!!!特設支援艦〈乃絵美〉{{br}}{{br}} !!(元ネタ With You〜見つめていたい〜(カクテル・ソフト)より伊藤 乃絵美){{br}}{{br}}  海運中堅の伊藤郵船が社運を賭けて建造した高速客船。ちなみに船名の〈乃絵美。は伊藤郵船社長の妹の名前から取られている。{{br}}{{br}}  伊藤郵船社長の妹に対する溺愛ぶりは業界でも広く知られていた。というのも、妹が病弱であまり外に出られないため、代わりに船に彼女の名前を付けて、船が妹の代わりに世界を駆け巡ってくれれば…という思いからこの名前を付けたほどである。{{br}}  それだけ思い入れの強い船だけに、建造に当たっては社長自らドックに毎日顔を出し、設計にまで様々な注文を付けるなど、非情な熱意が込められていた。{{br}}  そして、完成した〈乃絵美〉はその優美さ、可憐さにおいて有名なエル・クー社の四姉妹…〈リズエル〉〈アズエル〉〈エディフェル〉〈リネット〉にも劣らぬものとなった。純白の上構に黒に黄色の一本ラインの船体と、その船体塗装をモチーフとした乗組員の制服――特に船内食堂「ロムレット」の女性給仕のメイド服調にアレンジされたそれは就役直後から大評判となり、多くの乗客を集める事となった。また、料理の味も絶品で、特にオムライスの味は有名なグルメガイドの評議員を務めていた某氏が太鼓判を押したほどであった。{{br}}{{br}}  そんな〈乃絵美〉も、大戦勃発とともに軍に徴用された。社長は最後まで反対したのだが、〈乃絵美〉」は空母への改装が決定し、ドック入りした。{{br}}  しかし、工事が七割ほど進んだところで監督官はある事に気が付き驚愕した。船体の強度が空母化には足りないことが分かったのだ。明かに設計段階での強度計算ミスだが、すでに工事は取り返しの付かないところまで進んでいた。{{br}}  報告を受けた艦政本部では、彼女をどうするかについて検討を重ねた。26ノットに達する高速性能と、客船としての長大な航続距離は捨て難い魅力があった。しかし空母に使えないという事ははっきりしており、空母に使えないという事は、より頑丈な他の艦種に変更するのも無理である。では、どうするべきなのか?{{br}}  結局、艦政本部が思い付いたのは、支援艦艇として使う事だった。元が客船だけに、当初は潜水母艦としての利用が思い付かれた。しかし、潜水母艦に向けての改装中に事件が起きる。同盟国であるミャンマーの海軍が大規模な破壊工作を受けて壊滅的状態に陥り、急遽、遣印艦隊より一部の艦を割いて分遣隊(ミャンマー支隊)が派遣される事となったのだ。{{br}}  しかし、現地では港湾施設も大火災で破壊されており、この機能も補助すべく、〈乃絵美〉には潜水艦だけでなく、ほかの艦をも支援する能力が持たされる事になり、クレーンや工作機械、果ては燃料補給設備などが空母化された暁には格納庫となるはずだった空間に取り付けられた。{{br}}{{br}}  結果、〈乃絵美〉は史上初の高速戦闘支援艦とでも呼ぶべき姿になっていたのである。見た目は軽空母そっくりながら、艦橋横に取り付けられたクレーン(通称横ポニーテール)や艦内に設置された無数の支援設備などでややトップヘヴィ気味となった彼女は{{br}} 「頭から転びそう」{{br}} 「目が離せなさそう」{{br}} などと言われたものの、誰からも好意を持って受け入れられた。それだけ彼女の価値が高いことを、後方支援の重要性を知るもの全員が理解していたのである。{{br}}  改造を終えた彼女は実験駆逐艦〈正樹〉、音響測定艦〈信楽〉に守られてミャンマーに向かった。現地に着いた彼女の初仕事は、待機していた防空巡洋艦〈鳴瀬〉に爆雷投射機を取り付け、敵潜の「料理の仕方」を教える事であった。{{br}}  その後も、彼女は洋上で対潜兵器や燃料をデリバリー(補給)するため、華奢な体でインド洋を駆けずり回った。特に彼女を心配したのが、〈正樹〉艦長のI大佐である。I大佐は伊藤郵船社長の親族で、〈正樹〉も〈乃絵美〉を建造したドックで建造された、言わば兄のような存在であった。〈乃絵美〉の方でも、燃料を大食らいし、しょっちゅう怪我(損傷)をする〈正樹〉を手のかかる、しかし頼り甲斐のある兄のように思っていたらしい。当時の写真を見ると、〈乃絵美〉を守る様にして航行する〈正樹〉の姿がよく見られる。{{br}}{{br}}  そんな〈乃絵美〉であるが、見た目が軽空母そっくりであるため、インド洋の独伊潜水艦隊はともすれば手強い〈鳴瀬〉や純然たる後方支援艦である〈氷川丸。といったHVU(高価値目標)を除いてもっとも〈攻略しがいのありそうな〉彼女を優先的に狙うようになる。インド洋のエース、U-483も〈乃絵美〉狙いで有名であったが、〈正樹〉のみならず〈冴風〉、〈信楽〉も彼女を大事な妹のように守り抜き、遂に〈乃絵美〉を攻略できた艦は現れなかった。{{br}}{{br}}  戦後、改造が大規模であったためそのまま海軍に残ると思われた〈乃絵美〉だが、伊藤郵船では交渉を重ねて彼女を送還してもらい、〈乃絵美〉を元の客船に修復した。この作業は同じ船をもう一隻作る方がかえって安上がりなほどの予算が投じられたが、伊藤郵船社長にとって〈乃絵美〉は彼女ただ一隻だったのであろう。修復後は元の客船としてクルージング航路を行き交い、伊藤郵船のシンボルとして長らく活躍した。引退後、伊藤郵船本社のある横浜、みなとみらい地区にレストラン船として保存されており、程近い山下公園の〈氷川丸〉ともども観光客にとっての人気スポットとなっている。{{br}}{{br}} !要目{{br}} 基準排水量…10,700トン{{br}} 全   長…160メートル{{br}} 全   幅…26メートル{{br}} 機関出力…54,000馬力{{br}} 速力…26ノット{{br}}{{br}} 兵装{{br}}  12.7センチ単装高角砲 2基{{br}}  戊式40ミリ連装機関砲 2基{{br}}  12.7ミリ機銃 8基{{br}}{{br}} 搭載機{{br}} 〈南海〉回転翼機輸送型×2{{br}}{{br}} !履歴{{br}}  1947年、海軍に徴用{{br}}  1948年、特設支援艦に改装{{br}}  1954年、海軍籍を離脱、伊藤郵船へ返還{{br}}  1991年、みなとみらい地区において観光レストラン船へ