!!!航空母艦〈エディフェル〉{{br}}{{br}} !!(元ネタ 「痕」(Leaf )より エディフェル){{br}}{{br}} (注) この記事は昭和31年に兵部省によって公開された情報を基に作成されたものである。第三次世界大戦終結後間もない時期であり、記事の各所に大幅に情報が隠蔽、修正された部分があり、現在知られている戦史と大幅に食い違う部分があることをご了承されたい。{{br}}{{br}}  第二次世界大戦開戦時に合衆国が保有していた数少ない空母。もともとはエル・クー社が建造した豪華客船であった。{{br}}  〈エディフェル〉を語るとき、何よりもまず彼女の奇妙な遍歴を語るべきであろう。1910年代、大幅な躍進を遂げた英国海運業者、エル・クー社の花形客船として〈プリンセス・エディフェル〉は完成した。その姿は同社の〈プリンセス・リズエル〉を一回り小さくした、12000トンの排水量に似つかわしい小柄で物静かさを漂わせるものだった(ただし、速度は「エル・クー四姉妹」の中で最速の27ノット)。{{br}}  竣工後、〈プリンセス・エディフェル〉は英米航路の人気客船として活躍した。その人気の理由はなんといってもそのもの静かな雰囲気で、合衆国の騒々しさに疲れた欧州の人々を癒すのには最高客船だった。また、民族衣装をかたどった独特の船員服も魅力的であり、国内外関わらず他の姉妹と同様に親しまれた。{{br}}  だが、合衆国から波及した大恐慌の影響はエル・クー社に大きな激動をもたらした。経営に失敗したエル・クー社は倒産、〈プリンセス・エディフェル〉をはじめとする四姉妹は日本の来栖川海運に買い取られ、東洋の海洋国家で〈楓丸〉の名を受け取り新たな人生を歩むことになった。{{br}}  来栖川海運は〈プリンセス・エディフェル〉の人気の理由を熟知していた。彼らはやはり日本――サンフランシスコ航路に彼女を航行させ、再び脚光を浴びた。日本人の感覚にもそのもの静かな雰囲気はマッチしており、エル・クー社から受け継いだ民族衣装風の船員服も黒髪の日本人女性が着こなせばその美しさは倍増した。{{br}}  来栖川海運の手によってかつての人気を取り戻した〈楓丸〉――〈プリンセス・エディフェル〉であったが、大恐慌の影響は来栖川へも響いていた。エル・クー社と同じく。経営難に追い込まれつつあったのである。また、日米間の関係が悪化するにつれ、他の姉妹たち――アジア航路の〈プリンセス・リズエル〉(のちの空母〈千鶴〉)、欧州航路の〈梓丸〉等に比べて〈楓丸〉は成績が落ち込み始め、ついにはどこかに売却か廃艦という決断を迫られた。{{br}}  当初、〈楓丸〉は〈プリンセス・リズエル〉と同じく海軍に売却され、軍用に改装される方向に向かっていた(おそらくは空母への改装であろう)。だが、ここでこの事実をつかんだ世界中の客船ファン(おもに日英米)から猛反発がおきた。あんな「かわいい」客船を空母に改装するとは何事か、そういうことである。たとえ売上成績が落ちこんでも、彼女のファン――自称「楓スト」は不滅であった。そして意外なことに合衆国の客船ファンからの反発がもっとも大きかった。{{br}}  普段の日本海軍ならこのような反発は無視を決め込むところだが、今回ばかりは違った。客船ファンからの情報をいち早く握った合衆国運輸会社が来栖川に自社への売却を進めたのである。もちろん「客船として活躍させる」との約束をして。{{br}}  世界中の客船ファンからの袋叩きにあっていた来栖川はその約束と売却価格に惹かれてこの案に乗った。彼らは、その合衆国運輸会社の申し出が裏には合衆国海軍の画策が存在していることを知りつつこの決断を行った。ある意味(軍事関係者には)結末が確定していると思わせる行動だったが、当時の来栖川の経営状況から見れば致し方ないことだった。また何よりも、来栖川がつぶれて一番困るのは日本海軍だったことも大きい。{{br}}  そして結末は予想通りだった。{{br}}  世界中の世論など馬耳東風の勢いで軍拡を進めていた合衆国は、すぐさま〈楓丸〉から再び改名した〈エディフェル〉を海軍によって買収させ、空母改装を行わせた。もちろん、ふたたび巻き起こった「楓スト」の猛反発など考慮していなかった。{{br}}  改装後の空母〈エディフェル〉は小型空母でありながら合衆国空母の特徴を色濃くもった空母となった。格納庫は一段の開放式を採用、舷側エレベーターも装備した。また搭載機は〈レンジャー〉の教訓から少なめの30機におさえられたが、そのおかげで速力は27ノットを維持できた。{{br}  空母という軍事兵器に姿を変えた〈エディフェル〉であったが、そのもの静かな雰囲気は変わらず、地味な姿ながらも合衆国海軍の中で人気を持った。煙突と同様に小さくまとめられた艦橋はその雰囲気を補強していた。また艦長には合衆国における最大の「楓スト」軍人が任命された。{{br}}  改装が終了した〈エディフェル〉は大西洋艦隊に配属され、第二次世界大戦勃発と同時に編成された合衆国義勇艦隊に参加した。{{br}}  そして彼女の本当の変遷が始まった。{{br}}{{br}} !〈エディフェル〉の戦歴{{br}}  合衆国海軍の軽空母として第二次世界大戦をむかえた客船改装空母〈エディフェル〉。彼女の戦いはあまりにも華々しく、そして悲しいものだった。{{br}}  ドイツ救援――そして日英連絡線遮断を目的に合衆国義勇艦隊は編成された。その規模は戦艦こそ含まないものの、〈エディフェル〉を主力とする、かなりの戦力をもったものであった。この義勇艦隊の存在によって、大西洋の海上兵力バランスは崩壊した。{{br}}  義勇艦隊が始めて出撃した1940年6月、その目的はドイツUボートとの連携による通商破壊作戦であった。義勇艦隊は単艦もしくは複数艦でユニットを組み、大西洋を航行中の日英船舶に襲いかかった。{{br}}  効果は破滅的であった。{{br}}  危機的状況下にある英本土に向けて航行していた輸送船団は次々に大損害をうけた。とくに〈エディフェル〉が装備する艦載機の威力は絶大であり、輸送船団のみならず護衛艦艇までも無力化した。{{br}}  義勇艦隊、そして〈エディフェル〉の絶頂は40年9月に行われた中部大西洋での戦いである。{{br}}  日英海軍は大西洋を縦横無尽に荒らしまわる合衆国義勇艦隊――日本海軍は義勇艦隊を「鬼」と呼んでいた――に業を煮やし、彼らを囮船団によって誘い出して殲滅する作戦を行った(「隆山」作戦)。この作戦によって発生した海戦で〈エディフェル。は〈アドミラル・シェアー〉などのドイツ水上艦、Uボートと共に囮船団を船団式船〈次郎丸〉を残して全滅させ、その後反撃に出た日英水上砲戦部隊――通称「鬼討伐部隊」――を翻弄した。{{br}}  結局、「隆山」作戦は失敗した。そしてその成果はいうまでもなく〈エディフェル。の的確な航空戦指揮のおかげといってよかった。まさしく、絶頂だった。{{br}}  だが、数ヵ月後に訪れた一つの邂逅が彼女の運命を変えた。{{br}}  補給を受け再度大西洋に姿を現した〈エディフェル〉は駆逐艦数隻と組み、輸送船団を求めた。この頃になると日英軍もできる限り強力な護衛艦艇を船団に付けるようになり、〈エディフェル〉一隻の艦載機では対応しきれない場合も現れていた。{{br}}  出撃から数日目、ついに手ごろな船団を〈エディフェル〉は発見した。輸送船団、軽巡1、駆逐艦2.喜望峰を経て英本土に向かう日本船団だった。{{br}}  護衛艦が三隻。30機の艦載機にとって恐れるべきではない兵力だった。ただちに〈エディフェル〉は攻撃機を送り出し、数機の損害と引き換えに一隻を除き輸送船を撃沈もしくは行動不能にした。大戦果といってよい。{{br}}  だが、ここで〈エディフェル〉は致命的なミスを犯す。艦載機の収容に手間取り、同じ海域に長時間いすぎてしまった。油断がなかったといえば嘘になるだろう。{{br}}  艦載機の収容が終わった時、すでに日は暮れていた。仕事を終えた彼らは補給を受けるべくノーフォークへと進路を変えようとし―――次の瞬間、水柱に包まれた。{{br}}  一体何が。各艦の見張り員達は水柱の合間から周りを凝視し――そして見た。砲をこちらに向けながら、凄まじい勢いで向かってくる二隻の駆逐艦、一隻の軽巡、そして船団指揮船〈次郎丸〉を。{{br}}  四隻は逃げ出していなかった。残存燃料など考えず、艦載機が帰還した方角に向かって、そして英国潜水艦が発見した空母部隊に向けて全力で航行したのだ。特に、二度も悲惨な情景を見せ付けられた〈次郎丸〉乗組員の決意は固かった。復仇の機会を逃すわけにはいかない。沈んでいった輸送船団の乗組員達のためにも。彼等は〈エディフェル〉に〈次郎丸〉をぶつけるつもりだった。{{br}}  当初は混乱をきたした義勇艦隊も、敵を発見した後は護衛の駆逐艦全隻が〈エディフェル〉を守るべく突撃を開始した。〈エディフェル〉はもちろん戦場離脱をはかる。{{br}}  数時間後、乱戦が行われた海域には、一隻の航行不能となっている艦首がつぶれた船団指揮船と、最高速度が2、3ノットにまで落ちこみ艦載機発艦不能の中破状態に陥った軽空母の2隻だけが存在していた。どちらもダメコンに忙しく、戦える状態でもなかった。第一、船団指揮船である〈次郎丸〉に武装などなきに等しいし、〈エディフェル〉のほうも兵装が全滅状態だった。また何よりも〈エディフェル〉にとって痛手だったのは、無線機が完全に破壊されたこと、そして〈次郎丸〉が救援を付近の艦隊に呼びかけていたことである。{{br}}  この後いかなる会話、行動が両艦の間でなされたかは日米ともに記録が抹消されているためはっきりとしない。ただ、いち早く〈次郎丸〉救援に駆けつけたある日本艦艇が見たものは、〈次郎丸〉の復旧作業に横付けされた〈エディフェル〉乗組員が参加している情景だった。〈エディフェル〉艦長は、自身が愛する〈エディフェル〉と乗組員達、そして最高の敵手を救うため、あえて自分の血を流した――裏切り者の汚名を受けたのだった。{{br}}  結局、大損害を受けていた〈エディフェル〉は〈次郎丸〉救援部隊に投降した。投降に応じた〈エディフェル〉艦長の表情はさわやかなもの以外の何物でもなかったという。戦い抜いた男だけが映し出せる顔だった。〈次郎丸〉船長も同様だった。彼らは誓ったのだ。お互い生きて帰ろう。そして再び戦おう。たとえ今は捕虜とその反対の身でも、次に再会するときには必ず―――――。{{br}}  彼らの思いが成就することはなかった。{{br}}  〈エディフェル〉の「裏切り」を無線傍受で知った合衆国海軍はすぐさま〈エディフェル〉撃沈をドイツUボート部隊――大西洋の狩猟者(JDA)――に要請、救援部隊の援護下ジブラルタルに向かう〈エディフェル〉をねらいウルフパックをしかけさせたのだ。{{br}}  信じられない――対潜戦闘を開始しつつ、〈エディフェル〉のみならず救援部隊の誰もが思った。〈エディフェル〉には捕虜という立場にしろ、合衆国軍人が紛れもなく乗りこんでいる。それにもかかわらず攻撃を仕掛けるとは。{{br}}  ことここにいたり、〈エディフェル〉艦長は自身の持っている全ての情報を救援部隊に渡した。もはや合衆国への忠誠は消え去っている。そして彼は〈エディフェル〉がジブラルタルに到着できないと悟っていた。{{br}}  彼の予想通り、〈エディフェル〉はUボートのウルフパック、その終末段階でついに被雷した。曳航されていたためUボートの集中攻撃を受けそうになった〈次郎丸〉の盾となったのだ。{{br}}  沈みゆく〈エディフェル〉。〈次郎丸〉艦内では、事態を知った全員が、泣いた。そしてその悲しみを癒すように〈エディフェル〉は最後まで残った艦長その他(その大半が筋金入りの「楓スト」)によって〈次郎丸〉に向けて発光信号を送っていた。まるでそれが遺言であるかのように。{{br}}  〈次郎丸〉艦長は、滂沱の涙を流しつつ、同じように発光信号を送った。たとえそれが、〈エディフェル〉爆沈の閃光にかき消されても。何度も。何度も。その姿が完全に沈むまで。{{br}}  ジブラルタルに到着した救援部隊はただちに〈エディフェル〉艦長から受け取った情報を研究し、また〈エディフェル〉艦長から直接情報を手渡された〈樅〉級駆逐艦の〈楓〉艦長は〈エディフェル〉艦長の記憶(意思)を受け継ぐかのように情報を全軍に配布しようとした。だが海軍の一部によって「信頼性に劣る」という理由で救援部隊の口はふさがれ、敵国艦に自国艦が助けられたという不名誉は隠蔽された。これが〈次郎丸〉乗組員の尽力によって明かになり、〈エディフェル〉の情報が活用されるのは、〈楓〉沈没後、初代〈千鶴〉の悲劇の後である。{{br}}  そして、復活した〈次郎丸〉は以前と同じように輸送任務を再開した。表に出すことはなかったが、〈次郎丸〉艦長を含め、あの発光信号を見たもの全員に、ある種の決意が現れていた。{{br}}  ――――かならず、生き延びると。{{br}}{{br}}   「軍艦は―――そして軍人はお互いの誇りを行動化し…伝え合う事が出きる。…貴様の誇りが俺を戦わせ…その俺の誇りが貴様の艦を戦わせる。…たとえ…どんなに遠く離れていても」{{br}} ―――〈エディフェル〉発光信号{{br}}{{br}} 「〈エディフェル〉…この戦いを、誇りを忘れるな。またいつか貴様に出会うとき。かならず俺は貴様を覚えている。だから、待っていろ。いつか再びめぐり合える日まで…俺は貴様の誇りを忘れず、戦い抜くから…」{{br}} ―――〈次郎丸〉発光信号{{br}}{{br}} !■要目{{br}}  全長  190メートル{{br}}  全幅  33メートル{{br}}  排水量 12000トン{{br}}  速力  27ノット{{br}}{{br}}  主兵装 12.7センチ高角砲2門{{br}}      40ミリ機銃18挺{{br}}      航空機30機{{br}} !同級艦{{br}} 〈エディフェル〉