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〈スフィー〉

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〈スフィー〉 Battleship Sphie Class,RN

Leaf「まじかる☆アンティーク」スフィー

(注)昭和末期の「航空旭日別冊GRAPHIC ACTION」誌掲載当時の記事の抜粋であり、内容には現在知られている戦史との相違があります。


 1939年の改正対独戦備緊急拡充計画で建造された高速戦艦。当初はドイツが建造中の〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級に対抗しての建艦計画であった。しかしながら、彼女のたどったその生涯は極めて数奇なものであり、一般には「大英帝国最大のトンデモ艦」「骨董品艦」などとして知られる。
 当初、本級は〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級をその主敵としたことから、40センチ砲3連装3基を積んだ〈ライオン〉級として建造される予定だったが、ドイツのZ計画に刺激され、最終的に決まったのがこの〈スフィー〉級――当初の〈ライオン〉案の類似した船体に50口径46センチ砲3連装3基を搭載すると言うものであった。本級は4隻の建造が予定され、全てが海に浮かべば〈日野森《ビスマルク》あずさ〉級はもちろん、(防御に不安があるものの)ドイツのZ艦隊にも対抗可能――そのように考えられていた。
 しかし、各種の事情によりその計画は日の目を見ることは無かった。
 空母部隊の戦力不足により、2番艦〈リアン〉は空母へ改装されることとなった(3番艦、4番艦は計画中止)。
 そして最大の原因は日本海軍のミッドウェー海戦における大敗北である。1942年4月18日のマーカス沖海戦(実態は潜水艦隊による襲撃)における大戦果(正規空母6隻、戦艦1隻撃沈、他多数撃沈・撃破)という「大本営発表」に踊らされて「残敵掃討」に出撃した第2機動部隊(日英合同)はマーシャル沖海戦での大勝利を一度に食いつぶすような大敗北―〈森川《雲龍》由綺〉級空母1、英空母〈遠野《フォーミダブル》母〉を始めとして、その他艦船・艦載機多数を失うという大敗を喫し、西太平洋の制海権は再び流動的なものとなった(注1)。
 この結果、第3次遣英艦隊は大幅に縮小され、アゾレス沖海戦で怪しくなっていた大西洋の制海権はドイツ優位に傾き、年末、ドイツは「第2次ゼーレーヴェ作戦」を発動。独軍は英本土に上陸した。
 1943年初頭、英本土脱出作戦「ダンケルク」発動。このとき、未だ船殻・機関・艦橋以外全く手付かず(注2)と言う状態(第1状態)の1番艦〈スフィー〉もカナダ脱出艦隊の一員に加わった。彼女は、その「つるぺた」な甲板に所狭しと大英博物館の収蔵品を積みこみ、カナダへと向かった。
 一方、突貫工事に次ぐ突貫工事でほぼ完成に近づいていた2番艦〈リアン〉の方は、「ダンケルク」最終船団の一員として〈スフィー〉の1週間後の出港が予定されていたが、〈スフィー〉出港からわずか数時間後、命の支えを失ったかのごとくいきなり海兵第1師団が総崩れになり出し、戦線が崩壊し出したため、急遽翌日の出港が決まった。
 笑えない事態が起こったのはその直後である。すでに駆逐艦の大半を消耗していた英本国艦隊は、「ダンケルク」作戦に際して、護衛艦のピストン使用――独艦(含Uボート)の多数遊弋している英本土近海のみ大規模な護衛をつけ、大半は途中で引き返し、次の船団の護衛にあたる――を行っていたため、最終船団は護衛が大幅に不足していた。そのため、わずか1日の距離なのだからと、全速力で予定進路上の〈スフィー〉船団を追ったのだが……そこには誰もいなかった。〈スフィー〉船団はこちら方面からUボートらしき発信を受信していたので進路を変えていたのである。あわてた〈リアン〉船団は〈スフィー〉船団を探して北大西洋をさまよい、安全域に達したとして電波で合流を呼びかけた頃には燃料が尽きる一歩手前だった。〈スフィー〉船団から燃料の供与を受け無事に両船団はそろってカナダへと到着したのだが、実はこの船団は完全に(英国出港時は)ドイツに捕捉されていたのである。それなのになぜ攻撃を受けなかったかは定かではない。一説によると、中に積まれている骨董品目当てにゲーリングが攻撃を手控えるようヒトラーに進言したと言う説もある。
 カナダ到着後、彼女はとりあえず日本海軍から供与されていた(すでに旧式化していた)12.7センチ高角砲を所狭しと並べた大型護衛艦として竣工(第2状態)。地中海方面での船団護衛の任に就くこととなった。尚、書類上では3月12日をもって「大型護衛艦〈スフィー〉」は就役したことになっている。この、「大型護衛艦」という分類にだまされて、よく排水量の確認が行われなかった(!)ため、燃料消費量の見こみが大幅に狂うといったハプニングもこの呼称では起こった。
 地中海艦隊に所属した〈スフィー〉であるが、当時すでに戦線は崩壊しつつあり、もはや問題は「いかにして戦線を立て直すか」というより、「いかにして撤退させるか」という次元になっていた。そこで問題となるのはイタリア海軍の存在である。本土を失った英地中海艦隊では無力化などできない。これをどうするか?
 結果、考えられた方法は極めて単純なものであった。イタリアは燃料補給をドイツに頼っている。ななば、もう一度タラントを奇襲、燃料タンクを破壊してしまえばよい。10月11日、正規空母〈遠野《ヴィクトリアス》美凪〉、浮揚修理の終了した〈神尾《イラストリアス》観鈴〉、6月に就役したばかりの〈リアン〉、護衛艦〈スフィー〉を主力とする機動部隊は123機の攻撃隊をもってタラントを再び攻撃した。これが第2次タラント奇襲作戦(通称「アレクサンドリアの復讐戦」)である。これに対し、イタリア軍の対応は第1次のときとは打って変わってお粗末なものとなった。これは、攻撃距離が当時の欧州の単発機の常識を超えていたからである。この攻撃に際し、各空母は帝国海軍の九九式艦爆及び零式艦上戦闘機を搭載していたのである。太平洋戦線ではすでに骨董品と化しつつあった両機だが、その長大なる航続距離が奇襲を成功させたのである(注3)。
 (欧州の常識から言えば)「魔法でも使ったとしか思えない」距離からの奇襲(特に戦闘機)の結果、正規空母〈今村《アクィラ》夏樹〉が大破着底、タンカー四隻が沈没、そして最重要目標の燃料タンク群の八割が破壊され、見事作戦目標を達し、以後の地中海方面の撤退作戦を成功させる大きな要因となった。
 以後、〈スフィー〉〈リアン〉を主力とする英地中海艦隊は〈長谷部〉〈神岸《昇竜》あかり〉(注4)等と共に撤退を援護、翌1944年2月、シンガポールへ入港、所属を英東洋艦隊へと変えた。
 日米休戦後、日本本土へ回航され、かつて〈大庭《白根》詠美〉級用に試作された50口径31センチ砲3連装3基の供与を受け、これを搭載。種別も「超大型護衛艦」から「装甲巡洋艦〈スフィー〉」に変更となっている。また、高角砲も12.7センチ砲から長10センチ砲へと変更された(注5)(第3状態)。航空機の優位が示された今、艦隊決戦はまず起きないだろう――この様に考えられたため、31センチ砲という艦規模の割には比較的小さな砲の搭載が決まったのである。
 1947年、反応技術供与の「お釣り」として指揮下に入った正規空母〈江藤《白鳳》結花〉、工作艦〈長瀬《敷島》源之助〉等と共に英東洋艦隊を形成、開戦に備えた。
 WW軍戦後は、パナマ侵攻後、いち早くグアンタモナに進出。第一次ユカタン半島沖夜戦を始めとする、「まず起きない」と思われていた水上砲戦に参加し、衰退著しい英連邦艦隊の残り少ない大型艦として活躍した。
 その〈スフィー〉級に3度目の転機が訪れた。1950年8月、〈スフィー〉はレイキャビクへの輸送船団SY3B船団(コードネーム「柿」)の直接護衛を命じられた。良く知られている様に、超大型台風により航空支援を失った「柿」船団をめぐって行われた、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉以下の北米艦隊VS〈高瀬《大和》瑞希〉以下の連合艦隊の対決は、(一応)枢軸側の勝利に終わったのだが、この時、〈スフィー〉は〈高瀬《大和》瑞希〉到着までの時間を稼ぎ出した代償に、、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の主砲の直撃を艦首無防御部分に受け、大破した(最も、バイタルパートでも40cm砲防御に過ぎないのだから貫通していただろうが)。辛うじてグアンタモナまで辿り着いた彼女は、「長瀬《敷島》源之助」の応急修理を受けるやいなや、すぐさま日本本土に回航された。
 9月、本土に辿り着いた彼女は再び大改装を受けることになる。翌年春に実行予定のオークニー諸島上陸作戦を控え、一刻の猶予も許されなかった。特に、〈縁《デア・フリート・ランデル》早苗〉級の存在が枢軸側首脳をあせらせた。、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉ですらあれほど苦戦したのに、どうやって対抗するのだ?(注6)。 結論は、46cmの主砲の搭載だった。ついに、建艦計画当初の予定通りの主砲を搭載する(注7)日がやって来たのである。
 突貫工事でわずか5ヶ月で修復を終わらせた彼女は、すぐさまグアンタモナへ回航、到着と同時にオークニー諸島攻略部隊に編入され、ベルファウスト沖海戦に参加、〈高瀬《大和》瑞希〉等と共に独仏合同艦隊の迎撃を行った。
 その後、翌年のアーク・エンジェル作戦(英本土奪還作戦)でも艦砲射撃部隊として各地を転戦、ユニオン・ジャックを掲げた戦艦の姿は英国国民の士気を多いに高めた。かの有名な英国王室の名演説――「英国王室は二度と本土を離れることは無い」――の背後に浮かぶ〈スフィー〉の姿をご存知の方も多いだろう。
 第三次大戦を乗りきった彼女は、第四次世界大戦終結後退役し、大英博物館別館として今日も見学者達に今となっては骨董品となってしまった往時の兵装を見せている。
 ところで、本艦の類別は、「戦艦」となっているが、「真の姿」とは果たしてどれか?この点には各種の意見があり、統一が取れていない。
 研究者によっては、後の英本土奪回作戦の地上戦において、ロンドン大英博物館は、中に残された残存美術品と共に市外戦で完全に破壊されてしまっており、もしこの時脱出させていなかったら貴重な人類の後世への遺産が破壊されていたのだから、という訳で第1状態を押している。
 地中海での撤退作戦の功績をたたえる研究者はとうぜん第2状態である。
 また、WW靴任凌少ない英国艦として活躍した功績をたたえ、第3状態を押す研究者もいる。
 しかしながら、やはり最も支持者が多いのは第4状態である。最も初期計画に近いというだけではなく、やはり英国に戻ってきたときの姿だから、という訳で特に一般大衆に支持が強い。
 なお、先頃就役したミサイルフリゲート艦に本艦の名が引き継がれている。


注1:もっとも、これで「やれる」との感触を得た合衆国は無謀なシベリア出兵を行い、それが太平洋戦争の早期終結につながるのだが。
注2:9月以降、英本土上陸が必死と見られるようになり、資材が本土防衛のための陸軍用に転用されたため、予定が更に遅れていた。特に試製46センチ砲の威力はすさまじく、孤立し壊滅しかかっていた南方のいくつかの部隊を生き返らせた(もっとも、彼等にできた行動は「ダンケルク」船団に乗船して脱出することだけだったが)。
注3:ただし、防弾能力が皆無に等かったことから、53パーセントの機が何らかの損傷を受け、以後搭載機は全て量産が始まったばかりの〈ファイアブランド〉に変えられることになった。
注4:太平洋戦線での戦局の安定化に伴い、1943年秋に地中海戦線に急派、水雷艇〈神岸〉の変わりに大艇を搭載し、「自力で制空権を確保しつつ部隊を輸送できる艦」として重宝された。
注5:このとき、帝国海軍では長12.7センチへの切り替えが始まっていた。
注6:実際には、富嶽の攻撃で撃沈されたため、杞憂に過ぎなかったのではあるが。
注7:ただし、搭載されたのは92式45口径46cm改なので、当初計画よりは若干威力が落ちる。

要目 [第1状態(カッコ内第2状態)]   

  • 基準排水量  42500トン
  • 全長        242メートル
  • 全幅         32メートル
  • 機関出力  145000馬力
  • 速力         32ノット
  • 兵装       無し  (高角砲 40口径12.7cm連装砲42基)

要目 [第3状態(カッコ内第4状態)]                   

  • 基準排水量  45000トン(45500トン)
  • 全長        258メートル
  • 全幅         32メートル
  • 機関出力  165000馬力
  • 速力         34ノット(33ノット)
  • 兵装
    • 主砲  50口径31センチ3連装砲3基(45口径46cm3連装砲3基)
    • 両用砲 65口径10センチ連装砲14基

同級艦