は、大ドイツ帝国海軍軍人として果たすべき義務を心得ております」
 それは何かと、デーニッツは無言で問うた。
「ゲオルク・ジークフリート・ノルトマンは、名誉ある死に方を知っている、ということです」
 王者のため、勇者の如く倒れる。その王者が史上最悪の愚者であったとしても。
 1939年に対英仏戦争を始めたときからドイツ海軍は常にそうだった。名誉ある戦死を遂げられることを示すより、道は無かったのである。


注1:この頃のヒトラーは患っていたパーキンソン病がかなり悪化しており、鬱から脱するために恒常的に覚醒剤に頼らねばならない状態になっていた。
注2:1950年後半に大西洋上バミューダ島を巡って発生した機動部隊決戦。グアンタナモ・レイキャビク航路を扼する位置にあるバミューダ島を枢軸軍が占領しようとし、ドイツはそれを阻止すべく機動部隊を投入したが、〈高井《エーリヒ・レーヴェンハルト》さやか〉などの主力空母を敵潜に撃沈されて敗北した。これによりドイツは稼働可能な正規空母全てを失い、フランス艦隊も空母を本国に引き上げている。
注3:シェーンハイト大佐はドイツ空軍の支配者ゲーリングを代父に持っており、ゲーリングだけでなくヒトラーの覚えもめでたかった。ゆえに空軍を実質的に支配するヴェーファー総参謀長には「宣伝塔」として扱われていたが、それを逆用して操縦士や機体の確保に尽力し、戦果の落ち込みで見放され掛けていた機動部隊再建に重要な役割を果たしている。
注4:海軍総司令カール・デーニッツ元帥も1891年生まれであり、チリアックスとクメッツの同期でもある。
注5:主将であるノルトマンが40才未満であることから、ドイツ機動部隊の各級指揮官は皆一様に若かった。〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉艦長シェーンハイト空軍大佐に至っては29才である。巡洋戦艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉の艦長達は30才台前半、〈カノーネ〉級大型駆逐艦の艦長は大尉が勤めていた。お目付役でもあるヴァーテル参謀長が42才と最年長であった。


決戦〜ノルウェー沖海戦〜


 1月24日午前6時30分、ノルトマン艦隊は対潜警戒航行序列から対空警戒航行序列へ陣形を組み直した。大きく二つの部隊(ノルトマン戦隊とオルベリス戦隊)へと分けられ、それぞれに防空輪形陣を形成している。そして夜明けを待たずに、北西の空へ十二本の索敵線を張った。
 この時点でのノルトマン艦隊の戦力は以下の通りである。

 第1航空艦隊(総指揮ノルトマン少将)
   第11航空戦隊(ノルトマン直率)
    正規空母
      〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉(旗艦)
      〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉
    軽空母
      〈七城《ヴェーゼル》柚子〉
      〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉
      〈鈴原《エムス》琴美〉
    巡洋戦艦
      〈桜塚《シュリーフェン》恋〉
      〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉
    軽巡
      〈シュテッチン〉
      〈ブレスラウ〉
      〈ザールブリュッケン〉
    駆逐艦
      〈Z76フリューゲル〉
      〈Z77レーゼツァイヒェン〉
      〈Z78ハーゼ〉
      〈Z79フクス〉
      〈Z80サーベル〉
      〈Z81リーリエ〉
      〈Z82カッツェ〉
      〈Z83ガイスト〉
   第12航空戦隊(オルベリス少将)
    正規空母
      〈君影《シャンプレン》百合奈〉
      〈御薗《デスタン》瑠璃子〉
   第31戦隊(ド・ラフォンド少将)
    戦列艦
      〈三好《ダンケルク》育〉
    軽巡
      〈東雲《ギッシャン》深月〉
      〈ナイアド〉
      〈イフィジェニ〉
    駆逐艦
      〈前田《ル・テリブル》健一〉
      〈ロソリス〉
      〈セリシア〉
      〈コスモス〉
      〈オエリット〉
      〈ローゼ〉

 午前7時30分、ノルウェーに展開するルフトヴァッフェ第5航空艦隊が枢軸軍第2機動艦隊を発見し、1時間後には総攻撃を開始した。
 ノルトマンらも敵発見の報を受信して、戦況を無線傍受で確認している。この時、司令部では奇妙なことに気がついている。敵の空母に割り当てられた無線符号が4隻分多いのである。しかもこれまでに知られている符号ではなく、全く新しいものであった。
 枢軸第2機動艦隊は正規空母7隻に軽空母2隻を主力としている筈であった。第1機動艦隊から増援があったという情報は入っていない。ならば、この4隻の空母は何だ。攻撃の機会を求めつつ、ノルトマンの司令部は索敵機の情報が入るのを待って、じりじりと焦燥を深めていた。
 午前11時5分。待ち望んでいた情報が入電した。それは司令部を衝撃で揺さぶった。従来の部隊に加え、新たな大型空母4隻の存在を報じていたのである。
「正規空母7隻に加えて4隻。どういうことだ、一体どこから湧いて出た」
 ヴァーテル参謀長の呻くような声を受けて、ノルトマンが口を開いた。いかなる感情も顔面に浮かべていない。静物をありのままに視る画家そのものだった。
「日本人達があの四つの島で新たな空母群を完成させつつあった事は君たちも承知していると思うが?」
「つまり…」
「そうだ。彼らは〈カツラギ〉級空母をすでに実戦配備していたのだ」
 参謀達は一様に青ざめた。〈小出《葛城》由美子〉級空母は、ここ数年、ドイツ海軍内で恐怖と共に語られた存在だった。
 強大な防空力と打たれ強さで知られる〈長森《大鳳》瑞佳〉級の設計を簡易化し、さらにアングルドデッキを取り付け、搭載機数の増加を図るために船体長を増大させた、基準排水量6万5千トン、満載排水量ならば8万トンになんなんとする超大型空母。
 これまで日英米枢軸が大西洋で活動させている正規空母は11隻と見られていた。北米艦隊を追っている第1機動艦隊(村上)に4隻(〈千鶴(供法咾覆鼻法▲離襯肇泪鵑攻撃をかけようとしている第2機動艦隊に7隻である。
 それだけの筈であった。

 この時の枢軸軍第2機動艦隊の戦力は以下の通りである。

 第2機動艦隊(大林末雄中将)
  第21任務群(大林直率)
   正規空母
     〈長森《大鳳》瑞佳〉(旗艦)
     〈剛鳳〉
     〈雄鳳〉
     〈江藤《白鳳》結花〉(HONEY BEE)
     〈リアン〉(HONEY BEE)
   軽空母
     〈折原《吉野》浩平〉(航空統制艦)
   装甲巡洋艦
     〈槙村《愛宕》愛〉
     〈椎名《浪速》ゆうひ〉
   防空軽巡洋艦
     〈七瀬〉
     〈広瀬〉
     〈桜井〉級4隻
   その他20隻
  第22任務群(貝塚武男中将)
   正規空母
     〈小出《葛城》由美子〉
     〈筑波〉
     〈新高〉
     〈浅間〉
   重巡洋艦
     〈鷹城《摩耶》唯子〉
   防空軽巡洋艦
     〈桜井〉級8隻
   その他22隻
  第23任務群(クリフトン・スプレイグ中将)
   正規空母
     〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉
     〈広場《バンカーヒル》まひる〉
   軽空母
     〈広場《プリンストン》ひなた〉
   戦艦
     〈夕凪《ミネソタ》美奈萌〉
   その他12隻

 従来の第2機動艦隊だけならば、かなりの勝算があると見積もられていた。〈長森《大鳳》瑞佳〉を始めとする枢軸軍の空母は、搭載機の大型化により搭載機数を70機未満に減らしていたからである。500機弱対200機ならば、ノルウェーからの空軍の援護を合わせれば戦いようはあった。
 そこに日本本土からやってきたと思われる超大型空母が4隻加わった。搭載機数はそれぞれ100機近くに及ぶ。900機弱対200機。最早勝算の目処はコンマ以下であった。
 ノルトマンは参謀達を見回し、淡々と語った。
「我々の任務は決定されている。敵機動部隊の攻撃と、北方への誘引だ。ヨッヘン、君の海鷲たちは敵を攻撃圏内におさめ次第、直ちに出撃、これを撃破するのだ」
「ヤヴォール!」飛行隊司令ハンス・ヨアヒム・マルセイユは答え、にやりと笑った。自らも出撃するつもりなのである。

 午後12時30分。ノルトマンは攻撃隊発艦を命じ、旗艦〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉のマストに戦闘旗がひるがえった。母艦7隻は偏西風に向かうべく艦首を西へ向けて全力疾走を開始し、独仏合わせて170機の攻撃隊を放つ。率いるは機尾を黄色く塗ったHe481を操るマルセイユ中佐である。無線符号「黄色の14」に率いられた攻撃隊は、3つのグループに分かれて空中進撃を開始した。
 この時、ノルトマンは攻撃隊の発進に際して、訓辞を付け加えている。
「攻撃機隊は、天候の状況によって母艦への帰着困難と判断したならば、ノルウェーの基地へ着陸せよ。同時に本艦にその旨連絡せよ」
 技量未熟なパイロットが多い中、その生存の確率を少しでも上げ、味方基地での戦力再建を図ろうとしたのだ。
 攻撃隊の発艦を見送りながら、ノルトマンは感慨にふけっていた。ここノルウェー沖は、ドイツ航空艦隊(フリーゲフロッテ)の揺籃の地だったからである。
 「ユノー」作戦の時、航空艦隊の母艦は仮装航空巡洋艦〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉だけであり、艦載機もF2A〈バッファロー〉に複葉機のFi167だった。母艦にしてもカタパルトどころかエレベータすらなく、開放式格納庫からデリックで艦載機を引き出すなどというとんでもない代物だった。しかしそんなことは苦にもならなかった。輝かしかるべき未来だけを見ていたからだ。
 そして今、自分は航空艦隊の最後の攻撃隊を放とうとしている。ドイツ航空艦隊はノルウェー沖に始まり、ノルウェー沖に終焉を迎えようとしている。何という巡り合わせなのだろう。
 運命の皮肉さに耐えかねて、ノルトマンは顔をしかめた。空を見上げる。冬の空は高く澄んでいた。この空を排気煙と硝煙、そして人血で染め上げる戦いが始まろうとしていた。

 攻撃隊発艦の後、ノルトマンは全軍に自隊の位置を知らせ、攻撃隊出撃の報を打電した。この無電をリガの海軍総司令部は受信している。そして高海艦隊旗艦〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉もまた、受信したことが戦闘詳報で明らかとなっている。
 しかし、何故か高海艦隊司令部には届けられていない。為にチリアックスは、第2機動艦隊と迫り来る第1機動艦隊の「鬼」の影に怯え続けることになる。

 枢軸軍への攻撃は惨憺たる結果となった。マルセイユと相棒のオノダの護衛戦闘機隊が切り開いた突破口を通って突入したMe462の数は58機である。その内18機が対空誘導弾に撃墜され、さらに20機が両用砲の近接信管で叩き落とされた。20キロの射程圏内に飛び込んだ20機はドライザック気糧射に成功したものの、目標に誘導電波を照射し続けなければならなかったために直線飛行を強要され、そこをボフォース40ミリ機関砲によって撃墜されたのだった。
 最終的な戦果は〈江藤《白鳳》結花〉と〈リアン〉が小破、駆逐艦〈シェフィールド〉が撃沈(フランス部隊による)であった。
 対するにノルトマン艦隊の未帰還はドイツ隊だけで106機に及ぶ惨状だった。ノルウェーに向かったものを含めれば生存数は増えるが、当座の役は立たない。フランス隊もまた24機を撃墜されている。残存機数は全空母合計で63機となった。
 そして、午後2時20分、史上最大の空母機動部隊である第2機動艦隊が攻撃隊を放った。その攻撃は全てを破壊し尽くす雷神トールの槌の如き激しさになる。
 ノルトマンは艦内にある戦闘指揮所で、枢軸軍の攻撃を待ち受けた。このたびの作戦は、敵機動部隊をレイキャビクから引き離さなければならない。その為には、第1航空艦隊が攻撃を一身に引き付けねばならない。そして第1航空艦隊はそれに出来うる限り持久する。彼らが第1航空艦隊を攻撃すればするほど、レイキャビクから離れることになるからだ。
 であれば、最後まで指揮統率を維持しなければならない。司令部が健在であれば艦隊はまとまって行動でき、生存の確率が高くなるからだった。
 要するに、ノルトマンは作戦の最後まで生きて指揮を執り続けるつもりだった。そのためには非情の手段も選んではいられない。
 軽空母〈鈴原《エムス》琴美〉を、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉の後方に置いているのは、それが理由だった。彼女は損害担当艦なのである。
 もはや、鬼ごっこで足の遅いものを狙わない、などといった優しさは切り捨てて非情に徹するより他はない。〈鈴原《エムス》琴美〉は己の役割を知っているとはいえ、妻がこれを聞いたら泣くだろうな、とノルトマンは海図を見つつひとりごちた。あいつは自分より足の遅い子を絶対に狙わず、ためにいつまでたっても鬼だったことがある。そんなときは自分がわざとタッチされてやってはいたが、今度はそういうわけにはいかない。
 海図には枢軸軍の放った攻撃隊が記載されている。その数200余機。
「海軍総司令部宛発信」リガへ向けて最大出力での発信を命じた。
「我レ、敵大編隊ノ攻撃ヲ受ケツツアリ。コレニ可能ナ限リ耐久セントス。位置、時間だ」
 海図から目を上げた。さて、どこまで耐えられる?

 16時30分過ぎ、枢軸軍の2度に渡る集中豪雨のような攻撃が終わった。被害集計を集めた参謀らは嘆息していた。
 軽空母〈鈴原《エムス》琴美〉大破炎上中。巡洋戦艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉、軽巡〈ブレスラウ〉小破。駆逐艦〈Z77レーゼツァイヒェン〉、〈Z79フクス〉沈没。その他の艦にもあれこれと被害が出ている。これが1次、2次合わせて30分ばかりで発生した被害だった。
 沈没した〈Z77〉と〈Z79〉は、〈カノーネ〉級の異名を持つドイツ初の対空護衛専用の駆逐艦だった。正式には46型と呼ばれる基準排水量5千トンの大型駆逐艦で、15センチ単装自動砲4門、37ミリ機関砲8門、20ミリ機関銃40丁、533ミリ魚雷発射管4連装2基を持つ。
 〈カノーネ〉級の建造には、ガヤロー造船官が日本の〈相沢《秋月》祐一〉級駆逐艦に熱狂的に惚れ込み、プライベートで書き上げた設計図がドイツ海軍に採用されたという経緯があった。〈相沢《秋月》祐一〉級をドイツ的にさらに流麗なものとした艦容は日本でも注目され、デザイナーを移籍させて日本で設計図を引かせろ、とまで騒がれていたりするのである。
 主兵装のクルップ製55口径15センチ単装自動両用砲は、毎分24発もの発射速度と到達高度1万6千、最大射程2万5千を誇り、巨人爆撃機〈富嶽〉すらも一撃で破壊できる。〈カノーネ〉級初期型はOTOメララ砲を搭載していたが、すべてクルップ砲に換装していた。
 それでも押し寄せる枢軸軍攻撃隊を防ぎきれなかった。彼らはまずもって、輪形陣の外周に展開するエスコート艦艇をねらい打ちしてきたからだ。一度に十発もの誘導弾を撃ち込まれては、全自動砲を持つ〈カノーネ〉級といえども対抗する術は無かったのである。
 巡洋戦艦〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉は磁気式近接信管付き焼夷榴散弾を主砲から放ち、ロケット滑空魚雷を20キロ手前で放とうとした攻撃隊数機を撃墜している。
「なんて、むかつく連中だ!絶対、殺す!」
「(魚雷回避の)コツが掴めました」
 などと騒ぐ義弟キルシェバウム艦長と、その親友ライヒャーシュロス艦長の会話を聞いて、ノルトマンは苦笑を禁じえないでいる。
 直掩機が艦載機、空軍機合わせて60機いて、さらに投入した新兵器の一つ、長距離対空誘導弾〈グレイブ(長刀)〉(誘導方式はビーム・ライダー式)を巡洋戦艦2隻に搭載させて、数機撃墜の成果をあげていても、誘導魚雷に対しては各艦に曳航音響体〈ヴォルフ・シュヴァンツ(狼の尾)〉を曳航させても、攻撃を凌ぎきれなかった。空母、そして航空機はなんと凄まじい凶器と化したのだろう。
 フランス戦隊が攻撃をかわしきったとの報告を受けつつ、ノルトマンは暗色の感触を得ていた。今日は生き延びることができた。明日もまた機動部隊を引きつけることが出来たならば。「北の暴風」作戦における自分達の任務は完成する。
 いや、完成させねばならない。自分は望んで画布を広げ、絵の具で白い画布を汚した。人血という絵の具をもてあそんだからには、絵を完成させることは既にして義務なのだ。
「通信参謀、海軍総司令部へ向けて定時通信をおこなえ。電波を発信して敵を引きつけるのだ」
「ヤー!」
 我々は全艦が生き延びられるとは考えていない。明日には何隻が浮いていられるだろうか。しかし我々はその運命を甘受する。それが我らの義務だからだ。
 だから、チリアックス、クメッツ、願わくは我らの犠牲を無駄にしないでくれ。少なくともいくらかの満足を感じて死ぬためにも。

 そのチリアックス艦隊は、いささか不運な目にあっていた。

 高海艦隊(チリアックス上級大将)
   戦艦
     〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉
     〈神無月《ロスバッハ》志保〉
     〈日野森《ビスマルク》あずさ〉
     〈前田《クロン・プリンツ〉耕治〉(旧英国戦艦〈PoW〉)
   巡洋戦艦
     〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉
   装甲巡洋艦
     〈エーディリヒ〉
     〈ノエル・エーアリヒカイト〉
     〈ブランデンブルク〉
     〈バイエルン〉
   重巡洋艦
     〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉
     〈ブリュッヒャー〉
     〈矢野《ザイドリッツ》真士〉(旧英国重巡〈ノーフォーク〉)
   軽巡洋艦
     〈リューベック〉
     〈シュツットガルト〉
     〈マリエンブルク〉
     〈トリール〉(旧オランダ軽巡〈エーンドラハト〉)
   駆逐艦16隻

 チリアックス艦隊はノルトマン艦隊とスカゲラック海峡で分離した後、ドイツ湾(北海)南岸を南下し、ネーデルラント沖合で進路を北へととった。敵水中高速潜水艦の襲撃を避けるために、敢えて浅海を行動している。しかし追跡している敵潜に所在を通報されてしまっていた。
 その通報を受けて、ケフィラビクより〈富嶽〉が飛来して公算爆撃をかけてきた。めったなことで命中弾の出ない水平爆撃であるために、チリアックスは艦隊を散開させている。そして英本土から直掩任務にきた第2航空艦隊のMe1110を見るや〈富嶽〉は爆弾を投棄して逃げ出し、集結を命じて進撃再開の矢先、旗艦〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉が触雷したのである。午後2時30分過ぎのことだった。
 北海ではドイツと日本が熱心に機雷をばらまき合っているため、どちらが敷設したものかは分からない。〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉は衝撃で自動制御装置のバルブが閉じ、缶や発電装置も停止して無線も何も使えなくなってしまっていた。チリアックスは行動不能になった旗艦を捨て、〈神無月《ロスバッハ》志保〉に将旗を移そうと考えたが、ライニッケ高海艦隊参謀長とホフマン艦長に制止されている。そして機関科の報告通り30分で修理なったものの、修理の時間中は無線を受信できなかった。つまり、ノルトマンが空襲を受けようとしていることを報じた無電はチリアックスには届かなかったのである。以後も無線装置は電源復旧時に過電流が流れたためか不調が続いており、受信できたり出来なかったりを繰り返していた。
 進撃再開後、今度は本格的に敵水中高速潜が襲撃をかけてきた。これをかわすために欺瞞航路をとることになり一旦、全艦が反転して南下している。
 このことを無電で知ったデーニッツはチリアックスを督促することにした。午後6時13分、次の命令が全部隊に向けて発信された。
「主ナル神ノ御加護ヲ確信シ祖国ト総統ノタメニ全軍突撃セヨ」
 〈木ノ下《フォン・ファルケンハイン》貴子〉に届いたのは午後6時59分である。チリアックスとしては不快であった。今は再度反転して北上している。先の反転を退却と思いこんで、尻を叩いてくるとは何事か。それよりも第2機動艦隊の位置と、独仏合同艦隊を追っている鬼女(第1機動艦隊)の所在を報じてくるべきなのだ!クメッツとノルトマンは何をしている!このままでは我らは敵が蓋を開けて待っている魔女の大鍋に飛び込むことになってしまう。
 苛立ちつつもチリアックス艦隊は北上を続け、25日午前3時過ぎにはオークニー諸島とシェトランド諸島の間の海峡に浮かぶフェア島沖を通過した。そして長い夜が明ける頃、チリアックス艦隊はアイスランドまであと1時間の距離に迫っていた。
 この事実を、損傷を受けての退避中にチリアックス艦隊と出くわし、交戦を開始した〈江藤《白鳳》結花〉と〈リアン〉と護衛の駆逐艦から知らされた、枢軸軍英本土奪還作戦(「アークエンジェル」)司令部は戦慄した。

 第2機動艦隊はノルトマン艦隊を追って急速にアイスランドを離れている。北米艦隊を追撃していた第1機動艦隊が到達するには、あと2時間が必要だった。しかも天候は荒れ模様となり艦載機を発艦させることは難しくなっている。独仏合同艦隊をノース海峡で殲滅した第1艦隊は夜間の漂流者救助に手間取り、急速北上しているものの到着までには約2時間が必要だった。
 レイキャビクとは島をはさんで反対側のセイジスフィヨルジルに、反応動力空母〈宮田《飛天》健太郎〉ら「報復」作戦実行部隊がいたものの、彼らは枢軸海軍部隊総司令部の直轄部隊であり現地司令部に指揮権は無かった。要請を出して命令に変えて貰うには数時間が必要だった。
 つまるところ、「北の暴風」作戦の成功、ドイツの勝利は目前だったのである。


非情の海〜氷海の戦い〜


 チリアックス艦隊反転の報が届いた時、第1航空艦隊は枢軸軍の空襲の真っ直中にいた。司令部は騒然となったが、参謀達の騒ぎの中で、ノルトマンはただ一人端然としていた。
 1月25日の午前6時50分には敵索敵機に発見されていた。発見されるよう、そして敵が自分達を見失わないよう、定時通信をおこない、誘導してきた成果だった。ノルトマンは囮作戦の成功を伝える無電を、高海艦隊と海軍総司令部に送った。
「敵艦上機ノ触接ヲ受ケツツアリ」
 あとはチリアックスの水上砲戦部隊がレイキャビクに突入すれば、「北の暴風」作戦は完遂される。その筈であった。
 しかし当のチリアックス艦隊は、箒ならぬ主砲を振りかざして景気良く空母を追いかけ回していたはずが、〈江藤《白鳳》結花〉の搭載水雷艇〈神岸〉に重巡〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉を沈められて、「猛獣使い(水雷艇母艦〈神岸《昇龍》あかり〉)」が出現したかと恐れおののいた。さらに艦載攻撃機が飛来したことと、水上捜索レーダーに新たな輝点が現れたことから、第1機動艦隊の戦艦が到来したと判断してしまっていた。鋼鉄をも引き裂く爪を持った鬼女の攻撃圏内に入ってしまったと思いこんだのである。
 戦艦〈ティルピッツ〉を一撃で沈めた〈千鶴(供法咾出現したことに、チリアックスの司令部は室温が氷点下に下がったように感じた。そしてノース海峡の二の舞は演じられぬ、と反転を決意したのだった。一応は攻撃機の飛来方向から判断して、高海艦隊の南方にいる筈の第1機動艦隊に決戦を挑む、ということになってはいたが、反転した高海艦隊の行く手に機動部隊は存在していなかったのである。
 そして高海艦隊を反転させた枢軸軍の実態は、飛来した攻撃隊こそ第1機動艦隊が340海里南方から片道飛行を覚悟して飛ばしたものであったが、水上捜索レーダーの輝点は統合護衛任務群(大井)から先行派遣された旧式駆逐艦だったのである。護衛の戦艦群は缶圧を上げて動き出したばかりで合戦準備の真っ最中であった。
 斯くして成功の直前で、「北の暴風」作戦は決定的に挫折したのである。

 ノルトマンの胸中では疑問と怒りが渦を巻いている。しかし自らにチリアックスを罵ることを許した時間は30秒のみだった。
 指揮座の机に拳を強く叩きつけた。その大きな音に、騒ぎを鎮めようと努力していたヴァーテル参謀長を始め、若い参謀達は司令官を振り向いて静まり返った。ノルトマンは立ち上がって司令部要員を見回し、ゆっくりと語り始めた。
「諸君、北の暴風作戦は失敗に終わった」声は平静そのものだった。
「だが、我々の戦いは終わっていない。今や作戦の目的は変わった。今は一人でも多くの兵士を本国に連れ帰らねばならない時なのだ」
 そうだ。完成直前だった絵は、最後の最後で愚か者によって失敗作と変じてしまった。だが、新しい画布を用意し、新たに描き始めればよい。ただ、それだけのことだ。
 言葉を切り、参謀達に意味が染み通るのを待った。
「参謀長、気象状況はどうか?」
「西から崩れ始めております、以後は益々荒れてくるかと。アイスランド近海で観測中のU5236からの報告を傍受しました。気圧計も下がってきています。明日には艦載機を飛ばすことはできないでしょう」
 ノルトマンは我が意を得たりとうなずいた。
「よろしい。諸君、つまり今日を堪え忍びさえすれば生存の確率は高くなるのだ。全軍に伝えるように。日没まで耐えれば活路は開ける、と」
「ヤヴォール!」司令部要員全員がノルトマンに敬礼を送った。
 しかし、座り直したノルトマンは楽観していなかった。だまされていたことに気づいた第2機動艦隊の司令官は、今頃は怒りまくっていることだろう。その怒りを反映した攻撃は雷神トールのミョルニルの槌か、はたまた主神オーディンのグングニールの槍かという、凄まじいものになるに違いない。
 今日は長い一日になる。

 ノルトマンが長い一日になるだろうと考えていた頃、反対に短い一日に焦りまくっていたのは、第2機動艦隊を率いる大林中将である。彼の顔面は全く血の気が無く、軍刀に掛けた手は小刻みに震えていた。
 追撃されているにも関わらず夜間に度々の通信を発する第1航空艦隊の不注意を嘲笑していた筈が、鼻面をつかまれて引きずり回され、虚仮にされていたのは自分達の方だった事に気づいたからだ。さらに高海艦隊がレイキャビクに突入しかかり、奪還作戦司令部の救援要請を受けて、グアンタナモの大西洋艦隊司令部(草鹿)は平文で発信していた。
「第2機動艦隊はいずこにありや。全世界はこれを知らんと欲す」
 この電文を読んだ瞬間、大林は狂乱した。参謀長に抑えられて納まったものの、身体の震えは止まらなかった。全ての自負を吹き飛ばされ、あまりの恥辱に目の前が暗くなった。もはや腹を切るより他にない。だが一人では死なんぞ。ドイツ人め、貴様らの空母を全て沈めてくれる。こうなれば一蓮托生だ。
 大林は全軍に無線電話で明瞭極まりない命令を送った。敵機動部隊を攻撃せよ、まだ打撃を与えていない母艦に攻撃を集中せよ。ただ前進あるのみ。
 たとえ氷塊にのしあげようとも、かならず沈めてくれるぞ、ドイツ人め!紳士の仮面をかなぐり捨てた大林の顔面は鬼相と化していた。
 冬のノルウェー海、日没は午後3時頃である。数えうる残り時間の余りの少なさに、大林は何者かを呪いたくなっていた。
 ここに、ノルウェー沖海戦の第2ラウンドが開始された。それは生を求める者と死を求める者が入れ替わった戦いである。第1航空艦隊は生還のための戦いを開始し、第2機動艦隊は恥辱を死でもって雪ごうとしていた。
 そして、それは日没までの時間との競争でもある。氷海は、熱く煮えたぎろうとしている。

 枢軸軍第2機動艦隊の怒濤の如き攻撃が開始される中、ノルトマン艦隊は必死の逃走を図った。
 午前8時7分に残り少ない直掩機20機ばかりを上げた。これら直掩機はマルセイユ、オノダ、ヴィンターら、開戦当初以来の一騎当千のエクスペルテンが操っている。これにノルウェーから、やはり20機近くが援護にやってきた。
 8時17分、第2機動艦隊の前日に引き続いての第3次空襲が開始された。220機以上もの大編隊である。敵編隊は二手に分かれ、約130機が第1群(ノルトマン戦隊)に、90機余りが第2群(オルベリス戦隊)へと向かった。直掩機隊が奮戦して倍する敵機を撃墜したとはいえ、衆寡敵するものではなかった。
 8時27分。歴戦の艦にして、小さな羽の天使の加護を受けていた〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉に対艦誘導弾の直撃が発生し、さらに立て続けに4発の滑空爆弾の命中があった。旗艦〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉もまた左舷に滑空爆弾1発、魚雷も左舷後部に1発が命中して艦体を激しく揺すぶられた。浸水により、出しうる速力は24ノットが全力である。他にもM級軽巡〈ブレスラウ〉が魚雷で大破し後落している。
 8時56分。〈Z83ガイスト〉は誘導弾5発の直撃を受けて大爆発を起こし、瞬時に二つに折れて沈んだ。〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉も天使の加護の甲斐なく機関が停止し、9時37分に沈没した。そして、いつしか第1群と第2群は離ればなれになってしまっていた。
 この第3次空襲での最大の損害は、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉の長距離通信系設備が破壊されたことだった(近距離無線は修理でき、航空管制は可能だった)。ために、ノルトマンが発信させようとしていた「敵艦上機、約二〇〇機来襲、我之ト交戦中」の全艦隊宛の電報は、遂に発せられなかったのである。この電報が発信されていたならばチリアックス艦隊は躊躇無くレイキャビク突入を果たしたのではないかとの意見もあるが、8時26分に反転を開始する前から腰がひけ始めたチリアックスには、突入の意志はすでに失われていたと考えられるのである。
 旗艦の通信機能が失われたことから、参謀や艦長らは旗艦変更をノルトマンに具申したが、彼に旗艦を変更する意志はなかった。批判は多いものの、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉に将旗がひるがえり続けることで士気が維持されたのは事実である。そしてノルトマンは近くにいた〈ザールブリュッケン〉に長距離通信の代行を命じたが、乱戦の最中でありタイムラグが発生するのは致し方ないことだった。
 ノルトマンは少しでも多くの将兵を救うべく救助活動を徹底させた。艦隊はすでに北緯65度線を越えて、北極圏に踏み込んでいる。真冬のノルウェー海の海水温では、人は長く生きていられないからだ。空襲の合間に各艦から内火艇や短艇を出させてすくい上げている。その救助作業の真っ最中、9時58分に第4次空襲が開始された。ノルトマンは断腸の思いで、救助作業の中止を命じざるをえなかった。
 第4次空襲もまた207機になる大編隊だった。第3次隊が空母を仕留めただけに、その意気込みは凄まじかった。CAP任務を必死に継続しているマルセイユらも追いまくられて、自らが生き残るのに精一杯となっていたのである。
 そして第4次空襲が終わったとき、第1群では遂に〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉が大破に陥った。シェーンハイト艦長はノルトマンのいる旗艦〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉を守るべく、自艦を攻撃されやすい位置に移動させており、ために集中攻撃を受けたのである。
 この日の第2波の攻撃群が去った後の海上に、激しい空戦から生き残った直掩のHe481とTa483数機が燃料を使い果たして不時着した。もはや着艦出来る母艦はない。〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉も左舷に傾斜して甲板に大破孔が開いていたし、〈七城《ヴェーゼル》柚子〉も後部に破孔を作っていたのである。
 軽巡〈ザールブリュッケン〉の近くに不時着水したHe481のパイロットが風防を開けて、沈みゆく機上に姿を現したとき、艦上では大きな歓声が湧いた。「大西洋の星」ことハンス・ヨアヒム・マルセイユだったのである。彼は艦上戦闘機パイロットとして前人未踏の158機撃墜を達成していた。さらに彼とロッテを組むオノダもまた無事な姿を見せていた。オノダも124機にスコアを延ばしていた。〈ザールブリュッケン〉では短艇を出して彼らを救助し、シェーンハイトの無事も含めて、報告を受けたノルトマンを喜ばせていた。
 同じ頃、11時15分、第2群では正規空母〈君影《シャンプレン》百合奈〉が、魚雷を艦首と左舷艦尾に受けて航行不能となっていた。第4次空襲は攻撃隊の実に4分の3が第2群に襲いかかり、ほぼ一撃でオルベリス戦隊は半壊したのである。
 結局、オルベリス戦隊はノルトマン戦隊へ合流することになった。〈君影《シャンプレン》百合奈〉は、ノルトマン戦隊に攻撃が集中されるので逆に無事だろうとのことで〈三好《ダンケルク》育〉らに曳航されて帰還することになり、〈御薗《デスタン》瑠璃子〉は北方へと、二手に別れることになった。
 午後12時31分、空襲の間が開いたことから、ノルトマンは1通の電報を〈ザールブリュッケン〉から打電させた。
「〇八三〇カラ一一〇〇迄敵機約四〇〇機ノ来襲ヲ受ク。戦果撃墜数十機。被害Z八三沈没へるまん・げーりんぐ大破ぶれすらう落伍其ノ他…」
 この電報を、空襲をうけつつも南下を急ぐチリアックスの高海艦隊司令部はようやく受け取った。この電文を読んだチリアックスは、全身を震わせ、そして両手で顔を覆った。

 午後1時6分。第2機動艦隊はこれまでで最大の300機余を送り出し、正規空母では唯一健在な〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉を沈めるべく集中攻撃を開始した。この時ノルトマン艦隊は第2機動艦隊に追い上げられてロフォーテン諸島沖を通過していた。右舷前方にはトロムソのあるクヴァロ島が見える頃合であった。
 ノルトマン艦隊は断末魔に喘いでいた。もはや輪形陣を組むことなどできず、個々に回避するより他はなくなっていた。直掩機はノルウェーの第5航空艦隊が送り出してきた30機ばかり。それも燃料の都合で交戦を早めに切り上げざるを得なかったのである。
 ノルトマンは日没後に反転してノルウェー沿岸に接近して南下する予定でいたが、それができるかどうか、相当に難しいものになっていた。
 〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉は耐えた。理不尽な怒りを浴びながらも、なお愛する少年を一途に信じて止まない少女のように。どんなことがあっても、彼女は少年を見捨てることなど出来ないのだ。
 全艦は巨大な咆吼となった。訓練で被弾判定が相次いだ「鈍くささ」が嘘のように疾駆している。機関砲、高角砲、対空誘導弾、すべてが一つの轟音となり、爆風となって、北の空に奔騰した。彼女の隔壁は砲と爆弾の震動のためにふくらみ、床は震え、揺らいだ。そして、傾きはさらにきつくなっていた。
 第4次空襲に引き続いて攻撃に加わった小瀬本国雄少佐隊は、対空砲火の弱まりを見て大胆に接近して銃撃や雷撃を加えるようになった。中には近寄りすぎて魚雷を抱えたまま被弾し、艦腹へ激突する機までがいたのである。
 この時の第5次空襲で、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉には誘導弾と滑空爆弾が4発以上、魚雷7本以上が命中している。しかし彼女はまだ沈まなかった。機関はまだ24ノットを出せていた。
 そして大破しながらも戦闘を継続していた〈美咲《ヘルマン・ゲーリング》彩〉と、彼女を守るようつけられていた〈Z82カッツェ〉が沈んだ。
 「はい、またです」と言って、リガで別れたシェーンハイトをノルトマンは見捨てることは出来なかった。彼は機動部隊の再建にあたって、パイロットや機体の手配を空軍省に掛け合ったばかりでなく、ノルウェー基地からの援護も、彼の口添えがあってこそだったのである。とにかく航行可能な艦を挙げての救助を行わせた。
 その頃、第2機動艦隊司令部ではドイツ空母の耐久力の凄まじさに嘆息していた。300機の集中攻撃でも、魚雷が累計10本以上命中しても、まだ階段から落ちて足をひねった程度というのか。日没の時間が迫っている。攻撃隊を出せるのは後1度が限界。連日の出撃でパイロット達の疲労が極に達している上に、がぶり始めている。夜間着陸になっては事故が大量に起きかねないのだ。
 大林は前方を凝視しつつ語った。もはやその顔は死相に等しくなっている。次の攻撃で何としても仕留めろ。あと装甲巡洋艦を主体に第24任務群を編成するように。夜間追撃で掃討するのだ。指揮は城英一郎少将にとらせること。息も絶え絶えに語り終えた。参謀達は弾かれたように任務に取りかかった。
 午後2時30分。第6次空襲が開始された。最後の攻撃隊は150余機。連続出撃と損害で稼働機を減らした日本隊に代わって、合衆国隊が主力をなしている。そして彼らは遂に、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉を捉えた。
 〈伊藤《エンタープライズ》乃絵美〉の攻撃隊が、執拗ではあるが散発的なものとなった対空砲火をかわして4発の魚雷を撃ち込んだ。これが致命傷となり、〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉は遂に停止した。
 同じ頃、〈七城《ヴェーゼル》柚子〉もまた最期の時を迎えていた。〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉を打ちのめしたと察知した敵機が目標を変えて向かってきたからだ。竣工以来ひたすらバルト海での練習に明け暮れていた、基準排水量1万8千トンの軽空母〈七城《ヴェーゼル》柚子〉は、これが初陣であった。一度でいいから戦いたいと願った彼女だったが、搭載機数20機の軽空母では出番があろう筈がなかったのである。
 しかし今、彼女は戦いの場にいる。キールの娘達が「おまじない」として編んだ旗を翻し、飛行甲板前方に描いた一対の天使の羽も輝かしく、海上を疾駆して見事に敵機の攻撃をかわし続ける「記録」をあげ、そして停止したのだった。至近弾の破片を無数に水面下の艦腹に受け、各部に浸水をきたしていた。そして爆弾4発、魚雷2発、至近弾82発の記録を残し、午後3時26分、〈七城《ヴェーゼル》柚子〉はV字型に折れて沈んだ。優しい少女であったことを示すように、その最後は大渦を作らず、漂流者達を引き込むことなく、滑るように沈んだという。

 〈七城《ヴェーゼル》柚子〉の沈む少し前、午後3時10分、旗艦〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉では総員退艦命令が発せられていた。
 ゲオルク・ジークフリート・ノルトマン少将は〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉から離れた最後の十人の一人だった。最後まで愛すべき彼女と一緒にいたかったし、指揮官は最後に持ち場を離れることという教えを忠実に守っていたのだ。
 ノルトマンは〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に移乗し、将旗を掲げさせた。とにかく司令部の健在を伝えねば艦隊(と呼べないほどにすり減っていたが)を維持できないからだった。〈桜塚《シュリーフェン》恋〉もまた浸水により喫水を深めて傾斜していたが、通信機能や機関はまだ維持できていたのである。
 そしてノルトマンが〈桜塚《シュリーフェン》恋〉に移乗した頃、ドイツ本国の総統大本営よりノルトマン宛てに電報が入った。
「本作戦ニオケル貴官ノ勇戦奮闘ニ対シ、余ハ貴官ヘノ昇進並ビニ叙勲ヲ約束スル。大どいつ帝国総統あどるふ・ひとらー」
 この電文を読んだノルトマンは、両目にガラス玉のような光を浮かべ、それからおもむろに電報用紙を真っ二つに引き裂いた。千々に千切れるまで止めなかった。彼が示した感情表現はそれだけで、すぐさま艦艇の集結を命じた。ちぎった紙片には目もくれない。将兵を生還させる戦いは、彼らを本国の港に送り届けるまで終わっていないのだ。

 〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉が沈んだのは午後4時14分だった。彼女の沈没地点は北緯69度東経12度、ベステローレン諸島ランゲヤ島の沖合である。北の空に紅葉した山を思わせるほどの業火をあげつつ、ゆっくりと艦首を持ち上げ、そのまま静かに海面に没し去った。
 ここにドイツ航空艦隊は、その栄光の幕を閉じたのである。

要目

  • 基準排水量 59100トン
  • 満載排水量 70900トン
  • 全長 324メートル
  • 全幅 70メートル
  • 主機
  • 主缶 ワグナー缶8基(82気圧510度)
  • 速力 35ノット
  • 武装
    • 12.8センチ連装高角砲8基
    • 37ミリ機関砲58基
    • 20ミリ機関砲60基
    • 短距離艦対空ミサイル〈ゼーシュワルベ機咤幹
  • 搭載機 81機
  • 飛行甲板 319メートル×76.8メートル
  • 装甲
    • 飛行甲板80ミリ
    • 舷側140ミリ

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