!!!ヘーア に関する覚え書き {{br}}{{br}} ●ドイツ陸軍(ヘーア)に関する覚え書き{{br}}  ヴェア・マハトの中核を成すドイツ陸軍は、「即断即決と下級部隊のリーダー・シップ」をもって旨とする。その発露がいわゆる「電撃戦」であり、二度に渡る世界大戦においていかんなく威力を発揮した。WW3戦後、ドイツ陸軍は「電撃戦」ドクトリンをさらに発展させていく。それはロシア軍、なかでも強大を誇ったロアとの死闘からの教訓でもあった。{{br}}  「赤いナポレオン」トハチェフスキーの弟子であったミハイル・ロアは、全縦深を空陸から同時制圧し、前進突破集団が敵軍の縦深を蹂躙・突破する作戦で、WW3末期のドイツ軍のウラル戦線を苦境に陥れた。最終的に殲滅することができたものの、ドイツ軍の損害も多大なものがあった。{{br}}  この縦深突破作戦に対抗するためドイツ陸軍は、戦力のさらなる機動化、高速化を図ると共に打撃力の強化を図った。これはグデーリアンの「電撃戦」が「速度」に重点を置いたのに対し、「速度」もさることながら「打撃力」をも強化する必要に迫られたからである。{{br}}  そのためMBTは、機動力は高いが装甲が薄いレオパルト系列に代わってティーゲル系列が主力へとのし上がり、歩兵はマルダーで戦車に追随し、機動力が弱体だった砲兵も自走砲やロケット砲車両(MLRS)で機動的に支援できるようになった。{{br}}  これらの新装備によって初めて、空と地上から敵地の後方深くまで指揮所・通信所・補給所・橋梁・戦闘車両などを一斉にピン・ポイント攻撃してC3I(指揮・統制・通信・情報)システムを叩く、「敵戦力を正面から叩くのではなく、連絡線の要所を含む後方に、空軍と装甲部隊を中心とした縦深立体作戦を展開し、常に相手の機先を制する機動性と奇襲性を獲得・維持しつつ、敵の作戦能力を破壊する」という、真の「電撃戦」が具現化なったのだ。{{br}}  これによりロシア軍の縦深突破作戦は前進突破集団のみならず、後方に控える第二梯団も一斉に叩かれることになる。{{br}}  この理念を実現するために重要とされたのが、間接的アプローチ、速度と集中、下級指揮官の自発性と柔軟性、素早い意志決定、作戦目標の明確化、縦深攻撃、である。{{br}}  ドイツ陸軍はこれら軍事システムの作成に成功し、その方法は世界の標準となった。しかしながら、「相手方を質・量ともに圧倒してゆく軍事システムを作成し、それを可能にする軍事力を建設する」努力は多大な資金を必要とし、ドイツの国力を大きく削ぐことになる。{{br}}{{br}}  かように世界最強を謳われ、世界中の軍に多大な影響を与えるドイツ陸軍だったが、大きな欠点を有していた。それは純軍事的な都合を優先させる作戦至上主義である。{{br}}  ドイツはWW3において実質的に敗北を喫した。海軍は大西洋の制海権争いに破れ、空軍は本土上空を守りきれなかった。一人、陸軍のみは北米では枢軸軍のミシシッピ以東への突破を許さず、ロシアでもロアを始めとする諸派連合を殲滅してのけた。そのため、陸軍に対する信望は一層厚くなったのである。{{br}}  とはいえ、一時はデンバーに迫った戦線が大幅に後退し、英本土でもドーバー海峡に追いつめられたことは事実である。しかし陸軍は敗北を認めず、全ての責任を政府首脳つまりナチ党高官の指導のまずさになすりつけた(ロンメルの総統就任はヒトラーから後継者指名を受けたとされたためにヒトラー自身への批判は差し控えられた)。{{br}}  これは大きな禍根を残した。陸軍の敗北は、攻勢限界点を超えて戦ったためなのである。陸軍の将兵への教育は戦術と作戦に偏り、政略と戦略についてはおろそかにされ続けた。ために政治指導者に対して政治上の有効な助言をなし得ず、ただただ軍事技術者として活動するのみ、というのがドイツ陸軍の実態であったのだ(総統に押し上げられたロンメルを除けば軍部出身の政治家はおらず、この点が日英米と異なっていた)。{{br}}  そのため、日本の「叩かれたなら叩かれた分だけ報復し、後に握手する」というTFT戦略はドイツ陸軍(と参謀本部)にとっては完全に理解の埒外にあった。奇襲効果を重んじるドイツ陸軍にすれば愚か者の戦略としか思えなかったのだ。陸軍はひたすらに作戦を練ることと軍備の充実、そしてロア軍(蛇派)撃滅に走ることになる。{{br}}  これでも三代目総統ハイドリヒが健在な時代は良かった。ハイドリヒは日本との争いをゲームと心得、決して国力の限界を破らず、軍部の手綱を握って放さなかった。自己保存本能の旺盛なハイドリヒは、大量報復によって互いに自滅することなど無駄と考えていたのである。{{br}}  そのハイドリヒの死後、政府は集団指導体制に移行し、政治的中立を貫く国防軍の重みは増していった。そこに経済の悪化が加わった。ドイツは戦争遂行に必要な体力を失いつつあったのである。{{br}}  ここに、WW3での敗北に知的な反省を加えなかった弊害が現れた。WW1開戦前と同じく、全てを軍事力で解決する機運が生じたのである。陸軍は戦争のグランド・デザインを描く能力を全く持っていなかった。そして政府首脳も同じく。{{br}}  かくして、ドイツは4度目の世界大戦の引き金を引くことになる。{{br}}{{br}} (隆山鎮守府第参会議室 しけたた氏の2002年5月31日の投稿より)