!!!隆山世界のケネディ家 !!元ネタ ケネディ家 佐藤大輔「征途」藤堂家 !合衆国側 *ジョン・フィッツジェラルド  合衆国海軍に入隊、魚雷艇艇長として太平洋戦争、第二次南北戦争に従軍。第二次南北戦争では敵駆逐艦との衝突で乗艇を失うも、乗組員全員を不屈の指揮で生還させ、英雄となった。戦後駆逐艦艦長となり、第三次世界大戦においてパナマ沖海戦や数次のマルティニーク島沖海戦に参加。「31ノット」バークらの次世代の優れた水雷戦指揮官として、ウィリアム・ヒトラーと並び称される存在となった。{{br}}  戦後は一時期カリブ海艦隊司令官を務め、海軍作戦部長も狙えると言われたが、中将で退役し、政界に転身。下院議員、国務長官などを経て合衆国大統領に就任。高度経済成長を成し遂げ、「もはや戦後ではない」の名言を残す。 *ロバート  短期間海軍に入隊した後、父の政策秘書等を務めていた。第三次世界大戦開戦時に旅行でカリフォルニアにいたため、そのまま合衆国に参加。戦時中はデューイ大統領代行の秘書を務め、デューイ退任後に下院議員として立候補し当選。政界に転じた兄ジョンの政権下では司法長官などの要職を歴任した。{{br}}  ジョンの政界引退後も次期政権下で司法長官、移民長官などを務め、組織犯罪の撲滅と移民問題、公民権問題等の解決に尽力し、その成果を持って大統領選に挑んだ。しかし職務上敵の多かった彼の大統領就任を嫌う政敵が多く、最後まで大統領になる事はできなかった。 *ジョン・ジュニア  ジョンの息子のジョン・F・ケネディJr.は一族の伝統を守って軍務に就き、合衆国空軍に入隊。戦闘機パイロットとして高い技量と実戦感覚を持つ優れた実力を見せたが、1985年に北米分割線近辺を警戒飛行中、東部連合軍防空部隊の誤射したミサイルによって撃墜され、殉職した。この事件は一時東西の緊張を極限に高め、第四次世界大戦開戦の一歩手前と言われた。   *ローズマリー  ケネディ兄弟の長女。先天的に軽い知的ハンディキャップがあった。父からは疎まれたが、明るく優しい性格で男兄弟からは愛されており、ジョンとジョゼフが彼女にロボトミー手術を受けさせようとした父を止めたという逸話がある。音楽やダンスに才能を示し、後に障害を乗り越えて活動する芸術家を表彰する賞の名前に彼女の名が与えられた(ローズマリー・ケネディ国際芸術賞)。   !東部連合側 *ジョゼフ・パトリック・シニア  ケネディ兄弟の父親。実業家にして証券取引委員会委員長、駐独アメリカ大使。英国包囲網を敷くロング政権下で、米独の関係を取り持ち、外交上の大きな成果を上げた。第二次大戦後、本国へ戻り上院議員に当選。大統領の地位を狙っていたが、第三次世界大戦において東部連合が成立すると、ドイツ人脈を期待され国務長官に任命される。{{br}}  戦後、ウォーターゲート事件を生き延び、ニクソン大統領に対抗できる貫目と実力を持った数少ない政治家として、反ニクソン勢力から期待されたが、息子ジョンが合衆国大統領になったため隠退。68年に死去した。 *ジョゼフ・パトリック・ジュニア  ケネディ兄弟の長兄。合衆国海軍に操縦士として入隊。太平洋戦争、第二次南北戦争で戦功を立てた。第三次世界大戦では開戦初頭にドイツ軍捕虜となるも、東部連合空軍に参加する事で釈放され、戦闘機パイロットとして爆撃機など7機の撃墜を記録。同空軍初のエースとして名を馳せた。戦後、空軍の要職を歴任し、最終的に東部連合空軍元帥・作戦本部長にまで上り詰める。{{br}}  軍人としては栄光に満ちていたが、ドイツ系の夫人は早逝し、実子も医療事故で亡くすなど、家庭的には恵まれない人生だった。そのため実弟エドワードの息子エドワードjrを我が子のように育てていた。 *エドワード  末弟のエドワード・ケネディは東部連合に残り、父の引退後、その地盤を引き継ぐ形で政界に転じ当選。長く上院議員を務め一時はニクソン大統領の後継者として取りざたされた事もあった。しかし、1969年に、パーティーからの帰りに飲酒したまま運転中に誤って川に転落。同乗していた女性秘書を助けるも、自らは溺死と言う悲劇的な最期を遂げる(チャパクィディック事件)。この事件には不可解な謎が多く、エドワードの人気を疎んじたニクソンによる陰謀であると言う説が絶えない。 *エドワード・ジュニア  エドワードの息子。父の死後、叔父であるジョゼフの家で養子のようにして養育された。政界には興味を持たず、海軍に入隊。しかし、父の辿った運命から東部連合というよりニクソン政権には懐疑的だったようである。{{br}}  第四次世界大戦時には海軍参謀本部にあって、開戦初頭の対艦ミサイル飽和攻撃によるグアンタナモ駐留日本艦隊撃滅作戦の原案をまとめた。武器庫艦〈ミレニアム〉の反乱に際してニクソンの居場所をリークした疑いが持たれ、国家反逆罪で取調べを受けているが、結局不起訴となった。現在は東部連合海軍大佐。 !その他 *キャスリーン  ケネディ兄弟の次女。1946年、銀行員時代に知り合ったイギリス貴族ハディントン侯ウィリアム・キャベンディッシュ(現デヴォンシャー公:当時自由英軍大尉)と、家族の反対を押し切って結婚。夫が当時の敵国だった英国人で、かつプロテスタントのため、長兄ジョゼフ以外の親族は彼女の挙式に参列しなかった。{{br}}  英連邦軍に参加して転戦する夫ウィリアム候を良く支え、イギリスの本土回復後、夫と共に英本土の領地で暮らす。長年親族とは絶縁状態が続いていたが、兄ジョンが合衆国大統領として来英した際に再会し、和解した。