!!!メッサーシュミット〈白河《P712A》さやか〉 Messerschmitt P712A Experimentierflugzeug !!Circus「水夏〜SUIKA〜」「D.C.〜ダ・カーポ〜」白河 さやか {{ref_image P-1010_sayaka_3view.jpg,画像ファイル管理}} {{br}}  ヴィリィ・メッサーシュミット博士秘蔵の前進翼実験機。メッサーシュミット製航空機のシャープなラインを受け継ぎ、白地をベースに黒を配した上品なカラーリングと、完成度の高い「お嬢様」なデザインで巷間の人気は極めて高く、航空ショーにも頻繁に招かれており、すでに旧式となっているにも関わらずルフトヴァッフェ・サーカスのメイン・ヒロイン的な扱いを受けている。  なお、ドイツでは頭にひまわりが咲いている「おてんこ娘」と呼び、日英では「らぶりー・ばーにんぐ」と呼ばれて親しまれている。{{br}} {{br}}  メッサーシュミット社は、第2次世界大戦におけるBf109、第3次の世界大戦ではジェット戦闘機のMe262、Me298(P1101)、〈白河《Me328》暦〉(P1110)と、ルフトヴァッフェの主力戦闘機を続々と送り出した。{{br}}  そのいずれもが時代を先取りするラジカルな航空機であった。Bf109は世界初の全金属製単葉戦闘機であったし、Me262では英国のジェット戦闘機〈AIR〉に初陣で遅れをとったが、Me298は世界初の可変翼戦闘機(固定角で実用化された)であるし、〈白河《Me328》〉は世界初の葉巻型を脱却した形態をした戦闘機だった。{{br}}  そのメッサーシュミットの次なる挑戦は前進翼機である。前進翼は後退翼のように翼端失速を起こさないという利点がある。さらに低速でもエルロンの利きが良いという、超音速戦闘機向きの翼でもあった。だからこそ、メッサーシュミットは挑んだ。{{br}}  ドイツ空軍機、つまりメッサーシュミットの戦闘機は、格闘性能に優れた日本戦闘機にしばしば苦杯をなめさせられていた。特に第3次世界大戦では第2次英本土攻防戦のおこなわれた末期に、爆装したMe298と〈白河《Me328》暦〉が敏捷な日本軍機の襲撃をうけて撃墜されることが相次いでいる。鈍重な爆撃機では危険になりすぎたために、戦闘機を爆撃機として運用したことが裏目に出たのだった。遂には北フランスからユトランド半島に至る沿岸空域の制空権を、英本土から出撃する日本統合航空軍機に奪取される事態にまで立ち至ったのである。世界最強を自負するルフトヴァッフェにとっては全くの屈辱だった。{{br}}  それはメッサーシュミットにとっても同様であった。主力機メーカーであるゆえに、ルフトヴァッフェの受けた屈辱は同社の屈辱でもあったのだ。ために、大戦終結後数年を経ない内に設計をまとめ上げて、1962年3月13日に実機を完成させている。{{br}}  とはいえ、前進翼の可能性を追求するという、メッサーシュミット博士の「趣味」が90%を占めていたらしかったのだが。{{br}} {{br}}  〈白河《P712A》さやか〉は、細く長いメッサーシュミット系に特徴的なラインでまとめられ、華奢で流麗な機体にBMW044Aターボジェット1基を納めている。エア・インテークはコクピットの両脇に分けられている。{{br}}  本機を特徴づける主翼は前進角33.7度、前縁前進角が29.3度の薄翼である。主翼を薄くしたため、前/後縁フラップなどのアクチュエータは翼下面のフェアリングに納められるかたちとなった。{{br}}  トリム操作のための全遊動式カナードをエア・インテークの側面に設置し、離着陸時に機首上げの力を発生して、全体として大きな揚力を得られる。{{br}}  胴体後部の主翼から続くストレーキは高迎え角時に機首下げモーメントを発生させる。ゲッチンゲン大学の超音速風洞での実験の結果では、カナードとストレーキの効果により〈白河《P712A》さやか〉は80度という高迎え角でも操縦性を回復できるとされた。{{br}}  まさに天才画家としての才能をあらわしつつあった美少女として、〈白河《P712A》さやか〉はメッサーシュミットとルフトヴァッフェの期待を一身に集めたのだった。そして、彼女の開発を探知したPACTOでは「魔女」と呼び忌み嫌ったのである。{{br}} {{br}}  1962年7月28日、各種のプログラムをこなして良好な運動性能を見せた〈白河《P712A》さやか〉は超音速突破の実験に挑み、右翼を破損して不時着した。機体は破損したがパイロットは無事であった。{{br}}  原因は、ダイバージェンスと呼ばれる主翼のねじり下げ現象だった。アルミ合金製の主翼が翼端を下向きにねじる力に対抗できなかったのである。ダイバージェンスに対抗するためには主翼を絶対にねじれない固いものにする必要があり、これは60年代の技術では不可能であった。ねじれないほどに強くするには、アルミ合金では構造材が重くなりすぎた。80年代に入ってコンポジット技術が進歩してようやく目処が立ったのだ。{{br}}  さらに、搭載したBMW044Aが所定の推力を発揮せず、音速突破はむずかしいことが判明した。「ぼんじゅ〜る、お昼ごはん〜♪」との上機嫌が瞬時に一変して「出ていけ!」と騒ぎ出す女の子のように、出力の振幅が大きすぎたのだ。{{br}}  そして遷音速域での操縦性に難がある、じゃじゃ馬であることも判明している。降りかかる火の粉は自分で払い落とす、気の強い一面が現れたのだ。格闘戦を主とする戦闘機にふさわしい資質であったが、初期のコマンド・ゲレートでは完全な動翼制御ができず、スリー・サーフェースの制御は極めてむずかしかったのである。{{br}}  メッサーシュミットでは躍起になって改修にかかったが、〈白河《P712A》さやか〉が完全な戦闘機となることはなかった。結局、ルフトヴァッフェは成績不振で落第しかかっている〈白河《P712A》さやか〉をあきらめ、ドルニエ社の大型双発戦闘爆撃機Do545〈ゲシュペンスト〉に興味を移した。Do545は5000機近く量産され、GETTO陣営の主力戦闘機として一時代を作ることになる。 {{br}}  時代の寵児となれなかった〈白河《P712A》さやか〉だったが、実験機として大量のデータを提供している。{{br}}  画家から詩人のプロへ転向したようなものだった。詩人はプロでなければ、ただのプータロである。それも、空を見上げて、美味しそうな空だね、と言い出す独特の感性を持った詩人だが。確かに、ドイツ本国の夏空はなめらかなソーダ色をしていて、真白い雲はソフトクリームのように沸き立っている。{{br}}  それはともかく、スリー・サーフェースの機体は運動制御の実験に最適で、20年近く実験に従事している。1982年には高圧窒素タンクを搭載し、ノズルから噴射させて機体を流れる渦流を制御するための基礎実験までおこなわれた(渦流制御は21世紀になってもおこなわれていないのだが)。これらの実験のデータはルフトヴァッフェ当局に還元され、次世代機開発に大いに役立てられたのである。{{br}} {{br}}  〈白河《P712A》さやか〉の実験は1982年に終了した。飛行回数は1000回以上に及び、その中には各地の航空ショーへの展示飛行も含まれている。{{br}}  航空ショーで彼女は大人気であり、パリやファーンボロなどに幾度も参加している。しかし、実験機であることから高度なレーダーや慣性航法装置の類は搭載されていないため、最新の航空地図では「分かりづらいよ〜、よよよよよ…」と嘆かれ、買い食いしない、寄り道しない、といった子供レベルの注意が必要であった。{{br}}  そして、{{br}} 「こんだけ空路が枝分かれしているとあみだくじみたいで楽しいよね♪」{{br}}  という案配で迷子になることがしばしばで、彼女が迷子になる度、ルフトヴァッフェの担当士官は大汗をかいて捜索に出向くのである。{{br}} 「旅行ってだけで、心ときめくし〜、どこか知らない場所へ旅立ちたいの〜♪」{{br}} 「人の道を脱線している飛行機だね…」と、フランス軍パイロットが溜め息をつくほどの「おてんこ」ぶりであった。{{br}}  それはともかく、〈白河《P712A》さやか〉がルフトヴァッフェ・サーカスの大きな基礎となったことは確かな事実である。スリー・サーフェースは、20世紀末に各国の主力戦闘機の主流を成すまでになった。ありあまる可能性を秘めていた彼女が最前線で活躍しなかったのは、世界そのものが彼女の活動を押しとどめたからかもしれない。〈白河《P712A》さやか〉が活躍するということは、必然的に「世界観」を大きく破壊してしまうからだ。{{br}} {{br}}  21世紀の現在、〈白河《P712A》さやか〉はバイエルン州アウグスブルクの博物館に憩っている。{{br}}  彼女の子孫というべき航空機達と共に。{{br}} !要目 *全   長 14.66m *全   幅 8.29m *全   高 4.34m *重   量 6,170kg *全備重量 7,850kg *エンジン  BMW044A(ドライ4,700kg リヒート7,100kg)×1 *最大速度 970km/h *乗    員 1名