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〈加藤《サラトガ》あおい〉

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合衆国海軍巡洋戦艦〈加藤《サラトガ》あおい〉

元ネタ:戯画「Ripple〜ブルーシールへようこそっ〜」加藤あおい

概要

合衆国海軍が3年計画において建造した戦艦10、巡洋戦艦6のうち、巡洋戦艦〈レキシントン〉級の2番艦。通称は〈レディ・サラ〉。サラトガは独立戦争の激戦地となった場所で、合衆国史において記念すべき名を受け継ぐ存在である。
本艦もその名の背負う誇りを受け継ぎ、最高速力34ノットと言う驚異的なフットワークを活かして太平洋戦争から第三次大戦まであらゆる戦場に投入された。
そのこなした任務は艦隊決戦から空母の護衛、艦砲射撃までありとあらゆる範囲に広がり、おおよそ水上戦闘艦にこなせる任務と言う任務をこなし尽くしたと言う観がある。
反面、援独義勇艦隊に配属されたり、一時東部連合に参加したり、戦うための環境には必ずしも恵まれない事が多かった。一番行動を共にする事の多かった〈本多《コンステレーション》惣一〉ともども「貧乏クジを引いてしまう艦」として知られている。


建造の経緯

〈加藤《サラトガ》あおい〉は1923年にニューヨーク海軍工廠で起工された。この当時、既に巡洋戦艦は二度に渡るジュットランド海戦での戦訓からその存在意義を疑問視されつつあったが、それでも合衆国海軍がその建造を推進したのには理由がある。
一つは仮想敵に対する戦力の不均衡である。隆山条約によって戦艦保有数を対英10割に制限された合衆国海軍は、主要な4つの仮想敵国…すなわち英国、日本、南部連合、スペインと比較して戦艦保有数で1:3の劣位にあった。この戦力では、敵の正面に張りつけられる艦の数にも限界がある。
そこで、合衆国海軍が構想したのが、一種の内線防御作戦である。正面には重装甲・大火力の戦艦を配置し、それが敵を食い止めている間に、高速の巡洋戦艦部隊を増援として投入、敵を包囲撃破するというものである。
また、もう一つの作戦として、遊撃戦による敵戦力の誘出があった。一次大戦でドイツの軽巡〈エムデン〉が通商破壊作戦を行った際、連合軍側がその捜索・撃滅のために膨大な戦力を抽出しなければならなかった戦訓によるものだ。巡洋戦艦が数隻で通商破壊に乗り出せば、敵がそれに対処するためには少なくとも3〜5倍の戦艦を含む部隊が必要となる。
これを元に、〈加藤《サラトガ》あおい〉級は34ノットの超高速巡洋戦艦として計画された。ほとんど過剰と言っても良い速度である。何しろ、この頃は日本の〈来栖川《長門》芹香〉級や英国の〈クイーン・エリザベス〉級が26ノット前後で十分高速戦艦として通用した時代なのだ。
反面、その装甲は極めて薄いものだった。水平装甲は最厚部で57ミリしかない。後に〈ロドネイ〉が〈日野森《ビスマルク》あずさ〉に轟沈させられた事から、弱装甲の代名詞扱いされる事の多い〈《フッド》柳也〉級巡洋戦艦でさえ131ミリだったのである。
しかも、機関部の一部は無防御部分にはみ出して装備されていた。これでは普通の戦艦と撃ち合うのは自殺行為にすら感じられる。「下着の上にYシャツを羽織っただけの女性のような無防備極まる姿」というのが〈加藤《サラトガ》あおい〉を評した中で最も知られるようになった言葉である。
それを補うため、同級では〈サウスダコタ〉級戦艦にも採用された50口径16インチ砲、Mk-2を連装砲塔にマウントしたものを4基、8門装備している。優速を活かして垂直方向への命中が期待できる至近距離、それこそ「相手を抱きしめてそのサイズを測る」ような距離まで突入、長砲身砲の打撃力で相手を乱打する。これが同級の基本的な戦闘スタイルと考えられていた。
しかし、そのような都合の良い戦い方は現実には通用するものではなく、〈加藤《サラトガ》あおい〉級巡洋戦艦は傷つきのた打ち回りながら戦火の中を潜っていく事になる。


援西義勇艦隊

1936年、スペインで内戦が始まった時、列強各国はこぞって義勇軍を派遣し、近代戦の凄まじさを体験した。
合衆国も例外ではなく、一つの思惑を持って義勇軍を派遣する。それは、宿敵南部連合の歴史的な後援者であったスペインを自分の友好勢力に取り込む事であった。合衆国政府は密かにフランコ政権と接触し、戦後の中南米における相互の勢力圏尊重、南部連合との同盟破棄などを条件に、他国を圧する規模の義勇軍と供与兵器を送り込んだ。
その中には艦隊まで含まれており、〈加藤《サラトガ》あおい〉の他、同級艦の〈本多《コンステレーション》惣一〉の2隻を含む戦力がスペインへ派遣された。
ところが、部隊の到着以前に生起したジブラルタル沖海戦によって状況が大きく変化してしまった。フランコ政権海軍の空母艦載機が大活躍し、国民戦線海軍の大型艦を片端から撃沈あるいは戦闘不能の状態に追い込んだのである。フランコ政権の制海権は盤石なものとなり、義勇艦隊はいきなり存在意義を失う形となった。何しろ、航空爆撃で撃沈されたスペイン海軍の大型巡洋艦は、名前こそ巡洋艦だが10インチ砲とその対応防御を持つ、実質巡洋戦艦に近い性格の艦で、水平装甲などレキシントン級よりも分厚いくらいだったのである。
扱いに困る存在となった義勇艦隊だったが、合衆国は派遣した手前すぐに引き揚げるのはメンツに関わるため出来ず、フランコ政権も露骨に「帰れ」とは言えないため、しばらくスペインの港に入ったままじっと待機する事になった。
それでも、しばらくすると小型艦を中心に段階的に合衆国本国へ引き揚げる事となり、義勇艦隊の戦力は次第に減少していった。
〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長はやる気の無い司令官に代わって艦隊の事務を取り仕切り、一人だけ忙しく仕事に飛び回っていた。やがて、残された戦力が巡洋戦艦2隻だけになってしまっても、彼は仕事を続けていた。〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長に「そんな事したって無駄だよ」と止められたのだが、何故か意地のように残務整理をしていた。
派遣から1年後、司令部まで一足先に飛行機で帰国してしまい、援西義勇艦隊の所属艦は2隻の巡洋戦艦だけになってしまった。その奇妙な「同棲」状態がしばらく続き、一ヶ月後、ようやく2隻も帰国の途につく事となった。〈加藤《サラトガ》あおい〉と〈本多《コンステレーション》惣一〉の艦長は港の酒場でささやかな慰労会を開く事になった。
いくら飲んでも酔ったように見えない〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長は酒の勢いで憤懣をぶちまける〈本多《コンステレーション》惣一〉の世話をしてやり、港へ向かう路面電車に彼を押し込みもしたのだが、結局〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は港を通り過ごしてどこか見知らぬ駅で朝を迎える事となる。
帰国と同時に援西義勇艦隊は正式に解体され、2隻はまた別の任務に就く事になる。が、その期間は決して長いものではなかった。


援独義勇艦隊

1939年9月、第二次世界大戦が勃発した。日英同盟との対決路線を深めていたロング政権はこれに飛びつき、ドイツへの援助を決定。対独援助(レンドリース)法案を成立させると、大は潜水艦から小はスパム・ハムの缶詰まで膨大な軍需物資をドイツへ送り始めた。
1940年中頃、〈本多《コンステレーション》惣一〉はレンドリース輸送船団の護衛艦に選ばれ、再び大西洋を渡る事となった。そこには〈加藤《サラトガ》あおい〉の姿もあった。2隻はまたしても出会ったのだ。
この時、〈加藤《サラトガ》あおい〉は、近代化改装を完了しており、丈の高い籠マストを撤去して新型戦艦に準じた塔状艦橋を設置、多数のレーダーを装備した他、副砲を廃止して片舷辺り両用砲5基を並べるなど、外見と防空力に関しては新型戦艦群に匹敵するものとなっていた。〈本多《コンステレーション》惣一〉はその魅力的な姿に感嘆しているが、「裸Yシャツ」な防御力に関しては手付かずのままであった。
輸送船団を占領下フランスのブレストへ無事護送した合衆国艦隊は、そのままブレストに留まった。そして、大西洋艦隊の名簿から外れて〈援独義勇艦隊〉と看板を架け替える事になったのである。
本格的参戦とならなかったのは、戦闘正面を大西洋に限定し、日英を各個撃破する事が目的だった。ロング政権は対日戦の戦備を急ピッチで進めていたが、戦艦の大量建造が災いして空母の整備が遅れていたのである。
義勇艦隊はドイツ海軍との共同歩調を取り、主に英国の海上補給線に対する攻撃を実施する事になった…と言っても、実際には日本の遣英艦隊を含めて30隻近くに達する戦艦を有する英国海軍に決戦を挑むのは無茶も良いところだった。彼ら水上部隊の役割は、ビスケー湾に篭っていくらかの敵部隊を釘付けにする事にあった。
その間、本国で大量建造され、ドイツ海軍にも50隻以上が供与されつつあったガトー級を主力とする潜水艦隊が実際の攻撃を担当。彼らの猛攻により、英国は干乾しになり始めていた。
この劣勢が、英国の焦りを呼んだ…かどうかはわからないが、優勢を確保するためにヒトラーが実施を命じた〈ライン演習〉作戦は、逆にドイツ海軍の主力を撃破して制海権の確立を図る日英海軍の戦力投入により、一大艦隊決戦へと発展した。しかし〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃に失敗した日英同盟海軍は戦艦3隻の喪失を含む大損害を被った。
この時、余りに魅力的なヒロインに気を取られ過ぎた英国海軍は、ビスケー湾の警戒兵力を引き抜いて〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃に当てると言う、後から考えれば痛恨としか言いようの無いミスを犯していた。この隙を逃さず、ビスケー湾に逼塞していた義勇艦隊が討って出たのである。
〈日野森《ビスマルク》あずさ〉追撃戦は、戦艦3隻の沈没を筆頭にかなりのダメージを英国に与えたが、その程度は彼らの海軍力を考えればまだいくらでも補いがついた。しかし、義勇艦隊に行動のフリーハンドを与えてしまった事は致命的だった。一度外洋へ出た34ノットの超高速巡洋戦艦を補足・撃滅するにはどれだけの兵力が必要か。〈綺堂《グラフ・シュペー》さくら〉を追いつめるのでさえ、彼らは膨大な兵力を南大西洋に展開させねばならなかったというのに。
英国海軍は真っ青になった。直ちに追撃部隊が多数編成され、消えた義勇艦隊の行方を追い始めた。しかし、この機を逃さず、戦力密度の薄くなった大西洋全域でUボートとガトー級が猛威を振るい、次々に輸送船を海底に叩き込んだ。
英本国の生産能力は急激に減少していった。通商破壊に加え、合衆国がドイツに供与したボーイングB-17〈《フライング・フォートレス》ラルヴァ〉による戦略爆撃もボディブローのようにこの老大国の国力を削り取り続けていた。


日米開戦

合衆国とドイツの共同による英本土封鎖作戦が功を奏していた頃、太平洋では合衆国の挑発によって日本が遂に合衆国艦艇に発砲。これをきっかけとして両国の全面戦争―太平洋戦争が始まった。
これを機に、英国にも正式に宣戦布告して徹底的に叩き潰せ、と言う声もあがったが、ロング大統領はこれを見送り、あくまでも対英戦に参加しているのは義勇艦隊のみと言う姿勢を崩さなかった。新たにヴィシー・フランスが欧州連合に参加したことや、既に英国が本国近海の制海権を喪失しつつあったことなどから、正式参戦は不要と判断したのである。
事実、日本遣英艦隊の撤収などもあって英本土の守りは崩壊し、遂に第二次〈ゼーレーヴェ〉―英本土上陸作戦が決行された。〈加藤《サラトガ》あおい〉〈本多《コンステレーション》惣一〉の2隻はドーバー海峡などに進出し、海岸陣地に対する艦砲射撃に参加。16インチ砲の威力で頑強なトーチカや飛行場を次々に粉砕して上陸作戦の成功に貢献している。合衆国の正式参戦は不要だった。
もっとも、この決定はヒトラーの合衆国に対する不信を招き、後に両国の蜜月関係に終止符を打つ遠因と指摘されることになる。
一方、英本土では戦線が内陸へ移動すると、艦砲射撃の必要性が無くなったため、巡洋戦艦2隻は義勇艦隊から正式に合衆国海軍籍に復帰、一隻でも多くの戦艦を必要としていた対日戦に投入される事になった。
ニューヨークの海軍工廠で整備と補給を受けた2隻は南下し、パナマを越えて太平洋へ入った。太平洋戦線は合衆国軍が優勢を保っており、既に戦線はトラック・マリアナ間にまで進出。日本が白旗を掲げるのも時間の問題と噂されていた。
しかし、大西洋で日本の欧州派遣部隊と交戦した経験を持つ〈加藤《サラトガ》あおい〉〈本多《コンステレーション》惣一〉を初めとする旧義勇艦隊所属艦では「日本おそるべし」と考えていた。日本軍の粘り強さ、その艦艇の精強さ、どれを取っても過去の合衆国海軍が戦った相手とは比較にならない。「バイト(訓練)」程度の経験しかない他の艦艇とは異なり、一応「社会人(実戦)」経験を持つ彼女たちは楽観論を廃して戦う事に決めていた。


東太平洋海戦

果たして、楽観論を根こそぎ吹き飛ばすような事件が本当に起こった。日本海軍が総力を挙げてハワイへ侵攻、これを占領したのである。日本がすぐにでも白旗を揚げるかのように錯覚していた人々は驚愕し、元援独義勇艦隊所属艦艇の関係者たちは「やはりな」と言うように顔を曇らせた。やはり日本軍は侮る事の出来ない強敵だ。
ハワイ奪還のために出撃した太平洋艦隊であるが、ハルゼー提督率いる空母機動部隊が航空戦とその後の夜戦双方で手痛い敗北を喫し、水上打撃戦部隊も大きな損害を被った。
〈加藤《サラトガ》あおい〉は同級艦6隻からなる第22任務群(パイ)指揮下にあって日本軍への進撃を続行していたが、6番艦〈ユナイテッド・ステイツ〉が航空攻撃で魚雷二本を受けて大破・脱落し、僚艦は5隻に減少してしまっている。
それでも合衆国軍の戦意は衰えてはおらず、やがて日本艦隊と遭遇した。第22任務群の相手を引き受ける事になったのは、奇しくも〈加藤《サラトガ》あおい〉級のライバルと捉えられていた〈保科《天城》智子〉級巡洋戦艦4隻からなる第三戦隊。率いるのは日本海軍随一の猛将とうたわれる角田覚治中将である。
装甲が薄く、本当に本来の意味での「巡洋戦艦」な〈加藤《サラトガ》あおい〉級に対し、〈保科《天城》智子〉級は装甲が厚く、実質高速戦艦と見なせる艦であった。砲門数は40対40と同等。角田中将は防御力の差で〈加藤《サラトガ》あおい〉級を押し切れると考えていた。
しかし、〈保科《天城》智子〉級4隻は何故か艦隊行動が下手で、特に〈保科《天城》智子〉とそれ以外の3隻―〈岡田《赤城》メグミ〉、〈松本《高雄》リカ〉、〈吉井《愛宕》ユカリ〉のチームワークは壊滅的だった。
この隙に付け込んだ第22任務群は長砲身主砲の威力にも物を言わせて序盤から第4戦隊を圧倒。〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《高雄》リカ〉を大破脱落に追い込んだ。
しかし、ここで日本側に逆転をもたらしたのが、〈アストラルバスターズ〉こと第429特務戦隊の広域電波妨害と〈千堂〉級装甲巡洋艦2隻の突撃である。突然レーダーをホワイトアウトさせられ、混乱した合衆国艦隊に、後方から34ノット以上の猛速で追いすがってきた〈千堂〉〈九品仏〉が必殺のゲルリッヒ砲射撃を開始した。
この攻撃で、6発の16インチゲルリッヒ砲弾を浴びた旗艦〈レキシントン〉が、主砲弾火薬庫を貫通されて引火誘爆。大爆発を起こして砕け散った。2番艦の位置に付けていた〈加藤《サラトガ》あおい〉は燃え盛りながら沈んで行く〈レキシントン〉を避けようとして〈本多《コンステレーション》惣一〉と接触。舵を損傷してしまった。
よろめきながら離脱する〈加藤《サラトガ》あおい〉に、〈本多《コンステレーション》惣一〉からは「済まない」との信号が送られた。〈加藤《サラトガ》あおい〉は「気にしないで」と返信したが、この戦闘で彼女が役割を果たす事はもう不可能だった。
そして、旗艦轟沈と〈加藤《サラトガ》あおい〉損傷に伴う混乱で第22任務群は四分五裂の状態に陥り、事実上の遊兵と化した。同時に、合衆国戦艦の隻数上の優位もまた崩壊したのである。

混乱

1週間後、〈加藤《サラトガ》あおい〉はサンディエゴのドックに入渠していた。東太平洋海戦は合衆国軍の大敗北に終わり、主要任務群の司令官は第12任務群のキンケイドを除いて全員戦死と言う惨状を呈していた。同級の被害は大きく、撃沈された7隻の戦艦のうち、3隻までがレキシントン級だった。やはり防御力の低さが致命的で、生き残った3隻も海上護衛部隊か、陸上砲撃部隊に参加する事になりそうだった。
しかも、海軍兵力がほぼ半壊し、ハワイで陸軍兵力の多くが日本の捕虜となると言う状況の激変を受け、南部連合が侵攻。東海岸は戦場化し、大西洋艦隊の本国残留部隊も大損害を受けていた。
このため、高級将校の人材が払拭した合衆国海軍は、敗北に関する査問会を行わず、責任を問わない事を決めていた。例外は母艦航空戦力とその護衛部隊を同時に失ったハルゼーくらいのものである。
〈加藤《サラトガ》あおい〉への衝突も査問対象に含まれていた〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は放免され、無事な艦を集めて編成した第37任務部隊に編入されて行った。
この時期、南部連合海軍は10隻以上の戦艦と4隻の正規空母を筆頭に、疲弊した合衆国海軍とほぼ互角のところまで戦力を持ってきていた。
このため、パナマからカリブ海に至る地域では両者の激戦が展開され、多くの艦が沈んで行った。〈加藤《サラトガ》あおい〉もこうした人手不足から、様々な任務に就いている。


メキシコ湾海戦

1944年10月、次第に追いつめられつつあった南部連合海軍は、それまで温存してきた戦艦部隊による水上打撃戦で決着を付けるべく、根拠地モービル湾を出撃した。
旗艦は68000トンの大戦艦、〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉。18インチ砲8門搭載で、速力は33ノットと戦闘力は極めて高い。これに、英国の〈K・G・V〉級の準同型艦、〈ストンウォール・ジャクソン〉〈ロバート・E・リー〉、日本の〈篠塚《金剛》弥生〉級の準同型である巡洋戦艦、〈ネイサン・フォレスト〉〈ジェイムズ・ロングストリート〉が続く。
〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉艦長はポーズを付けた余裕の姿勢で艦橋に立っていた。彼はモービル海軍兵学校を主席で卒業し、南部連合海軍ではエリート中のエリートだった。その鼻持ちならない態度で敵も多かったが。
今のところ、戦争は祖国の劣勢になりつつあるが、大した問題ではない。この〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉が出撃した以上、ヤンキーどもがどんな艦を持ってこようとも軽く沈めてみせる。彼は自信満々だった。
そんな〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉以下の艦隊の前に、合衆国海軍の前衛部隊が出現した。〈加藤《サラトガ》あおい〉〈本多《コンステレーション》惣一〉を主力とする戦隊である。近代化改装されて美しさを増した〈加藤《サラトガ》あおい〉に対し、籠マストのいかにも旧式な〈本多《コンステレーション》惣一〉が妙に〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉艦長のカンに障った。
「現代の海戦は貴様のような旧式艦ではなく、この〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉のような優れた艦が主導権を握るのだ。引っ込んでいろ!」
とばかりに、〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉の18インチ主砲が唸った。18インチどころか、下手すると装甲巡洋艦の12インチ砲クラスでも打ち抜かれかねない水平装甲しかもたない〈本多《コンステレーション》惣一〉の艦長は必死に回避運動を繰り返しながら毒づいた。
「くそったれ、住む世界が違うとでも言いたいのかよ!!」
そういう間にも近づいてくる弾着を見ながら、〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長が絶望的な思いに駆られた時、〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉の艦橋に赤い爆焔の花が咲いた。
〈加藤《サラトガ》あおい〉の主砲の一撃であった。これによって流れは変わった。〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉の艦橋内では、艦の首脳部が衝撃で頭を天井に叩き付けられて昏倒し、「酒ビンで頭を殴られて呆然自失の状態」に陥っているかのような有様となった。そこへ、遠方から巨弾が降り注ぎ始める。後続の合衆国艦隊が到着し、砲戦に加わってきたのだ。〈川上《ケンタッキー》由里己〉〈飯塚《メイン》カノコ〉の18インチ砲弾が〈一条《ジェファーソン・デイヴィス》隼人〉を叩きのめして艦上構造物をガラクタの山に変え、そこへ水雷戦隊の放った魚雷が命中して止めを刺した。これを見た後続の南部連合艦隊は慌てて逃走した。
この海戦で南部連合海軍戦艦部隊はその中核戦力をことごとく失い、事実上壊滅した。これ以降南部連合の崩壊は急速に進んで行く事になる。


東部連合

1948年の5月、〈加藤《サラトガ》あおい〉はニューヨーク海軍工廠でオーバーホールを受けていた。その頭上を駆け抜けて、建設(正確には再建)途上の新首都、ワシントンとフィラデルフィア海軍基地に核弾頭ミサイルが落ちた。
このドイツの奇襲攻撃に対し、ノーフォーク部隊と合同しようとした大西洋艦隊ニューヨーク部隊は、一隻の貨物船がニューヨーク港入り口で触雷、沈没したのを見て顔色を変えた。何時の間にか、機雷が航路を塞いでいたのだ。
ニューヨークには掃海部隊がなかった。ボストンやプロヴィデンスから回航させた掃海艇を用いてようやく航路を啓開した時には、ノーフォーク部隊はファンディ湾で敗北しており、空母を持たないニューヨーク部隊は戦うためではなく撤退するために出港しなくてはならなかった。ニューヨーク市長が無防備都市を宣言したためである。
しかしオーバーホール中の〈加藤《サラトガ》あおい〉は工廠から出る事ができなかった。既にドイツ軍がニューヨーク近郊まで進出し、対艦攻撃力を持つ空軍機や欧州連合の空母機動部隊接近が予測される中では彼女たちを爆破処分する暇が無かった。
やむを得ず、〈本多《コンステレーション》惣一〉を旗艦とする他の艦は、乗組員だけを収容してニューヨークを脱出して行った。
1ヶ月後、亡命先のドイツより帰還した元南部連合政府自治大臣、ジョン・マッカーシーを首班とするアメリカ連合国の再建が宣言された。ここに、3年ぶりにアメリカは2つの政府に分断される事となる。
ニューヨークでドイツ軍に接収されていた〈加藤《サラトガ》あおい〉は東部連合に返還され、同海軍の一員となった。第二次近代化改装を終え、防御力に関しても水平装甲が最大で122ミリと「制服を着た程度」には強化された彼女は、やはりまだ有力な高速戦艦であった。
艦長は合衆国時代と変わりない。彼は大西洋艦隊脱出時も、そのままニューヨークに残留していた。最高責任者として艦を見捨てられなかったし、出身地はこのニューヨークだったからだ。東部連合政府としては、彼の政治的信頼性には疑問符が付くものの、優秀な海軍軍人が少ないためにそのまま艦長の座に就けていた。なにしろ、大西洋艦隊は撤退に当たって運べるものは人材を含めて何もかも持ち去っていたからである。


無気力の日々

こうして、東部連合海軍の一員となった〈加藤《サラトガ》あおい〉であったが、やる気は全く見られなかった。補充された人員があっても、訓練はおざなりだし、出撃命令にも「燃料が不足です」「乗員の錬度が不安です」と言を左右にして出撃を拒否。たまに出港しても、プールの監視員よろしく基地周辺の海域を見て回る程度の事しかしようとはしなかった。
これとは対照的に、同じように一度ドイツに鹵獲され、改めて東部連合に参加した〈山名《ロードアイランド》春恵〉は〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉や〈日野森《ビスマルク》あずさ〉と言った気の合う同僚を見つけ、新たな主人に甲斐甲斐しく仕えている。
こうした〈加藤《サラトガ》あおい〉の態度は余程苦々しかったらしく、東部連合上層部は遂に〈加藤《サラトガ》あおい〉のカリブ派遣を決定した。
パナマが突破され、憎むべき「西」も含む枢軸軍がカリブ海へ侵攻して来た以上、東部連合もドイツの同盟国として果たさなければならない義務があったのである。これをなんとかして断ろうとした〈加藤《サラトガ》あおい〉だったが、とうとう折れ、重巡洋艦〈ジャクソンビル〉を連れてカリブ海へ向かった。


再会

カリブ海戦線の要石、マルティニーク。この時期、最大の激戦地の一つである。
〈加藤《サラトガ》あおい〉がカリブに向かったこの時期、マルティニークの戦況は互角の状態だった。ひとたび「仕事」ともなれば手抜きをせず、輸送船団護衛や対地支援をきっちりとこなす〈加藤《サラトガ》あおい〉であったが、その彼女を思いもかけない相手が待っていた。
1年前に別れた僚艦、〈本多《コンステレーション》惣一〉である。任務の帰りにばったりと遭遇したのだ。
いまや、お互いに敵同士である。が、2隻は砲火を開く事はなかった。代わりに発光信号で意志を疎通する。
「元気だったか?」
「ん」
短い、しかし以前と変わらないやりとり。その中で、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長はそれとなく亡命の意思を見せるが、〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は慌ててやはりそれとなく翻意を促した。もちろん、〈加藤《サラトガ》あおい〉が帰ってくる事は本来ならば歓迎すべき事態だ。しかし、彼女の艦長を初めとして、向こうに残った一部の幹部乗員の政治的立場は極端に悪化していた。「裏切り者」「売国奴」としてである。
あの日の東海岸を知っている〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長としては、弁護したいのは山々だったが、それが通る状況ではないと考えていたのである。東部連合で出世する道を追求した方が、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長が生き残る道としては最善手に思えた。
その時は大人しく引き下がった〈加藤《サラトガ》あおい〉だったが、その後もしばしば〈本多《コンステレーション》惣一〉と接触するようになった。この状況に不審を感じた〈ジャクソンビル〉艦長は密かに〈加藤《サラトガ》あおい〉を追跡し、〈本多《コンステレーション》惣一〉との「密会」の現場を抑えた。
「何故こんなところで敵艦と接触している!」
激怒して突入してくる〈ジャクソンビル〉に対し、言い訳もそこそこに逃走する〈本多《コンステレーション》惣一〉。ここで〈ジャクソンビル〉を沈めるのは容易いが、そうなれば〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長の立場も極端にまずい事になってしまう。いささか屈辱的ではあるが、逃げるしかなかった。


夜逃げ〜マルティニーク撤退戦

1951年初頭、マルティニーク戦線は明らかに連合軍の不利に陥りつつあった。欧州連合軍は西部大西洋海戦で枢軸軍の空母に大損害を与えたが、自らも深手を負い、さらに枢軸軍は西部大西洋時と同等の規模を持つ空母部隊を送り込んできていた。島の周囲の制海権は枢軸軍の手に帰し、制空権も危ない。
そもそも、海洋国家連合に対して島の争奪戦を挑んだのが間違いなのだと〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長は思った。これ以上この島に関わるのはただ単に貧乏クジを引かされる結果になる。
幸い、時を同じくして欧州連合はマルティニーク放棄の決定を下した。しかし、同島には2万人を越す兵士たちがいる。これを撤収させる事は容易ではない。
〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長は久しぶりに積極的に行動した。陽動部隊で枢軸軍の注意を引き、その隙に高速小型の艦艇を用いて一晩で一挙に兵士を撤収させると言う作戦案を提示したのである。この案は冒険的に見えながらも、検討してみると意外に安全で成功率が高いと判断され、実施が決定した。
しかし、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長はこれだけでは安心せず、一つの手を打った。作戦の情報を密かに〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長へ伝えたのである。
〈本多《コンステレーション》惣一〉経由でもたらされた情報は、枢軸軍上層部を少なからず混乱させた。この情報は何を意味するのか?検討が重ねられたが、結論は「この情報は偽情報であり、陽動部隊とされている部隊こそ本命である」というものであった。この瞬間、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長の勝利は決定したと言っても良い。
結果、枢軸軍主力は陽動部隊に引きずり回され、マルティニーク撤収援護部隊の存在を完全に見落とす事となった。陽動部隊が撤収して行く中、〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長が伝えてきた事は事実だと判断し、慌ててマルティニークへ向かった。
〈本多《コンステレーション》惣一〉が到着した時、マルティニークの欧州連合軍陣地はもぬけの殻になっていた。世界戦史でも希に見る敵前撤収の完全成功例の一つと言われるマルティニーク撤収作戦は終わっていたのである。
上陸して状況を確認してきた海兵隊の報告を聞きながら、〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は呆然と何も無い島の様子を見つめていた。そして、海兵隊が回収してきた書類鞄を開封した。それは、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長からの伝言だった。
そこには、本気で亡命を考えていたのに、それを受け取ってくれなかった〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長へのちょっとした恨み言から始まる、〈加藤《サラトガ》あおい〉艦長の思いがつづられていた。〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長はそれをじっと目で追った。そして、自分は東部連合で全力を尽くすから、もう追わないで欲しい、という一文で伝言は終わっていた。
それを見終わった〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長はがっくりとうなだれた。自分はバカだ、と己を責める。俺は、本当は〈加藤《サラトガ》あおい〉に来て欲しかったのだ。何があろうと一緒に戦いたかったのだ。しかし、自分にそれを受け止める度量が無かった。自分に覚悟さえあれば、〈加藤《サラトガ》あおい〉をもう一度こちらの側に引き戻すことができたのに。
「畜生、大バカ野郎だ、俺は」
〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長が呟いた時、島影から一隻の艦が出現した。それを見て、彼は驚きに目を見張った。とっくの昔に去ったと思っていた〈加藤《サラトガ》あおい〉がそこにいたのである。
「もう一度、やり直せると思うかな?私達」
〈加藤《サラトガ》あおい〉からの発光信号を見て、〈本多《コンステレーション》惣一〉艦長は泣き笑いの表情で返信させた。
「当たり前だ。もう二度と離れるものか」
こうして、東部連合海軍戦艦〈加藤《サラトガ》あおい〉は合衆国海軍籍に復帰した。


その後

合衆国に帰参した〈加藤《サラトガ》あおい〉は幹部乗員に対する一応の査問会の結果、無罪放免となり、再び〈本多《コンステレーション》惣一〉と戦列を組むことになった。海上護衛や空母部隊の護衛を経て、1952年に英国奪還艦隊に参加した2隻は英本土奪還作戦の火力支援に加わり、かつて敵として撃った英国陸軍を支えて奮戦した。
第三次世界大戦終戦後、予算の関係から現役を引退。〈本多《コンステレーション》惣一〉ともども解体され、復興のための資材として活用された。
しかし、その美しい艦容は多くの人々に強い印象を残したらしく、後にサンディエゴに建立された太平洋戦争から第三次大戦までの戦没者を慰霊するための石碑(注)には、〈森本《オハイオ》奈海〉と並んで彼女の姿がレリーフとして刻まれ、今は亡き合衆国海軍戦艦部隊の歴史を物語っている。


(注) 鎮魂碑「Ripple With You(波と汝と共に)」。正面には戦艦〈森本《オハイオ》奈海〉〈加藤《サラトガ》あおい〉が、裏面には空母〈鳴瀬《ヨークタウン》真奈美〉〈氷川《ホーネット》菜織〉が刻まれている。


要目

竣工時

  • 基準排水量:38.449トン
  • 満載排水量:43.497トン
  • 全長:266.5メートル
  • 全幅:32.2メートル
  • 機関出力:180.000馬力
  • 速力:33.87ノット
  • 兵装
    • 主砲   50口径16インチ連装砲 4基
    • 副砲   38口径6インチ単装砲 16基
    • 高角砲  3インチ単装砲     6基
    • 魚雷発射管 533ミリ       8門
    • 機関砲  1.1インチ 4連装    6基
    • 機銃   ブローニングM-2 12.7ミリ 22丁
  • 搭載機 3機

最終時

  • 基準排水量:42.761トン
  • 満載排水量:48.497トン
  • 全長:266.5メートル
  • 全幅:32.2メートル
  • 機関出力:180.000馬力
  • 速力:31.33ノット
  • 兵装
    • 主砲   50口径16インチ連装砲 4基
    • 副砲   38口径5インチ連装砲 10基
    • 機関砲  ボフォース40ミリ 4連装  6基
    • 同連装 10基
    • 機銃   ブローニングM-2 12.7ミリ 86丁

同型艦

  • 〈レキシントン〉          1923年竣工  1943年東太平洋海戦にて戦没
  • 〈加藤《サラトガ》あおい〉     1924年竣工  1953年除籍解体 
  • 〈レンジャー〉           1924年竣工  1943年東太平洋海戦にて戦没
  • 〈本多《コンステレーション》惣一〉 1925年竣工  1953年除籍解体      
  • 〈コンスティチューション〉     1925年竣工  1949年東太平洋海戦にて戦没
  • 〈ユナイテッド・ステイツ〉     1925年竣工  1947年弾火薬庫の爆発事故により沈没