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- 〈住井〉 - 〈住井〉
- 〈折原《吉野》浩平〉 -
この後も、〈折原《吉野》浩平〉はのちの別称(蔑称)「ばかばか艦」の名にふさわしい行動をとる。「藤堂プラン」発動のために日本に帰還後は、給油艦〈住井〉の「第2航空艦隊人気投票大会」に参加する、タンカー船団護衛中に、日本潜水艦の雷撃で航行不能となって漂流していた米駆逐艦を勝手に鹵獲、〈繭〉と名付けて第1航空艦隊に編入する、〈繭〉装備品確保のために「軽巡〈七瀬〉装備品オークション大会」を提案する、さらには訓練日には必ず出港が遅れる、給油艦〈南〉を〈沢口〉と(意味もなく)間違い続ける、艦内の食事はいつも麺類(ときどき焼き飯)、無意味な行為に全力投球する、などなど、様々な伝説を作り上げた。{{br}}
- 〈長森《大鳳》瑞佳〉 -
そして作戦司令部が諾否を与える前に、当の本人達はさっさと艦を沿岸に接近させた。一日の課業が終わった後に、一目散に商店街に向かうような早業であった。これに〈里村《海鳳》茜〉や〈澪月〉、〈七瀬〉、〈住井〉らが続いた。結局、作戦司令部は済し崩しにK大佐の進言を入れざるを得なくなったのである。もっとも、後にK大佐はGF司令部から叱責を受けている。{{br}}
- 〈南〉 -
〈南〉は、太平洋戦争中インド洋、東南アジアでの支援行動に従事し、ハワイ沖海戦に参加、〈住井〉とおなじく支援艦の1隻として参加しているが、その戦歴は同型艦〈北川〉〈住井〉と比べて目立った行動は起こしておらず、ある意味給油艦らしい給油艦として地味に活躍した(〈住井〉のイベントの共犯をしたことはあるが)。ただ、その最後は有名で、ハワイ沖で〈南〉は〈里村《海鳳》茜〉をかばい被弾、爆沈している。{{br}}
- 〈北川〉 -
〈中崎〉に続いて、〈北川〉は昭和15年(1940年)2月に根室で起工され、16年2月に完成した。基準排水糧は18300トン。〈中崎〉と同大であるが、その姿はまったく別のものだった。この後3番艦〈住井〉、4番艦〈南〉が続々と竣工し、戦場へと投入されていった。その運用は輸送船団における対潜護衛が主任務であったが、その他にも物資輸送や機動部隊戦参加など幅広く活躍した。{{br}}
- 各種艦艇 -
*給油艦〈住井〉