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〈貴島《ストロンボリ》和宏〉

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〈貴島《ストロンボリ》和宏〉

Baseson・Tactics「ONE2〜永遠の約束〜」貴島和宏

概要


 本艦は元来タイがイタリア、トリエステのアドリアティコ造船(C.R.D.A)に発注した軽巡洋艦だが、大戦の影響でイタリアが接収、防空・輸送巡洋艦として竣工している。
 近代化に邁進し、自国沿岸海域の確保を目指すタイは30年代初めから海軍拡張計画を開始、それまで英国から買った小さな駆逐艦1隻きりだったタイ海軍は1934年に発注された海防艦や水雷艇を受け取り、一挙に近代化された。しかしそれに飽き足らない同国は更に強力な艦船を計画。これが1938年により発注され、翌年起工された本級である。
 完成すれば大きな顔して自国領土をむしりとったフランス人の艦隊や積年の宿敵ミャンマー海軍に対してもひけをとらない勢力となったであろう。
 しかしあいにくと時代が悪かった。世の中は第二次世界大戦。極東の小さな国まで手が回るほど世界は暇ではなかった。中小国の発注艦達のうち、運良くスペインを選んだ国以外の発注艦達は接収・買収される時代になってしまった。それはイタリアを選んだ国も例外ではない。
 それでも建造が進んでいた1番艦である〈タクシン〉(引渡し後、〈ドンブリ〉と改名)は武装未搭載のままタイに引き渡されたが、1年近く遅れて進水した〈ナレスアン〉は第二次大戦の伊参戦によりイタリアが予想通り接収。〈貴島《ストロンボリ》和宏〉と命名、激化する北アフリカ戦線への輸送作戦に対応した巡洋艦へと設計変更されて建造を続行することとなった。タイ艦としての兵装と上部構造は全面的に見直され、新開発の仰角85度、発射速度毎分25発の半自動砲である13.5センチ連装両用砲を前部に1基、後部に2基を配置、6.5センチ単装高角砲を左右5基(合わせて10基)づつ両舷に配置、後方に傾斜した煙突と一体化した艦橋には最初からレーダーが搭載され、煙突左右の射撃指揮装置と連動して強力な防空火力を発揮。そして段差のついた煙突後部からの甲板下には兵員居住区を設け、2番砲塔直前と後甲板に迅速な物資輸送を目的としたエレベーターを装備し、兵員・物資輸送能力の強化。それとともに機関の強化と船体の延長、速力と航行性能の維持を図っている。
 これらの設計はアドリアティコ造船と提携し、事務所や施設を構えていた日本の中崎造船が現地でスカウトしたピコロ・ルモーニアが担当した。大戦勃発により両者の提携は解消されたが、残存した事務所と施設をアドリアティコ造船が引継ぎ、現地採用スタッフを維持することにより技術力を継承・発展させるべく同造船では別組織を編成して対応し、数々の優秀な艦船の建造・改装を成功させている。もちろんこの〈貴島《ストロンボリ》和宏〉にもそれは取り入れられており、やや野暮ったかったタイ艦時代の艦容とは一転、スマートに変貌しているところも設計の努力の現われであろう。
 完成後は本来の「弁当を運ぶような」輸送・護衛任務を始めとして優れた防空性能を生かして艦隊直衛艦にも活躍、後には余裕のある船体を生かして航空機管制艦としての能力も持ち合わせ、第三次大戦後期の死闘を海軍の「ヒロイン」達を支え抜き、ある時は待ち、ある時は励まし、そして永遠と戦った。まさにそれは「不可能」「無理」と言われた相手との戦いを意味していた。

要目(新造時)

  • 基準排水量 6087トン
  • 常備排水量 6533トン 
  • 全長 160.8m
  • 全幅 15.07m
  • 喫水 5.95m
  • 主機 パーソンス式ギアードタービン2基/2軸 
  • 主缶 ヤーロー式水管缶3基
  • 出力 48000馬力 
  • 速力 30ノット
  • 航続力 14ノットで4800浬
  • 兵装
    • 45口径13.5センチ連装砲3基
    • 64口径6.5センチ単装高角砲10基、
    • 65口径20ミリ連装機銃6基
    • 53.3センチ魚雷発射管連装2基 
  • 装甲
    • 舷側60ミリ
    • 甲板35ミリ
    • 砲塔25ミリ

同型艦