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〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉

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英国陸軍主力戦車 〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉

TYPE−MOON「月姫」遠野 秋葉

概要

 英連邦陸軍の主力戦車。本来の後継ではなかったが、主力戦車としての重責をよく果たしている。
 平面で構成された砲塔の扁平ぶりと、ドイツ主力戦車に匹敵する絶大な攻撃力で知られ、人気の面でも〈アルクェイド《ティーゲル后侫屮螢絅鵐好織奪鼻に次ぐ支持率の高さを誇っている。いかにも脇役然としたフランスの某戦車に比して、正統派ヒロインというべき外観の戦車であり、さすがに戦車の発明国の面目躍如たるものといえる。
 〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉は第2世代MBT〈遠野《チーフテン》槙久〉の後継であり、近代化改良型というべきであるが、〈遠野《チーフテン》槙久〉を凌駕する第3世代MBTに進化し完成している。それだけに〈遠野《チーフテン》槙久〉の特性、高い攻撃力と低い戦略機動力の二面性を受け継いでいるのは仕方のない事実だった。

 〈遠野《チーフテン》槙久〉は、1950年代後半の英連邦陸軍の防衛ドクトリンに従って開発された。当時の英軍はドイツの再侵攻がありうるものと見ており、同盟国日本の来援があるまで持久することを求められていた。そのため、新型戦車にはドイツ戦車の脅威に対抗できる攻撃力と防御力が重視されたのだ。
 開発にあたったレイランド・モータース(車体担当)とヴィッカース(砲塔担当)はモデルに日本の〈六式重戦車改〉を選んだ。来栖川重工雨月工場製の〈オニ〉の重装甲と大火力は、本土回復後の英軍のドクトリンに適合していたからだ。これにより「鬼種の血」は英国で発展することになった(注1)。
 主砲には当初152ミリという大口径砲が予定されたが、重量過大にすぎるということで分離装薬式の127ミリ砲に落ち着いている(注2)。装甲は砲塔前面で200ミリを超え、しかも非常に避弾経始に優れた傾斜角度がつけられており、切り立った垂直面は皆無となっている。これにより実際の防弾性能は装甲の厚みの二倍近いものとなっている。そして大きな図体でありながらも非常に低い車高が暴露面積の極小化に役立っており、傾斜して滑らかで分厚い装甲を考え合わせるならば、〈遠野《チーフテン》槙久〉の防弾能力は複合装甲をまとった第3世代MBTに十分に伍すものと推測される。
 しかし〈遠野《チーフテン》槙久〉の最大の泣き所は、重戦車につきものの機動力不足だった。特に出力不足は深刻で、レイランド製のディーゼル・エンジンは750hpしか出せなかった。〈オニ〉と同じく日本製マーリンのデチューン型を載せる案もあったが、産業復興のための国産化方針により却下されている。結局、戦略機動性の不足は看過されることとなり、戦略機動性を重視する第2世代MBTとしては「反転」したものとなったが、戦場における戦術機動性は十分なものと判断されている。〈遠野《チーフテン》槙久〉と似たような設計思想を持つ、イスラエルの〈メルカバ〉の運用実績からも、それはうかがえる。防御主体のドクトリンに従えば遠距離を移動する必要はない。アンブッシュし、撃っては後退して次の遮蔽物の陰に飛び込む戦術をとるのであれば、戦場を突っ走る能力は要求されないのである(注3)。

 〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉の開発はロイヤル・オードナンスである。当初ロイヤル・オードナンスで〈遠野《チーフテン》槙久〉の後継として計画されたMBT80は、1500hp級エンジンを持つ重MBTになるはずだった。しかし英本土の産業振興の牽引役として航空宇宙産業に予算を集中させていることによる資金難と調達コストの高騰により、計画は頓挫している。英陸軍としては強力なMBT80を諦めきれなかったが予算の壁は厚く、諦めざるを得なかった。そして〈遠野《チーフテン》槙久〉の改良型FV4030/2を主力戦車に仕立て直すこととなり、資産を受け継ぐ形で〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉は完成に至ったのだった。本来の後継ではない代役とはいえ、〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉は主力戦車として十分な能力を持っている。
 砲塔は、砲塔前面に鋭利な傾斜角度がつけられ、切り立った側面部には分厚いチョバム・アーマーが溶接されている。これにより〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉は、扁平ぶりが際だつ印象的な外観を持つ結果となっている。
 履帯を保護するサイド・スカートは鋼鉄製である。英軍当局によれば装甲を含めて「最強の装備で身を固めるのが嗜み」とのことだが、「最上級の品で身を固めている」の間違いではないかというのが大方の意見である。
 主砲は英国伝統の127ミリ・ライフル砲で、分離装薬方式を採用している。これにより合計64発の砲弾を搭載できる。搭載数が40発台の日独より砲弾の数は非常に多い。英陸軍が愛用する粘着榴弾は徹甲弾の半分の装薬量で発射できるからで、積む装薬数は徹甲弾42発分で済んでいる。
 〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉を特徴づける攻撃能力は主砲だけによるものではない。砲手用の照準器はルビー・レーザー距離測定機を内蔵したNo10昼間用照準器で、夜間用にはバー&ストラウドが開発したTOGS(熱線監視射撃照準器)が用いられる。FCSにはマルコーニ製が使われ、標的を水平方向に秒速30ミル、垂直方向に秒速10ミルの速度で追跡する能力を持っている。これらにより、〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉は「視線の及び限りのものを燃やし尽くす」ことが可能となり(注4)、弱体な機動力を補って余りあるものとなった。
 事実、第4次世界大戦初頭のオンタリオ戦線ではフランス軍戦車を5100メートルから狙い撃ってのけ、敵戦車の残骸でもって地獄絵図を造り上げている(注5)。1999年の湾岸紛争においては、イラク軍の主力戦車〈レオパルト供咾搬臈領警護隊の〈レオパルト掘咾魄貶的に撃破した。灼熱の気をまとって進む姿は、ありとあらゆるものを奪い尽くさんとする悪鬼そのものだった。
 〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉の機動力は先代の欠陥を引き継いでおり、レイランドL65ディーゼル・エンジンは最大850hpと同世代に比して半分程度の出力しかなく、悪路においてのパワー不足は深刻なものだった。特に吸排気系が弱く、呼吸困難の発作を起こすこともしばしばだったのである。この遺伝的な弱点は英国単独では解決できず、1991年にエンジンを三菱10ZGスーパーチャージド・ディーゼルに換装することでようやく解消されている。もっとも、戦場へは黒塗りの重戦車運搬車で運ばれるため、英国内で運用する分にはさほどのハンデとはなっていない。
 なお、英国戦車として当然のことながら紅茶ポットを暖める電気加熱器が標準装備されている。ティー・タイムをゆったりととるのが英国人の嗜みであり、それは戦場においてもかわりはない。

 1991年には大改良が実施された。〈遠野《チャレンジャー2》秋葉〉と通称される。主眼は機動力とヴェトロニクス(車両用電子装置)の強化である。英連邦軍MBTの弱い機動力を危惧した日本の提案による改良だった。この強化は、オンタリオ戦線での追撃包囲戦に大いに役立っている。
 エンジンは前述の三菱10ZGスーパーチャージド・ディーゼルとなり、1500hpの大出力は〈遠野《チャレンジャー2》秋葉〉に余裕をもたらしている。もはや呼吸困難に悩む必要は無くなったのだ。操縦手達もまた「(車)体が軽くなった。気分が良い」と語っている。60トンを越す車体が弱出力のエンジンとトランスミッションにどれほどの負荷をかけていたのか、よく分かるコメントである。しかしながら燃費は「ざる」とも「酒豪」と呼ばれる程で、相変わらず良い訳ではない。
 サスペンションも転輪2個を一組としたホルストマン式から、ユニットが転輪毎に独立して車体側面にボルトで固定されるブロック型油気圧式となった。
 砲塔は新設計となり、より平らになって箱形に変形している。これは防弾力を21世紀になっても通用させるためで、砲塔正面には新開発の第2世代チョバム・アーマーが封入されている。
 さらに車長専用の旋回式パノラマ独立サイトがつけられた。これは熱線映像装置とルビー・レーザー距離測定機を内蔵している。砲手用の全天候サイトも新型に交換され、正面右から主砲基部に移設されている。これによって正面装甲は一枚板となって防御力は一段と上がっている。
 ヴェトロニクスには友軍との情報交換が迅速に行えるように、日本軍と共通のデジタル・コンピュータとデータ・バスが搭載され、戦場管制システムや衛星航法システムを備えられた。
 日本の技術を飲み込んだ結果とはいえ、これらの改良技術を手なずけた〈遠野《チャレンジャー2》秋葉〉は文字通り世界最強クラスの戦車へと変貌を遂げた。英国は兵器市場において、〈アルクェイド《ティーゲル后侫屮螢絅鵐好織奪鼻〈シエル〉〈蒼崎《四八式中戦車》青子〉に対抗可能な戦略商品を手に入れたのである。

注1:日本の第3世代MBT〈蒼崎《四八式中戦車》青子〉もまた来栖川製であるが、まったくの新規開発であるため「鬼の血」とは無関係である。ただロイヤル・オードナンスとの共同開発であるために、外観が〈遠野《チャレンジャー》秋葉〉に酷似している。
注2:152ミリ砲を搭載して〈軋間《コンカラー》紅摩〉支援戦車が開発されたが、短命に終わった。その破壊力は絶大で、かするだけで戦車を破壊できるほどだった。
注3:英国と反対に、広大かつ長大なウラル戦線とミシシッピ戦線をかかえるドイツと日本では、戦車に戦略機動性を持たせる必要があった。第2世代MBTに挙げられる執罍揃拭劵譽パルト供咫◆匯飴夕庵羸鐚屐咫福匱啓庵羸鐚屐咾硫良型)はいずれも良好な出力重量比を持っている。
注4:夜間では索敵、目標確認、発砲までに多少の時間がかかり、一方的に勝てるとは云えない状態だったが、昼間において時間差は殆どなく、視認されるやいなや撃破される敵戦車が相次いでいる。よってフランス軍は夜戦を挑んだものの、それでも勝ち目は相当に薄いものと云わざるを得なかった。
注5:正面から戦っては被害が大きくなると考えたケベック軍は、英軍コマンドに偽装した特殊部隊でもって〈遠野《チャレンジャー2》秋葉〉が基地にいるところや、行軍中を狙ってねちねちとした攻撃を繰り返している。もっとも付き合いきれなくなった英軍が陽動でおびき出して正面決戦に持ち込んだことにより、ケベック軍は大敗を喫している。その後に英連邦軍のモントリオールへの突破が開始された。


折髪(おりがみ)

 正門の向こうから爆走してきたマティが跳び蹴りをかましてきた。ヴィリィは状況をつかめないまま跳び蹴りを食らってひっくり返った。ひっくり返っただけでは収まらず、衝突したまま地面に三回も転がった。
「いきなり、何をするんだ!」
「わははは、うるせー!」
 マティはまともに応えず、さらに蹴りをかます。ヴィリィもまた応戦して、かくして国防軍の曹長と中尉が互いに蹴り合う光景がクンメルススドルフ試験場の正門付近で繰り広げられた。
 マティアス・ノルトヴェステン曹長とウィリアム・ベリンジャー中尉は同じギムナジウムに学んだ仲であり、国防軍に入隊した後でも階級差を超えた付き合いを続けている。とはいえ、衆目のある場所でおこなうべき行為ではなかった。加えて云えば、マティはヴィリィが車長を努めるレーザー装輪装甲車の操縦手なのである。親愛の念の表現とされる範囲を逸脱しすぎていた。
 もっとも、マティはそんなことを気にする性格ではない。しかし、いつまでも蹴り合いを続けさせるわけにはいかない。小隊でもっとも人格者との評判をとる「教授」こと砲手のヘルベルトが止めに入った。「いい加減にしたらどうだ、マティ!」
「わはははは、絶対に貴様をお兄さんと呼んでやるからな!」
 蹴るのをやめたマティは、正門の向こうに走っていった。残されたヴィリィ、ヘルベルト、通信手兼副操縦手のハインツは狐に摘まれたような顔で立ちすくんだ。奇行の多いマティではあるが、今回のは極めつけだった。埃を払って荷物を担ぎなおした。
 ヴィリィは頭を振りつつ正門を出ると、凝固した。ここにいる筈の無い人物がいたからだ。
 妹のアリエノールがいたのだ。

 ブルーム女伯爵アリエノール・シリル・ベリンジャー。病弱を理由に家督を剥奪された兄にかわって、16歳でベリンジャー宗家を継いだ女性である。
 ベリンジャー家はイングランド、ヨーク(旧名デイラ)の北方ブルームに本拠を置く、由緒正しい貴族である。その出自はクラウディウス帝時代のブリガンテス王国にまで遡るという、きわめて古い血族なのである。さらに「精霊」とも「鬼」とも呼ばれる「人ならざるもの」との混血により、一族の者は超人的な力を振るうといわれ、そのかわりに人としての精神を破壊してしまう者が多いともいう。その状態になった者をベリンジャー一族では「紅赤朱(くれないせきしゅ)」と呼んでいる。事実、ベリンジャー一族は赤毛か、黒髪(ブルネット)という明確な特徴を持っている。
 そして、代々のベリンジャーはその武力をもってイングランド王に仕えてきた。本拠ブルームから出ないために政治では活躍していない。多少の財を持つ田舎豪族という程度といえる。もっとも、そのお陰でロスチャイルドが仕掛けたロンドン株式市場の仕手戦に巻き込まれることもなく、一族の財産と地所を守ることが出来たのだ。
 ベリンジャーはロンドン政界の動きには関心が無いという態度を貫き、本拠を守ることに全力を挙げていた。ハノーバーからやってきたウィンザー王家すらも馬の骨と見なす高いプライドも相まって、1942年の英本土攻防戦においても一族の大部分が本土を脱出していない。そして1952年の英本土奪回後に、今度はベリンジャー家がハノーバーの相続地所ブリューエンへ逃れざるを得なかったのだから、歴史は皮肉なものである。

 アリエノールは執事と思しき老人一人と、護衛以外の何者でもないと思われる巨漢一人、さらにお仕着せを着た双子のメイドを従えていた。彼女らの横にはマティが邪悪な笑みを浮かべつつ直立不動の姿勢をとっている。ロールスロイス製のリムジンも二台が停車している。
 綺麗な赤毛に青紫色のリボンをつけたメイドの一人が、華のような笑みを浮かべ、「おかえりなさい、ヴィリィ様」と言った。続けて執事に巨漢、先に挨拶したメイドの双子の姉妹(こちらは何の感情も浮かべていない)が、深々と頭を下げて「おかえりなさいませ、ヴィリィ様」と唱和した。
「あ、ああ、ただいま」
 焦りつつヴィリィは挨拶を返した。マティを除く仲間達は唖然としている。
「お久しぶりですね、兄さん」
 長い黒髪(ブルネット)の美女は凛とした眼差しのまま、そんな言葉を口にした。
 強い意志を思わせる、細く力強い眉。
 深く澄んだ黒い瞳と、同じように深い黒色をした長い髪。
 不機嫌そうに見えるのは気のせいではないらしい。
「な…」
「兄さん?」
 黒髪の美女はかすかに首を傾げた。
「アーリ!なんで、こんな所にいるんだ!ブリューエンにいるんじゃないのか!?」
「兄さん。私は20才になっています。成人したならば、どこに行こうとも自由です。それともなんですか、出かけるにはいちいち兄さんの許可を得ないと駄目なんですか?」
「そうじゃなくて!……先に質問に答えろよ。なんでクンメルスドルフなんかに来ているんだ?」
「ロシア戦線から凱旋なさったのに、ちっとも屋敷に帰ってきてくれないから、迎えに来たんです!兄さんはベリンジャー家の長男なんですよ!長男らしくしてください!」
「俺は親父から勘当されていたんだから、関係ないってのに………」
 強く睨む妹の視線の前に、ヴィリィの声は尻窄みに小さくなっていった。病弱との理由で屋敷から放り出されたのをいいことに、次期当主たるの教育や義務を妹に押しつけて長年放って置いた引け目があるのだ。他にも手紙を出さなかったことなど、いろいろとある。
「とにかく、屋敷に戻ってもらいます。いいですね」
「屋敷って、ブリューエンに?ハノーバーまで行くのか?それに上司の許可もいるぞ?」
「グロス・ベルリンに別邸を求めました。いささか手狭ですが、我慢出来ないほどではありません。それにアンダーソン大尉には、こちらからお話しして許可をいただいてあります。ウォルター?」
 はい、お嬢様、と答えて、右目にモノクルをかけた初老の執事がヴィリィに紙入れを差し出した。
 紙入れを開いて、ヴィリィは呻った。アンダーソン大尉のサインが書き込まれていたからだ。
 閉じて返しつつ、自分だけが凱旋したわけでは無いぞ、とヴィリィはアリエノールに言った。
「分かっています。実験中隊アンダーソン隊の方々、整備班も含めて、ベルリン市内のホテルに宿泊してもらう手はずは整えてあります。もちろん、勘定はこちら持ちで」
「ベルリンのどこに?」
 戦友を安宿に放り込むなど許さないぞ、それならば自分も戦友達と一緒の宿に泊まる、と目が語っている。
 アリエノールは溜息をついた。
「疑い深いんですね。兄さんの戦友方ですもの、粗略に扱うなんてしません。シャルロッテンブルクのサヴォイです。全員が一等の部屋というわけにはいきませんが」
 降参、という形にヴィリィは両手を挙げた。
「わかった。そこまで手回しが済んでいるんなら戻るよ」
「分かっていただけたなら、いいです。では、いきましょう」
 ヴィリィとアリエノールは前のリムジンに、小隊の面々は後ろのリムジンに分乗した。マティがヴィリィと一緒のリムジンに乗りたそうにしていたが、アリエノールに空気のように黙殺されている。
 二台のリムジンはシャルロッテンブルクへと走り出した。

 それが、たった数日前のことだった。
 街道はアスカーニアの並木で縁取られている。乗車の車長席で、周囲を監視しながらヴィリィはひとりごちた。何故、こんなことになった?
 死んだ親父は、俺がアリエノールを殺すかもしれないとひどく恐れ、それを日記に書き残していた。俺は親父が危惧したとおりに妹を殺さなければならないのか?
 ああ、ディナーで俺が食器に音を立てる度に、アリエノールの眉がきりきりとあがっていくスリリングさすらも懐かしい。パーティーが引けた後、共に庭に出て、舞い落ちる月光と紅葉を浴びながら語り合ったのが遙か昔のようだ。
 1996年10月30日深夜。ウィリアム・ベリンジャー中尉はクンメルスドルフからベルリンへとレーザー装輪装甲車〈モールデアー〉を走らせていた。
 前日の29日に親衛隊がクーデターを起こし、ベルリン市内ミッテとティアガルテンとを占拠している。総統代行改め、大ドイツ帝国大統領クルト・ワルトハイムはベルヒテスガルテンの山荘で軟禁されている。9月5日から開かれたニュルンベルク党大会において、ワルトハイムは党を離脱して大統領となること、そして新連邦条約を帝国の各大管区と結ぶことを表明していた。それに対し、NSDAPの特権的な地位、親衛隊が握る軍産複合体の利権を失うことを恐れた保守派がクーデターを起こしたのである。
 そして、ベルリン中心部の占拠の主力は義勇武装SS「クロムウェル」。アリエノールが名目上とはいえ総指揮官を努めているのだ。

 義勇武装SS「クロムウェル」は亡命イングランド人とその子孫でもって構成されている。英国王チャールズ1世を処刑した人物の名を付けられているのは、彼らが英王室に対して反逆をおこなったものと見なされて、英本土奪回後に放逐されたからだった。
 その大部分は、ドイツ占領時代にドイツ勢力に取り入って良い目を見た者達だった。例えば、NSDAPの高官がポーランドの大寺院から奪った祭壇の飾りをスイスへ売る仲介をしたり、英国内から運び出しきれなかった美術品をゲーリングに売り込んだアンティーク商がいる。元はソーホーのぱっとしないレストランの店主に過ぎなかったが、ドイツ軍の戦勝祝賀の最初の一週間で二千本以上のシャンペンを売り尽くして財をなした男がいる。ベーズウォーターの三流ホテルの女主人たる未亡人は、ドイツ軍の将校クラブに集う者達が女と逢い引きするのに彼女のホテルを使い始めた為、彼女はホテルをドイツ企業に売り払うことで巨万の富を得た。英語の通信教育講座で大儲けをした者もいる。僅かな例外を除き、大半のドイツ軍人は英語を全く解さないからだ。あるスコットランド人はアーガイルでおんぼろのウィスキー醸造工場を経営していたが、ドイツ占領軍と長期契約を結ぶことに成功し、一夜にして莫大な富を得ている。
 ベリンジャー家自体は、これらの幸福を掴むに目敏い者達とは一線を画していた。しかし、国内に残った数少ない貴族では最上位であるため、自然と社交の中心に立たざるを得なかったのだ。そして英王室の還御に伴い、国内反逆勢力の主導者と見なされて排斥され、ドイツへ亡命したのである。
 義勇武装SS「クロムウェル」は装甲擲弾兵師団である。特に中立国経由で英陸軍の各種装備を手に入れ、保有する〈チャレンジャー〉戦車や〈ウォリアー〉装甲車もまた、部品状態で仕入れて組み立てている。知らぬ者が見れば全く英陸軍にしか見えない。そのためか、アグレッサー部隊として重宝されており、その精強さはGD師団に匹敵するとの評価を勝ち得ている。
 代々の師団長はベリンジャー家当主が努めるのが習わしである。基幹兵力がベリンジャー家の私兵だからだ。その為に弱冠20才のアリエノールが名誉師団長として師団を指揮することになっていた(実際の指揮は老練のジョージ・メーヒューSS少将が執っている)。この辺り、ベリンジャーの結束の仕方はスコットランドの氏族集団(クラン)に類似している。
 そして、第4次世界大戦の終結以後も、英軍コマンドがドイツ軍駐屯地を襲撃するという事件が続発していた。ドイツは英国へ強硬に抗議し、英国は関連を否定して、義勇武装SS「クロムウェル」による自作自演だと論評していた。英軍もまた、英軍を装った「クロムウェル」による襲撃を受けて多大な被害を戦時に受けていたのだ。これらの事件について、マスコミのインタビューを受けた名誉師団長のアリエノールは明確に関連を否定している。
 しかし彼女が嘘を吐いていたことが明らかとなった。「クロムウェル」がベルリンに展開したのと時を同じくして、その種の襲撃事件が跡を絶っていたからだ。
 認めたくなかった。たとえ先輩(義勇武装SS「シャルルマーニュ」の制服で屋敷に現れていた)が法王庁の情報で、確実なことだと言ったとしても。彼はアリエノールが首謀者であると告げていたのだ。
 ヴィリィの装甲車はウーラント通りから繁華街クアフュルステンダムに入った。市民が大勢集まっていた。彼らの吐く息が白く立ち上っている。
 時刻はもはや零時を過ぎ、10月31日になっている。
 ヴィリィが国防軍所属であることを示すWHのプレートを指すと市民達は脇へ除けた。北米とロシアで後退したとはいえ、ドイツ市民の国防軍へ向ける信頼の念は高い。ヴィリィは乗車をブダペスター通りに入れた。市民の数は益々増えている。誰もが不安なのだ。ヴィリィとヘルベルトにハインツが大声を出して除けてもらわざるを得ず、なかなか進めなかった。
 そして、ようやくコルネリウス橋を望む地点にまで辿り着いた。橋の南側入り口はバリケードで封鎖されていた。封鎖された地区はシュプレー川とラントヴェーア運河とに挟まれた地域だった。義勇武装SS「シャルルマーニュ」から1個大隊の応援があるとは言え、限られた兵力でベルリン中心部を押さえるには橋を封鎖するのが手っ取り早いからだ。
 ヴィリィは乗車をバリケードにまでゆっくりと進めさせた。歩哨に立っている「クロムウェル」の武装SS隊員に英語で話しかける。
 国防軍の使者であることと、名誉師団長アリエノールの兄であることを話すと、歩哨部隊の面々は装甲車ごと、ヴィリィを通した。滅多にベリンジャー宗家の名を使わないヴィリィだが、便利なものだと思った。もっとも、それは一般の隊員達がベリンジャー宗家の内情を知らないことを意味している。でなければ、ベリンジャーではない自分が本部へと案内される筈が無い。
 ティアガルテン内を指揮本部へと案内されつつ、ヴィリィは各所の配備を見た。〈チャレンジャー〉戦車に〈ウォリアー〉装甲車、〈スコーピオン〉軽戦車、155ミリ自走榴弾砲までがある。その戦力の充実具合、なかんずくベルリン中心部を結界とする戦力に、ヴィリィは激しい頭痛を覚えた。まさか、まさか。
 月光を浴びて佇むティアガルテンは、内部に1個師団超の戦力を収容しているとは思えなかった。遠くに見える高射砲塔と戦勝記念塔が呪われた墓標に見える。
 ヴィリィは戦いの予感に震えた。兵士が行き交う。ここは血の匂いがする。まるで檻のようだ。
 頭痛が倍加する。屋敷を脱出する際に爪を剥がした左手中指が痛む。
 本部にたどり着いた。師団本部はシャルロッテンブルク通りに近い四阿に置かれていた。ヴィリィは下車して、アリエノールを呼んだ。
 アリエノールはすぐに出てきた。染料を落として元の赤い髪の色に戻し、長い髪をはくまとめて邪魔にならないようにしている。さらに武装親衛隊の野戦服に身を固めていた。
「あら、どうしたの。兄さん」
 悪びれた様子もなく、彼女は妖しく笑っていた。
 ヴィリィは気づいた。もはや、殺し合うしかないことに。
 お前は、ここまで、終わっているのか。アリエノール!


七つ夜(ななつよる)

「アーリ。どういうことだ」
 アリエノールは嘲笑するように、その美しい顔をゆがめた。
「はっきり仰有っていただかなくては分かりません。兄さん」
「……このクーデターのことだ。こんなことは止めて部隊を下げるんだ」
「なーんだ、そんなことをお聞きになりたいんですか、兄さん?」つまらないとばかりに口をとがらせる。
「ここは人目があります。別なところでお話ししましょう」
 言うと、アリエノールは先に立って遊歩道へ向かった。ヴィリィは後に続いた。そしてアリエノールが止まった先には、メイド服を着た女性が立木にくくりつけられていた。意識を失っているらしく、頭をうなだれている。後頭部には青紫色のリボンが揺れていた。
「ブリジット!アーリ、お前は!」
「主に手を上げた罰を与えているだけです。安心してください、兄さん。私、一回噛みつかれたぐらいじゃ飼い猫は殺さないわ。だけど、気を付けてくださいね。私、一度噛みついてきたペットには興味がないの。二度目なんかない。私のモノでなくなってしまったモノなんかいらないんです。私、自分を裏切った相手にはいくらでも残酷になれるんです」
 くすくすと楽しげにアリエノールは喉を振るわせていた。ヴィリィは妹を一睨みすると腰からゾリンゲン製ナイフを取り出し、ブリジットを縛っているロープを切った。彼女を倒れないように抱え、地面に横たえた。
「…なぜ、親衛隊のクーデター計画に乗った」
「……そうでしたね。そのお話をするんでした」
 アリエノールは兄が侍女を助けるのを粘った視線で睨んでいた。
「端的に言うと、英国に帰れるんです」
「訳が分からない。英国に帰るのと、このクーデターがどうつながるんだ?」
「兄さん、このクーデターが成功するとお思いですか?」今度はアリエノールから問うてきた。
「成功するとは思わない。第一、市民の支持がない。みんな窮屈な昔には戻りたくないと思っている。それに国防軍は絶対に認めない」
「ええ、そうです。こんな保守派だけが得をするクーデターが上手くいくはずがありません。彼らには理念も何もなく、ただ昔通りに生きていたいだけなんです」
「それが分かっているなら、何故だ!答えろよ、アーリ!」
「英国政府筋からの命令なんです。成功する筈のないクーデターを成功させて、内紛をさらに激化させようという目論見でしょう」
 絶句した。国際政治の謀略の狭間にいたのだ。だが、何かがおかしい。
「おかしいじゃないか。俺達は英国から放逐された者の子孫だ。それなのに何だって、偉そうに命令して来るんだ」
「……それは、お父様は二重スパイをされていましたから。…故国とドイツとの狭間にあって、お父様は悩んでおられたんです」
「望郷の念が募ってか……」
「はい………で、成功の暁には、私たち全員の英国への帰還を認めよう、という約束なんです」
「そんな約束が実行されると思うのか?」
「思うわけがないでしょう。私たちは使い捨てにされるだけです。これは親衛隊の方でも同じことですけど。私たちクロムウェルと国防軍が撃ち合って、クロムウェルが殲滅されれば何かとうるさい追放者達は消え、強大な国防軍も傷を負ってドイツも国内で大混乱に陥る。まさに一石二鳥というものでしょう」
「そこまで分かっていてもやるというのか」
「はい」アリエノールは胸を張った。息を整える。自分はそう望んでいたのだ、と自分に思いこませるために。
「勝って、英国に戻ります。そして王室を倒します」
「な!?」ヴィリィは混乱した。妹が何を言ったのかを理解するまでに数瞬を要した。
「王室を倒すって、そこまで憎いのか?」
「憎くなんかありません。ただ思い知って貰うだけです。忠誠を得るには、それに見合うだけの対価が必要だということを。王室は本土から逃げだし、そして勝者面をして帰ってきた。ドイツに占領されていた時代、本土に取り残された者達は苦しんでいたんです。その不満を自分達に向けさせないが為に、占領軍に取り入って良い目を見た者や、本土に残っていた貴族を反逆者と呼んで、市民を煽った。かの水晶の夜もかくやという騒ぎとなって、私たちはドイツに亡命せざるをえませんでした。そしてウィンザー家は王家としての支持を取り付けた。見事な手口と言わざるを得ません」
 アリエノールは淡々と事実ばかりを告げる。しかし目には強い感情がこもっている。
「理解は出来ます。だけど、納得はしません。追放された者にも事情があるのです。生き延びることが何よりも優先された時代にあって、勝者に媚びることが罪なのでしょうか。ベリンジャーはただブルームから離れたくなかっただけ。それに本土奪回軍の援護だってしています。裏切り者と呼ばれる謂われなどありません。私たちに罪を問うならば、本土の失陥を許した王室、政府、軍の責任を最初に問うのが、筋というものでしょう。サー・ウィンストンが失脚したとはいえ、そこをおざなりにして私たちを売国奴と罵ったことは許せません」
 ローマ法王レオーネ十世を弾劾するウィッテンベルクの修道士のように、彼女は憤りを隠さない。
「そして、何より許せないのが、追放者の望郷の念に付け入ったこと。お父様は厳格な方で面には出されませんでしたが、幼い頃に離れざるを得なかった故郷を常に忍んでおられました。英国はお父様にドイツ国内の情報を要求し、さらにはクロムウェルを使っての攪乱までさせていました。もっとも、お父様も英国の情報をドイツの当局に売っていたのですから、相身互いかも知れません。ですが、最初に持ちかけてきたのは英国当局です。その連絡役だったのが…」
「ブリジット、だろ?」
「………知っていたのですか」
「ああ、ちょっとね」
 アリエノールは息を吐いた。顔を上げ直した。
「で、英国に戻ったらどうする?向こうだって警戒はしているだろう」
「どうでしょう?果たされる筈のない約束に飛びついた小娘と見て侮っているのかも。そのように振る舞っていますから。それに準備は進んでいます」嘲笑っていた。
「私がベリンジャー当主の座についてから何もしていないとお思いですか?兄さん」
「思わない。親父が逆らわなかった親族会議すら自在に切り回すアーリだ。準備は怠りないんだな?」舌打ちする。何しろ、うるさ方の叔父達を押さえつけて独裁権を確立した妹だ。その美貌と才覚も相まって、一族内に熱狂的な支持者を持っており、いにしえの女族長の再来とまで言われている。
「ええ、私が英国に戻りさえすれば、自動的に事は進みます。あとは王室ご一家にロンドン塔へ移っていただくだけ。私たちの苦難の何分の一かを味わって貰いましょう」
 だが、どうだろうか。かの国がそんなに甘いはずがない。空港に降り立ったところで捕縛されるのではなかろうか。皮肉を言いたい気分になった。
「その後はどうする?国王として君臨するか?」
「ええ、それも良いかも知れません。大体、ウィンザー家はハノーバーの出身、つまりドイツ人です。スチュアート家の縁戚だからというだけで英国王の王冠を手に入れた一族です。その前のプランタジネット、ノルマン、デーン、全て大陸からやってきた者達。そんな者どもに王冠が与えられるなら、ブリガンテス以来の由緒正しい名門のベリンジャーが王冠を請求してもおかしくありません。本土と国民を捨てたとき、ウィンザー家が王冠を保持する正統性など消滅しています」
 今やアリエノールは王冠への欲望を隠していない。私はそれが欲しいのだ、私こそが英国に君臨するのだ、と間違いなく狂気を目に湛えている。
「違います!アリエノール様はそんなモノを欲しがってなんかおられません。アリエノール様はそう信じ込もうとしているだけです」

 兄と妹は言葉が発せられた方に向き直った。
「ブリジット!」同時に叫んだ。
 メイド服の女性がおぼつかない足取りで兄妹に近づいてきた。
「アリエノール様は狂われた振りをなさっておられるだけです。今ならば間に合います。部隊をお下げください」
「……貴方の言葉には踊らされないわ、ブリジット。大体なんで、英国からの命令を伝えてきた貴方が、今になって中止しろだなんて言うのかしら?」
「………ヴィリィ様が、私との約束を果たされたからです。ですから…」
 ブリジットは白いリボンを握っている。遠い昔、屋敷から放逐されるヴィリィに彼女が、いつか返して、と渡したモノだった。ヴィリィは預かっていたモノをブリジットに返し、そして二人は肌を重ねあったのだ。左手中指の爪を剥がしたのは、ブリジットが彼に薬を飲ませて事態の局外に置こうとしたからで、眠気を覚ますためにしたことだった。
「兄さん、あなたは!」アリエノールの声は悲鳴のようだった。瘧のように全身を振るわせている。
「…兄さん、ブリジットが何をしてきたか、ご存知なんですか?この女は!」
「知っている。親父が、カソリック過激派に親を殺されたオヘア家の姉妹を拾ったこと、双子の姉を情報工作員に仕立て上げたこと、そして彼女に何をしていたかも知っている。親父の日記に全て書かれていた」
 封じていた記憶も取り戻していた。幼い頃の自分が黒い森に囲まれた所にいたこと、月明かりの中、先代当主マルコム・ベリンジャーそっくりのシルエットを持つ人物が、蛇苺を敷き詰めたように赤く血に染まった野原に立っていたこと、そして彼が母と呼ぶべき人を手に掛けたこと、赤髪独眼の人物が父というべき人物を殺していたことも。しかし、それは今となってはどうでもいいことであり、いま彼女たちに告げる必要のないことだった。
「………え?」
 不思議そうな声を挙げて、女性二人は呆然としている。立ち直ったのは妹の方が早かった。
「………ならば、話が早いわ。日記を読んで、全てご存知なのでしょう?……兄さんの返答次第で、部隊を下げます」
 彼女は毅然と顔を上げている。しかし、それはまるで泣いているかのようだった。
「兄さん、私を愛してください。私だけを見てください。私はずっと昔から!アリエノールにとって、兄さんだけが一番大切な人なんです!そうしてくれたなら、私は……」泣くような激しさをぶつけてきた。自尊心の高い彼女が思いの丈をぶつけ、懇願している。
 内心で舌打ちする。その実、不器用な彼女はこうでもしないと求愛出来なかったのだと理解している。しかし、こんな時に言い出すのはフェアじゃない。
 ヴィリィは怒ったが、それが彼女の、自信の無さの反映とは気づいていない。
 ブリジットをうかがってみると、彼女はアリエノール様の言うとおりにしてください、と無言で促している。しかし従うわけにはいかない。便方だからと心を偽ることなど出来はしないのだ。
 ヴィリィは妹をいとおしげに見つめ、それからかぶりを振った。
「アーリ、俺はお前を愛している。しかし、それは妹への愛情なんだ。俺達が血のつながっていない兄妹でも、お前は大事な妹なんだ。そうとしか見られない」
 アリエノールはうつむいた。
「俺が愛しているのはブリジットだ。二度と裏切ることはできない。彼女が何をしようと……どうであろうと信じるだけだ」
 ヴィリィの言葉にブリジットは立ちつくしていた。何も言うことが出来ないでいる。
「……は。あはは、は」
 乾いた、人形のような笑い声が上がった。笑い声は段々と大きくなる。アリエノールだった。月下に鮮やかな白い喉を振るわせて哄笑していた。
「……なによ。それじゃ私はとんだ道化じゃない。私はどんなものよりも欲しかった人に拒絶されて、その欲しかった人は愛した相手にベリンジャーへの復讐の道具にされている。ふざけないでよ、ブリジットっ!」
「アーリ!」
「泥棒猫。噛みついた猫なんて要らない!」
 ヴィリィの制止よりも早く、拳銃を引き抜いたアリエノールはブリジットに銃口を向けて放った。ブリジットは避けることすらせずに倒れた。
 屋敷の窓辺から外を眺めていた少女を救うことの出来なかった罪は、繰り返されたのだ。
 ヴィリィは血にまみれたブリジットに駆け寄った。動脈や骨には当たっていない。女性用の小口径拳銃だったのと至近距離だったために銃弾は綺麗に抜けていた。止血を施して抱き上げた。
「アリエノール…」
「ふん、泥棒猫にはふさわしい最後ね。………私はもう戻れない。行きつく所まで行くだけだわ」
 ヴィリィは何も言わずに、ブリジットを抱えて仲間の元へ走った。驚いている仲間に、妹と殺し合うことになったことを手短に告げた。皆、一様に押し黙った。
 〈モールデアー〉の車長席の下の隙間にブリジットを置く。幸い、彼女の呼吸は安定している。これならば助かるだろう。その前にヴィリィがアリエノールに勝って生き残らなければならないのだが。
「そこまでするというのなら、殺し合おうじゃないか、アーリ」
 ウィリアム・ベリンジャーではなく、ヴィルヘルム・ジーベンナハトとしてつぶやいた。

 林を出たアリエノールは声を張り上げて部下を呼んだ。
「ウォルター!〈チャレンジャー〉の用意は出来ていて?」
 砲手をつとめる、モノクルを掛けた老執事はかしこまって答えた。
「準備万端、相整えております。お嬢様」
 操縦手の家内担当執事ベネットと、装填手にして護衛者のイゴールも胸に手を当てて一礼している。
「よろしい。今より我が家に仇なす者を討ちます」
「ヴィリィ様ですか?」
「そうよ。どうあっても、私を止めるのですって」
 イゴールがひざまずいた。その背を踏んでアリエノールは戦車によじ登り、コマンダーズ・ハッチに半身を入れた。他の者も配置についた。
「…さあ、殺し合いましょう、兄さん。貴方が一番大切な人でした。ですから、私が殺して差し上げますね」
 戦意を高め合う兄妹の姿を、勝利の塔の天辺、天使の像から眺めている黒服の人物がいることに、二人は気づいていない。
 〈モールデアー〉がシャルロッテンブルク通りに飛び出し、それを追って〈チャレンジャー〉が履帯を軋ませて出てきた。
 月が雲に隠された闇の中にティアガルテンはある。そこは赤い熱気に覆われていた。

「おい、本当にアーリちゃんと殺り合うってのかよ!」
 〈モールデアー〉の中ではマティがわめき散らしていた。
「お前、アーリの為ならば死ねる、って言っていたじゃないか?」レーザー砲塔の保護フィルターをはずしつつヴィリィは反論した。
「そりゃ、言ったけどよー、アーリちゃんの為にってのと、アーリちゃんに殺されるってのは、えらい違いだぜ?」
「同じことさ」
 ヴィリィはにべもなく、マティの抗議を切り捨てた。
「中距離戦は不利だぞ」
 砲手のヘルベルトが戦術方針を求めてきた。〈モールデアー〉のガス・ダイナミック・レーザーは、本来ならば軌道戦艦〈フォン・ブラウン〉のレーザー砲として開発されたモノだった。しかしシュバルツバルトにおかれた開発会社ジーベンナハト社が英軍コマンド(実は「クロムウェル」の特務部隊)と思しき武装集団に襲われて研究成果が破壊されたことによる開発遅延と、小型化と熱処理に手間取って軌道戦艦の竣工に間に合わなかったのである。レーザー自体は宇宙空間で超遠距離砲戦をおこなうために大出力ではあったものの、地上では出力の減衰が甚だしいために装甲車を解体するにはナイフを振るうほどに接近する必要があるのだ。
 そして、地上における戦闘では、〈チャレンジャー〉は無敵と言って良いほどの力を有している。〈チャレンジャー〉は視認したならば砲撃するだけだが、〈モールデアー〉はまず敵の懐に飛び込み、弱点と思しき場所に狙いを付けなければいけない。動作が一つ余分なのだった。
「懐に飛び込んで解体する。それしかない」
「それが出来れば苦労は無いって」言って、ヘルベルトは眼鏡の位置を直した。
 シャルロッテンブルク通りはウンター・デン・リンデンとの境にあるブランデンブルク門まで、遮蔽物もない。こちらが踏み込んでも、視認されて一撃されるのがオチだった。
「ハインツ!副操縦席から後方を見張れ。パンツァー・シュレッケを抱えた奴が潜んでいそうな箇所をMGで掃射しろ!マティ!鼻を相手に向けて後進で走れ!お前の操縦だけが頼りだ」
「だー!難しいことをあっさり言うんじゃねー!」文句をたれつつもマティはギアを後進に入れて走らせる。
 〈チャレンジャー〉が距離を詰めに動き、主砲がヴィリィ達を指向する。
「兄さん、間違えましたね。この距離ならば、闇夜でもはっきりと見えます」
 アリエノールから無線が入った。現在の距離が今夜の最大射程というわけだった。
「さっさと撃てよ。怖いのか。ならこちらからいくぞ。お前の顔にも飽きたところだ」
「うるさい!」
 なるほど、あいつはまだ殺し合いというものを解っていない。
「余計な口を叩いている暇があるのか、あいつは。ヘルベルト、砲塔上面のセンサーを潰すんだ」
 〈チャレンジャー〉の砲口から火炎がほとばしった。〈モールデアー〉がわずかに右に進路をずらす。
「撃てっ!」ほぼ同時に〈モールデアー〉もレーザーを放って、砲塔上面を掃射した。これで熱線映像装置などのセンサー群を相当程度に破壊したはずだった。
 砲弾はマティが車を右へ横滑りさせたために大きくはずれて石畳を撃砕した。しかし榴弾の破片が左の第2輪を引き裂いている。8輪独立懸架の〈モールデアー〉だから特に影響は無いとはいえ、損傷には変わりがない。
 闇夜の中、〈モールデアー〉は飛び跳ねるように加速して〈チャレンジャー〉から距離を置いた。
 第一撃で敵を仕留めるのは戦いの鉄則だ、アーリ。そのことをたっぷりと教育してやる。覚えた頃にはヴァルハラに向かっている頃だろうがな。

「くっ!」
 〈チャレンジャー〉の車長席ではアリエノールが舌打ちしていた。数度の攻撃のことごとくをかわされてしまっている。熱線映像装置を破壊されてしまったために、漆黒の闇夜にあっては照準がどうしても甘くなってしまう。しかも、乗車は攻撃力こそ〈チャレンジャー2〉と同等に引き上げているもののエンジンが従来のレイランドであった。加速力が大きく劣っている。
 そして、攻撃する度にレーザーの反撃を受けている。分厚いチョバム・アーマーの防御能力と、距離が離れているために深刻な被害にはなっていないが、履帯を切られたりしては取り逃がしてしまいかねないのだ。
「ふん、なによ。結局逃げ回ることしかできないんじゃない。焼かれるだけの存在のくせに大口なんか叩いて」
 無線で徴発してみても、兄は応答しない。ますますアリエノールの頭に血が上った。状況が彼女の思惑と大きく食い違ってきている。
 血のつながらない兄との戦いで一撃を交わした直後に本部より通信が入った。「クロムウェル」の指揮を任せているメーヒューから交戦の許可を求めてきたのだった。援護に来ていた筈の義勇武装SS「シャルルマーニュ」の大隊が裏切ったのである。さらにレーザー装甲車実験中隊アンダーソン中隊までが加わっている。〈モールデアー〉4号車の「魔弾の射手」バルタザール・ラウス軍曹を先頭に切り込んでいるとあっては、対応をおろそかには出来ない。下手をすれば死の点を突かれかねないのだ。
 機動予備を投じての速やかな鎮圧を命じたが、アリエノールの内心は荒れ狂っていた。最愛の兄と戦う時に水を差されたからだった。その邪魔をしたであろう人物、「シャルルマーニュ」大隊の指揮官と名乗った、眼鏡をかけた士官が憎かった。笑みを浮かべて協力を約束した裏で、はじめから裏切る予定だったのだ。最初から信用していなかったために警戒させていたものの、実際に裏切られてみれば不快感が募る。
 まったく、兄さんの戦友でなければ本部に通すものではなかったのに!ええい、糞ったれの蛙野郎(ブラディ・フロッギー)!
 教養のあるアリエノールは悪態を内心でつくにとどめ、行動としては右手親指を立てて勢い良く下向きにするだけにした。それですらも下品とされる行為なのだが。
 「シャルルマーニュ」の攻撃に対応するために、シャルロッテンブルク通り沿いに配置していた擲弾兵を移動させねばならなかった。そのために通りの両側からの対装甲車ロケット弾攻撃をかけることができない。
 東西に走るシャルロッテンブルク通りと直交する街路近くにまで兄を追い詰めたとはいえ、決め手を欠いているのがアリエノールの現状だった。

「おい、これからどうすんだよ!」
 交差点にさしかかる辺りまで後退した〈モールデアー〉で騒いでいるのはマティである。ヴィリィ達は追い詰められつつあった。北のモルトケ通りと南のエントラストウング通りの双方から十字砲火を喰らったのではひとたまりもない。「シャルルマーニュ」と「クロムウェル」の交戦により、通りに配置されていた予備兵力が移動していることをヴィリィらは知らない。
「大丈夫、計算通りだ」
 強がるでもなく、ここまで計算尽くで誘導したのだと言った。
「マティ、あいつが発砲したら全速でブランデンブルク門に飛び込め。ハインツ、見張りをしっかりしろ。ヘルベルト、あと何回撃てる?」
「うい」
「ヤー!」
「2回が良いところだぞ」
 外部無線がいきなりしゃべりだした。
「ふん、なによ。結局逃げ回ることしかできないんじゃない。焼かれるだけの存在のくせに大口なんか叩いて」
 アーリめ、相当かっかとしているな。ここまで散々挑発してきたのだ。そうでなくては困る。
「でも、ここまでよ。南北から挟まれて死ぬといいわ」アリエノールのはったりだったが、ヴィリィらには関係がなかった。
 〈チャレンジャー〉の発砲と同時に〈モールデアー〉は急加速で交差点を通り抜け、さらに一息に加速してブランデンブルク門に飛び込んだ。
 作戦は一応の成功を見たものの、被害は甚大と言っても良いかも知れない。左側第3輪を破片でもぎ取られ、車体にも傷が付いて操行装置にも支障がでていたのだ。身体の左半身が不随となったようなものだった。
「アーリめ、予想よりもやらしいじゃないか」
 ヴィリィはぼやきつつも車体を門の南側の陰に入れさせた。これでこちらの姿を、向こうから視認することが出来なくなる。
 撃てる回数は2回が限界。連続射撃による砲身の加熱に冷却が間に合わず、レーザー励起用ガス・パックも残存量が2発分だけ。しかし、それだけあれば十分だ。ここでお前を解体し尽くしてやるぞ、アリエノール。

「こ、の………!さっきから、ちょこまかと……………!」
 アリエノールは怒り心頭に発していた。彼女が欲して止まない兄は、まともに切り結ぶ必要がない、と言わんばかりに後退し続け、あまつさえ2段階の急加速でブランデンブルク門の向こうに姿を消した。
 私と戦うよりも、ブリジットを医者に見せる方が大事だとでも言うのかしら。身を焦がさんばかりの嫉妬に歯がみした。シュプレー川にかかるリープクネヒト橋などに展開する歩哨部隊にウンター・デン・リンデン側からの通行阻止を命じようとした時、爺や達のおしゃべりがアリエノールの耳に入った。
「さすがはヴィリィ様だな」
「うむ、ロシア人どもの戦車のただ中に飛び込み、生還しただけのことはある」
 操縦手のベネットと砲手のウォルターが賛嘆してやまない、とばかりに話している。自分の不甲斐なさを責めているのかと、アリエノールは思ったが、話は別の方に飛んだ。
「それにして今夜はどうしたのだ、ヴィンセント。なかなか命中せんではないか。魔弾の射手も老眼には勝てぬのかな」
 ベネットがウォルターをからかっている。
「何を言うか、アレックス。1.5はあるぞ。まあ、若い頃に比べれば些か見え辛くはなったがな」
「どうしたというの、ウォルター」
 アリエノールは尖り気味な声を出した。彼女の感情の所在を、仕えて長いウォルターは知悉している。
「いえいえ、お嬢様。そうではありません。老人の繰り言ではございますが、これほどの戦車が彼の時にあれば……と、埒もない空想に浸っていたのです」
 彼の時とは、1942年のことである。ウォルターは王立戦車連隊の砲手として英本土攻防戦を戦い、6ポンド砲で傾羸鐚屬筬弦羸鐚孱毅安羂幣紊鯒鵬したのだ。
「おお、まったくだ。戦車開発部門は万死に値しましょう」
 ベネットもまた戦車操縦手として戦っていた。機械的信頼性の低い味方の戦車に散々に悩まされた口である。
「ふふ、でも〈チャレンジャー〉の出自を考えると、少しばかり悩むわね」
「おや、姫様。お慈悲をもって、この老いぼれにも分かるように説明していただけますまいか」
「〈チャレンジャー〉の前身は〈チーフテン〉。さらにその前は日本人の〈オニ〉とかいう重戦車なのよ。で、その〈オニ〉はロシア人のJS−1を参考に開発された。JS−1はKV重戦車系列から発展したモノで、KV−1は多砲塔戦車T−100の車体を縮めて副砲塔を廃止したモノ。そしてロシア人の多砲塔戦車の原型になったのは、我らが英国のインディペンデント多砲塔戦車というわけ。どう?なかなかに面白い話じゃなくて?」
「まことに興趣あるお話でございます。浅学のいたらなさに恥じ入るばかりです」
 ウォルターとベネットは深々と一礼した。無口なイゴールも賞賛の表情を浮かべて頷いている。
 彼らを見回している内に、アリエノールは自分が冷静になっていることと、そして爺や達の気遣いに気づいた。
 要するに、頭に血が上っている状態は相手の思うつぼだと言っているのだ。アリエノールは深呼吸をおこない、感謝の意を込めてウォルターに尋ねた。
「兄さんはどこに潜んでいるのかしら」
「ブランデルブルク門脇の、見張小屋の陰が怪しゅうございますな」さすがは姫様と頷きつつ、ウォルターは答えた。
「ヴィンセントの言う通りかと存知ます、お嬢様。まっすぐにヴィリィ様が下がられたならば、視界に入っている筈ですので」ベネットも同意した。
 ティアガルテンとウンター・デン・リンデンの結節点にあるブランデンブルク門の両脇には見張小屋と呼ばれる小建造物が付属している。首都改造計画ゲルマニア計画によって、交通優先のために取り壊されるはずであったが、ヒトラーの死によるゲルマニア計画中止と美観維持の為に取り壊しを免れていた。
「このままゆっくりと前進なさい、ベネット。兄さんはこちらが気づいていないだろうと考えて、私が門を通過した時に横合いから撃つつもりなのでしょう。ならば、兄さんの手に載ってあげます。鬼ごっこはおしまい。ウォルター、零距離射撃の用意を。イゴール、次弾を装填。HESHで」
「かしこまりました、お嬢様」
 〈チャレンジャー〉が履帯のきしむ音を上げて前進し始めた。イゴールの太い腕が素早く2回動き、金属音を残して砲尾が閉鎖された。主砲は〈モールデアー〉を直撃するに良い角度へ仰角をとった。
 さあ、決着をつけて差し上げますよ、兄さん。

 見張り小屋の陰でヴィリィは今や遅しとアリエノールを待っている。全身を耳と化して、きゃらきゃらと響く音から距離を図っている。
 ここで仕留められなければもう後はない。一瞬で燃やし尽くされて骨も残らないだろう。そうなる前にレーザーで切り刻むしかない。射撃準備は完成している。
 石畳を叩く履帯の音が近づいてきた。速度を上げていない。つまり奴はまだ気づいていない。無造作に門の中央通りをくぐっていた。
「撃てっ!」レーザーはバターに熱いナイフを刺すように、ブランデンブルク門の全ての門柱を斜めに切断した。

「…………………え?」
 強力な光がほとばしったことは解ったが、〈チャレンジャー〉を直撃したわけではなく、その意図がアリエノールには解らなかった。その為に射撃指示が一瞬遅れた。その一瞬が致命的な失策だった。
 アリエノールが間抜けな声を漏らすと同時に〈モールデアー〉が陰より飛び出し、手近な門柱に体当たりを喰らわせた。門柱の表面を削るばかりの衝撃だったが、下部と上部がずれるには十分だったのである。ブランデンブルク門は勝利の女神を乗せた四頭立ての戦車ごと、崩壊を開始した。
 大理石の巨隗が〈チャレンジャー〉に降り注ぐ。それでも主砲を放ったが、眼前の石隗を粉々にするのが精一杯で、次弾を放つことも出来ずに石隗に砲身をへし折られた。そして〈チャレンジャー〉は石材に完全に埋もれてしまい、動きを止めたのだった。
「いかん、やりすぎた!アーリ!」
 ヴィリィはコマンダーズ・シートから飛び降りて、埋もれた〈チャレンジャー〉へ駆け寄った。ついさっきまで完全に妹を殺すつもりだったのだが、そんな気はどこかに消し飛んでいたのだ。つまり、ヴィルヘルム・ジーベンナハトではなく、ウィリアム・ベリンジャーに戻っていた。
「手伝ってくれ!石をどかすんだ!」
 マティにヘルベルト、ハインツも飛び出してきて石を排除する作業を始めた。門を通過しかかっていたことが幸いして、〈チャレンジャー〉にのし掛かっているのは比較的小さい石隗ばかりだった。これが梁材だったりした場合には戦車ごと潰れていたかも知れない。
 散々苦労してようやく戦車上面が露呈した。工具で叩くと返事がかえってきた。コマンダーズ・ハッチを開けるよう、モールス信号を送るとハッチが開いた。アリエノールが出てきたので引っ張り上げる。怪我もないようで、ヴィリィは安堵した。彼女は憮然とした表情で黙りこくっている。その後、ウォルター、イゴール、ベネットらを次々と引っぱり出した。彼らにも怪我はない。
「アーリ…」ヴィリィは妹を抱きしめようと近づいたが、彼女は硬い表情で拒んでいた。
「どうして、殺さないんですか?……私は英国とドイツの反逆者で、兄さんを殺そうとしたし、ブリジットだって手にかけてしまった……なのに、どうして………そんな哀しそうな顔をするんですか?ブリジットだって、私が憎かった筈よ。私はマルコム・ベリンジャーの娘で、ブリジットの気持ちを知っていながら、あの子を屋敷に留めていたんだもの」
「アーリ、いいんだ」
「………だから、ブリジットにならいいと思っていました。あの子がベリンジャーに復讐するというのなら、それに踊らされようって。仕方のないことなんだって。それ位しか、私にはブリジットに償う方法が無いんだもの!」
「いいんだよ、アーリ。ブリジットだって憎くて情報操作をしていたんではないんだ。誰も悪くなんかないんだよ。状況が、俺達を殺し合わせようとしていただけだったんだ」
「どうして私を殺してくれないんです?」アリエノールはさらに不機嫌になった。
「………できない、俺にはアーリを殺せない」
「私が生き残ったら、調子にのってベルリンとロンドンだけでなく、ヨーロッパ中を阿鼻叫喚の地獄絵図に変えてしまいますからね。ベルヒテスガーデンを襲った親衛隊に手の者を潜ませて、反応弾の発射ボタンをおさめた鞄を奪わせているんですよ。私が命じればすぐに発射できるんです」
 まったく、わが妹ながら、全く容赦の無い奴だ。
「………ばか、そんなことをしたら、法王庁とか国教騎士団とか怖い連中がやってきて、アーリはそういった連中と日夜戦う羽目になっちまうぞ。だから、止めるんだ」
「………どうして。どうして、そんな顔をするんです。私は王位を奪う野望にとりつかれた狂人なのに。今だって、あんな老婆や妻を省みない皇太子よりも、私の方が王位にふさわしいって思っているのに。だから、始末してください」かなり拗ねて、ヴィリィを責め立てている。
「できないって、言っているだろう」
 自分を殺せ、とアリエノールは言っているが、そんなことは少しも良いはずがない。
「以前のアリエノールは、でしょう?今の私は違うの。兄さんの知っているアリエノールじゃないんだってば」
「………そんなのは関係ない。たとえ狂人であれ、ウィリアム・ベリンジャーは、アリエノールを傷つける事なんて出来ないんだ」
 屋敷を放逐されてからも、ずっと俺を許してくれていた少女を愛している。それが兄妹の感情で、アリエノールの感情と違うとしても。
「アーリは、俺にとって大切な人なんだよ。その相手を、傷つけるなんてできない」
 アリエノールはかぶりを振った。涙の粒が散った。そしてヴィリィの腰から素早く拳銃を抜き、己の顎に銃口を押し当てた。優しい声で、どこか嬉しげで、そしてひどく悲しげな笑顔で言った。
「なんて最後まで鈍感で、身勝手な人………だから、私はこんな時まで自分で決着をつけないといけないんです。さようなら、兄さん。アリエノールは幸せでした」
 ヴィリィは動けなかった。頭が飽和してしまい、指一本動かすことすら出来ない。それは周りの者達も一緒だった。アリエノールの指がワルサーの引き金を引くのを見ていることしか出来ない。
 これまでの妹との思い出が一瞬に去来する。駄目だ。本当のヴィリィが狂ってアリエノールを殺そうとした時、自分は身を挺して守ったのではなかったか。その結果として胸部に重傷を負い、病弱になったが悔いてはいない。そして、その結果がこれなのか。俺は何をしていた。俺は見ていることしかできないのか。ブリジットを守れなかったことを繰り返しているだけではないか。こんな事ってあるのか。
「だめぇ――――――――――!」
 ヴィリィが呪縛を解こうと必死のとき、アリエノールが引き金を完全に引ききろうとしたとき、ブリジットがアリエノールに飛びかかって拳銃をもぎ取った。折り重なって倒れた。
「だめです。アリエノール様、絶対にだめです!」ブリジットの顔は涙でくしゃくしゃだった。
 アリエノールは信じられないものを見るように、その人影をみている。
「ブリ………ジット?」
「はい……!わたしです、アリエノール様!」
「……動けるの?」
「はい!アリエノール様が急所をはずされたからです。左肩を痛めただけなんです。アリエノール様は最後の瞬間に、人を殺してしまうことをためらわれたんです」
「………………」アリエノールの表情が揺らいだ。次いで息を大きく吐いた。
「まいったなあ。これで結局あなたの全勝ってことじゃない。ベリンジャー直系の最後の血筋はここまで、でしょう?まあ、でもいいかな。正直、そろそろ休みたいって思っていたから」
 アリエノールは瞼をつぶり、両手をだらりと下げた。
「さ、いいよ、ブリジット。兄さんは殺してくれなかったけれど、あなたならやってくれるでしょ?私はブリジットを殺そうとしたんだし、あなたの嫌いなマルコム・エセルバート・ベリンジャーの娘なんだから」
 しかし、ブリジットは拳銃を抱えたまま、じっとアリエノールを見て、それが当然のように首を横に振った。時間がゆっくりと流れていく。
「………不思議ね、どうしてブリジットまで、私を殺してくれないのかな?」
 瞼をつぶったまま、まるで眠っているかのように呟いた。
「決まっています。わたしはアリエノール様が好きですから」ブリジットは拳銃を地面に落とした。重い金属音が響く。
「どんなにアリエノール様がわたしをお嫌いになられても、ブリジットは、ずっとアリエノール様にお仕えしとうございます」
 アリエノールは瞼を開いた。ブリジットは顔を紅潮させて、必死の面もちだった。それを見たアリエノールは大きく息を吐いた。
「まったく、もう………!けど、仕方ないか。ブリジットには、さっきの貸しがあるし、今はおとなしくしてあげる。…兄さんもね。しょうがないけど、兄妹として愛してくれるならそれでいいかなあって、思って差し上げます」
 ウォルター、ベネット、イゴール、マティアス、ヘルベルト、ハインツ、そしてブリジット。皆が、アリエノールの言に安堵した。ヴィリィはブリジットと共にアリエノールの手を引っ張って、彼女を立たせた。
 期せずして皆から、フラー!という叫びが出たのだった。

「アーリ、クーデターのことだが」
「ええ、直ちに部隊を下げます。ロンドンの方も中止させます。ただし、シャルルマーニュは向こうが止めない限り、止めません」
「?」間抜けな話だったが、ヴィリィはようやく南北から挟撃されなかった理由に気が付いた。そうか、「シャルルマーニュ」が動いていたのか。
「どうやら、決着は付いたようですね。大丈夫ですか、ベリンジャーくん」
 編み上げ靴の靴音を立てて、黒い武装SSの服装を着込んだ先輩が姿を現した。平和そうな顔をしている。
「…先輩………、どこか高いところで見ていましたね」
「わかっちゃいましたか」えへへへ、と悪戯を見つかったようにしている。
「で、シャルルマーニュですが、交戦は中止させました。そちらも止めてくれると嬉しいんですけれど」
 アリエノールは新たに現れた人物をまるで仇敵のように睨み付けている。
「私は、あなたが大嫌いです。同席したくもありません」
「おや、奇遇ですねえ。私も偉そうなアルビオンは大嫌いですよ」先輩はのほほんとした表情で切り返した。ですけど、努力すれば我慢できないって程ではありません、などと言っている。
「----------------」
「----------------」
 そのまま、「クロムウェル」指揮官と「シャルルマーニュ」指揮官は睨み合いに入った。時折、ふふっと互いに笑みがこぼれている。その余りの火花の散り具合に、マティとハインツなどは「こえ―――」とびびりが入っていたりする。
「ああ、もう!そんなことしている場合じゃないだろう!アーリ、早く交戦を停止させるんだ。あと、脱出にはルーラーベーンを経由してシュパンダウへの道路を使うといい。アンダーソン大尉から国防軍に話は通っている」
 ふん、と視線を外して睨み合いを中止したアリエノールは、無線機を借りるべく〈モールデアー〉に向かった。無線手のハインツが付き添い、マティもこれは用事がないにも関わらず彼女にくっついていっている。まったく、マティの奴め。これ以上、チャンスなんか絶対にやるものか。
 ヴィリィがやれやれ、と首を振っていると、ブリジットから声がかかった。
「みなさーん、お茶が入りましたよー。カップが割れていなくて、本当よかったですよねー、ベネットさん」嬉しそうに手を合わせている。
「まったく。皆様、今日は最高級のシロン葉でございますぞ」
「ミルクはエアシャー種とジャージー種がございます。皆様、お好きな方をお申し付けください」
 執事達がごそごそと何をやっているかと思えば、〈チャレンジャー〉に備え付けの電気ポットを使って紅茶を入れていたのだった。
 ヴィリィは腹を抱えて笑い出した。目尻の涙をぬぐって空を見上げる。
 いつのまにか、天は高く澄んでいた。
 銀色の月。
 シャルロッテンブルク通りには、もう赤い熱気は存在しない。
 月の光は、やさしくベルリンに降り注いでいた。


日向の夢(ひなたのゆめ)

「…ヴィリィ様、起きてくださいまし。時間です。…このままではアリエノール様に苛められるばかりかと思います」
 ヴィリィはわっとばかりに跳ね起きた。枕元の時計を見る。……とんでもない時間だった。
「わ、10時じゃないか!アーリはもう出かけたのか?」
「いえ、居間でくつろいでおられます」
「何をのんびりしているんだ、あいつは!」
「ヴィリィ様が旅行に出発される前に、ご挨拶だけはしておきたい、との仰せです」
 ブリジットの妹にしてヴィリィ付きの侍女のパトリシアがヴィリィを軽く睨む。最近、どうも当たりがきついなあ、とヴィリィはぼやいた。

 ベルリン市内での騒ぎから、ほぼ一年。今は夏の季節である。
 あの後、市内中心部を占拠していた「クロムウェル」は総統官邸に籠もっている連中を捨てて脱出していった。武力を失った保守派に抵抗する術はなく、国防軍の支持を得たキリスト教民主同盟(ハイドリヒ政権初期に国内外の批判に対処するため限定的ながらも議会が復活していた)の指導者ヘルムート・コールが、〈マルダー〉歩兵戦闘車の上から詰めかけた市民に呼びかけ、市民と共に総統官邸に押し掛けたことで決着が付いた。
 その日、10月31日は宗教改革記念日で、プロテスタント圏諸州の祭日である。マルティン・ルターがウィッテンベルクの教会に九十五箇条の提題を張り出した日は、大ドイツ帝国の崩壊が明らかとなった日となったのだ。
 それからはめまぐるしく世情が変わった。大ドイツ帝国はドイツ連邦共和国として新たに発足し、中央集権体制(帝国時代でもかなり怪しいものだったが)から十八の州と特別市(オーストリアとプロイセンを含む)からなる本国とロシア諸州の連邦体制へと変わった。大統領もワルトハイムからワイツゼッカー博士へ代わり、首相が行政権限を握ることになった。そして総選挙の結果、議会の過半数を押さえたコールが初代首相となり、巨体にふさわしいエネルギッシュさで、憲法改正など国家社会主義帝国時代の弊害を払拭すべく大車輪で改革を進めている。もっとも、99年にはエルフ・アキテーヌ社を経由したフランス政府からの違法な政治資金提供が発覚して選挙に大敗し、社会民主党のゲルハルト・シュレーダーに政権を奪われてしまうことになる。
 NSDAPは種々の特権を剥奪された。親衛隊もまた解体させられている。ドイツはようやく三権分立に戻ったのである。なおNSDAPはドイツ労働党に再編し、党首にハイダーというオーストリア人を迎えて、旧体制に馴染んでいた者や極右の支持を集めている。
 ドイツの変貌でヨーロッパの政治情勢も大きく変わった。分裂していたフランスは合併し、ベネルクス三国を始めとした諸国が復活している。そして、ドイツによる強制だったとはいえ、ヨーロッパ統一市場の必要性と有効性を各国が認識しており、新たに諸国家の平等を謳ったヨーロッパ連合が発足している。本部はベルギーのブリュッセルに置かれた。これに加盟するかどうかで、英国では議論が続いていたりする。
 ドイツの国防体制も変わった。国防軍自体は変わっていないが、NSDAPの軍事的翼だった武装SSは、組織の生き残りを図って「シュタイナー構想」の名の元に汎ヨーロッパ軍として再編成された。これは「クロムウェル」の面々の失職を嫌ったアリエノールが働きかけた結果でもあるらしい。彼女は既に名誉師団長を辞任している。
 その義勇武装SS「クロムウェル」が汎ヨーロッパ軍に組み込まれるに当たり、彼らを英連邦軍の一部として扱うかどうかで大揉めになった。が、あれこれの議論の末にドイツ派遣英連邦軍として扱われることになったのである。これは追放者達の名誉が回復されたということを意味する。その為にハノーバーとロンドンとを密使が往復したのだが、それが表沙汰になることはなかった。ともあれ、ベリンジャー一族はドイツに根を下ろすことになったのである。

 居間に入ると、アリエノールが紅茶を飲みながらくつろいでいた。
「おはようございます。兄さん。随分とのんびりされているんですね。ブリジットに会いに行くというのに」
「な、な、何を言うんだ。俺はマティとアテのない旅行に出るんだぞ!」
「あら、そうでしたね。私としたことが勘違いしていました」
 アリエノールはわざとらしく肩をすくめたりしている。あれから、アリエノールは髪を黒く染め直して淑女を装っている。まるで擬態じゃないか、とヴィリィは思っている。
 ベリンジャー一族で最大の経済力を持つクーガ家の長男との婚約を、いじめ抜いて向こうから婚約解消を言わせてからは特にそうだった。すでにウィーンの舞踏会にデビューしていることもあり、ヨーロッパ中の独身の貴族、青年実業家から求婚が相次いでいる。彼らはアリエノールのおしとやかな外面しか見えていないのだ。
 そのアリエノールは事業拡大にますます熱心になっている。ヨーロッパ中にベリンジャーの資本を広げ、英国の企業にもダミー会社を経由して支配を及ぼしていたりもする。貴族ネットワークである「夜の一族」の拠点を獲得するべく、世界の先端を行く英国の航空宇宙産業に関心を持っているのだ。それはともかく、このままでは遠からず、彼女がヨーロッパ経済界の女王になる可能性が高い。
 そのパートナーとなるべく熱い視線が注がれているのだが、アリエノールは資本提携はしても主導権は渡さず、求婚に対しても言質を与えない。
 さらに、先のクーデター未遂事件でドイツのCDU政権と英国保守党政権の急所を握ったらしく、今や無敵状態になっている。CDUに対しては以前から働きかけていた結果であり、そして英国ウィンザー王家の忠誠問題はそれ程に大きな影響を持っていたのだ。兄たるヴィリィとしては困るしかない。あいつに切り札を使う気がないから良いものの、化かし合いがどこまで続くのやら。
 やっぱり擬態だな、とヴィリィはひとりごちた。口に出したりしないのは、そんなことをしたが最後、どんな目に遭うか解らないからだ。アリエノールのいれた紅茶を口に含んだ。
「で、兄さん。ノルトヴェステンさんとは、どちらに行かれるのですか?」
「ん、行き先を決めてないって言っているじゃないか。気の向くまま足の向くままってわけだ。まあ、一週間で帰ってくるから心配しなくていい」
「あら、一週間だけでいいんですか。ブリジットが可哀想。それだけしか逢瀬を楽しめないなんて」
 紅茶を吹き出し掛けた。咳き込んだが反論する。
「違うっていっているだろう!」
「では、失礼します、兄さん。これ以上、先方をお待たせするわけにはいけませんから。ブリジットによろしく言ってくださいね。いってらっしゃい」
 ヴィリィの抗議など受け付けず、言いたいだけ言ったアリエノールはロビーへ向かおうとした。見送りに付いてきた侍女に「そうそう、ねえパトリシア。今夜は兄さんの陰口を叩き合いましょうね」などと言っている。
「はい、是非よろこんで」パトリシアもまた軽く目を細めてうれしそうに言うのだった。
 ヴィリィは頭を抱えた。おまけにドアの向こうからは「あーあ、私もいい男を捜そうかなー」などとアリエノールが当てつけがましく大声でぼやいて見せている。まったく、男なんて選り取りみどりのくせに何を言っているんだ。
「ヴィリィ様、列車の時間はよろしいのですか」
「ああ、そろそろだね」
「では、姉に、よろしくとお伝えください」
 ヴィリィには全面降伏の途しか残されていなかった。

 戦争とクーデター騒ぎが終わって、短期予備役動員を解除されたヴィリィはボン大学に戻って学生を続けている。最終学年なのだが研究課程に進むか、就職するかを決めあぐねている。アリエノールは就職口をお世話します、と言っているのだが、それはどうかな、などと考えているのだ。
 あれから仲間達もそれぞれの道を行っている。
 ヘルベルトはケルン大学の経済学講師に戻った。彼の講義に難癖をつけていたNSDAPはすでに存在しない。
 ハインツは親元に戻った。ちょっとした悪さで警察に捕まり、少年院か軍に奉仕するかを選択させられていたのだが、天下晴れて放免されたのである。
 そして悪友のマティだが、これが一番訳が分からなかった。何でもチャイニーズ・ヌードルがいたく気に入ったらしく、ヌードルの屋台をバイクで引っ張って歩く毎日だという。あいつの考えていることはわからん、まあ警察の厄介にさえならなきゃいいんだが、とフリーランスの記者であるマティの姉アイン・ノルトヴェステンは言っている。
 先輩は時折、ボン大学に遊びにやってくる。その時は決まってカソックを着込んでいる。どうやら法王庁の司祭にしてエージェントなのは確実らしい。
 レーザー装甲車実験中隊は解散と決まり、〈モールデアー〉も開発中止になった。効果は確認できたものの、運用には厳しい条件がつけられている上に、至近距離にまで接近しなければならないので損害が莫迦に出来ないほど大きいためだった。それでもその成果は新設計の軌道戦艦のレーザー砲に生かされる。〈モールデアー〉は短命とはいえ、幸せな生涯だったといえるのだ。

 何はともあれ、今は夏、バカンスの季節である。ヴィリィはブリジットが送ってきたドイツ鉄道のチケットでインターシティエクスプレス(ICE)に乗り込んだ。
 あれから年が明けた頃、思うところがあるらしく、ブリジットはベリンジャー家から暇を貰い、南ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあるベリンジャー家の遠縁にあたる家で働いていた。毎週土日にはハノーバーのベリンジャー家の屋敷に戻ってきている。アリエノールとの仲は極めて良好である。
 その彼女が、こちらにおいでくださるように、と地図と写真とチケットを同封した手紙を送ってきたのだ。地図はここからこう行けば、ここに行けるという道筋を書いただけの簡単なものである。写真は、ある場所を写したものだった。
 ブリジットはマルコム・ベリンジャーが何かの拍子に語った、些細なことを覚えていたのだ。そして、ヴィリィの生まれ育った場所を探し当てたのである。
 超特急列車はハノーバーから山間地を抜け、フランクフルト・アム・マインを経由してライン川沿いを南下する。スイス国境に近いフライブルクで下りて、鈍行列車でシュバルツバルトのただ中ベルヘン山麓へ向かうことになるだろう。
 コンパートメントの窓に肘をかけて、ヴィリィは故郷であろう土地の、僅かに覚えている事柄を思い出していた。

 黒い森。白く霞む太陽。
 人の手垢に汚れていない空気の匂い。
 空はどこまでも澄んで、ゆらめく陽炎が風を弾く。
 春は野草。
 秋は星空。
 冬は冷たい土だけの故郷。
 夏は、たしか―――目を奪うような、明るい花。

 そして、彼女は待っている。ひまわりに囲まれて、満面の笑みを浮かべているのだろう。
 おかえりなさい、と双つの腕をいっぱいに広げて。


要目

  • 全長 11.55m
  • 車体長 8.327m
  • 全高 2.49m
  • 全幅 3.52m
  • 戦闘重量 62.5トン
  • 発動機 レイランドL65水平対向型6気筒水冷ディーゼル 出力 850hp
  • 最高速度 48km/h
  • 航続距離 500km
  • 懸架方式 ホルストマン
  • 武装
    • 火砲 127ミリ・ライフル砲×1(L55)
    • 銃器 7.7ミリ機関銃×2
  • 乗員4名