〈綾火〉
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中島/来栖川 三式艦上戦闘機〈綾火〉
(元ネタ Leaf「To Heart」「雫」 キャラ 来栖川綾香)
日本海軍の零戦に継ぐ艦上戦闘機。対米戦後半からの日本軍反攻の立役者と言われている。
三菱が送り出した零式艦上戦闘機はその性能で英本土航空戦において敗北しつつも活躍したが、同時に数々の問題点をさらけ出した。特に火力不足と防御力不足は、ドイツ空軍と合衆国義勇航空隊が繰り出した重爆撃機B17〈ラルヴァ〉その他の爆撃機群や戦闘機に苦戦を強いられる原因となった。
これを受けて海軍は1940年夏、三菱に零戦なみの運動性を保ちつつ各国の重戦闘機に対抗できるパワーを持った機体の開発を命じた。〈烈風〉(A7M)である。
だが〈烈風〉はその開発初期段階で大きくつまずいた。エンジン選定で三菱側と海軍側の意見が大きく食い違い、また三菱設計陣が局地戦闘機開発(*1)を並行して開始したため、〈烈風〉の開発は難航した。
一方戦局は零戦後続機登場の遅延を許さない状況に陥っていた。地中海、中東ではドイツの〈Fw190〉その他に苦戦し、前線からは日英将兵が新型機の配属を望む声が次第に高くなっていく。
そして日米開戦によって、それは頂点に達した。合衆国は欧州で鹵獲した零戦を徹底的に調査、その結果と英本土航空戦での戦訓を研究し、急遽海軍主力戦闘機を実戦配備が進んでいたF4F〈ワイルドキャット〉から、ハインケル社が合衆国へライセンス生産を持ちかけた〈He100〉の合衆国量産型であるF5F〈エビルキャット〉へ変更(*2)。その高速と一撃離脱&チームプレイ戦術により開戦初頭から優位を築いたからだ。
危機感を持った海軍は問題がこじれにこじれた〈烈風〉に見切りをつけ、他社の戦闘機開発に希望をつなげた。だが、最高速度640km/hを誇るF5Fに対抗でき、そして即急に実戦配備が可能な機体は、中島の開発していたキ-84しか存在しなかった。
1940年、海軍と同様に英本土航空戦の敗北に衝撃を受けた陸軍は、中島にキ43(隼)とキ44(鐘軌)の長所を組み合わせた性能を持つ新型戦闘機の開発を命じた。これがキ-84である。烈風の開発において海軍側が搭載を主張した2000馬力級エンジン ハ45「誉」を使用し、直線ペーパー翼、かなり前方に設置された水平尾翼など中島戦闘機の集大成的な機体となった。また共同開発を行った来栖川重工業が開発した自動空戦フラップを装備し、陸軍が要望した空戦性能を実現していた。
陸軍とは仲の悪い海軍であったが、この時ばかりは面子にこだわっている余裕はなかった。海軍にも受注が会った来栖川の仲介でキ-84を艦上戦闘機として改造することを前提に、陸軍名〈綾火。の名をそのまま引き継ぎ、三式艦上戦闘機〈綾火〉として採用した。
だが、やはり烈風開発での三菱の懸念通り、「誉」は期待された能力を出さなかった。稼働率も低かった。前線からも苦情が殺到し、さすがに海軍も困り果てたが、ここで再び来栖川が登場した。
来栖川は、自社が「誉」を改良した2000馬力級エンジン、RK2A「雫」への換装を提案したのだ。来栖川は「誉」に懐疑的だった陸軍の要請を受けて、もしものためにと「誉」失敗の保険の役目を果たすエンジンを来栖川に開発させていた。
〈烈風〉のエンジン問題で痛い目を見ていた海軍はすぐさまこの案に飛びついた。あらゆる問題を先送りにすることによって「雫」への換装を周囲に認めさせた。事実、「雫」は性能こそ(カタログデータ上の)「誉」と同程度であったが、量産性、信頼性の面で大きく進歩していた。試作機は700km/hを発揮し、F5Fやその後の合衆国新鋭機に対抗できる見通しもついた。
結局、海軍が要望する性能(この頃になると彼らが求める戦闘機は速度重視の重戦闘機だった)を発揮した「雫」搭載型、〈綾火〉11型を艦上戦闘機型にした〈綾火〉21型を主力艦上戦闘機として採用、1942年冬から実戦配備を進めた。
数が揃うにつれ、〈綾火〉はF5F空優位を奪い、さらに太平洋戦争末期から登場したF6F〈ヘルキャット〉と互角以上の成果をあげた。
また、合衆国、ドイツの新型機開発にあわせてエンジン、武装の強化を繰り返し最終的には究極の重戦闘機としての地位を得た。(陸軍もこの後「雫」換装型の〈綾火〉を四式陸上戦闘機として配備する。)
こうして日本最強のレシプロ艦上戦闘機の座を獲得し、対米戦において制空権の優位を確立、また地中海、中東での戦闘では劣勢ながらも奮戦した本機であったが、日英において実用に耐えるジェットエンジンの開発が成功したため、またドイツの戦闘機開発の急速な発展から主力戦闘機以外への転換が図られることにより、結果戦闘爆撃機など派生型への改造を施され、第三次世界大戦においても活躍を続けることになる。そうした点から見ても、本機は(総合的な評価を下せば)世界で最も活躍した「最強の」レシプロ戦闘機と言えるのかもしれない。なお、ソ連崩壊後のロシアとの技術協定が成立後は、ベークラフト合板を用いた木製戦闘機型も設計され、日本のみならず各国に輸出された。
余談であるが、本機は〈富嶽〉その他の生産で手一杯になった中島のかわりに来栖川が生産のほとんどを引き受け、来栖川が航空機メーカーとして躍進するきっかけとなった。また大戦後の数々の派生機化改造も来栖川が行ったため、前線では「誉」エンジンに失敗した中島への皮肉も込めて来栖川〈綾火〉と呼んでいた。(一部では「エクストリーム決戦機」とも呼ばれていた)。
注1 後の重局地戦闘機〈雷電〉
注2 WW2開戦当初、ハインケル技師亡命という不祥事を起こしていたハインケル社はその面目を取り戻すべくありとあらゆる手段で自社航空機を売り込んでいた。
注3 とはいっても「雫」にしても初期のエンジントラブルは酷いもので「ちりちりちり…とおかしなエンジン音を発する」「いきなり暴発する」など整備員からは不評であり、なかには「トラブルトラブルトラブル…」といいながら自分の顔を傷つける意識錯乱を起こした整備員もいた。
〈綾火〉21型(米国名称Okada)
Nakasima/Kurusugawa A8N Type3 Carrier Fighter “Ayaka”(中島/来栖川 A8N)
発動機 来栖川RK2A「雫」
全長 約10メートル
全幅 約11メートル
最高速度 700キロ
作戦行動範囲 800キロ
兵装 20ミリ機関砲×4
250キロ爆弾二発(最大)
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