!!!〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉 Schlachtschiff Minase-VON HINDENBURG-Aoi,KM !!カクテル・ソフト「Piaキャロットへようこそ!2」皆瀬 葵 {{br}} !建造の経緯 {{br}}  ドイツの超々弩級戦艦(ウルトラ・ドレッドノート)にして世界最大の戦艦。水上艦兵力整備計画「Z計画」中の「R」級1番艦である(注1)。基準排水量8万3千トン。49口径46センチ砲連装4基8門。55口径15センチ両用砲連装6基。10.5センチ高角砲30門。機関出力28万馬力、最大速力は32.2ノット。主機はMAN製ディーゼルとB&Vギヤード・タービンを併用。〈日野森《ビスマルク》あずさ〉以来の伝統的な主砲配置と強固な構造防御方式を持ち、『純正』ドイツ建艦技術の一つの頂点といえる。{{br}}  設計はピンギン設計局。当初の計画では50.8センチ砲8門、ディーゼルとガス・タービンを併用した新機軸の機関を搭載し、37.2ノットを出すはずであったが、いかなドイツでも開発が間に合わないことが判明したため、開発済み(H級に搭載する予定だった)の46センチ主砲を搭載、主機関は従来の方式とされたのである。主砲は後に50.8センチ砲に換装する予定であった。{{br}} {{br}}  1949年5月26日の本級の就役に日本海軍は恐怖した。日本では〈高瀬《大和》瑞希〉と〈澤田《信濃》真紀子〉以後に戦艦は建造されていない。タンカーや高速貨物船が最優先され、次いで海上護衛艦艇に潜水艦、航空母艦という順序だった。水上砲艦が建造されても最大で装甲巡洋艦止まりである(最後の装甲巡は〈槙原《愛鷹》愛〉級2番艦の〈椎名《浪速》ゆうひ〉で、1947年の竣工だった)。{{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は八八cm艦隊のどの艦よりも新しく強力だった。日本の最強戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉の就役は1942年、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の7年前にもなる。八八cm艦隊の1番艦〈来栖川《長門》芹香〉に至っては1920年、大正9年の竣工である。まともに正面から戦えるはずがない。{{br}}  インド洋で〈長谷部《高千穂》彩〉を痛めつけたH級戦艦〈横蔵院《フリードリヒ・デア・グロッセ》蔕麿〉の戦闘力から類推しても、〈高瀬《大和》瑞希〉級ですら押さえられるかどうかはかなり難しいところであった。日本海軍最大の46センチ砲を上回る50.8センチ砲を搭載、という情報が入ってはなおさらである(46センチ砲を搭載したという情報はかなり後になってから伝わった)。そのため日本海軍は、第2砲塔と第3砲塔の三連装化、主砲弾の新型砲弾への換装とそれに伴う揚弾機構の改装、さらには艦対艦誘導噴進弾の開発に全力を注ぐこととなる(注2)。{{br}} {{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉には3種類もの迷彩が施された姿が写真で確認されている。紫がかった青、赤、白のタイプ。緑、白、橙色のタイプ。臙脂、黄色、青のタイプの3種である。どの迷彩が似合っていたかは、好事家の間で未だに議論の対象となっている。もっともこれらの迷彩は観艦式用というべきで、戦闘時には灰色地に緑、白、黒の迷彩を施している筈なのだが、「マイアミ演習」などの作戦行動時にも派手な色使いの迷彩だったとの証言もあり、研究が待たれている(注3)。{{br}} {{br}} {{br}} 注1:「A−C」級は装甲艦3隻、F級は38センチ砲戦艦〈日野森《ビスマルク》あずさ〉、〈ティルピッツ〉である。「H」級6隻は排水量6万2千トン、40.6センチ砲8門装備(H以外は42センチ砲を搭載)、30ノットの戦艦である。「O−Q」級は巡洋戦艦(3万2千トン、34ノット)。{{br}} 注2:実戦配備された十式艦対艦誘導噴進弾(Type10 SSM)は、大戦末期のレイキャビク沖海戦におけるノース海峡夜戦(ベルファスト沖海戦とも呼ばれる)で、独仏合同艦隊(北米艦隊残余)を全滅させた。{{br}} 注3:黄色地に黒斑点の迷彩だったという証言もある。{{br}} {{br}} {{br}} !ノルト・アメリカ・フロッテ {{br}}  竣工後、ドイツ北米艦隊に編入されて旗艦となったが、北米艦隊は謹厳なドイツ海軍の中では異色ともいうべき雰囲気を漂わせていた。下士官兵たちの賭事にも寛容で、各艦にはビールやワイン、バーボンにアイラ・モルトなど各種の酒が積まれており、その面では「強者」ぞろいだった。もちろん、その先頭にいたのは〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉である。{{br}}  ハンスマイヤー中将に代わって北米艦隊司令長官の地位についた、気さくな人柄で知られるゴドフリート・ハイエ中将の下、洒脱でおおらかな雰囲気の〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉ではあったが、内では艦長レヴィンスキー大佐以下の艦首脳部は総統からの出撃の許可が下りないことに鬱々と悩んでいたのである。ヒトラーはドイツ軍事力の象徴たる〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を失うことをおそれ、出撃の許可を出し渋ったのだ。{{br}}  総統の水上艦艇出撃許可の出し渋りは、1942年11月、戦艦〈ティルピッツ〉が空母〈千鶴〉の航空隊に洋上行動中に撃沈されるという世界初の事件(注4)によって、より強固なものとなった(ちなみにヒトラーは捕獲した英国〈KGV〉級戦艦〈前田《プリンス・オブ・ウェールズ》耕治〉、合衆国〈ミネソタ〉級戦艦〈山名《ロードアイランド》春恵〉については出撃許可を出さないということはなかった)。このためドイツ北米艦隊は幾多のチャンスを逃すこととなり、カリブ海決戦における制海権喪失の一因となっている。{{br}}  けれども「演習」と称しての出撃はおこなわれていた。戦果を上げればヒトラーも認めざるを得ないからである。それら「演習」の一つに「マイアミ演習」がある。{{br}}  「マイアミ演習」作戦は、カリブ海へ出撃して通商破壊をおこなうと同時に、枢軸軍艦隊に決戦を強要する目論見であった。しかし枢軸軍が空母と戦艦を集結させて、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を撃破する姿勢を見せたことから、作戦は中止となってしまった。今や航空優勢は枢軸側にあり、戦艦は航空機をおそれなければならない立場になってしまっていたのである(注5)。結局、陸戦で一進一退の攻防が続くキューバ島の枢軸軍陣地に砲撃をかけるにとどまったが、艦砲射撃のすさまじさと共に、枢軸軍兵士の目には〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉のグラマラスな肢体が焼き付けられたのである。{{br}}  この「マイアミ演習」に参加するため、北米艦隊の水上砲戦部隊がマイアミ沖合に終結していた。そこに「覗き」に飛来した〈富嶽〉偵察型を、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は15センチ両用砲で迎撃している。2機編隊の内、先頭機は遁走に成功したが、2番機は一撃で撃墜されてしまった(先頭機の機長は「随分と盛んだったようだね」と偵察隊司令に叱られている)。これが〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の「マイアミ演習」における唯一の戦果であった。{{br}} {{br}} {{br}} 注4:戦艦〈ティルピッツ〉を撃沈するために水瀬秋子少佐率いる攻撃隊は100番(1000キロ)特殊徹甲爆弾〈鬼殺し〉を使用した。〈鬼殺し〉は建造中止となった戦艦〈高倉《武蔵》みどり〉の主砲弾を転用したもので、爆弾本体には日本国内で大ヒットした某映画から採って、「耕一さん、あなたを殺します」とペンキで書かれていた。{{br}} 注5:第1機動艦隊は喜望峰周りでカリブ海に進出し、〈長森《大鳳》瑞佳〉級5隻と〈リアン〉以外にも、〈千鶴〉らと護衛空母多数が投入されていた。ドイツ機動部隊は日本機動艦隊との死闘の末、壊滅するに至った。{{br}} {{br}} {{br}} !ニューヨーク沖海戦 {{br}}  出撃が許可されず、それでいて海陸ともに戦況は悪化する一方という状況の中、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は遂に出撃した。メキシコ湾に発生した巨大ハリケーンがグアンタナモとレイキャビクとを結ぶSY3船団(コードネーム・ムーンライト、「柿」船団)の上空を覆うことが判明したからである。枢軸軍の大反攻(「オーバーロード作戦」)への懲罰の意味も含めてヒトラーが許可を出した。ドイツ軍事力の恐ろしさを知らしめねばならない。将旗を掲げたハイエ提督と共に、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉はこれまでの全てを振り切るかのように勇躍した。{{br}}  1950年8月21日、ハリケーンがもたらす暴風雨が荒れ狂うさなか、ニューヨーク沖海戦(ドイツ側呼称バミューダ沖海戦)が戦われる。〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉はSY3B船団の直接護衛隊であるアンティーク戦隊〈来栖川《長門》芹香〉、〈スフィー〉(Lv3)と交戦し、たちまち2艦を脱落に追い込んだ(注6)。〈来栖川《長門》芹香〉の45口径41センチ砲でも重量を増した新型砲弾を使えば、「骨董品」と云われていてもH級戦艦に対抗できるものと思われていた。しかし41センチ砲では対50.8センチ砲防御の〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉には通じなかったのである。今や〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉以下、北米艦隊のSY3B船団への突撃を押しとどめる術は無いかに思われた。{{br}}  その時、第1艦隊第1戦隊旗艦〈高瀬《大和》瑞希〉が50口径46センチ主砲の最大射程距離4万5千メートルで放った12本の灼熱の矢が、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を挟叉した(注7)。援護の要請を受けて、速度の劣る〈来栖川《紀伊》綾香〉、〈坂下《尾張》好恵〉、合衆国戦艦〈神津《ニューハンプシャー》麻美〉を置いて単艦全速で突撃してきたのである。{{br}}  そして当初、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は3万5千近辺で距離を維持しようとした。しかし〈高瀬《大和》瑞希〉が踏み込んできたため、3万メートル前後の距離で同航砲戦が開始された。{{br}} {{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉、〈高瀬《大和》瑞希〉、両艦は日独の所属の違いはあれども同じ思想と技術のもとに建造された姉妹ともいうべき艦艇であった。攻撃力、防御力、機動力を高い次元で融合させた、「エクストリーム論」に基づく高速戦艦。ドイツよりもたらされた高初速砲と高温高圧缶、構造防御方式は〈高瀬《大和》瑞希〉を成り立たせている根幹の技術である。この腹違いの姉妹は、近親憎悪で血をたぎらせたかのように相手を打ちのめすことに熱中した。{{br}}  砲は双方ともに46センチ口径。門数はドイツ8門、日本12門と、日本側がドイツ側の1.5倍であったが、〈高瀬《大和》瑞希〉が単独突撃してきたのに対して、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉には42センチ砲8門を持つ戦艦2隻が援護につく。{{br}}  装甲防御では〈高瀬《大和》瑞希〉の舷側410ミリ(傾斜式により実質500ミリ)甲板200ミリに対して、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は舷側520ミリ(同じく実質600ミリ)甲板300ミリに達する。通常、戦艦は己の主砲に耐えられるだけの防御を持っており、対46センチ砲であれば〈高瀬《大和》瑞希〉の装甲は決戦距離(2万から3万)において必要十分以上の防御力を持っていた。つまり〈高瀬《大和》瑞希〉の46センチ砲では、〈高瀬《大和》瑞希〉を上回る厚みを持つ〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の装甲を貫通できない。{{br}}  そして〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の安全距離は、対46センチ砲では垂直2万5千以上、水平4万以下である。これだけ防御力に差があれば、ドイツ艦隊は一方的に〈高瀬《大和》瑞希〉を撃破できる筈であった。{{br}}  しかし距離3万1千において、〈高瀬《大和》瑞希〉の第五斉射の一発が〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の防御甲板を食い破り、ヴァイタル・パート内部で炸裂した。{{br}} {{br}}  爆発の衝撃をやり過ごしたハイエ提督とレヴィンスキー艦長は愕然とした。決戦距離内であれば完全に46センチ砲弾を食い止められる筈が、そうはならなかった。そして〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の砲弾二発は〈高瀬《大和》瑞希〉に命中したものの甲板装甲を貫通できず、艦内部に達する手前で炸裂したのである。{{br}}  〈高瀬《大和》瑞希〉が〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の砲弾を弾きつつ、打撃を与えた秘密は、その主砲弾にあった。通常の46センチ砲弾(1.46トン)よりも重量を2割増の1.75トンにしていたのである。同一口径で重量を増すために砲弾は長大なものとなり、最大射程距離の低下と砲弾散布界の悪化が見られたが、砲弾が発揮する打撃力の前には許容された。弾道が不安定になるならば大遠距離射撃を行わなければよく、散布界が広くなることに対しては砲門数を増すことで対処できるからだ。46センチ口径の超重量弾は〈高瀬《大和》瑞希〉の安全距離(2万以上、3万以下)を、水平防御において無効としてしまったのだ。{{br}}  超重量弾とは、大落角による重力加速度と砲弾の大重量とが掛け合わさって発生する運動エネルギーによって敵艦の水平防御を破るというものだった。そのために比較的低初速で放たれた超重量砲弾は2万から3万5千で最大の破壊力を発揮する。{{br}}  このスーパー・ヘビー・シェル(SHS)技術の大本は合衆国にあった。日本海軍はハワイ沖海戦後の戦艦の被害調査から合衆国海軍が使用している砲弾の性能を知り、合衆国崩壊後に残存した合衆国海軍への砲弾供給を請け負ったことから超重量弾の詳細を手に入れたのである。{{br}}  亀ケ首での実験で超重量弾の威力を確認した日本海軍は狂喜し、突貫工事で超重量弾の生産と保有戦艦全てに揚弾機構の改装をおこなった。その努力の結果が、ここバミューダ沖にあった。{{br}} {{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉のオットー・フォン・レヴィンスキー艦長は苦いものを感じていた。さらに直撃4発を与えているものの、今なお致命傷を負わせられていない。対するにこちらは二発のヴァイタル・パート内突入を許してしまっている。被害局限を旨とした艦の構造と応急処置の素早さで対処できているものの、このままでは〈高瀬《大和》瑞希〉を撃沈するどころか、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉が沈められかねない。ここまできての撤退は論外。ならば方策は一つしかない。彼はハイエ提督に進言すべく、背後を振り返った。だが、その前にハイエ提督が言った。{{br}} 「オットー。距離を詰めよう」{{br}}  レヴィンスキー艦長は笑みを浮かべて帽子をあみだにかぶり直した。上機嫌な時の彼の癖だった。{{br}} 「ヤー!距離を2万に詰めます!」{{br}}  ハイエ提督も笑って首肯した。{{br}}  ただ一つの方策とは、相打ち覚悟のチキン・ゲームに持ち込むことだった。かくて〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を先頭に、ドイツ北米艦隊は全速突撃を開始した。この勇壮きわまりない突撃行は、ドイツ海軍精神の発露として枢軸諸国海軍に高く評価されることになる。{{br}} {{br}}  〈高瀬《大和》瑞希〉は、このチキン・ゲームを受けて立った。己が身と引き替えにしても敵艦を船団から引き離さねばならない。それが海軍たるものだった。{{br}}  同時に冷徹な計算もなされている。例え〈高瀬《大和》瑞希〉が失われても、枢軸軍にはなお46センチ砲戦艦が〈澤田《信濃》真紀子〉を筆頭にまだ数隻残っている。戦艦殺しの装甲巡洋艦も2隻ある。それに対して欧州連合は〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉を失ってしまえば、ヴィシー・フランス海軍の〈篠宮《アルザス》悠〉だけしか残らない。{{br}}  数量は力である。枢軸軍は多少古い戦艦で防御力に難があっても、数を恃んだ攻撃で欧州連合軍の戦艦を潰すことが可能なのだ。であれば、総統ヒトラーの戦艦温存策にもそれなりの妥当性はあったといえる。{{br}} {{br}}  砲撃戦の絶頂は、砲戦開始後わずか10分で訪れた。射撃管制用レーダーは次々と機能を停止していった。弾片が艦上を荒れ狂って駆け抜け、脆弱なアンテナはズタズタに引き裂かれていく。両者は光学による射撃管制に切り替えて砲撃を続行した。共に優れた光学機器を持つため多少の嵐などは影響しない。2万程度の距離は、日独の砲術科員にとってまさに至近距離に他ならない。距離が詰まるに従い、幾何級数的に命中率と破壊力が増していく。{{br}}  互いの艦上は地獄と言うべき惨状を呈した。火災も発生している。命中箇所での爆発で兵員がゴミくずのように吹き飛ばされている。両用砲・高角砲群は壊滅したが、主砲戦にあっては意味をなさないことから科員が収容されて応急科に配置されているのが僅かな救いではあった。{{br}}  そんな地獄のただ中にあっても、双方の砲火は止まない。それどころか狂熱に煽られ、さらに激しく破壊を吐きだし互いを乱打する。彼我の距離はとうに2万を切り、水平射撃で相手の舷側装甲を破らんとしていた。〈高瀬《大和》瑞希〉の舷側装甲は〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の砲威力の前に膝を屈し、ヴァイタル・パート内部に損害が相次いでいた。艦の右舷は大穴を幾つも空けられて浸水が相次ぎ、反対舷への注水と艦内空所に詰めた浮力材(桐などの木材)で辛うじて姿勢を維持していた。{{br}}  それでも〈高瀬《大和》瑞希〉は反撃の手をゆるめない。通常2個の装薬筒を3個に増し、強装薬で超重量弾を放つ。〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の艦首に大穴を空け、A砲塔の天蓋をぶち抜き、B砲塔へはターレット・リングへの命中弾で台座からはずし、前部射撃指揮所を吹き飛ばす。代償として煙突の上部を粉砕され、2番砲塔は大西洋にたたき落とされ、4番砲塔では前盾への命中で砲身2本をへし折られていた。{{br}}  腹違いの姉妹はともに甚大な損傷を被り、浸水量は対応不可能な値へ刻々と近づきつつあった。{{br}} {{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の現況はかなり危険なものとなっていた。穴を空けられた艦首は沈降してA砲塔の直前にまで波がかかっている。艦首が浮力を失いつつあるために艦尾が持ち上がり、ややもするとスクリューが海面に出かねない状態だった。だが、砲撃はゆるめない。健在な後部砲塔の射界を確保するための操艦指示を、レヴィンスキーは歌っているかのように出していた。{{br}}  後方から轟音。17回目の斉射。{{br}} 「いいぞ、砲術、うまいタイミングだ」{{br}}  レヴィンスキーはそう言うと、ハイエ提督に向かって笑った。{{br}} 「長官、いけますよ。このまま本艦が砲撃を引きつけていれば〈タカセ《ヤマト》ミズキ〉を犯れます!」{{br}}  ハイエは笑って何かを言おうとした。だが、口を開く前に〈高瀬《大和》瑞希〉の砲弾が前檣楼に命中し、爆風が艦橋を薙ぎ払った。{{br}} {{br}}  遂に鏡像に拳を打ち付けるかのような戦いに終止符が打たれた。第1艦隊第2戦隊の〈来栖川《紀伊》綾香〉、〈坂下《尾張》好恵〉と〈神津《ニューハンプシャー》麻美〉が追いつき、砲撃を開始したのである。{{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の46センチ4門に対して、日米側が46センチ16門、41センチ24門(いずれも超重量弾を使用している)では、戦艦〈双葉《フォン・モルトケ》涼子〉、〈神無月《ロスバッハ》志保〉以下の北米艦隊の援護があっても対抗するのは至難と言うべきだった。さらに、一旦は脱落させた〈来栖川《長門》芹香〉と〈スフィー〉(Lv3)も修理に成功して砲撃を再開した。〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉はたちまち猛火に包まれ、砲撃も停止してしまった。{{br}}  同じ頃、〈高瀬《大和》瑞希〉もまた大浸水を起こしており、大破行動不能と言うべき状態に追い込まれていた(注8)。日本の最強戦艦〈高瀬《大和》瑞希〉を1年もドック入りを余儀なくさせたのだから、個艦同士のレベルでいえば相撃ちであったといえる。{{br}}  しかし戦略的にはドイツ北米艦隊の敗北と言うべきだった。枢軸軍艦隊の妨害を排除できず、SY3B船団を取り逃がしてしまったのだ。{{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉に座乗するハイエ提督は、根拠地フィラデルフィアを出撃する時から敗北を半ば覚悟していた。今や海上覇権の優勢は枢軸側にある。それでも祖国への義務は完遂されねばならない。{{br}} {{br}}  爆風が吹き荒れた後の艦橋で、士官ではただ一人生き残ったレヴィンスキーは、生き残りの中では最も高位の士官としての権限をもって各艦に命じた。{{br}} 「全艦直ちに撤退、根拠地に帰投せよ。本艦は撤退を援護する」{{br}}  各艦の艦長たちの抗議に対して、彼は答えた。{{br}} 「諸君、我らの夏は終わった!しかし、秋と冬はまだ始まってもいない。堪え忍び、打ち勝たねばならない未来が諸君の前に待っている。さあ、〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉が君たちを助けていられる間に、撤退してくれ。今日はここまでだ。幸運を祈る。さようなら。以上」{{br}} {{br}}  最後の通信を放った〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉は、北米艦隊残余の艦艇の撤退を援護しつつニューヨーク沖東方海域に沈んでいった。{{br}}  ここに、ドイツ海軍の「すてきな夏」は終わりを告げたのである。{{br}} {{br}}  〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉の喪失に怒り狂ったヒトラーは、日本本土への反応弾攻撃を親衛隊に命じた。翌1951年1月28日、広島市と長崎市は5キロトン反応弾頭搭載巡航ミサイル〈アーリアンボーテ〉による核分裂反応がもたらす地獄の業火につつまれた。帝都東京へも反応弾攻撃がなされようとしたが、駆逐艦〈舞波〉と〈小百合〉の犠牲の元に辛うじて回避された。{{br}}  そして日本は、ポートサイドとレイキャビクに融合型反応弾ス号6型を運び込み、ヒトラーに対してドイツ本土への反応弾による報復を宣言する事となる。{{br}}  絶滅戦争への撃鉄は起こされた。あとは引き金をどちらかが先に絞るだけ。まさしく戦争の「すてきな夏」は終わったのだ。{{br}} {{br}} {{br}} 注6:この時、アンティーク戦隊には空母〈リアン〉と〈江藤《白鳳》結花〉、嚮導駆逐艦〈セバスチャン〉もいたのだが退避を命じられている。〈セバスチャン〉は退避をひどく嫌がったが、旗艦〈来栖川《長門》芹香〉に空母部隊の世話を依頼され、致し方なしということで命令に従っている。{{br}} 注7:〈来栖川《長門》芹香〉は暗号通信システム「MAGIC」を使って、後方より来る〈高瀬《大和》瑞希〉に射撃データを送信している。この時〈澤田《信濃》真紀子〉は折悪しく新しい砲身に交換中で、この海戦に参加していない。さらに対戦艦の切り札たる装甲巡洋艦〈千堂〉も〈来栖川《紀伊》綾香〉らの後を追って同海域にいたのだが、砲弾積み込み時のトラブルにより特殊砲弾を積み込めなかった為、海戦には参加できなかった。{{br}} 注8:ニューヨーク沖海戦後、〈高瀬《大和》瑞希〉はパナマ・コロン近くの海域に設置された浮きドックに入渠し、工作艦〈長瀬《敷島》源之助〉による修理を受けた。{{br}} {{br}} !要目 *全長  308メートル *全幅   43メートル *主機 **ブローム・ウント・フォス式ギヤード・タービン2基2軸(184000hp) **MAN MZ67/98型ディーゼル6基1軸(96000hp) *主缶 **ワグナー高圧缶16基 *機関出力  280000hp *最大速力  32.2ノット *基準排水量 83000トン !兵装 *主 砲 49口径50.8センチ砲連装4基 *副 砲 55口径15センチ砲連装6基 *高角砲 10.5センチ連装砲15基 *装甲 **舷側 520ミリ **甲板 300ミリ **砲塔 580ミリ !同級艦 *〈皆瀬《フォン・ヒンデンブルク》葵〉 *〈縁《デア・フリート・ランデル》早苗〉 未成