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〈愛沢《ライン》ともみ〉

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〈愛沢《ライン》ともみ〉 Flukzeugtrager Aizawa-RHEIN-Tomomi,KM

カクテル・ソフト「Piaキャロットへようこそ!2」「Piaキャロットへようこそ!3」愛沢 ともみ

概要


 北ドイツ・ロイドの東洋航路豪華客船〈シャルンホルスト〉をドイツ海軍が買収し、航空母艦機能を持たせた改装空母である。短期間とはいえ大西洋に覇を唱えたドイツ機動部隊の始祖となり、またその終焉に至るまで活動し続けるという数奇な生涯を送った。
 姉妹船に〈ポツダム〉、〈グナイゼナウ〉があり、それぞれ〈三剣《エルベ》大介〉、〈イェーデ〉という補助空母に改装されている。原設計が優れていた証であろう。
 1935年にブレーメンにて竣工、4年後に海軍所属となり、翌40年に仮装航空巡洋艦〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉として竣工した。改装設計はテオドール・ブリュッケ造船官が担当した。「空母」ではなく、「仮装航空巡洋艦」とされたことには当時の海軍と空軍の確執が背景にある。いうなれば海軍は「嘘をついて」空母保有に踏み切ったのだった。
 基準排水量18000トン。全長198.34メートル。全幅25.64メートル。動力は50000馬力のターボ・エレクトリック方式で、最大28ノットを発揮した。搭載機数は戦闘機12機、雷爆撃機12機の合計24機に補用機6機である。
 1944年、正式に軽空母として〈愛沢《ライン》ともみ〉の名称が与えられている。


黎明


 ドイツ機動部隊の淵源は1938年の「ハイエ研究」にあるとされている。後年に日本海軍第1艦隊との壮絶な砲撃戦で戦死することになるゴドフリート・ハイエ中佐は、「計画委員会」に建白書『対英海戦』を提出した。
 この「計画委員会」は、海軍総司令レーダー提督がヒトラーに海軍拡張についての意見を求められたことから設けられたものであった。「海軍の全体的強化のための戦略的基盤についての統一見解」をまとめさせようとしたのである。
 当時のドイツ海軍はフランスとバルト海諸国を仮想敵とみなしており、英国との戦争は構想の埒外にあった。なんといっても戦力に開きがありすぎた。レーダー提督は、軍に絶望的な戦いを課さないことが政治の義務であると考えており、ヒトラーもまた彼に英国との戦争はないことを約束していたのである。しかし、チェコスロヴァキア進駐問題の最中になってようやく、ヒトラーは英国との戦争の可能性がありうることを打ち明け、海軍に戦力拡張を要求した。
 この「計画委員会」の第1回、1938年9月23日。開戦の11ヶ月前、会議は初手から紛糾した。なんとなれば、ハイエ中佐は「艦隊決戦により戦略的状況を変える見込みがない」ことを、その建白書で主張していたからである。かつてのスカゲラック海戦(ジュットランド海戦)においても英国グランド・フリートのくびきを解くことはかなわず、さらに英国が地理的に優位に立っていることと、現在のように戦艦戦力に絶望的な格差があっては、艦隊決戦など夢想の域を出るものではないのだ。
 しかし造艦局長カール・ヴィッツェル、国防省海軍部長オットー・シュニーヴィント、海軍軍令部長ギュンター・グーゼら50代の提督達は反対した。海軍の値打ちは戦艦の数量で決まるのである。それをなんぞや、巡洋艦や空母、潜水艦による軽艦艇での通商破壊とは!そもそも戦艦のような頑丈な艦でなければドイツ湾(北海)を脱出できはしない!
 43才のハイエは反論した。高速の艦、すなわち身軽な艦でなければ脱出の見込みは薄い、と。ヴェルナー・フックスとカール・デーニッツの両少将が援護した。フックスは翌年に造艦局長となり、デーニッツは1943年に海軍総司令の座につくことになるが、この場では出来星の将官でしかない。
 軽艦艇による通商破壊の支えとして、戦艦を大西洋におくことには意義があるとフックスは語った。デーニッツは露骨に、潜水艦戦こそがドイツ海軍のとるべき途であると語った。
 だが、老提督達にとっては鼻で笑う程度の話しでしかなかった。いずれにしても効果が確認された訳ではないからだ。潜水艦にしても、現行の国際法規では面倒な捕獲の手続きをとらねばならず、無制限破壊戦は実施できないのである。それなのに潜水艦による集団戦法を唱えるとは、全く正気の沙汰ではない。集団でいるところを、英国の「発達した(と彼らは考えていた)」水中音波探信儀で一網打尽にされるのがオチではないか?
 顔面を紅潮させて憤慨するデーニッツを宥めるかのように、シュニーヴィントが言った。潜水艦が戦艦を魚雷で沈めるのは理解できるが、航空機が戦艦を沈めることなどあり得ようか、と。彼によれば(羽布張りの)航空機は「シュタイフのくま」のような玩具でしかない。そんな「ぬいぐるみ」の群が戦艦に挑み、あまつさえ撃沈しようなどとは愚の骨頂だった。その「ぬいぐるみ」の群が、クローゼットから雪崩落ちるかのように、戦艦の頭上を支配する時代がくることなど想像できなかったのだ(大多数の人間がそうだったが)。
 ということで、話の矛先が空母保有の是非になった。つまり英国との海軍協定により建造が可能となって、キールのドイチェ・ヴェルケで建造が進んでいるA鬼蓮劵哀薀奸Ε張Д奪撻螢鵝咾肇殴襯泪縫◆Ε凜Д襯侫箸裡銑挟蓮辧團疋トル・エッケナー》コリン〉のことである。両艦をこのまま建造すべきだろうか?建造を中止し、資材をより有益な艦に流用すべきではないか?これにデーニッツが賛同した。〈グラフ・ツェッペリン〉1隻でUボートが50隻は建造できるのだ。
 慌てたのはハイエだった。ゲオルク・ジークフリート・ノルトマン中尉が提出した空母戦に関する報告書に感服した彼は、空母建造と海軍専属の航空艦隊を持つことを建白書に盛り込んでいた。艦隊上空の制空権を味方がもつことは、想定される種々の状況において有効なはずである。それを潰されてはたまらない。味方の空母艦載機が敵観測機や攻撃機を追い払うことにしか必要性を感じていないのが、大艦巨砲主義者であるハイエの限界だったが、それでも老提督達のように頭から否定してはいない。ノルトマンの報告書によって日米の艦載攻撃機の性能競争を知っているからである。それに主砲の射程外から攻撃機は飛来するのだ。
 ハイエは他国でおこなわれた艦載攻撃機の雷爆撃実験報告の結果を説明し、なんとかその場を納めることに成功した。これにより航空艦隊については研究が続行されることになったが、戦艦至上論を覆すことはできなかった。結局、ヴィッツェル、シュニーヴィント、グーゼら三提督の意見が「統一見解」となった。
 まずもって戦艦は建造すべし。いかに投入するか、もしくは投入すべきかどうかは後から考える。
 計画の根本がひっくり返っているが、これがいわゆる「Z計画」の基礎となった。要するにドイツの水上兵力整備計画は根底から間違っていたのである。その間違いに気づくには、ドイツ海軍は大量の流血を必要としていた。そして気づいたときには、大戦の敗勢を覆すなど不可能となっていたのだ。

 斯くして、ドイツ海軍の取るべき途は決定された。英国に対してプレゼンスを行いつつ、艦隊決戦を挑む戦力を構築するのである。戦力蓄積の時間を英国がドイツに与えるかどうかは甚だ疑問ではあったが、目標は定まった。ドイツ海軍は大西洋に打って出る。帝政海軍(カイザーリッシェ・マリーネ)のように港に居すくんではいない。
 であれば艦隊の上空を守らねばならないが、空軍には頼れない。沿岸部はともかく大西洋まで進出する能力を空軍は持っていないし、彼らはそんなことを考えてもいない。
 空母〈グラフ・ツェッペリン〉の戦力化は1941年末を予定されている。45年以前に対英戦争が起きないのであれば十分に間に合う筈である。しかし、レーダー提督はヒトラーの「約束」に対して甚だ懐疑的になっていた。裏切りは一度で十分である。さらにゲーリングの態度が不愉快だった。海軍の水上偵察機すらも己の領分と主張するのである。事実、空母艦載機と航空隊は空軍の掌握するところだった。海図も読めない艦載機部隊で、来る海戦を戦えようか?
 レーダーは、アドルフ・フォン・ラインスベルガー大佐に海軍航空艦隊創設を任せることにした。彼は温厚で生真面目さだけが取り柄の、頼りなげな風貌の将校で、この時は航空部の参謀として偵察機を統括する任についていた。閑職である。十年前に海軍お歴々の前で、航空機の将来性を述べ立てたためだった(レーダーはその場にいなかった)。ただの思いつきを語っただけだったのだが。
 1939年1月、海軍唯一の航空用兵論者と見なされたラインスベルガーは正式に海軍航空艦隊司令官として代将に昇進した。ただし兵力は無い。それはこれから構築せねばならないのだ。
 公には、空母〈グラフ・ツェッペリン〉の戦力化のための実験部隊とされた部隊は実働し始めた。集められた幕僚の中にはゲオルク・ジークフリート・ノルトマン大尉がいた。「ハイエ研究」の中身を知ったラインスベルガーが、是非にと願ったからである。「ハイエ研究」の原資料となったノルトマン報告は、空母戦について十分に資料を集めて緻密に分析し、そこから導きだされた結論は説得性に富んでいた。
 ノルトマンはゲッチンゲンの代々の学者家系に生まれていた。彼自身は学者というより、線の細い画学生といった印象を与える人物だが、父親は高名な地理学者で、現地調査のために世界中を飛び回っており、机上でこねくり回した理論(特にハウスホーファーの提唱する地政学などは軽蔑の対象だった)を嫌っていた。そんな家庭に育った彼は、自分が書き上げた報告書を実践することに躊躇を覚えなかった。むしろ望んで飛び込んだ、と言って良い。
 海軍全体でも一際若い幕僚団の中心となったノルトマンは、機動部隊指揮官としての才能を急速に開花させていった。航空用兵論者と見なされていたが、その実、航空機のことをまるで知らないラインスベルガーはノルトマンの提言に耳を傾け、それを実現するべく交渉に八方駆け回ることになった。そして実戦においても、ノルトマンがラインスベルガーに作戦を「提言」し、ラインスベルガーが「提言」を「命令」に直すという形で、ノルトマンが実質的な指揮を取ることになるのである。

 幕僚団の熱心な作業により、航空艦隊の概要や訓練計画は定まっていった。しかし、国外の状況がきな臭くなっている中で、いまだ母艦や護衛艦の手配が付いていなかった。〈グラフ・ツェッペリン〉の建造優先順位は上がっていない。切羽詰まっていた航空艦隊司令部は待っていられなかった。そして急遽、北ドイツ・ロイドの客船〈シャルンホルスト〉を改装して母艦にあてることになった。〈グラフ・ツェッペリン〉が戦力化された暁には返還するとの約束が交わされている。
 〈シャルンホルスト〉はワグナー缶で発生させた蒸気によりAEG式タービン発電機を駆動し、そこで得られた電力でモーターを回すという方式を取っており、最大21ノットの優秀な商船だった。表向きは仮装巡洋艦に仕立て上げるとのことで海軍が購入し、ブレーメンで改装をおこなった。工期を短縮するために全通式甲板とし、エレベータもつけられず、全通式の解放式格納庫(普段はシャッターで閉じている)から5トン・デリックを使って海上にスライドさせて搭載機を引き出すという恐ろしい代物である。機関はモーターを増設して4万馬力を引き出した。これで最大速力は25ノットを出せることになった。
 39年中に空母への改装作業は終了し、翌40年初頭、仮装航空巡洋艦〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉が誕生したのである。その存在を秘匿するため、あくまでも水上機を多数搭載した仮装巡洋艦として扱われた。空軍ほかに対して「嘘をついた」ことになったが。
 客船を改装したことで良いことがあった。居住性が良いことはもちろんだったが、小ホールを作戦室にあてることができたのである。作戦室の中央には巨大な海図が置かれ、それには艦の配置や気象状況などが記されている。ために〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の作戦室はティルピッツ・ウーファーとほぼ等しい作戦指揮機能をもっていた。ノルトマンは海図の情報を確認しながら、通信を駆使して航空戦を指揮することになる。つまりドイツは偶然にも艦隊戦闘指揮システム(日本ではDDWSと呼ぶ)を早期に導入していたのだった。もっとも、航空艦隊以外の水上砲戦部隊がその利点に気づくのは随分と遅れることになった。
 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の改装の指揮をとったのはテオドール・ブリュッケである。後にブリュッケ設計局を主宰し、シュテルン・ガヤローと共に海軍の主力デザイナーとなる彼だったが、この時はいまだ新人だった。
 新人なのはブリュッケばかりではない。幕僚団もまた海軍非主流派の若手ばかりであり、平均年齢は30才未満である。
 パイロットに至っては空軍が持て余した連中でさらに若かった(平均20代前半)。反抗的だったり、だらしがなかったりと理由は様々だったが、空軍には不要とゲーリングが見なしたパイロット達である。その中に、ハンス・ヨアヒム・マルセイユがいた。後に「大西洋の星」と呼ばれる撃墜王になる彼だが、この時は空中戦闘員学校で規則違反の模擬戦闘をやって放逐されたパイロット候補生でしかなかった。彼の終生の相棒となり、マルセイユに次ぐ撃墜数を誇るユージ・オノダも海軍に移らされた口である。オノダの場合は、彼が日系だからという人種的な偏見によるものであった。
 戦闘機はドイツ製ではなかった。空軍が海軍に回す機体が無いと主張したためである(使い道のないフィーゼラーFi167複葉雷爆撃機だけは引き渡したが)。合衆国がドイツに売却したブリュスターF2A〈バッファロー〉を用いることになった。グラマンF4F〈ワイルドキャット〉との採用争いに敗れた機体だったが、ドイツ海軍航空艦隊にとっては干天の慈雨となり、ドイツ海軍が長年に渡って合衆国製艦載機を用い続けることの端緒となった。
 人材の面でも、機材の面でも、つまるところドイツ海軍航空艦隊は異端者の集団だった。あぶれもの同士のためなのか、彼らの団結心は強く、自分達を非主流と見なす者達を見返すべく熱心に訓練にあたり、その技量は急速に向上していった。しかし、彼らは増長しなかった。敵は四半世紀に及ぶ空母運用の経験を持つ英海軍である。生まれ落ちて間もないドイツ機動部隊にはゲーリングのように大言壮語している暇などなく、僅かな時間を惜しんで能力を充実させねばならないのだ。
 そして第2次世界大戦において、味方からは「ぬいぐるみ」と、敵からは「空母のような船」と嘲られた小さな機動部隊が、英海軍をきりきり舞いさせ、ついには英本土占領に大きな役割を果たすことになる。

 後年のこと、1951年の夏に、7万トン級正規空母〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉をレーダー元帥が査察した。彼は海軍総司令職を退いた後、海軍査閲官という名誉職を与えられていた。〈橘《フォン・リヒトホーフェン》天音〉のマストに査閲旗(元帥旗に青い縁取りがつけられている)を掲げたレーダーは、第1航空艦隊司令長官ノルトマン少将と艦長アロイス・ヒンメル大佐の説明にうなずき、艦上で行われているジェット戦闘機の発着艦訓練の光景を見て、ただ嘆息するばかりだったという。
 彼は1940年に〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉を一度、査察で訪れている。案内したのは司令長官ラインスベルガー代将に航空参謀ノルトマン大尉とヒンメル少尉である。それからわずかに11年。1876年生まれのエーリヒ・レーダーの知る戦争からは、余りにも遠く離れた形で戦争はおこなわれていた。


雌伏


 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の初の実戦参加はノルウェーを巡る戦いだった。「ユノー」作戦である。
 ドイツは北部ノルウェーの鉄鉱石積出港ナルヴィクを占領したものの、逆上陸をしかけてきた英軍によって追いつめられていた。そのナルヴィクのディートル部隊を救うべく、ナルヴィクの前面のハールスタを攻撃することを、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉と〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉の2戦艦を率いる高海艦隊司令長官マルシャル大将は求められていた。同時にトロンヘイムから北上しているフォルシュタイン部隊を援護することも。
 作戦実施の責任をになった西部方面艦隊司令部(ザールヴェヒター)は、あくまでもハールスタへの突入を命じていた。しかし空軍の偵察は悪天候で失敗したとの連絡がマルシャルの元に入っていた。情報不足のまま、機雷源や防潜網につっこめというのだろうか?
 そこに〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉から偵察報告が入った。Fi167数機の偵察によるものとして、ハールスタが空であること、そして数隻の巡洋艦に護衛された輸送船団が西へ向かっているという情報がマルシャルに届いた。
 マルシャルは半信半疑だった。大体、仮装航空巡洋艦〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉とは何者だろうか?高海艦隊の巻き起こす波を頭からかけられながら必死に付いてきた〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉にとっては酷な話ではあったが、実際に彼女は高海艦隊の員数外の存在なのだから無理も無い。しかし、その報告の重要性は高く、マルシャルにハールスタ突入を止めさせ、船団攻撃を決意させるに十分だった。
 この報告は桶をあふれさせる一滴の水であった、とマルシャルは語っている。

 1940年6月8日、午前。戦艦2隻と重巡〈白河《アドミラル・ヒッパー》さやか〉、駆逐艦4隻からなる高海艦隊は、旗艦〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉を先頭にして英軍の船団に突入した。重巡〈サウサンプトン〉らが果敢に迎撃して時間を稼いでいる内に、陸軍将兵を載せた輸送船9隻と空母〈アーク・ロイアル〉らの船団は散り散りとなって逃走を図った。マルシャルの計画は破れつつあったが、それを救ったのは員数外の存在たる航空艦隊だった。
 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉は稼働全機を放ち、そのうち4機のFi167が空母〈アーク・ロイアル〉へ雷撃をかけ、1発が命中して速力を落とさせることに成功した。英軍の日誌によれば、「そのドイツ機は狐のように狡猾だった。魚雷が命中するまで我が方の誰もが味方の〈ソードフィッシュ〉と信じて疑わなかったのだ…」とある。また、1機のFi167が、迫りつつあった〈氷室《リシュリュー》微〉に水平爆撃で命中弾を与え、フランス艦隊を後退させていた。さらに戦闘機隊も含めた他の部隊は輸送船の位置を確認して〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉に連絡し、かつ足止めに爆弾を落としている。〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉に座乗するラインスベルガーはそれらの船団の位置をマルシャルの元に届けた。
 ようやくのことで、しつこくまとわりつくカメラ小僧(護衛部隊)を振り切った〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉らは狩りを開始し、〈アーク・ロイアル〉は取り逃がしたけれども輸送船9隻を撃沈した。夕刻になったが高海艦隊はさらに〈天使の人形《グローリアス》〉と駆逐艦2隻を捕捉し、英国の「最後のお願い」----ドイツ艦隊が空母その他の英軍艦艇の存在を忘れてくれること----を叶わせるものかと砲撃を加えたものの、急を聞いて駆けつけた〈保科《天城》智子〉の16インチ砲10門の砲撃によって遮られ、戦果拡大を諦めて艦隊を引き下げたのだった。

 夕刻の〈天使の人形《グローリアス》〉追撃戦では、〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の航空隊は全機帰還しており、英国艦隊航空隊との空母戦は発生しなかった。早朝から偵察に飛び回っていて搭乗員の疲労は極に達していた。練度自体も英軍と比較して遙かに劣っていたのであり、それでいて雷撃を成功させたアスティグマティスムス大尉の手腕は奇跡と評されるに値しよう。彼は一級鉄十字章を授与される。
 「ユノー」作戦は成功裡に終わり、ドイツ海軍は勝利に湧いた。〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉と〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉の活躍は通商破壊戦のコンテスト(というものがあるならば)で優勝したに等しい。しかしレーダー提督は命令に従わなかったとのことで、マルシャルを高海艦隊司令長官から解任した。後任はギュンター・リュッチェンス。彼は解任という不名誉を嫌って、レーダーの命令を一言一句に渡って忠実に守り、カレー沖海戦以後の追撃戦において戦艦〈ティルピッツ〉と共に海に沈むことになる。
 大敗を喫した英国は、重巡〈デヴォンシャー〉でノルウェーのハーコン王と政府、それに国宝を無事に英本土へ逃れさせたことをもって自らを慰めなければならなかった。しかしながら、驚くべき事に英海軍軍令部は〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉が空母として活動していることを感知していなかった。同艦の存在自体は知っていたが水上機母艦とおもいこんでおり、〈アーク・ロイアル〉への攻撃もドイツ空軍によるものとしていた。なんといっても、ドイツが空母を建造して運用することなど、一朝一夕にできはしないと見くびっていたからである。さらに普段ならば饒舌な国防軍発表で、〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉のことは一つも言及されていなかったことも、海軍軍令部の考えを裏付けるものとされていた。
 実はドイツ海軍としては、中学生のアルバイトは認められない、つまり実験艦の戦果を評価しない(失敗しても責めないとの意味)、との理屈でことさらに言及しなかったのである。もっとも、海軍の空母が活躍したことを報じては、空軍の支配者たるゲーリングが何を言い出してくるか知れたものではないからでもあった。

 どこまでも員数外あつかいされた〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉だったが、ドイツ本土へ戻った後、本格的な空母としての改装に着手された。「ユノー」作戦での教訓により、デリックでもって格納庫からスライドさせて搭載機を引き出すのは非効率極まりないことが明らかになったからだった。それにシャッターで閉鎖していても、荒天の北海の海水が格納庫に侵入しており、整備員らは頭から海水をかぶって難儀している。
 よって、閉鎖式格納庫となってエレベータを前後に二基とりつけた。煙突は横向きから直立へと変更して艦橋構造と一体化されている。丈の高い測距儀塔も立てられてラダール・ゲレートが取り付けられた。機関もモーターをさらに増強して5万馬力となって、ようやく第4戦速で28ノットに達している。この改装には40年の間中がかけられた。
 ノルトマンら幕僚団にとっても、マルセイユを始めとするパイロットにとっても、「ユノー」作戦での成功で自信がついた。膨大な記憶を持つ「翼人」たちこと、英軍艦隊航空隊には遠く及ばないものの、しかし若い彼らはひるむよりも奮い立ち、訓練にも熱が入っていった。
 レーダー総司令は〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の「ユノー」作戦での活躍を評価し、仮装航空巡洋艦を増すことにした。これにより客船時代の姉妹船、〈ポツダム〉と〈グナイゼナウ〉が〈三剣《エルベ》大介〉、〈イェーデ〉となって航空艦隊に加わった。ラインスベルガーらは正規空母〈グラフ・ツェッペリン〉を待ち望んではいたが、その艤装は遅れ続けており、そんな時に40年中の2隻の追加は戦力拡充に大いに役立ったのである。そのほかにも建造中の重巡〈ザイドリッツ〉を空母〈七城《ヴェーゼル》柚子〉へと改装することになり、急ピッチで工事が進められている。その他にも、5万トン級の客船〈森原《オイローパ》さとみ〉を買い上げた上で空母へと改装することも決められたが、当面兵員輸送船として活用されることになり、空母〈木ノ下《オイローパ》さとみ〉として就役した時には1944年も半ばとなっていた。
 12月になって、護衛部隊がようやく付けられた。36型駆逐艦の〈志摩《Z20》紀子〉と、就役したばかりの36A型〈神塚《Z25》ユキ〉、〈Z26〉、〈Z27〉である(旗艦は〈神塚《Z25》ユキ〉)。両艦は自分達が水上機搭載偵察部隊に編入されると聞いており、実際には空母部隊への編入と嘘をつかれたことに激しく怒ったものの、ラインスベルガーから事実を打ち明けられてのち「嘘」を許容した。嘘つきとは誰しも呼ばれたくはないし、いつまでも仲違いのままは嫌だった。仲直りした彼女らは、仲良く対空戦闘や回避、襲撃訓練を熱心におこなっている。ここに、ドイツ航空艦隊はようやく機動部隊としての体裁を整えた。

 翌1941年6月には、〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉と〈神塚《Z25》ユキ〉、〈志摩《Z20》紀子〉らの総計5隻は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉が打撃を与えた英軍の哨戒網をすり抜けて、アイスランド沖のブラック・ギャップ海域で船団狩りとUボートへの援護にあたった。一度きりではあったが、〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉航空隊が護衛部隊をつぶし、裸となった船団をUボートが狩るという戦法で、それまでの水上艦による戦果を大きく上回ることができた。日英軍が対空戦闘と対潜戦闘の結合を考えていなかったためである。
 これらの戦闘には、〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の作戦室の戦闘指揮機能が大きくものを言っている。事実、40隻にちかいUボート(合衆国からの輸入もある)がラインスベルガー代将とノルトマンの指揮下で戦果を上げている。ドイツ海軍は空母の威力を自分の目で確認できたのである。
 その後、独ソ開戦にともなって本土へ戻り、バルト海沿岸をいく北方軍集団の上空を援護した。41年秋のレニングラード攻囲戦、泥濘により使用不能となった飛行場が多数に上ったことと、戦線の拡大のために支援密度の薄れた空軍にかわって、ドイツ航空艦隊が濃密な上空支援を与えており、レニングラードの攻略に預かって力があった。戦闘機隊がソ連海軍の水雷艇隊を撃退し続けたこともあって、海上からの物資輸送が順調に推移したためでもある。さらに航空隊の援護のもと、〈ティルピッツ〉と売却されてきた合衆国戦艦〈オクラホマ〉を改装した〈白河《プロイセン》律〉、重巡〈白河《アドミラル・ヒッパー》さやか〉に、オスロ・フィヨルドでの損傷を修理した〈ブリュッヒャー〉が艦砲射撃を実施して突入部隊を援護している。
 レニングラード陥落によって北方の門が開き、包囲戦から解放された北方軍集団はモスクワへと殺到した。3個軍集団の全力からなる鋼鉄の環によってソ連の首都モスクワは締め上げられる。ドイツの勝利は間近だった。
 そして、1942年。大欧州戦争(第2次世界大戦)における英国との最終決着が付けられようとしていた。ドイツ海軍もまた総力を上げることになる。しかし、空軍との確執はどこまでもからみついていて、海軍の足を引き続ける。
 空軍総司令官にして国家元帥ヘルマン・ゲーリングが、正規空母の2隻、〈グラフ・ツェッペリン〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉を空軍管轄下に置くことを激しく主張していたのである。


策謀


 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉の活躍によって、ドイツ海軍はようやくにして空母機動部隊の威力を知った。今や航空艦隊は海軍各部隊の活動にとって欠かせない部隊となり、気が付けば人気のマスコット・ガールであるかのように引っ張りだことなっていた。
 となれば、その存在を認知された航空艦隊に対して、ゲーリング国家元帥が気分良かろう筈がなかった。彼によれば、ドイツの空を飛ぶものは全て自分の管轄下になければならないのだ。
 ゲーリングは正規空母2隻を空軍で扱いたいとヒトラーに訴えた。航空機は全て、空軍という家のもとに戻さなければなりません。海軍航空艦隊など、まだ年端も行かぬ子にレストランの客引きをさせるようなものなのです。
 ヒトラーは例によって考えておこうと答えて言質を与えなかったが、ゲーリングの行動を知ったレーダーは猛反発した。レーダーはヒトラーに書簡を送り、海軍が航空艦隊を整備してきたのは正規空母〈グラフ・ツェッペリン〉らを駆使して英国に勝利するためであり、空軍の玩具に供する為ではないと主張した。そして海軍の航空艦隊があればこそ、英国はノルウェーに上陸した熟練兵を多数失い、大西洋上ではHX船団を壊滅させ、レニングラードは短期に陥落したと書き送っている。書かれてはいないものの言外には、その時空軍はなにをしていたのか、と空軍の怠慢を責める意図がある。
 レーダーの書簡の内容を知ったゲーリングは烈火の如く怒り、以後はゲーリングとレーダーとで激しい応酬がなされた。ゲーリングはヒトラーのもとに通い詰めてかき口説き、レーダーは書簡と総統への報告会で冷静な指摘をするという、おのおのの性格によったもので、直接に対峙することはなかった。
 しかし、レーダーのとった方法は誤っていたのかも知れない。ゲーリングの論旨をヒトラーの面前で片端から論破することができたのにそうしなかったのは、対人関係において直接対決を避ける彼の性格から致し方がなかったが、この場合はヒトラーとの親近度の差から見て決定的に不利だった。さらに海軍上層部に乱れがあり、空母不要論があることをヒトラーに指摘されてレーダーがうろたえることがあった。
 対するに空軍はゲーリングへの協力を惜しまなかった。但し敬愛の念からではなく、空軍行政に不要な介入をしてもらいたくないとの思惑からである。
 対英戦略爆撃の指揮を執る空軍総参謀長ヴァルター・ヴェーファーと、戦闘機隊の指揮を統括する戦闘機総監のメルダースと総監代理のガーランド(クリミアでのメルダースの航空事故により、彼の復帰までガーランドが代理をつとめていた)はゲーリングの容喙を望んでいなかった。彼らにすれば、1940年のバトル・オブ・ブリテンはゲーリングの場当たり的な指揮のために勝利を逃したのだ。急降下爆撃に固執せず、都市ではなく航空機基地や工場への爆撃を続行し、メッサーシュミットBf109に増槽を始めから付けていれば、今頃はとっくにケリは付いていたはずである。であれば、ゲーリングが空母という玩具に熱中していてくれた方が有り難い。斯くして、ゲーリングの不当な要求は空軍と海軍の全面的な対立を生み出した。
 ゲーリングとレーダーのヒトラーを挟んだ応酬は冬から春まで続いた。ヒトラーは調停者としての権威を示すために介入時期を見定めていたのだが、双方ともに一切の妥協をみせないことに不安を覚え、かつ怒った。融和姿勢を見せるドイツに対して、頑固に敵対姿勢をとり続ける思い上がった英国に鉄槌は下さねばならない。しかるになんぞや、その準備のための大事な時期にたった2隻の船をとりあうとは、全くもって見苦しい。
 裁定は下り、〈グラフ・ツェッペリン〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉は空軍のものとなった。しかし既存の海軍航空艦隊はそのまま海軍の所轄とされ、ゲーリングとレーダー双方ともに不満を覚えた。
 それでも喜色満面の笑みを浮かべたゲーリングはヒトラーに謝辞を言って退出した。レーダーは憮然としていた。ヒトラーが海軍の戦術戦略を全く理解していないことの証拠が、また一つ明らかになったからだ。それでもなおヒトラーへ進言しようとするレーダーに対し、ヒトラーは宥めるように語った。空軍の顔を立てておかねば英本土上陸作戦が危うくなるからだと裁定の理由を語り、かつ空軍機動部隊は海軍の指揮下で動くことをゲーリングに確約させようとまで言った。
 下手に出たヒトラーに強く出ることはできず、レーダーは引き下がらなければならなかった。レーダーの手記によれば、この時に海軍総司令を辞任する決心をはっきりと固めたらしい。エーリヒ・レーダーは英本土陥落後の1943年1月30日、帝国成立十周年記念日に辞任した。
「神よ、我が海軍と後継者をゲーリングから守り給え」

 ドイツ初の正規空母〈グラフ・ツェッペリン〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉が空軍の所管になったことに、航空艦隊の面々は落胆した。中でも航空参謀職を熱心に努めるノルトマンの落胆は激しかった。あれほど努力したのに、願いが叶わないとは。早くに母親を無くしたノルトマンを慰め、母親代わりを務めてくれた、姉とも慕った女性との、彼女の家族の引っ越しによるどうしようもない離別のことを思い出していたのかも知れない。
 落ち込んだ雰囲気の幕僚団やパイロットらを励まし、叱咤したのは司令官ラインスベルガー少将だった。悪いことばかりでもないし、落ち込んでいる暇など無いのだ、と。ゲーリングが2隻の空母を海軍指揮下に置くことを約束したことを告げ、しかし奴にはそんなつもりなど毛頭無いだろう(事実その通りになった)と語って笑わせ、新型機が海軍航空艦隊に引き渡されることを語った。
 そう、落ち込んでいる暇は無い。仮装航空巡洋艦〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉、〈三剣《エルベ》大介〉、〈イェーデ〉に護衛駆逐艦〈神塚《Z25》ユキ〉、〈志摩《Z20》紀子〉、〈Z26〉、〈Z27〉の合計7隻の小機動部隊であっても、その役割は大きい筈である。主力艦隊の上空を守り得るのは彼女らだけなのだ(当初から空軍機動部隊のことは計算に入れられていない)。それに新型機への換装訓練も急がなければならない。戦闘機はグラマンF5F〈エビルキャット〉。ハインケルHe100を合衆国でアリソン・エンジンに換えて生産したものである。雷爆撃機はグラマンTBF〈アヴェンジャー〉。これらの機体は従来の〈バッファロー〉らに比べて大きくなっていたが、圧縮空気を用いるハインケル式カタパルトで打ち出すことが十分に可能だった。
 「ちんぴら」ことマルセイユ中尉を始めとする戦闘機隊はおどりあがって喜んだ。「ビア樽」の性能では〈シーハリケーン〉や零戦へ対抗することが難しくなっていたのだ。「どら猫」であれば敵の護衛戦闘機を蹴散らし、「買い物袋(ストリングバグ)」の群を潰すことは容易なはずである。かの「ポンコツ」はおろおろ、あたふたするしかないのだ。
 勢揃いした航空艦隊はキール沖合で、大ベルトをドーバー海峡に見立てての猛訓練を開始した。対戦闘機のみならず、海峡に突っ込んで来るであろう英戦艦群への襲撃訓練などである。

 同じ頃、空軍機動部隊は艦載機メッサーシュミットBf109GとユンカースJu87Dを受領した。ゲーリングから空母艦長職を仰せつかった空軍将校らは頭を抱えていた。艦の運用は海軍が行い、航空部隊の運用は空軍となっているものの、これで上手くいくなどとは到底信じられなかったのだ。さらにゲーリングの指令が追い打ちを掛けていた。当面は海軍のいうことを聞いて母艦運用の経験を積むように、但し作戦は空軍総司令部から発するものに従うこと。
 これで作戦成功を願うには、悪魔に魂を売った方が良いのかもしれない。小さな羽の天使の加護があるなら別ではあるが。
 斯くして、ドーバー沖からノルウェー沖にかけての大乱戦の準備はなされる。空軍と海軍の思惑の違いは結果としてグランド・フリートの戦力分散を招き、ドイツに勝利をなさしめる一助となった。
 しかし、ドイツ航空艦隊にとっては、理不尽な結果をもたらすことになったのである。


飛翔


「ドイツの未来を決する大戦にあって海軍がその任務を果たせるのは、それが…奔放なる攻撃精神をもって大損害を覚悟の上、敵を叩かんとする場合のみである。……大胆な作戦で損害を受けたときにこそ、勝利の後でさらに大きく復活するであろう。そうでない場合には海軍の存在が脅かされる」(レーダー海軍総司令がマルシャル高海艦隊司令長官にあてた1940年5月23日付け指令より抜粋)

 ドイツは西方へと戦争資源の全てを集中しつつあった。ソ連軍の冬季反撃により大損害をうけた為、120個師団、300万人以上をもって独ソ戦に突入した時ほどの戦力はない。しかしなお、英国に対するには十分な程の数がある。
 英国打倒に邁進する軍部を横目に、総統ヒトラーは己の目算の狂いに歯がみしていた。なんとなれば、ソ連を崩壊せしめれば英国が戦いを放棄すると見込んでいたからだ。しかし英国は今なお屈しない。事実上のドイツの同盟国となった合衆国が太平洋で日本相手に宣戦布告し、日本からの援軍がもはや来なくなったと分かっても、ドイツへ和を講じてこない。
 ヒトラーは大英帝国が滅びることを恐れていた。彼は英国人の帝国を巧みに組織された賛嘆すべき制度とみなし、それが崩壊すれば合衆国その他を益することになるが、ドイツに対してはそうではないと考えていた。最大の敵はボルシェヴィズムであり、英国ではない。英国の海外植民地に手を出す気は更々なく、欧州大陸におけるドイツの覇権を英国が承認しさえすれば、ここまでする必要はなかったのだ。
 しかし、これまで幾度も演説で講和を呼びかけても応えは無い。ヒトラーなりに下手に出て示した好意(実際には恫喝と変わらなかった)を踏みにじられたことに、ヒトラーは怒った。心理的には、失恋相手を逆恨みする男性と何ら変わるところは無いのだが。
 ここにドイツの政治と軍事は英国打倒で一致した。1940年の夏のようにヒトラーが狐疑逡巡する事はない。

 1942年、初夏。2年前にも増して、海峡航空戦は激しくなっていた。ルフトヴァッフェが攻撃し、ロイアル・エア・フォースが守るという構図は変わらない。変わったのは、航空戦がドイツ優位で推移し続けていることである。
 ドイツ空軍の対英国作戦の総指揮をとるのはヴェルナー・メルダース少将である。彼はクリミアでの事故の後遺症で空を飛べなくなっていたが、ドーバー海峡を望むル・トゥケで指揮をとり続けている。元から尊崇されている彼だが、最前線に指揮座を設けているという一点においても、メルダースは空軍全将兵の敬愛の念を一身に受けていた。安全な後方で「机を飛ばしている」輩とは違う、ということである。空軍次官ミルヒと空軍総参謀長ヴェーファーの後援をとりつけたメルダースは、ゲーリングの掣肘を受けることなく作戦に専念できた。
 そのゲーリングは、掌中のものとなった空母部隊に熱中していた。さらに自らが後押しした「駆逐機」Bf110が独ソ戦において戦闘爆撃機として活躍し、その重武装でもってソ連戦車を多く撃破したことから随分と気をよくしていた。もはやBf110を「失敗作」と面だって言うものはいない。しかもBf110の素質を引き出したのが、実子同然にかわいがっているヘルマン・マンフレート・シェーンハイト中尉なのも、ゲーリングが上機嫌なことの原因の一つだった。ヤシュタ11時代の同僚の息子が、代父である自分のために奮戦していると知ったことでゲーリングは満足を覚え、空軍内で自分に向けられている憤懣などの不愉快なことを忘れることができたのだ。そのシェーンハイトが「親父(ファーティ)」メルダースに指揮を委ねるべきと献策していた(実際には私的な場でゲーリングに問われたので、思った通りのことを答えただけだが)。ゲーリングは満面の笑顔でうなずいた。その姿は好々爺と変わるところがない。これらの人的な事情により、メルダースとドイツ空軍は全力発揮が可能となっていた。
 メルダースの作戦の第一目的は上陸作戦支援のための制空権奪取である。メルダースはレーダー基地の破壊を重点的に行わせ、英国の防空網の切り崩しを図った。戦闘機には落下タンクを取り付けて航続距離を延伸させ、英国南部上空で燃料切れを恐れて空戦を切り上げるといったことが無くなった。
 英空軍戦闘機集団は急速に窮地に追い込まれていった。英軍はレーダー基地を修復し続けて警戒網の維持を図ったものの、ドイツは執拗に攻撃を加える。かつてのように効果がないからと攻撃目標を切り替えるようなことはしない。第一次バトル・オブ・ブリテンの敗北の原因は、作戦目的が制空権の奪取、空中からの海上封鎖、政治経済中枢への戦略爆撃と多岐に渡り、攻撃に徹底を欠いたためなのである。
 ドイツ空軍は警戒網に開いた穴から、戦闘爆撃機化したBf110を低空で高速侵入させて戦闘機基地への空襲も行っている。レーダー基地破壊と飛行場破壊とを連動させたのである。ために英空軍戦闘機集団はパイロットを急速に消耗していって瀕死の状態へと近づき、イングランド南部からテムズ北方へ戦闘機部隊を下げざるを得なくなっていた。
 ドイツ戦闘機部隊がイングランド南部の制空権を手中に納めつつあった時、今度は戦略爆撃機部隊が活動を開始した。合衆国から供与された〈ガディム《B−17》〉とユンカースJu89の四発重爆群である。ドゥーエ理論の理解者であるヴェーファー肝いりの爆撃隊は工業地帯への昼夜を問わない爆撃を開始した。戦力の供給源を絶たれたロイアル・エア・フォースは継戦能力を失っていく。
 ロイアル・エア・フォースの急速な衰退の背景には、合衆国参戦の影響がある。合衆国はアゾレス諸島に義勇艦隊を展開して英国商船団へ襲撃をしかけている。ドイツ潜水艦隊もまた、Uボートのほかにガトー級潜水艦をも使って狼群戦法で英国の通商路を締め上げている。金属資源や燃料の枯渇しつつある英国は、空軍を補強したくともできない状態になっていたのだ。
 かくしてドイツは英国の空を握ることに成功した。次はドーバー海峡の制海権を握らねばならない。それには水上艦が必要である。よってブルターニュ半島にいる戦艦部隊を回航しなければならない。海峡突破作戦「ケルベロス」の発動である。

 ティルピッツ・ウーファーは海峡突破に反対していた。デンマーク海峡の再突破またはドーバー海峡の突破、どちらでも英海軍に捕捉され、仮に振り切ったとしても損害は重大なものになるだろうからである。レーダーの計画ではブレスト戦隊と本国部隊とで英仏海峡の両側を封鎖することになっていた。
 しかしヒトラーは強硬に本国帰還を命じた。ブルターニュにいたままでは爆撃による損傷を恐れ続けなければならないからだ。戦闘機や高射砲部隊、人工煙霧発生装置などの活躍によりその心配はないと、レーダーは頑強に反対したが、ヒトラーの決心を変えることはできなかった。ヒトラーはヴィシー・フランス艦隊が海峡西側を封鎖する事になったことをレーダーに伝え、フランス艦隊の提督マルセル・ブルーノ・ジャンスールを紹介した。海軍の知らないところで政治交渉によって作戦が決められていたのだ。これにより水上戦力は東西双方で倍加する事になった。なお、現在では、ドイツ海軍単独では東西双方で英軍の突破を許したものと見られている。
 ドイツ海軍では同盟国海軍の戦意を疑っていたが、実際には彼らの戦意は極めて旺盛だった。フランスはメルス・エル・ケヴィルの復讐を誓っていたのだ。
 同盟国の事情はどうであれ、海軍総司令部はブレスト戦隊を本国に無事に戻さなければならない。天候の予報、潮流の調査、機雷の掃海と作業は山積みだったが、パリに在する西部方面艦隊司令部(ザールヴェヒター)の指揮の元、準備は着々と進み、8月12日に脱出作戦は決行された。
 〈日野森《ビスマルク》あずさ〉に座乗したチリアックス提督に率いられ、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉、〈日野森《プリンツ・オイゲン》美奈〉の四隻と駆逐艦数隻は午後九時過ぎにブレストを発った。午前零時にウシャンを通過し、海峡へと27ノットの高速で侵入を果たした。
 英国はブレスト戦隊の移動に対応しなかった、というよりできなかった、というのが正しい。南部のレーダー基地はことごとく潰され、辛うじてコーンウォールのセント・イーヴァルやノーフォークのコルティスホールから発進するハンプデン哨戒機のレーダーで早期探知を図っているような有様で、この時は折悪くセント・イーヴァルのハンプデン哨戒機が、レーダーのヒューズが切れるという故障により基地へと戻っていたのだ。しかも英海軍はEP計画の進展のため、ブルターニュに張り付けていた潜水艦を他方面に転用している。つまりブレスト戦隊の動きを英国は予測こそしてはいたものの、手の打ちようがなかったのである(英国はエニグマ暗号の解読に成功しており、解読情報に基づく迎撃作戦を展開していたが応用例は少数にとどまった。ドイツにエニグマが解読されたことを悟らせないためである)。
 ためにブレスト戦隊の作戦は、拍子抜けするほどに順調に進展した。戦艦部隊は白昼堂々とドーバー海峡を抜けることに成功したのだ。昼近くにまでドイツ艦隊が発見されなかったことは、ドイツ空軍のマルティニ通信総監による電波妨害作戦によるものだった。
 それは大気状態の不良による電波障害にみえるように偽装したもので、海峡航空戦においては英軍の早期探知を失敗させるという活躍を演じていた。この電波妨害は早朝から昼まで行われており、英空軍の動きを抑えるのに功があったのだ。
 そしてブレスト戦隊の上空を守ったのはドイツ航空艦隊の戦闘機群だった。ドーバー通過までは空軍が護衛戦闘機を出せるが、昼以降は搭乗割りと地理的な都合により難しいとメルダースが伝えてきたのである。
 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉を旗艦に航空艦隊はフランドルのオステンドまで進出し、そこから戦闘機を発進させてカレー沖で戦艦部隊と会同させた。後は戦艦部隊を先導しつつ本国へ戻るだけである。
 英海軍はハリッチからピゼイ大佐の駆逐隊(〈キャンベル〉、〈ヴィヴェイシャス〉、〈マッケイ〉、〈ウースター〉、〈ホイットシド〉、〈ウォルポール〉)を出撃させてきたが、〈スコット〉級や〈V/W〉級らの艦齢20年以上になる旧式駆逐艦では最新の高速戦艦や戦闘機に叶うはずもなく、魚雷を放つべく肉薄したものの結局は失敗し、這々の体でハリッチに戻らざるを得なかった。
 英海軍の攻撃はそれだけだった。あとは英空軍爆撃機軍団(ボマー・コマンド)が攻撃してきたが散発的なものであり、マルセイユ率いる戦闘機隊に追い散らされるだけだったのだ。
 そして〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉の触雷という事故はあったものの、航海は順調であり、夜半過ぎにはエルベ河口ブルンスブッテルへと全艦が辿り着いた。
 この快挙にドイツは沸き立ち、海軍の失態に英国は憤激した。タイムズ紙は社説で「17世紀以来、この上ない恥辱」と書き、その翻訳されたものは総統大本営「鷲の巣(アドラーホルスト)」だけでなく、キールやヴィルヘルムスハーフェンで回覧されてドイツ軍全体を喜ばせていた。
 喜んでいないのはチャーチルを始めとする英国政府首脳部である。ドイツ艦隊の海峡通過を知らせたパウンド軍令部長に、「いったい、なんとしたことだ!」と怒鳴りつけて電話を切ったのだが、チャーチルはこの戦力移動が何を意味するものかを理解していた。さらにドイツ艦隊が抜けた後に入るべく、フランス大西洋艦隊がボルドーから動き出したことが報じられていたし、アゾレスに盤踞する合衆国義勇艦隊がブルターニュにやってくることもあり得た。全ての事象は英本土上陸を指し示している。おそらく、あと一月もないものと思われた。
 チャーチルは、EP計画のさらなる促進を命じた。

 9月。出撃の準備は相整った。ダンケルク撤退の後には、沈没船が港口をふさぎ、波止場は爆弾痕だらけで、倉庫は崩れ、水門は破棄されていた。英国は使用できる船を一切合切持っていき、持ち帰れないものは破壊していったのだった。それから2年たち、傷跡はすでにない。トート機関の尽力で修復されたのだ。そして、港を船の群が埋め尽くしていた。河川用の艀だけでなく、輸送用の沿岸船もある。ドイツは英本土上陸のために総力を上げていた。
 英国が防御態勢に入ったことも確認されている。8月31日にフランドルへ偵察に飛来したスピットファイア2機が、「クロムウェル」という無電を繰り返し発したのである。それはドイツ軍の上陸作戦開始を告げる警報だった。スピットファイアは、フランドルからピカルディに展開しつつある膨大な兵員や車両の群を視認したのである。「クロムウェル」警報を受信した英国は、直ちに戦力集中を開始する。イングランド南部やロンドンの自家用車は夜間にはガソリンを抜くよう通達された。ドイツ空挺部隊が市民の自動車を奪って活動することを恐れたのである。そして、ホームガードもまた臨戦態勢に入った。老人と子供のような兵からなる部隊。それが英国の最後の護りだった。
 スカパ・フローへは北大西洋中から行動可能な戦闘艦艇が集結した。〈KGV〉級3隻、〈インヴィンシブル〉級4隻、巡洋戦艦〈ハウ〉という高速戦艦8隻に、25ノットも出せない低速艦とはいえ〈QE〉級2隻に、練習戦艦を復帰させた〈アイアン・デューク〉級2隻である。16インチ砲63門、15インチ砲24門、13インチ砲20門という膨大な砲力だった。補助艦は巡洋艦が20隻強に駆逐艦もまた60隻近くに上り、高速魚雷艇にいたっては無数というべきだった。しかし航空母艦戦力はない。彼女らは船団護衛か、EP計画に従事している。
 圧倒的な戦力というべきだった。ドイツとフランスを相手取ってお釣りが来る。まさに大英帝国大艦隊の精華というべきである。しかし、彼女らは積極的な行動を行うことは許されていない。
 サー・ダドリー・パウンド海軍軍令部長の命令がスカパの戦艦部隊(サー・ジョン・トーヴィー)を縛り付けていた。ハンバー河口以南に行ってはならない、との命令である。パウンドはこの後も続くであろう戦争のためにも、宝石よりも貴重な高速戦艦をドイツ機の猛襲にさらすことなど許容できなかったのである。パウンドの立場は、かつての大艦隊司令長官ジェリコーと相似している。すなわち、「うかつに事をおこなうならば、英国を敗北に導くには半日あれば足りる」のだ。否が応でも慎重にならざるを得ない。けれども、その判断は英海軍にとって最悪の事態を招くことになる。

 9月7日。ドイツ高海艦隊はフランドル地方のオステンド沖合に集結した。戦艦は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈ティルピッツ〉、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉、〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉に、元合衆国戦艦〈バイエルン〉(旧ニューヨーク)、〈エルザス〉(旧テキサス)、〈白河《プロイセン》律〉(旧オクラホマ)、〈ヘッセン〉(旧ネヴァダ)に装甲艦2隻である。巡洋艦は7隻、大型駆逐艦32隻に小型駆逐艦というべき水雷艇が20隻ほど。空母戦力は仮装航空巡洋艦3隻で、戦闘機と攻撃機を合わせて80機になる。これが、ドイツ海軍水上兵力の総てというべきものだった。
 しかし、欠けているものがあった。正規空母2隻と護衛の駆逐艦2隻が姿をあらわさなかった。高海艦隊長官リュッチェンス提督がロストクの基地に問い合わせると、機関の調整に手間取っているとのことであった。もはや待つことはできず、リュッチェンスは麾下の全艦に所定の位置に着くよう下令した。
 高速戦艦部隊の戦艦4隻は英大艦隊の突撃を食い止めるべくネーデルランド沖に遊弋する。上陸支援にあたるのは、〈バイエルン〉らの低速戦艦4隻に装甲艦2隻である。彼女らは艦砲射撃をドーバーに向けて行うこと事になる。〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉ら航空艦隊はル・アーブル沖で海峡西側を押さえるヴィシー・フランス艦隊を援護すると共に、海峡全域への支援が期待されている。
 なお、ヴィシー・フランス艦隊の陣容は、戦艦が〈三好《ダンケルク》育〉、〈ストラスブール〉、〈フランドル〉、〈ブルゴーニュ〉の4隻と、空母はフランス航空艦隊の母〈菜乃花《ベアルン》恵理〉と、後に「夜の鬼」と謳われる〈メイフェア《ジョッフル》〉である。さらに巡洋艦5隻に駆逐艦が8隻ばかりである。
 合衆国義勇艦隊も動くかと見られたが、今回は通商破壊だけに留まっていた。既に英国と合衆国との間に密約が成立していた。であれば、わざわざ艦艇を英国が決死の抵抗を試みるであろう海域に突入させるつもりは合衆国艦隊司令長官アーネスト・キングにはなかった。
 もっとも、キングは英国海軍が既に死に体と化していることを承知していた。未だ膨大な戦力を抱える英国海軍の最大の悩みは、艦艇を疾駆させるべき重油が不足していることである。キングは英国海軍がいかに抵抗しようとも、敗れ去ることが既定の未来だと知っていた。彼の関心は両洋を制した後、いかにして迅速に南部連合海軍を砕くかに移っていた。

 1942年9月8日。朝まだきにドイツ軍は一斉に動き出した。4時きっかりに艦砲射撃部隊がドーバー地区へ砲撃を開始した。36センチ砲40門と29センチ砲12門によるものだった。
 ドーバーにフォン・デア・ハイテ少佐率いる降下猟兵部隊が第1波として降り立った。4時20分のことである。この日を待ち望み行列していた者達にとって、長く熱い、狂乱の一日の始まりである。
 降下猟兵が英軍の反撃を排除して確保した飛行場に、He111が曳航するグライダー輸送機Go242で運ばれてきた機械化歩兵3個師団が降り立ち第2波となった。英軍の反撃は熾烈さを極めたが橋頭堡は次第に強化され、10時にはMe321〈ギガント〉50機が飛来し、第22歩兵師団の先遣隊と重装備が届いた。ホーキンジとリムニの前進飛行場を拠点にドイツ軍は占領地域を広げていく。
 そして翌9日の午後には最初のBf109がホーキンジに降り立った。ドイツは「メッサーシュミットの橋」の架橋に成功したのである。以後ドーバーとブライトンを根拠地に、ロンドンへむけてドイツ軍は進撃を開始する。
 12日早朝にカンタベリーへ突入し、翌日にはアスホードを占領。作戦開始10日後にはロンドン郊外に達している。15日後の9月23日、グロス・ドイッチュラント師団の突撃工兵中隊が国会議事堂の尖塔ビッグ・ベンにハーケンクロイツ旗を掲げることに成功した。バッキンガム宮殿へは「鍵っ子」と呼ばれる、武装SS親衛旗アドルフ・ヒトラー師団(LSAH)が突入し、制圧している。大英帝国はその首都を失ったのだ。

 陸上の戦闘の帰趨が未だ定まらない時期の作戦開始日に、英国とドイツ、フランスの海軍はその戦力を叩きつけ合った。その海戦の勝敗が陸上戦闘の行方を左右するのである。英国とドイツの命運は、持てる艦隊の双肩にかかっていた。
 パ・ド・カレー(カレー海峡)海戦またはドーバー海峡海戦、ランズ・エンド岬沖海戦、さらに北海海戦に第3次ジュットランド海戦とも呼ばれる、数次に渡る海戦は海峡西側のシェルブール沖からノルウェー沖にいたる広大な海域で繰り広げられた。その戦端を開いたのは、ゲーリングの命令下にある空軍機動部隊である。大向こう受けを狙ったゲーリングが、海軍に頼ることなく空軍のみで戦争の決着をつけるためスカパ・フローにたむろする英戦艦群を撃滅すべく空軍機動部隊に奇襲攻撃を命じたのだ。前日にオステンドへ向かわなかったのはこのためである。
 しかし、狙いこそ良かったものの、〈グラフ・ツェッペリン〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉が放った攻撃は空振りに終わった。スカパに英海軍艦艇の姿はほとんど無かったのだ。攻撃隊隊長機からの無電に空軍出身の〈グラフ・ツェッペリン〉艦長がとまどっている内に、〈グラフ・ツェッペリン〉の周囲に着弾が相次いだ。霧の幕をつき破って駆逐艦が飛び出してきた。グランド・フリートが出現したのだった。機動部隊を率いる〈グラフ・ツェッペリン〉艦長は悲鳴じみた声を上げて、ベルリンの空軍司令部へ救援要請を出した。

 ドイツ空軍機動部隊が救援要請を出した時、午前8時頃、海峡の西側シェルブール沖でドイツ航空艦隊の戦いが幕を開けた。
 当初は五月雨式に襲ってくる敵機から、海上をいく艀たちの上空を護るだけで済むと思われていた。ル・アーブルからワイト島との間に広い海域を〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉、〈三剣《エルベ》大介〉、〈イェーデ〉の三隻は遊弋していたが、事態は急を告げた。英艦隊がシェルブール沖を突破するべく戦艦を繰り出してきたのだ。
 バートラム・ラムゼイ提督率いる艦隊の主戦力は〈QE〉級の〈結城《ヴァリアント》貴之〉と〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に、練習戦艦から復帰した〈アイアン・デューク〉級の〈ベンボウ〉と〈エンペラー・オブ・インディア〉の計4隻である。前日の内にスカパを抜けだし、ペントランド海峡からリトル・ミンチ海峡、ノース海峡と抜けていって、コーンウォール突端ランズ・エンド岬を回り込んできたのである。機関を振り絞っても20ノットぎりぎりしか出せない〈アイアン・デューク〉級戦艦に合わせるため艦隊速度は20ノット以下の低速だったが、その砲力は主砲が15インチ砲16門に13.5インチ砲が20門に達する。ドイツにとって放置することなどできない戦力である。
 先手は英国がとった。砲門を開き、砲撃を開始する。南下する単縦陣をとってその主砲を全て敵に指向させている。迎え撃つヴィシー・フランス大西洋艦隊は単横陣をとっていた。その主砲は口径が15インチに満たない砲ばかりである。フランス艦隊の不利だと思われた。
 しかし、砲弾が命中して炎上するのは英艦隊ばかりだった。単純なことだった。艦腹をながながと見せている英戦艦に対し、仏戦艦は艦の正面しか見せていない。命中確率が桁違いに違うのだ。ラムゼイがそのことに気づいたときには全艦は激しく炎上しつつあり、その上空にはドイツとフランスの戦闘機が乱舞していた。

 ドイツ航空艦隊にとって状況はけして良好ではなかった。正規空母2隻の戦力80機ばかりが無いなかで、保有する90機強で海峡をいく船団の上空を守らねばならない。そのうち戦闘機は60機である。露天繋止もおこなって無理矢理積んできたのだ。
 空軍はRAFとの交戦のため英本土奥深く侵攻している。RAF沿岸航空軍団は有する〈ボーフォート〉や〈アルバコア〉、〈ソードフィッシュ〉に至るまで、持てる戦力をぶつけてきた。イングランド南部の基地は空襲で潰されているため、彼らは本土内陸からデボンシャーの丘陵地帯を縫って海峡へと進撃した。デボンの丘の陰から現れるさまは、まるで「クローゼットの中から現れる」かのようにドイツ側に思われた。
 敵影を確認するや、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ率いる戦闘機隊は突っかかっていった。マルセイユが6分間で6機もの〈ハリケーン〉を撃墜したのはこの時である。撃墜スコアは累計60機に上った。マルセイユの相棒をつとめるオノダも負けてはいない。マルセイユ機の後方を狙った〈ハリケーン〉をたたき落として50機撃墜を達成している。マルセイユらの猛攻の前に、前時代の「ポンコツ」の群はおろおろあたふたと逃げまどったが、それでも前進を諦めない。持てる爆弾をドイツの船団にぶつけるまで。それは、まさに「艱難を経て星へと至る」というRAFのモットーにふさわしい姿だった。
 とはいえ、海峡上空はドイツ航空艦隊の管制下にあった。未だAスコープしかないラダール・ゲレートではあったが、セルシン・モーターを用いてアンテナの回転にあわせて紙の上に探知されたものが印字されるように工夫がされていた。これにより距離の判別はしやすくなり、さらに航空艦隊機とフランス艦隊機にとりつけた敵味方識別機が示す信号とを組み合わせることで、作戦室においてリアルタイムでの管制ができるようになっていたのだ。数少ない戦力を最大の効率で生かすべくノルトマンを含む幕僚らがおこなったものだったが、それはここにおいて威力を発揮していたのである。
 奇妙なことに、ドイツ航空艦隊とフランス大西洋艦隊の空母部隊とはウマがあった。〈菜乃花《ベアルン》恵理〉に座乗するフランス空母部隊の指揮官モーリス・ルリュック少将が、ノルトマンの能力を認めたためだった。
 彼はフランス人らしく、ドイツ人などに空母戦ができるはずが無いと思いこんでいた(英国人は独仏ともにできはしないと踏んでいた)。しかし、〈菜乃花《ベアルン》恵理〉上でおこなわれた打ち合わせにおいて、ラインスベルガーのおごらない人となりと、作戦を立案したノルトマンの能力を知って考えを変えたのだ。それは才能のきらめきを見せつつある新進の画家を見いだした画商のようなものだったかもしれない。さらにノルトマンが趣味で水彩画を描き、それが玄人はだしのものであることを知って、ルリュックの驚きはますます大きくなり、好意へと変わった。そしてフランス艦隊もドイツ航空艦隊の指揮下にはいることを確約したのだ。
 RAF沿岸航空軍団機が来襲する中、さらに英低速戦艦部隊が突入し、加えてドーバー沖の上陸船団に英水雷戦隊が突入してきたとの無電が入った。ノルトマンは防空の手順を変えることをラインスベルガーに進言した。つまり、戦闘機隊は海峡西側に集中させ、攻撃機隊はドーバー沖へ向かわせるのである。
 ラインスベルガーは頷いた。シェルブール沖はフランス艦隊の奮戦のおかげで戦艦の突破はあり得ず、攻撃機は必要がない。むしろ、単横陣をとって機動力が封じられている艦隊を敵攻撃機から守らねばならず、それには戦闘機が要る。ところがドーバー沖においては、制空権はドイツにあって敵戦闘機を恐れる必要はなく、突入してきた敵2個水雷戦隊を潰すには攻撃機が必要なのだ。
 ノルトマンの提言を受け入れたラインスベルガーは直ちに命じた。攻撃隊、発艦せよ、と。ドイツ航空艦隊攻撃隊のTBF〈アヴェンジャー〉とフランス艦隊の攻撃機は東へと向かった。
 そこでは、マーク・ピゼイ大佐率いる水雷戦隊と、嚮導駆逐艦〈セバスチャン〉を先頭に第88駆逐戦隊がストリート・ファイトを演じていたのである。

 嚮導駆逐艦〈セバスチャン〉の艦長は意気軒昂だった。彼は白髪白髭の一見して上品な執事(バトラー)のようで、すでに孫がいてもおかしくない年齢に達してはいたが、その体力と気力は壮者を凌ぐものがあった。彼の息子はアラン・チューリング博士が主導する暗号解読計画に参加していた。それは世界初の人工知能(コンピュータ)というべき「コロッサス」へと結実するのだが、〈セバスチャン〉艦長の息子はそのプロジェクトにおいて主導的役割を果たすことになる。なお、彼は第2次大戦後に、助手を努めた女性と結婚して「最後の父親孝行」をすることになる。
 余談はともかく、〈セバスチャン〉艦長は吼えていた。海軍に奉職して数十年、これまでの労苦はこの時の為であり、今こそ海軍魂をドイツ人どもに見せつける時だった。麾下の艦長達もまた、同じ思いであった。彼らが乗り組む駆逐艦はいずれも艦齢20年になんなんとする老朽艦ばかりである。新鋭艦は海上護衛か主力戦隊の護衛に付けられていた。
 だからこそというべきか、彼らの意気は天を衝かんばかりに上がっている。ピゼイ大佐率いる混成駆逐隊(第21駆逐隊と第16駆逐隊)と共に、彼らはドイツ軍が敷き詰めた機雷原を突っ切ってのけた。まさに無謀の極みだが、テムズ河口沖やフランドル沖を迂回しては戦機に間に合わないのだ。断じて行わば鬼神もこれを避く、という典型である。もっとも実際には海峡の潮流や地形を知り尽くしていたピゼイの計算による誘導が功を奏したのだが、損害を受けることなく機雷原を抜けた10隻は神のご加護と信じた。天上にまします神は大英帝国の栄誉を嘉したまう。老いた猟犬の群は無防備な上陸船団に襲いかかろうとした。
 しかし、ドイツ艦隊が英駆逐隊の突破を許すはずもない。機動防御の任を与えられていた装甲艦戦隊が猛烈な射撃を加えてきた。29センチ砲12門のみならず、10.5センチ副砲まで乱射してきた。これに立ち向かったのが〈セバスチャン〉である。〈セバスチャン〉艦長は麾下の4隻と共にピゼイ大佐率いる主力の盾になった。
 大口径砲弾の炸裂する中を〈セバスチャン〉は突進し、同航戦に持ち込んだ一瞬、その火薬発射式魚雷発射装置から雷鳴の如き一喝を敵艦に浴びせた。そしてその大喝は瞬時にして装甲艦〈春原《リュッツォウ》七瀬〉を大破せしめた。魚雷2本が〈春原《リュッツォウ》七瀬〉の艦尾に命中したのである。ドイツ艦は艦主船体と艦尾部を別々に建造し、機関を搭載ののちに結合する方式をとっていた。命中したのは運悪く結合部だったのだ。右舷の推進力を失った〈春原《リュッツォウ》七瀬〉はよろばいながら脱落していった。残るは〈氷村《アドミラル・シェア》遊〉だったが、彼は英艦の肉薄雷撃を恐れ、僚艦を守りながら後退していった。
 機動力のある装甲艦を斥けた後は一瀉千里だった。恐れるものは何もない。ドイツ駆逐艦が15センチ砲という軽巡級の艦砲で迫ったが、巧みな艦隊運動ですり抜ける。被弾炎上する艦が相次ぐも後方には構わない。ひたすら前へ、前へ、一歩でも前へ!まさに英海軍の華の姿だった。旗艦〈キャンベル〉のマストが吹き飛べば、ほうきをかわりに立てて海軍旗(ホワイト・エンサイン)を翻した。
 いよいよドイツ戦艦隊の防衛線に迫った。この防衛線を抜ければあとは海峡を埋める船団がむき出しになる。戦艦4隻は、合衆国がジェット・エンジン技術と引き替えにドイツに売却した旧式戦艦群である。14インチ(36センチ)砲40門が英駆逐隊を指向すべく旋回した。圧倒的な火力により殲滅されるかに思われた。しかし、神は無謀を行うものを愛でるかのようで、至近弾は出るものの命中弾はない。ドイツの艦長達は貴重な戦艦を喪う愚を犯すわけにはいかないと考え、転舵し始めた。
 一瞬の混乱、そして砲火の密度が薄くなった。距離は3500ヤード(2マイル)。必中の距離。〈ヴィヴェイシャス〉、〈マッケイ〉、〈ウースター〉、〈ホイットシド〉、〈ウォルポール〉、〈ヴェスパー〉、〈ワッチマン〉、〈アンバスケード〉の8隻は、〈キャンベル〉からの短音三と長音一の発射送信に合わせて魚雷を発射した。
 転舵を開始し、ようやく惰性の付き始めた戦艦たちにかわす術はなかった。立て続けの被雷により〈バイエルン〉と〈ヘッセン〉は急速に沈下し、〈エルザス〉は推進器を破壊され、〈白河《プロイセン》律〉は右舷に傾斜をおこしていた。
 戦艦の防衛線を粉砕した駆逐隊は上陸船団のただ中に飛び込んだ。そこは、猟犬の園だった。

 ドイツの上陸船団、征服王ノルマンディー公ウィリアムズ以来のフランスから英国へと渡る侵攻船団である。それは威風堂々たるものとは、お世辞にも語れない。
 モーターボートと漁船、ヨット、沿岸用汽船。艀に渡し船。そして曳船に引かれた船列。河川用の平底船がびっしりと固まって曳かれている。
 5万トン級客船の〈ブレーメン〉と〈森原《オイローパ》さとみ〉が、それぞれ1個師団弱をのせてル・アーブルからブライトンへと向かっている。しかし、それは少数であり、大部分のドイツ兵は平底船の船縁にしがみついて40キロの海路を往っているのだ。
 そんななかに敵が殴り込んでくればどうなるかは火を見るより明らかだった。そして英駆逐隊はまさに船列のただ中に躍り込んだのだ。
 その戦いはもはや虐殺といっても差し支えなかった。曳船を砲撃で沈め、船列には体当たりをかける。振り落とされたドイツ兵は装具の重みで沈んでいった。装具をはずすことに成功したものには別の運命が待っていた。ある者は駆逐艦のスクリューに巻き込まれて挽肉となり、海上に頭を出した者は俯角を付けたポムポム砲や機銃の掃射の的となった。
 ドイツ兵もまたマウザー小銃で応戦したが駆逐艦に通じるはずもなく、却って英軍の反撃を誘ってしまっている。英軍はありとあらゆる火器で海上のドイツ兵を薙払っていった。
 かくもピゼイ隊と〈セバスチャン〉らは魔王の如く荒れ狂った。それはサザークで荒くれ者どもが徒党を組んでおこなうストリート・ファイトそのもの。まさに地獄の光景。彼らの攻撃により2個師団に近い数の兵士が沈んでいる。
 しかし、彼らは深入りしすぎていた。彼らに続いて巡洋艦らが飛び込み、戦果を拡張していたならば事態は異なっていたかも知れない。しかし、後続は来なかった。彼らがいかに暴れても孤軍でしかない。そして、これ以上の被害を止めるべく戦艦の救助を放り出して、駆逐艦や〈フィーリア〉級護衛艦が退路を絶つべく集結を始めていた。上空にはドイツ航空艦隊攻撃機の姿があった。ノルトマンが放った攻撃隊が到着したのである。

 先陣を切って飛び込む駆逐隊を追って巡洋艦部隊が来るはずであった。しかし彼らは来なかった、いや来られなかったのだ。ドイツ航空艦隊と空軍対艦攻撃隊の襲撃を受けたのである。
 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉では無電の傍受と解析をおこない、戦艦のそれよりも広い作戦室(客船時代のホールの名称から「海神の部屋(ネプツーン・ツィマー)」と呼ばれている)に英本土周辺の地図を広げて、敵味方配置のプロッティングをしていた。本来ならばパリの西部方面艦隊司令部でおこなっているようなことをやっていたのだ。それで判明したことは、英国とドイツの高速戦艦部隊が北海で殴り合っている間隙を縫って英国の補助艦群が急速に南下しているという状況だった。東西での戦艦の砲撃戦は陽動であり、この巡洋艦と駆逐艦の群こそが主力部隊なのである。
 航空艦隊はこのことをリュッチェンス提督とザールヴェヒター提督の司令部に通報した。しかし、高海艦隊主力を率いてグランド・フリート主力と激しく殴り合っているリュッチェンスに指揮が執れるはずもなく、西部方面艦隊司令部のザールヴェヒターは上陸船団の運行スケジュールの調整で手一杯だった。最悪の事態である。この危機において護衛部隊の指揮をとるべき人物がいないのだ。
 本来ならばリュッチェンスに指揮権があるのだが、彼は北海で砲撃戦の真っ最中であり、またリュッチェンスの上位者としてザールヴェヒターがいるが、パリの司令部では臨機応変の指揮は執れず、またそれをなしえる設備もなかった。西部方面艦隊司令部はマルシャル・フェジョル通りにあるナポレオン三世時代の四階建てのアパルトマンにおかれており、平時の業務はともかく戦時の司令部施設としては不適当過ぎた。結局現地での最上位者として航空艦隊司令官のラインスベルガー少将が、ザールヴェヒター上級大将の黙認のもと、海峡全体の護衛戦の指揮を執ることになったのである。
 曲がりなりにも指揮系統が確立するや、航空参謀ノルトマン少佐は直ちに防御作戦を立案した。目下の急務は、英巡洋艦部隊を潰すことだった。フランドルから発したB船団内で暴れている敵駆逐艦は護衛部隊に任せてしまえばよい。彼らがいくら暴れようとも、攻勢限界点はあり包囲して殲滅することはたやすい。それより大事なのは、強力な打撃部隊の侵入をこれ以上許さないことだ。
 ノルトマンはラインスベルガーの承認を得て、攻撃隊指揮官アスティグマティスムス少佐に攻撃目標の変更を伝えた。テムズ河口沖に来る敵巡洋艦部隊を攻撃せよ。さらにノルトマンは空軍に連絡をとった。それもルーアンに展開している空軍対艦攻撃部隊KG100の指揮官に、直接話しかけて了解を取り付けたのだった。
 KG100では双発爆撃機Do217に空対艦誘導噴進弾ヘンシェルHs293Aを装備して空中待機させていた。彼らは霧の濃い北海に出撃するよりもドーバーとノルマンディーに出るほうを喜んだ。海峡に霧はかかっていない上に、近いので反復攻撃も多く行える。そしてヴェーファーの息のかかっている彼らはゲーリングの北海出撃命令に反発もしていたのだ。霧と濛気で敵艦の所在を発見しにくい北海へ出撃してどうしろというのだ、同士討ちを起こしたり、行方不明機をだせというのか。
 KG100の攻撃隊は勇んで、ノルトマンが示した目標へと向かっていった。なお、ノルトマンはノルマンディーへの到着時間を指定している。それは全力で飛ばして30分以内で来るようにというものだった。ルーアンからノルマンディー沖まで直線距離にして約200キロ。両翼下にHs293Aを2発(合計1.6トン)吊下して出せる速度は450キロがいいところであり、要求は大変に厳しいものだった。
 かくして海峡の東の戦線では、マーゲイトの北方で英巡洋艦部隊は壊滅的な打撃を被ることになった。機雷原を抜けるのに手間取った上に航空艦隊の〈アヴェンジャー〉の雷撃に対する回避運動で隊列が乱れ、それの立て直しを図ったところをKG100に襲撃されたのだ。
 英国はドイツが誘導兵器を開発していることを知悉しており、巡洋艦部隊は直ちに妨害電波を発振した。しかし対抗策はドイツも練っていて、36機の攻撃隊はすぐさま有線誘導に切り替えて発射したのである。発射弾数は72発。Hs293Aの命中精度は通常の爆弾や魚雷よりも遙かに高い。SC500弾頭(炸薬295キロ)がマッハ0.85で突入したのでは、戦艦でもなければその打撃に耐えることはできない。
 この一撃によって〈グロスター供咫◆劵侫ジー〉、〈エクセター〉が轟沈している。その他の艦艇にも大小の被害が相次いだ。そしてKG100に続いて雷撃部隊KG26が姿を現した。He111が36機である。抱えている魚雷は72本。〈ヨーク〉に座乗する巡洋艦部隊指揮官は撤退信号を発さざるを得なかった。ドイツは一つの危機を脱したのだ。

 西の戦線、ノルマンディー半島沖でも危機が発生していた。英艦隊は単縦陣で艦腹を見せての砲撃では単横陣をとるフランス大西洋艦隊に対して不利と見て取ると、乱戦に持ち込むべく左に舵を切って距離を詰めにかかったのだ。フランス艦隊もまた対抗して動き出した。旗艦〈三好《ダンケルク》育〉を先頭にした単縦陣をとるために一斉に左へと舵を切った。回頭運動のために砲火は停止し、英艦隊に好機が訪れたかに見えた。
 しかし英艦隊は19ノットしか出せないのに対し、フランス艦隊は26ノットでの艦隊速度を出すことができる。その上、英部隊との交戦から駆けつけた駆逐艦部隊が煙幕を張り、そして爆弾を抱えてきた戦闘機部隊が英戦艦の周囲に爆弾を落とし、機銃掃射を加えた。戦闘機隊はノルトマンの厳命を受けていた。なんとしても30分の時間を稼げ。英艦隊を回頭中のフランス艦隊に近づけるな、と。
 ドイツとフランスの戦闘機は執拗に英戦艦にまとわりつき、その針路前方に爆弾を落とした。ドーバーから戻ってきた攻撃隊の半数も機銃掃射に加わる。残り半数は母艦に着艦して雷装を施すべく格納庫へ下げられた。
 戦闘機隊は爆弾投下や機銃掃射をかけて奮戦してはいたものの、それだけでは戦艦を押しとどめることはできない。英艦隊は、単縦陣への転換を終えきっていないフランス艦隊へ砲火を浴びせつつ迫っていった。
 そこに文字通りエンジン出力を振り絞り、20分でDo217の12機が辿り着いた。直ちに攻撃が開始され、24発のHs293Aはその半数近く10発が4隻の戦艦へと命中した。砲塔や甲板装甲はHs293Aの打撃に耐えたが、上部構造物特に砲撃指揮系統に大きな被害を受けており、先頭をいく〈結城《ヴァリアント》貴之〉は猛火に包まれた。そしてフランス艦隊は陣形転換を完了して砲撃を開始した。彼我の態勢はT字形を描くようになっていたのだ。
 その態勢はT字形というよりL字形というべきだった。フランス艦隊はチャネル諸島の方向へ向かい、英艦隊はフランス艦隊の北端に食らいつくかのように動いていたのである。ともあれ、フランス艦隊は主砲全門を右舷へと指向させた。33センチ砲16門、34センチ砲24門は一斉に火蓋を切った。ここに、メルス・エル・ケヴィルの復讐は果たされようとしている。
 しかし英艦隊はここから驚異的な粘りを発揮した。互いに横腹を見せつつの全力砲戦である。すぐさまフランス艦隊に命中弾を与え始めた。とりわけ「訓練の鬼」の異名をとる〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の命中率は高く、彼女の放った大重量弾は吸い込まれるように〈フランドル〉に当たり、寸時にフランス巡洋戦艦を鉄くず同然の姿へと変えた。旗艦〈三好《ダンケルク》育〉や〈ストラスブール〉にも至近弾、命中弾が相次いでいる。さらに英艦隊は〈結城《ヴァリアント》貴之〉を除いて甲板上の火災を鎮火し、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉に至っては破孔をふさぎつつあった。砲撃の最中ということを考えれば、恐るべき回復力だった。
 フランス艦隊司令官ジャンスールは高速を利して英艦隊の背後へと回り込むよう運動させた。今度こそT字型を描いて完全にトドメを差さんとしたのである。信じがたい回復力を見せる敵と長時間に渡って戦い続けるのは味方に不利に思えたからだ。そして英艦隊はジャンスールの思惑を超えた動きを見せた。シェルブール沖に分厚く敷設された機雷原へと全速で突撃を始めたのだ。
 無謀としか言い様のない英艦隊の動きにフランス艦隊は驚き呆れていた。機雷が後始末をしてくれるだろう、追撃するまでもないと考えたのだが、そこにラインスベルガーから切迫した通信が入った。
 ドイツ・フランスの両航空艦隊は英軍高速魚雷艇〈椎名《MTB》繭〉隊の襲撃を受けており、レストランで子供が泣きわめいているというべきか、またはランチ・タイムに客が殺到しているかのような乱戦状態に陥っていて、転舵に次ぐ転舵で攻撃機を発艦させる余裕が無かったのである。
 護衛部隊の〈神塚《Z25》ユキ〉は酔漢にからまれているような有様で寄りつく魚雷艇を薙ぎ払うのに懸命だったし、〈志摩《Z20》紀子〉は風船のようにふわふわと、しかししつこく襲ってくる「ポンコツ」の群を37ミリ機関砲や20ミリ機銃で追い払うので手一杯だった(ドイツ駆逐艦の主砲は平射砲で対空射撃はできなかった)。要するに、戦艦一隻だけでも機雷原突破に成功した場合、それを押しとどめる戦力は機雷原の向こうに存在しないのである。
 ジャンスール提督は追撃命令を下した。英艦隊を追うように艦隊を時計回りに運動させたのである。フランス艦隊は増速して右へ舵を切り、英艦隊と同航砲戦の態勢に入ろうとした。
 だが、英艦隊はフランス艦隊のその動きを待っていた。旗艦〈結城《ヴァリアント》貴之〉から信号が発せられるや、4隻の戦艦は右舷180度の一斉回頭を始めたのだ。それも北方のフランス艦隊を砲撃しながら。

 フランス艦隊や上空を舞っている戦闘機隊はこの一大運動に目を奪われた。まるで演習を行っているかのように英艦隊は粛々と回頭していく。度肝を抜かれたフランス艦隊は砲撃命令を出すのが遅れた。惚けている閑などないことに気づいたジャンスール提督は直ちに砲撃を命じた。しかしその命令は遅すぎた。殿艦〈エンペラー・オブ・インディア〉を先頭にした英艦隊が猛撃を加えたのである。今度は〈ストラスブール〉に射弾が集中し、たちまちの内に〈ストラスブール〉は火災に見舞われてしまった。主砲1基しか砲力の残っていない〈フランドル〉に対してもトドメの一撃が与えられ、水線部に大穴を開けられた〈フランドル〉は傾斜が回復不可能な状態へとなっていた。そして英艦隊は全速で逃走を開始した。
 英艦隊にすかされた格好のフランス艦隊は、にっちもさっちもいかない状況に陥ってしまった。大回りで追撃しては時間をひどくロスしてしまうし、一斉回頭をするのが最善とはいえ艦隊錬度が足りない現状でそれをおこなえばどんな面倒が起こるかわからないのだ。しかも隊列の中央に位置する、大破した〈フランドル〉と火災がなかなか鎮まらない〈ストラスブール〉が艦隊運動を阻害しかねなかった。ジャンスールは〈フランドル〉と〈ストラスブール〉をはずして追撃することに決め、〈ストラスブール〉に〈フランドル〉を護衛してシェルブールへ向かうよう命じた(結局、〈フランドル〉は浸水に耐えきれずに沈没した)。〈三好《ダンケルク》育〉と〈ブルゴーニュ〉は左へ舵を切り、全速で追撃を開始した。28ノットの艦隊速度を出せばすぐさま追いつくはずである。
 しかし、ラムゼイが座乗する〈結城《ヴァリアント》貴之〉がフランス艦隊の追撃を阻んだ。この時〈結城《ヴァリアント》貴之〉は火炎に包まれていて既に瀕死の状態だったが、その主砲はいまだ健在だった。15インチ砲8門が轟然と火を噴いた。その主砲弾は〈三好《ダンケルク》育〉の艦首に命中して大浸水を引き起こした。次弾は〈ブルゴーニュ〉の艦腹を大きくえぐってのける。フランス艦隊はその高速力を奪われたのだ。
 追撃を不可能にされたジャンスール提督は怒り狂い、〈結城《ヴァリアント》貴之〉に砲撃を集中させた。33センチ砲弾と34センチ砲弾をその身に引き受けながら、〈結城《ヴァリアント》貴之〉はなおもしぶとく主砲を放っている。その姿はまるで800年前、リチャード1世獅子心王に付き従う騎士のようであり、鎌倉に駆けつけんとする武士のようでもあった。孫に目を細める好々爺こそが〈結城《ヴァリアント》貴之〉にふさわしい姿だったが、戦争はこの威厳にあふれた老戦艦に戦って死ぬことを要求したのである。
 そして遂に主砲は沈黙した。〈結城《ヴァリアント》貴之〉は黒煙を激しく立ち上らせつつ、英国を力の及ぶ限り守ろうとした古武士は海面下に身を沈めた。陸地へ向けて発信された、その最後の発光信号は「ソーリー(すまない)」、の一言だった。一人残した姉、〈結城《ウォースパイト》紗夜〉の身を案ずるかのように。

 〈結城《ヴァリアント》貴之〉の沈没が通報されるや、英海軍は全戦線で後退していった。もはや勝機はないと、海軍省のパウンド軍令部長が判断したのである。攻勢主力として突き出した鋭剣の剣身たる巡洋艦部隊は空対艦誘導弾によって叩き折られ、さらに雷撃をうけてかなりの損害を出していたからだ。これ以上の大型艦の損失は、本土脱出以後の海軍の存続に関わる。サー・ダドリー・パウンドと彼の補佐を努めるサー・トーマス・フィリップスはうなずきあった。彼らの顔面は蒼白だった。
 本土の危機を海軍が救う、という国民の期待を、英海軍は裏切ってしまったのだ。

 駆逐艦〈セバスチャン〉の艦長は腕組みをしたまま艦前方の水平線をにらみつけていた。夕刻の空は血のように赤く染まっている。吹きさらしの露天艦橋で、弾片によって制服を切られて半裸といってよかったが、無傷の彼は微動だにしない。水兵達が艦長を信仰の対象であるかのように見上げている。この戦いの後、〈セバスチャン〉艦長が一睨みするだけで敵機は墜ち、一喝すれば戦艦が沈んだという伝説が海軍中に広まったのも、うべなるかな、というものだった。艦長が艦長室へと引き上げたとき、露天艦橋には白く靴の跡が残っていたのだ。
 あの後、大乱戦の挙げ句にピゼイ隊は全艦が撃沈された。血路を開き、脱出に成功できたのは〈セバスチャン〉と〈ヴェスパー〉だけだった。〈セバスチャン〉の機関は今なお全速発揮が可能だったが武装の殆どが破壊されていた。〈ヴェスパー〉は艦上部がスクラップと化し、艦長以下首脳部は全滅して機関長が指揮をとっている。さらに機関出力が半分以下に落ちて〈セバスチャン〉に曳航されていた。老いてなお矍鑠たる〈セバスチャン〉である。
 〈セバスチャン〉艦長は水兵達に聞こえぬよう口の中でつぶやいた。腐れキャベツ野郎どもめ、裏切った蛙野郎どもめ、今日はここまでにしておいてやる。儂は何度でも海峡へ来て、貴様らの輸送船に魚雷を叩き込んでくれるぞ。
 彼は決意を文字通り実行してのける。ローサイスで修理を施した後、〈セバスチャン〉は幾度も英本土南部への襲撃行に参加するのである。そして最後の脱出船団、D−8船団を守りつつ英本土を離れたのだった。

 〈結城《ウォースパイト》紗夜〉はただ一隻でひっそりとスカパ・フローに帰ってきた。フランス駆逐艦の追撃やUボートと雷撃機の襲撃をかわしながらの決死の逃避行でも、表面上彼女に何らのダメージを与えていないように見えた。しかし〈ベンボウ〉と〈エンペラー・オブ・インディア〉はクライド湾のグリーノック基地に辿り着くだけで精一杯で、気息奄々といった状態だった。彼女らはこの後グリーノックから動くことなく、ドイツ軍に鹵獲されることになる。
 スカパ・フローにはグランド・フリート主力が既に帰還していた。戦艦も〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉を除く艦が揃っている。しかし全艦の意気は阻喪していた。
 北海において、優勢にありながらドイツ高海艦隊を叩ききれなかったのだ。

 北海における戦いは、英国8隻、ドイツが4隻もの戦艦を投入したにしては余りにもしどけない結果に終わった。彼我の損害は〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉大破、〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉撃沈(大破後、避退中に被雷して沈没)でしかない。他の艦には大小の被害が発生しているが。
 その根本原因は双方の海軍総帥の意向によるものだった。パウンドは脱出計画後のことを考慮してハンバー河口以南への艦隊の進出を規制し、ドイツ海軍戦艦部隊を釣り上げる以上のことをさせなかった。
 ドイツのレーダーは攻撃しての戦果を求めていた。艦の沈没と引き替えにしても目に見える戦果を上げねば、海軍の地位が陥没しかねないのだ。ヒトラーはあくまでも陸棲動物でしかない。リュッチェンスは劣勢の艦隊を率いて攻勢を図るが、包囲されないよう激しく艦隊運動をおこなっての機動防御をおこなうので精一杯だった。8隻の高速戦艦とはそれほどに重圧を掛けうる戦力だったのだ。
 グランド・フリートを率いるサー・ジョン・トーヴィーにすれば、陸から要らぬ介入をされているとしか思えなかった。彼の立場を理解しているのは、敵手たるギュンター・リュッチェンスかもしれない。
 結局、グランド・フリートはドイツ空軍のマルティニ通信総監がおこなった電波妨害を逆用してドイツ空母2隻を追い回し、英艦隊のドーバー突入(英艦隊にその意図はない)をふせぐべく北上してきた高海艦隊と交戦して、主隊は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉らを拘束したものの、機関故障で遅れてきた〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉が南への突破を図ったところを主力から分離した〈榎本《グナイゼナウ》つかさ〉らが阻み、挙げ句に〈日野森《ビスマルク》あずさ〉によって〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉が大破に追い込まれたのだった。そして巡洋艦部隊が撤退したのを機に、戦艦部隊もまた後退したのである。
 戦術的には英艦隊の辛勝だったが戦略的政略的には大敗北を喫した。稀代のアド・マン、ゲッペルス率いるドイツ宣伝省は世界中にドイツ高海艦隊の勝利を高らかに宣伝している。確かに4隻の戦艦で倍に及ぶ敵艦隊を押しとどめたのであるから勝利には違いない。ドイツ側1隻が沈められたことを報じないだけであり、それは単に説明不足ということでしかない。
 タイムズ紙を始めとする英国のマスコミは激昂した。トーヴィーを怯懦の海将と罵るだけでなく、史上もっとも艦隊司令長官にふさわしくない人物とまで語った。英国マスコミの論評は酷評にすぎる。トーヴィーは機会あらばドーバー突入を狙っていたのだが、パウンドからEX計画のことも伝えられていたのである。であればこそ、己が座乗する〈KGV〉以下の高速戦艦がどれほど貴重なものかを考えざるを得なかったのだ。
 トーヴィーはEX計画こと「ダンケルク」作戦において、グランド・フリート主力を無事に脱出させることに尽力する。事実、〈ハウ〉と〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉をのぞいた高速戦艦6隻はシンガポールへと辿り着いた。もしも彼女らが存在しなければ、同盟国日本からどのような扱いを英艦隊がうけたかは考えるまでもない(史家の間で英海軍について長期に渡る利害得失に基づいた論争がおこなわれ、未だに結論がでていない)。
 北海における敗北の真の責任はパウンドと宰相チャーチルにある。EX計画など考慮せず、あくまでも戦い抜けと命じたならばグランド・フリートはドーバーへ突入を果たしたであろう。わずか10隻の駆逐艦がやってのけたのだ。戦艦にできないはずは無い。高速戦艦8隻の突入に加え、フランス艦隊などを放っておいて低速戦艦4隻をもドーバーに投じていれば、ドイツの攻勢を頓挫させ得たのではないかと推定されている。要するにパウンドの作戦は巧緻に過ぎたのだ。
 以上のことを理解する彼らはトーヴィーの責任を問わず、そのままの地位に付けていた。それはトーヴィーにとって茨の途だったが、彼は任務を果たし続けた。そして、一言も弁明せずにシンガポールにおいて客死した。最終階級は大将。彼の名誉は90年代になってから回復される。
 1951年7月末、マルタ諸島沖でグランド・フリート主力はイタリア艦隊と交戦して、勝利を納めたものの壊滅するに至った。9年前に義務を果たし得なかった英海軍は、ようやくにして贖罪の時を得たのである。その時の司令官がトーヴィーを掣肘していたフィリップスだったのは、余りにもきつい歴史の皮肉だった。

 ドイツ航空艦隊の面々はへたり込んでいた。9月8日の一日だけでどれほどの戦いが行われたのだろう?とにかく殊勲は整備員達にあることは間違いがなかった。彼らの尽力がなければ、どれほどの事ができただろうか。魚雷艇の肉薄をうけて左右への転舵が相次ぐなか、彼らは攻撃機に雷装や爆装を施し、戦闘機には燃料や弾薬を補充したのだ。戦闘章の授与は当然だ。疲労に沈み込みそうになりながら、ラインスベルガーはそう思った。攻勢限界を悟った敵は戦力の温存を図りつつ、こちらの戦力を奥地へと誘い込んでの撃滅を図るだろう。明日以降も忙しくなるな、上陸作業は明日以降が本番だ。今日ほどには忙しくないだろうけれど。
 ノルトマンもまた疲労でくずおれそうになりながらも、報告のとりまとめや戦訓の調査に余念がなかった。報告に依れば明日以降は今日よりも余程楽に戦えるはずだった。英国に残されている航空戦力の数を考慮するならば、今日一日で相当の消耗を引き起こした筈だからだ。それにしても際どい場面が多すぎた。空軍対艦攻撃隊が待機していなければどうなったことか。やはり航空艦隊の攻撃隊戦力は大いに拡充しなければならない。でなければ、ドイツ海軍は外洋海軍へと成長できない。ノルトマンはのどにからむほど濃い珈琲を飲みながら結論づけた。

 かくて狂乱の一日は終わった。ドイツは戦艦3隻を喪失、2隻大破、装甲艦1隻大破、駆逐艦多数に損傷という大きな損害を被ったが、英海軍の攻勢を凌ぎきり、ドッガー・バンク以南の英本土近海の制海権を確保したのである。
 以後、ドーバー海峡を越えて、陸続と後続部隊や物資が英本土へと上陸し、ドイツ軍は英本土を蹂躙していく。その上空には空軍機に混じって、海軍航空隊の機体も舞っていた。
 かつて「ぬいぐるみの群」と嘲られたドイツ航空艦隊が、海峡戦における勝利の立て役者となった。今はもう、誰も嘲りはしない。
 〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉は、実力でメイン・ヒロインの地位を手に入れたのだ。

 ドイツ本国にあって、ひとり憤懣やるかたないのはゲーリングである。せっかく手に入れた空母2隻は英艦隊の襲撃にあい、損傷を被りながらもヴィルヘルムスハーフェンへと帰還した。しかしスカパ・フローへ攻撃にはなった全機は損失してしまっていたのだ。
 それは当たり前のことで、Bf109やJu87Dにノルウェーへ辿り着く航続力はない。撃墜された機を除く彼らはスコットランドの英軍基地に着陸して投降していた。〈グラフ・ツェッペリン〉の艦長は拳銃自殺し、〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉艦長はサボタージュ容疑にかけるならかけろと、裁判であらそう姿勢を示していた。無電の早打ちを仕込んでいた部下が喪われたことに憤っているのだった。
 無謀な作戦を強要したからだと、何も語らないながらも側近の目は語り、ゲーリングはより一層荒れた。
 そして雪辱を期して、11月に英本土脱出船団の襲撃任務に空軍機動部隊を投入し(高海艦隊主力の陽動)、今度は〈グラフ・ツェッペリン〉が〈遠野《ヴィクトリアス》美凪〉によって撃沈される。空軍機動部隊は敗残の英機動部隊にすらも太刀打ちできないことを証明しただけに終わったのだった。
 最終的に空母〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉は海軍航空艦隊へと戻された。しかし、恨みに思うゲーリングは執拗に海軍と確執を引き起こすのである。


風雲


 ドイツ航空艦隊にとっての大失点は11月7日に生じた。
 船団襲撃に出発した〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈ティルピッツ〉の護衛に失敗し、空母〈千鶴(供法咾旅況發砲茲辰董劵謄ルピッツ〉が撃沈されたのである。それは洋上行動中の戦艦が航空機によって沈められるという、世界初の事件だった。

 F5Fを操るマルセイユは〈ティルピッツ〉を撃沈して逃走を図る〈彗星〉隊を捕捉すべく、フル・スロットルで追撃していた。護衛戦闘機の奮戦によって近づけなかったものの、彼には〈ティルピッツ〉に初弾を投じた〈彗星〉を誰が操っていたか知っていたのだ。マルセイユは日本海軍遣英女子航空隊のファンであり(発行されたブロマイドは全て揃えていた!)、特に隊長水瀬秋子少佐にあこがれすら抱いていた。複数の父、複数の母を持つという複雑な家庭環境によりマザー・コンプレックス気味だったらしい。もっとも、だからといってどうこうしようとは考えていなかったようだ。彼女に傷一つ負わさずに不時着水させたならば、丁重に航空艦隊へと案内してデートを一回でもできればと考えていたのである。しかし不時着水させることができないのであれば、ただ近くから彼女を眺められれば良いとも思っていた。
 ドイツ中の全女性に嫉妬の炎で灼かれかねなかった水瀬少佐であったが、気にすることもなく帰投してしまっていた。マルセイユが相棒のオノダに押しとどめられたからだ。
「ヨッヘン!日本の空母に近づきすぎるぞ」
「…おまえにはフリダちゃんがいるからいいよなー」
「なんで、そこで俺の女房の名前がでてくるんだよ!」
「うるへー!」
 ともかくも水瀬少佐は、ドイツのプレイボーイ(マルセイユのその方面の撃墜戦果は赫亦たるものだった)の求愛を軽くいなしたのだった。なお、後に高名な「大西洋の星」が追撃していたことを知った水瀬少佐は、一度手合わせしてみても良かったかも知れません、と左手を頬にあてて婉然と微笑むという大人物ぶりを発揮している。水瀬少佐の返答を知ったマルセイユが快哉を叫んだかどうかは不明である。
 閑話休題。〈ハウ〉撃沈と引き替えに中破した〈日野森《ビスマルク》あずさ〉から〈ティルピッツ〉へと移乗したリュッチェンス提督は攻撃続行を命じていた。レーダーの「余力あらば攻撃を続けよ」という指令に従ったのである。そして艦長カール・トップ大佐や司令部要員もろともに海底へ沈んだ。

 高海艦隊司令長官戦死の後、航空艦隊司令官ラインスベルガーは更迭されることになった。
 本当は〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉を後方に置き去りにし、索敵のために戦闘機をも分散配置させたリュッチェンスに責任があるのだが、死者は既に罪を贖っている。表向き健康を害したためということで、アドルフ・ラインスベルガーは中将に昇進の上、予備役に編入された。
 航空艦隊司令官の後任にはチリアックス中将が就いた。これまで少将が配置されていた部隊に中将が就くのであるから、表面上は部隊の格が上がったことになる。地位の高い者をつけることでゲーリングの横槍を防ぐとも説明された。しかし、「意地悪なツァーリ」という渾名を奉られている口やかましい提督にノルトマンらは困惑し続けることになる。これまで伸び伸びと絵を描いていたところに、お堅い美術教師がこれをモデルにせよと押しつけを図るようなものだったのだ。
 結果、正規空母を取り上げられた経緯や、ラインスベルガーの処遇と合わせて、航空艦隊の事実上の采配をとるノルトマンの意欲は衰えていった。
 彼は、航空艦隊が海軍と空軍の確執の対象となり、また海軍の主流をなす水上砲戦派提督たちが自身に箔を付ける道具とされることに反発を覚えている。「翼人」に正面から戦いを挑める力は、未だドイツ航空艦隊に無い。力を蓄えなければならない時期でありながら、潜水艦派と水上艦派の派閥争いの標的にされている。喜びもなく義務だけが増し、急速に嫌気がさしていった。理性では納得していても感情が納得しない。ノルトマン少佐には、そういう神経の細かい一面があった。
 カリブ海戦時にノルトマンが精彩を欠き、1951年の秋に任務放棄に等しいことをする、その遠因がここにあったのである。


乱離


 1945年4月上旬、空母〈愛沢《シャルンホルスト》ともみ〉はニューファンドラント島の南岸、ミクロン島沖に進出していた。前年に軽空母〈愛沢《ライン》ともみ〉に改名されている。他の軽空母が北海に流れ込む河川の名を艦名としているのに倣ったのである。
 英本土海域での死闘から凡そ2年半の月日が経過していた。ドイツ航空艦隊の主戦力たる空母部隊は5隻の改装空母と正規空母〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉、計6隻からなるまでになっていた。そしてドイツ本土では戦艦〈木ノ下《シャルンホルスト》留美〉の設計図を流用したA郡呂硲銑鹸呂建造中であり(親衛隊所属のA拘呂盒鉾襪坊造中)、さらに英国で捕獲したアングルド・デッキを持つ空母〈インドミタヴル〉(後の〈《グラフ・ツェッペリン供佞澆舛襦咫砲綿密な技術調査の上で、ドイツ空母にすべく改装工事の真っ最中である。
 しかし、ここ北大西洋にいるのは旗艦〈愛沢《ライン》ともみ〉、〈三剣《エルベ》大介〉、〈イェーデ〉、〈木ノ下《オイローパ》さとみ〉に〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉の5隻である。〈七城《ヴェーゼル》柚子〉は機関の故障により「居残り」となって実戦参加は叶わなかった。〈愛沢《ライン》ともみ〉が相変わらず旗艦を努めるのは、その通信能力と戦闘指揮室「海神の部屋」があるからだった。もっとも〈愛沢《ライン》ともみ〉が航空艦隊旗艦を努めるのは、この戦いが最後となる。彼女の大きさではジェット機運用ができないからである。
 そして彼女らが何故、北米大陸沿岸にいるかというと、自由フランス軍と英軍が、ニューファンドランド島の南側にあるフランス領ミクロン島に航空基地を設けたからだった。サンピエール島とミクロン島の住民7千人が自由フランス入りを希望していたとはいえ、自由フランス軍の動きは軽挙に過ぎた。
 ドイツはこれを奇貨とし、同盟国フランスの領土を暴虐なる亡命英仏両政府から守ると宣言して出兵したのである。

 ケープ・ブレトン島沖海戦(フランス側呼称はルイスバーグの復讐戦、またはアカディー海戦)において、航空参謀ノルトマン中佐はドイツ艦隊に新機軸を持ち込もうとした。日本海軍が東太平洋海戦で採った、戦艦を組み込んだ防空陣形をドイツ艦隊も組むことを提言したのである。しかし、それは老提督達の容れるところとはならなかった。老提督達にすれば空母は戦艦の上空を守るためのものである。政治力に長ける老提督達に比べ、一介の参謀でしかないノルトマンの影響力はたかが知れていた。
 もっとも、ドイツ海軍の現状からすればノルトマンの提言は無謀というものであった。空母を手に入れてから日が浅い上に、また航空主兵主義派士官も十分に育っておらず、個艦の防空力強化は図っているものの、艦隊単位でのシステマティックな防空についてはまだ理論段階でしかないドイツ海軍に、いきなり日米海軍並の防空輪形陣をとらせようというのである。
 これまで段階を踏んで(それでも短時間での急成長である)戦力強化を図ってきたノルトマンにしては、余りにも奇異な主張だった。不満を溜め込んでいたノルトマンがはけ口を求めて、わざと主張したのではないかと推測されている。
 防空陣の能力を十二分に引き出すには、艦隊建設段階からの構想と指揮系統の整備が欠かせない。ところが対空護衛艦自体がドイツには存在していない上に、防空指揮の権限が誰にあるか、またその権限がどこまで及ぶのかで一悶着が起きかねないのだ。空母部隊と戦艦部隊を明確に分離している弊害が現れている。法理論上では戦闘グループ指揮官が先任として全体の指揮権を持つが、彼が戦艦に座乗したのでは空母部隊と分離しているため有効な指揮が執れるかは不分明だった。であれば戦闘グループ指揮官が空母に座乗すればよいのだが、脆弱かつ敵の攻撃を真っ先に受ける空母では指揮に問題が発生しかねない。リュッチェンスが高海艦隊司令在職のまま戦死したことが尾を引いていたのである。では戦艦に座乗し、かつ戦艦が空母部隊に同行すればよいとしても、それでは先のノルトマンの提言を却下したことが不当なものになってしまう。論争は堂々巡りに陥った。
 結局、空母群を12隻の「バルバラ改装」を施した駆逐艦で囲んで曲がりなりにも輪形陣を組み、フランス空母〈菜乃花《ベアルン》恵理〉、〈メイフェア《ジョッフル》〉、水上機母艦〈片瀬《コマンダンテスト》雪希〉の第1群、〈愛沢《ライン》ともみ〉ら三隻からなる第2群に、〈木ノ下《オイローパ》さとみ〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉で組む第3群が全体として先行する形となった。空母部隊の後をしずしずと、戦艦部隊と上陸船団が続くのである。
 ノルトマンはミクロン島とニューファンドランド島から散発的に来る爆撃機の迎撃とミクロン空襲をフランス部隊にまかせ、ドイツ部隊を南方から来るであろう英軍に備えさせた。チリアックスはノルトマンが雷装待機させた攻撃機を爆装に変更することを強硬に命じたが、押し問答をしている内に英軍機出現の報を聞いては黙らざるを得なかった。兵装転換をしていたならば英軍に凱歌が上がったであろう事が分かったからだ。
 ドイツ海軍初の空母戦は激烈ながらも短時間で終わった。ハリファックスから突き上げてきた英艦隊を独仏連合艦隊が迎え撃つ格好となっている。独英ともに艦載機を敵空母撃破のために投入しあい、F5F〈エビルキャット〉(47年に発動機をDB605に換装する)を操るマルセイユらが〈シー・ファイア〉を追い散らし、攻撃隊が〈アーク・ロイアル〉を仕留めたことで事実上の決着が付いた。さらにG3級高速戦艦〈橘《インフレクシブル》郁子〉にも雷撃を加えて機関部にダメージを与えている。落伍した戦艦に対しては水雷戦隊が突撃して魚雷を打ち込んで撃沈した。
 しかしながら英艦隊を護衛している日本空母〈千鶴(供法啾發糧新發論┐泙犬、攻撃機〈流星〉が37ミリ機関砲や20ミリ機銃が打ち上げる弾幕を物ともせずに輪形陣を突破して、巨船〈木ノ下《オイローパ》さとみ〉と〈《ドクトル・エッケナー》コリン〉に3発ずつの至近弾、それも強力な爪でひっかいたような傷を与えている。
 英艦隊が羽を散らして逃走した後、戦艦部隊がミクロン島に艦砲射撃をおこなった。フランス戦艦〈ルミラ《ジャン・バール》〉、〈佐伯《クレマンソー》玲奈〉に、〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉、〈ガディム《バルバロッサ》〉、〈桜塚《シュリーフェン》恋〉〈鷺ノ宮《ビューロー》藍〉が加わっての大砲撃だった。砲撃のあと、独仏軍はやすやすとミクロン島への上陸を果たしている。その後、ミクロン奪回に合わせて行われた、ハイドリヒが仕掛けたケベックでのクーデター騒ぎに乗じて、独仏連合軍はケベックとニューブランズウィックへの侵攻をもおこなった。英軍はオンタリオとノヴァスコシアへと後退していった。
 ドイツは北米大陸に、確固とした橋頭堡を得たのである。

 〈千鶴(供法啾發諒垣錣呂△辰燭發里痢海戦は独仏航空艦隊の勝利に終わった。ドイツは初の空母戦に勝利を納め、ここに名実ともに「翼ある者」となった。
 但しこの後にノルトマンは、命令不服従のかどで高海艦隊司令長官オットー・シュニーヴィントから譴責を受けている。ドイツ航空艦隊はミクロン空襲に参加せず、英艦隊攻撃をおこなっていたからである。キールに座すシュニーヴィントは、ミクロン島を攻撃し、かつ敵艦隊撃破を求めていた。本来ならば、異なる二つの作戦目標を与え、それの優先順位を明示しなかった司令部の責任なのであるが。
 ミクロン島の敵航空基地攻撃優先を命じるチリアックスに対し、正面から反論していたことが高海艦隊司令部の心証を悪くしていた。レーダーFuMOの積極使用もまた譴責の理由に上げられていた。ドイツ海軍は位置を秘匿しての奇襲効果を重んじているため、レーダーよりも逆探知装置FuMBを愛用していたのである。結局、ノルトマンは夏には駆逐艦の艦長職に追いやられることになる。
 さらに、ノルトマンが主張して実現させた防空輪形陣が機能せず、空母2隻に至近弾による被害があったことも問題視された。統一指揮の元で、敵機に対して十分に集中した火力を浴びせられなかったことが突破を許した原因なのだが、海軍を牛耳る老提督達はそうは考えず、空母の脆弱性と集中運用の危険性ばかりに注意が向いたのである。以後、ドイツ航空艦隊は空母1隻に4隻程度の護衛をつけて単独で行動させるようになる。集中運用によって打撃力の向上と防空力の強化を図る日本軍の逆をいってしまったのだ。
 ドイツ航空艦隊が再び集中運用を行うのは、大戦末期のノルトマンの再登用まで待たねばならない。その時にはドイツの海洋における敗勢は確定的となっていたのだが。

 ニューファンドランド近辺での戦いは成功裏に終わった。しかしドイツ海軍は、その作戦思想が旧来の戦艦中心で、艦隊決戦思想のままであることを露呈してしまっていた。戦艦を空母の護衛に使うことを主張したノルトマンの無礼を許さず、彼を駆逐艦の艦長職に異動させているのがその証左だった。
 航空艦隊司令官もまたチリアックス、レーヴィシュ、メーンゼン=ボールケン、クランケと短期間で交替する。そして1948年にその地位にあったのは、水雷畑出身のヴィルヘルム・ズューデンヴォルケ少将だった。彼は自分が空母戦については全くの素人であることを自覚していたが、海軍はズューデンヴォルケを補佐すべき人物を送り出し得ないでいた。空母に関する人材の薄さが祟っているのだ。
 そしてドイツ海軍は空母用兵に混乱を来したまま、第3次世界大戦に突入する。

 その後の〈愛沢《ライン》ともみ〉はA掘匱銚供團▲肇薀鵐謄カ》美樹子〉とA検劵僖轡侫カ〉の実戦化にともなって、対潜回転翼機を搭載した軽空母になった。三度目の改装を受け、トップヘビー対策として丈の長かった測距塔を少々切りつめ、白いリボンにも見える二対4基の対空対水上捜索レーダーFuMOの最新型を搭載した。そのためか、彼女の愛らしさは一層増していると評価されている。
 1949年8月23日、第2次ウィンドワード海戦において上陸支援任務に投入された〈イェーデ〉とフランス軽空母〈シャスルー・ローパ〉が共に沈み、その穴を埋めるべく緊急のヘルパーとして〈愛沢《ライン》ともみ〉は再び大西洋を渡った。彼女の新しい職場は南国の海浜であった。
 ドイツ北米艦隊カリブ海支隊。3輪のハイビスカスの花に椰子の葉をあしらったエンブレムを持ち、フロリダ半島周辺からカリブ海全域の防衛を担当する。H級戦艦〈羽瀬川《ロイテン》朱美〉を旗艦に、戦艦〈岩倉《ツォルンドルフ》夏姫〉と装甲巡洋艦数隻、軽巡、駆逐艦共に多数というドイツ海軍の前線を担う最精鋭にして新設の艦隊だった。指揮をとるのはゴドフリート・ハイエ少将である。
 〈愛沢《ライン》ともみ〉はマイアミからマルティニーク島へと至る長大な補給線のほぼ中間、サント・ドミンゴ島とプエルトリコ島の間にある会合海域「雄鶏の尾」で補給船団の護衛や敵潜水艦を追い払う任務についている。日英米に比べて後方補給体制の整備に遅れをとる欧州連合の艦隊にとって、「雄鶏の尾」に遊弋している商船団(油槽船や給兵艦、給糧艦)の中継は大事な物であり、商船団を守る〈愛沢《ライン》ともみ〉の任務は重大であった。なお、「雄鶏の尾」海域のことをイタリア海軍カリブ艦隊では「屋台」(理由は不明)、日英軍は「CS」と呼び、合衆国軍は「フリッツ・ステーション」と風情無く呼んでいる。
 先行した〈愛沢《ライン》ともみ〉を追って、9月半ばに〈神塚《Z25》ユキ〉と〈志摩《Z20》紀子〉もカリブへと来た。主砲を高角砲化するなど、防空能力を強化する改装を受けていた為に少々遅れたのである。塗装もまた新しくされ、〈志摩《Z20》紀子〉のそばかすのようだった塗装剥がれも改められている。カリブ海支隊の塗装は、トロピカル・ブルー(コバルト・ブルー)、フローラル・ミント(ピーコック・グリーン)、ダーク・バイオレット、ホワイトの組み合わせを基本としているが、〈神塚《Z25》ユキ〉だけは北大西洋時そのままの暗い色調の迷彩塗装のままとしている。〈神塚《Z25》ユキ〉艦長なりの考えがあるらしい。
 枢軸軍との間で熾烈を極める島嶼の争奪戦を繰り広げるカリブ海支隊ではあったが、全体にはアットホームな雰囲気であり、団結という面ではドイツ海軍随一かもしれなかった。〈愛沢《ライン》ともみ〉は「妹分」として可愛がられ、〈前田《クロン・プリンツ》耕治〉に守られたり、お兄さんといってよいのかお姉さんというべきなのか、常にディーかデアかで揉めるごつい艦容の工作艦〈ホッフェルト〉が損傷艦をぐいぐいと曳航するのを眺めていたりしている。しかしながら悠長に過ごしてばかりもいられず、戦局はドイツに利無く、ついには北米沿岸に逼塞するようになってしまった。
 そして1952年の1月末に、ドイツ海軍が起死回生の策として実施した「北の暴風」作戦に参加して、北米艦隊主力に加え、〈神塚《Z25》ユキ〉、〈志摩《Z20》紀子〉と共に大西洋を東へと横断した。しかしながらレイキャビク突入においては足手まといとされて、ノース海峡へ侵入する前にフランス軽空母〈雛咲《パンルヴェ》祭里〉とともにブルターニュへ置き去りにされている。そしてフランス戦艦〈篠宮《アルザス》悠〉もまた突入時期を逃してしまい、ブルターニュへと戻ってきていた。
 ここに〈愛沢《ライン》ともみ〉の最後の戦いが始まる。〈篠宮《アルザス》悠〉を連れてリガへと戻るのである。フランス艦隊側の記録では「大きな鞄」と見なされている彼女だが、実際には〈愛沢《ライン》ともみ〉と親友の2隻〈神塚《Z25》ユキ〉、〈志摩《Z20》紀子〉が、〈篠宮《アルザス》悠〉をリガへと導いたのである。

 1952年の2月。日英米枢軸軍は英本土奪還作戦を開始している。このままコンカルノーにいたのでは爆撃を食らってしまうだけだった。日本軍はドイツから英本土への増援と補給を絶つべく、港や運河、鉄道、橋梁といった交通の要衝への攻撃に重点を置いていたのである。
 作戦決行は2月11日と決まった。下弦の月の時期を利してドイツ本国水域へと至る。現地部隊だけで決められた作戦であり、42年8月の時のような分厚い援護などは期待できない。19時30分にブレストをひっそりと発ち、日本軍の大型陸上哨戒機の眼をかすめて全速でパ・ド・カレー(ドーバー海峡)をすり抜けた。座礁と機雷による被害を恐れながらも、〈愛沢《ライン》ともみ〉は回転翼機を放って前方哨戒をおこないつつ、機関全速の28ノットで走り抜けた。そして〈神塚《Z25》ユキ〉、〈志摩《Z20》紀子〉、〈進藤《ド・グラース》むつき〉〈篠宮《アルザス》悠〉と共に、13日の2時にヘルゴランド島へ辿り着いたのだった。
 その後はジュットランド半島を回り込み、スカゲラック、カテガット海峡を経てバルト海へ抜けている。運河の結氷もあるが、橋梁の下をくぐるためのマストの昇降装置を〈篠宮《アルザス》悠〉は備えていない。危険を犯しても半島を回り込まねばならなかったのだ。そしてバルト海もまた厳冬期に入っていたために結氷していたが、ドイツ海軍は今や貴重な戦力となってしまった彼女らを迎え入れるべく砕氷艦〈カスター〉と〈クールラント〉を出し、17日に遂にリガへと戻ったのである。リガでは麾下の空母全てを失っていたノルトマン中将が驚きと喜びをもって迎えに出ており、懐かしき彼女たちとの再会がかなったのだった。
 斯くして、〈愛沢《ライン》ともみ〉はドイツ海軍初の空母にして最後まで生き残った空母となった。その数奇な運命はまさにドイツ航空艦隊を象徴するものといえる。そして第3次世界大戦終結後に、航空艦隊が再び翼を得るべく辿る、長い道のりの始まりとなったのである。

要目

  • 全長 198.34メートル
  • 全幅 25.64メートル
  • 主機 AEG式タービン発電機2基2軸
  • 主缶 ワグナー缶4基
  • 機関出力 50000hp
  • 最大速力 28kt
  • 基準排水量 18000トン
  • 公試排水量 21000トン
  • 飛行甲板 184×24.5メートル
  • 昇降機2基

兵装

  • 高角砲
    • 65口径10.5センチ砲連装4基
  • 機銃
    • 37ミリ連装機関砲5基
    • 20ミリ4連装機関砲6基
  • 搭載機 30機(常用24機、補用機6機)

同級艦

  • 〈愛沢《ライン》ともみ〉 客船〈シャルンホルスト〉を改装
  • 〈三剣《エルベ》大介〉 客船〈ポツダム〉を改装
  • 〈イェーデ〉 客船〈グナイゼナウ〉を改装