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〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉

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ソ連海軍航空母艦〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉〈観月《アドミラル・エッセン》さおり〉

zero(Studio Ring)「はじめてのおるすばん」観月しおり・観月さおり


スターリンの決断

 1933年某月
ソ連の最高指導者、スターリンは悩んでいた。
彼の率いるソ連軍は、陸上兵力としては間違いなく世界最大最強クラスの軍隊ではあった。だが、それが海上戦力となると大きく違ってしまう。
長らく沿岸海軍、或いは内海海軍であったソ連海軍は列強諸国の海軍と比べれば見劣りするのは否めなかった。特に日露戦争において第二太平洋艦隊…バルチク艦隊が日本の連合艦隊に敗れてからは(正確にはソ連海軍では無いが)海軍は零落に道を転がるばかりだった。
これから先、海洋国家である日本や英国、あるいは米国と覇を競う事になれば海軍は必要不可欠、となると陸軍国であるソ連ではあるが、海洋戦力の強化も必要不可欠になってくる。海軍にはあまり造詣の深くないスターリンではあったが、既存の海軍だけで世界に名立たる日英米の海軍に勝てるとも思えなかった。
「海軍の…増強が必要だ」
当ては、あった。かなり旧式とは言え、接収した旧ロシア帝国の戦艦を始めとする少なくない数の艦はある。数次に渡る五ヵ年計画で重工業化も成し遂げている。民間から労働力を接収すれば決して不可能では無いだろう。
スターリンが海軍の増強を急がせるのには理由があった。射殺したと思われていた旧ロマノフ王朝の皇女、アナスタシアが生きており、ロマノフ王朝の少なからぬ資産と共に日本にその身を寄せているためだ。スターリンにとっては、彼女が何時か再びロシアの大地に戻って来るのではないかと、内心では大きな不安を抱えていたのだ。あまつさえ、アナスタシアは日本の皇族と婚姻関係を結んでいる。日本軍がソ連にとって非常に厄介な敵になる事も十分に考慮しなければならない。その場合、やはりネックとなるのは海軍力だ。
太平洋のソ連海軍勢力は決して大きいとは言えない。旧ロシア帝国製の艦を幾つか回航しているが、所詮は旧型に過ぎない。もしも、日本海軍が本気で攻勢に出れば耐えられる筈も無い。それに最近復興著しいドイツも気になる…が、欧州方面で最大の海軍国と言えば英国だ。新生バルチク艦隊と言えども簡単に勝てるとも思えない。それに第一、世界最強を標榜するソ連軍が海軍力弱体のままであってよい筈が無い。ここでスターリンは決断した。
「わがソ連軍に帝国主義者供の海軍を粉砕する海軍を作らねばならない!」


ソ連海軍大増強

 かくして明けて1934年、ソ連海軍大増強計画がスターリンの鶴の一声によって開始された。中小艦艇の大規模な増強及び新型戦艦の建造など、多岐にわたる建艦計画がスタートしたのだ。当初の目的は〈ソビエツキー・ソユーズ〉級戦艦を10隻、〈クロンシュタット〉級重巡洋艦を10隻を目標としていた。(注1)その他にもかつて接収した旧ロシア帝国艦の近代改装等が盛り込まれていた。1934年と言えば、隆山条約の戦艦代艦規定より日英米が代艦建造を開始した年である。ある海軍関係者によるとスターリンは日英米三国の代艦建造に触発された、という噂まであった。
 こうして大規模な海軍増強が開始された訳だったが、何分陸軍国であるソ連としては建艦経験はさほど多くは無い。さらに〈ソビエツキー・ソユーズ〉級に至っては初の6万トン級戦艦である。これほど大規模な艦ともなると何処から手をつけたものか、ソ連海軍上層部は頭を悩ませ続けた。スターリン書記長直々の命令である以上は何としてでも完成させねばならないし、海軍復興は自分達の悲願でもある。で、ある以上は海軍復活の記念にもなる完成度の高い艦にしたい。だが残念ながら祖国ソ連にはそれだけの建艦技術はありそうにも無い。さらに言えばそれだけの艦隊を指揮できる人間がいるかと言われれば言葉を濁すしかない。空母を含めた進んだ艦隊戦闘の知識はやはり海軍大国に劣っていると言わざるを得ない。二重三重の苦しみに悩みながら、遂に一つの結論に達した。
「海軍軍人を何処か海軍力の大きな国に交換研修に出させ、同時に大型艦建造のノウハウも学ぶしか無い」
 至極まっとうな意見ではあった。ただし、海軍力の大きな国=自由主義陣営であるという事は、共産主義を掲げるソ連としては、帝国主義者に頭を下げることになる。果たしてそれをスターリンが認めてくれるかどうか…。
 意外な事に、スターリンはすんなりとOKを出した。これには逆に海軍上層部の方が驚いたぐらいだ。勿論、スターリン自身、祖国ソ連が6万トン級の大型艦建造の技術を持っていない事は知っていたし、今から技術が熟成するまで待っていては、海上戦力に関して完全に他国に置いていかれてしまう。そういった焦りもあっただろうが、実はもう一つ原因があった。実は当時、海軍には二人の若手将官がいた。この二人を、スターリンは何故かとても気に入っていたのだ。『理由なき信頼』の原因は不明だったが、この二人が熱烈なスターリン信望者であったという記録は残されていない。
何はともあれ、スターリンはこの二人を将来ソ連海軍を率いるに相応しい軍人にしようと考えていたようだ。基本的に海軍を信頼していなかったスターリンではあるが、この二人を権力の中枢に置く事で海軍を完全に手中に収めようと考えてもいたらしい。(注2)
スターリンはこの二人を交換留学に出す事を条件に、海軍の意見を飲んだ。海軍の方でも薄々スターリンの考えは感づいていたが、今はどうする事も出来ない。それに第一、今はそんな事を言っている場合でも無い。早く大型戦艦建造のノウハウと、同時にそれを指揮するだけの人材の育成を行わなければならなかった。問題は留学先である。近場とは言え日本は論外、同盟国である英国も駄目、フランスやイタリア、オランダではスターリンが納得しない…となると残ったのは米国だけだった。当時の米国は日英同盟と敵対しており、ソ連にとっても都合が良い。それに世界有数の海軍国でもある。
早速米国に交換留学を打診すると、米国側もこれを歓迎。とんとん拍子に話が進み、その年のうちにソ連海軍から二人の将校…リサーク・アカーキヴェッチ・ゴドルフ少将とイアーコフ・イヴァノヴィッチ・チュロフ少将がそれぞれプロヴィデンス海軍兵学校と米海軍機動部隊に派遣された。同様に、米国から造船技術者を呼び、大型戦艦建造の技術を手に入れていったのである。


運命の双子

 1938年、海軍大増強計画にのっとって順調に戦力を拡大してきたソ連海軍だったが、ただ一つ足りない物があった。新世代の艦種『空母』である。元々『大砲は戦場の女神』を標榜するソ連であるから、さして空母に関心を抱いてはいなかった。しかし、海軍先進国(とソ連が決めた国)では空母の建造が盛んに行われており、いずれは世界を共産化する目標を抱くソ連としても、渡洋作戦の出来る航空基地として次第に必要性が高まっていった。    
しかし、また数年前と同じ苦しみが海軍を襲った。またも技術が無いのだ、いや、今回は以前の〈ソビエツキー・ソユーズ〉と違い、『全く無い』状態であった。少しでも技術があればそれを何とかして(最悪格好だけでも)完成させる事が出来る。しかし、今回の空母のように全く技術的に蓄えがないとなると、正に行き止まりである。だが、ここで思わぬ所から光明が差した。隆山条約失効後に大統領に就任した米ロング政権が、ソ連に対して空母の設計案を買わないかと持ち掛けてきたのだ。それは〈河野《コンコード》朝奈〉級の改良型であった。この話にソ連海軍は飛びついた。小型ではあるが高いスペックを持つ空母は、下手に大型で(空母に慣れていない為に)使いづらい空母よりも遥かに良い。喜び勇んで設計案を手にした海軍上層部だったが、ここで思いもよらぬ横槍が入ってくる。
「海軍はわが国初の空母を一年以内に完成させよ」
 というスターリンの命令であった。当時、列強諸国はすでに数隻の空母を実戦配備しており、あまつさえ当面の仮想敵国としてきた日本海軍は世界有数の空母所有国だった。日本海軍と同盟関係にある英国海軍も空母勢力は侮れないものがある、そう考えたスターリンは『ソ連も優秀な空母を有している』事を内外に喧伝し、日英を牽制しようと考えたと言われる。
 だが、そこで慌てたのは当の海軍自身だった。今から一年で(小型とは言え)空母を完成させる事など、どう考えても無理。米国の様に重工業が発達し、空母建造の蓄積のある国ならそれこそ月刊でも空母は出来る(護衛空母だが)が、重工業はともかく空母建造の蓄積も何も無いソ連でそれは幾ら何でも無謀過ぎた。
 しかしそれでも、ソ連においてスターリンの言葉は絶対だ、何とかして完成させねばならない。悩みに悩んだ海軍上層部は新規建造を断念、既に起工されていた艦の艦体を流用し、改装空母として仕上げる決定を下した。空母として再建造される事になったのは〈キーロフ〉級巡洋艦の〈キーロフ〉と〈ヴォロシーロフ〉の二隻だった(注3)。空母への改装は文字通り夜を徹して行われた。万が一にも遅れるような事があれば、自分達の命さえ保障されるかどうか怪しい。そんな感情に後押しされるようにして、異常な速度で進んだ改装工事はスターリンの思惑通り、設計案の購入から一年足らずで(技術的蓄積も無く、改装空母とは言え)二隻の空母を完成させたのだった。それこそがソ連初の国産空母〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉〈観月《アドミラル・エッセン》さおり〉であった。


小さな二隻

 とりあえず無事に完成した二隻だったが、そのカタログスペックは非常に小さなものだった。(注4)巡洋艦時代から変わらない、僅かに8000トンを超えるだけの排水量と搭載機数僅か22機、速力こそ30ノットオーバーであったものの、正直使いどころに困る艦になってしまった…と言う雰囲気が海軍内部では漂っていた。巡洋艦の艦体をそのまま流用した為に、装甲も薄く(空母は総じて軽装甲だが、彼女達の場合は根本的に違っていた)「まるでワンピースだけを着た少女のようだ」とはソ連海軍某少佐の言。
 基本的なシルエットはモデルとなった〈河野《コンコード》朝奈〉級に酷似している(させた)が、〈河野《コンコード》朝奈〉級が艦橋に駆逐艦の物を小改造した物を載せたのに対して、こちらは元が巡洋艦である以上最初に載っていた艦橋を載せるしかない。流石に大きすぎるとの声もあったが、若干後部に延長する形でまとめた。これが双子が『ロングヘアーの姉妹』と呼ばれる由縁でもある。そんな二隻を見分ける方法だが、〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉の方はやや動作が鈍いと言われる。同じ機関を搭載していても、どういう訳か舵の効きが悪くなったり、出港にも手間がかかる。それに対して〈観月《アドミラル・エッセン》さおり〉の方は真逆と言っていいほど高い機動性を持つ。ただし、これらは実際に海上に出ないと判らないので、もっと簡単に見分ける方法もある。〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉は通信用アンテナの類がやや『垂れ目』的に付いているのに対し、〈観月《アドミラル・エッセン》さおり〉はやや『釣り目』的に付いている事で判断がつく。
 こうして名実共にソ連海軍の仲間入りを果たした二隻だったが、使いどころに困る…という悪癖は直っていなかった。「戦闘機だけを搭載して防空空母として使おう」という声も上がったものの、それに真っ向から異を唱えた人物がいた。誰あろう、かつて米国に留学したリサーク・アカーキヴェッチ・ゴドルフ中将とイアーコフ・イヴァノヴィッチ・チュロフ中将であった。ゴドルフ中将曰く「私はこういう艦を待っていたんだ!小さくて、それでいて実戦に耐え得る性能を持つ艦を!」
 この二人は何と言ってもソ連共産党書記長スターリンのお気に入り。面と向かって反対意見を唱えればそれはスターリンに対しての反対意見となってしまう。苦々しく思いながらも、何も言えずに黙っていると、一人の将官が発言した。
「だったらご自分で指揮をとられてみますか?」
 これに対して、ゴドルフ中将は満面の笑みでこう言ったとされる。
「君達はこういう艦に手は出さん方が良い、この手の艦は私が大好きだからな」

 こうしてゴドルフ中将は、〈ソビエツキー・ソユーズ〉級一番艦〈ソビエツキー・ソユーズ〉、〈観月《アドミラル・コルチャコフ》しおり〉〈観月《アドミラル・エッセン》さおり〉を中核とするソ連海軍バルチク艦隊の司令長官を自ら買って出た。ドイツ第三帝国が『バルバロッサ』作戦を発動し、ソ連に攻め入るおよそ二年前の出来事だった。


(注1)・流石に無理があった為、最終的には〈ソユーズ〉級5隻、〈クロンシュタット〉級6隻しか完成しなかった。歴史学者の一部ではこの時、戦車生産用の資材まで根こそぎ海軍艦艇に持って行かれ、戦車の生産効率が著しく低下したのが後の独ソ戦敗北の遠因であったとする動きもある
(注2)・政治委員が口出し出来ない海軍独自の気風が気に入らなかったようだ。勿論それが海軍の戦い方に水を指す形であろうと
(注3)・この艦名は後に建造される改〈マコティーニ〉級巡洋艦に名づけられる事になる(〈《キーロフ》久遠〉〈《ヴォロシーロフ》タマモ〉)
(注4)・この艦の情報を手に入れた日本軍では「こんな艦を実戦で使うのは犯罪ものだ」と評し、ドイツ海軍では「こんな艦に手を出して犯罪者にはなりたくないな」と発言する人物もいたとか


要目

  • 基準排水量 8133トン
  • 全長 201メートル
  • 全幅 22メートル
  • 艦載機数 22機
  • 兵装
    • 単装5インチ高角砲3基
    • 12.7ミリ単装機銃14基