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〈保科《天城》智子〉の変更点

- だが、〈保科《天城》智子〉は孤立した。完成した同型艦〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉は、〈保科《天城》智子〉とろくに活動しないうちに予備艦も同然の状態となったのだった。理由は簡単。この頃の日本がいかに経済的に大躍進を遂げていたとしても、16隻の戦艦を常に第一線に置いておくのは国家財政にとって大きな負担となるからで、軍事費の膨張は経済成長にも悪影響を及ぼすという理由があったからである。〈保科《天城》智子〉級はネームシップの1隻を残して港に繋留されたまま(書類上は現役)となり、この3隻が復活するのは1938年まで待たねばならない。{{br}}
+ だが、〈保科《天城》智子〉は孤立した。完成した同型艦〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉は、〈保科《天城》智子〉とろくに活動しないうちに予備艦も同然の状態となったのだった。理由は簡単。この頃の日本がいかに経済的に大躍進を遂げていたとしても、16隻の戦艦を常に第一線に置いておくのは国家財政にとって大きな負担となるからで、軍事費の膨張は経済成長にも悪影響を及ぼすという理由があったからである。〈保科《天城》智子〉級はネームシップの1隻を残して港に繋留されたまま(書類上は現役)となり、この3隻が復活するのは1938年まで待たねばならない。{{br}}
- 1938年初頭、〈保科《天城》智子〉級4隻による連合艦隊第3戦隊が(本格的に)編成された。しかし、ここでまた新たな問題が発生した。第3戦隊旗艦たる〈保科《天城》智子〉と僚艦の〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉との対立が生じたのだった。{{br}}
+ 1938年初頭、〈保科《天城》智子〉級4隻による連合艦隊第3戦隊が(本格的に)編成された。しかし、ここでまた新たな問題が発生した。第3戦隊旗艦たる〈保科《天城》智子〉と僚艦の〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉との対立が生じたのだった。{{br}}
- 対立による弊害は訓練計画における意見の不一致による艦長同士の言い争いから始まり、さらには艦隊運動の乱れ――2番艦以下が旗艦に追従しない――にまで発展していった。しかしそれでも〈保科《天城》智子〉は屈しなかった。彼女の艦長以下乗組員すべてが一致団結、自己を鍛えるために過酷な訓練に励み、その訓練量は僚艦の倍にも達するとも言われている。その証拠として、同年の海軍大演習の際、〈保科《天城》智子〉対〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉という想定での紅白模擬戦が行われた。1対3という圧倒的に不利な立場であったが、戦闘の結果は、{{br}}
- 「〈保科《天城》智子〉小破。戦闘、航行に支障無し。〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉いずれも大破。特に〈岡田《赤城》メグミ〉は自力航行不能」{{br}}
+ 対立による弊害は訓練計画における意見の不一致による艦長同士の言い争いから始まり、さらには艦隊運動の乱れ――2番艦以下が旗艦に追従しない――にまで発展していった。しかしそれでも〈保科《天城》智子〉は屈しなかった。彼女の艦長以下乗組員すべてが一致団結、自己を鍛えるために過酷な訓練に励み、その訓練量は僚艦の倍にも達するとも言われている。その証拠として、同年の海軍大演習の際、〈保科《天城》智子〉対〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉という想定での紅白模擬戦が行われた。1対3という圧倒的に不利な立場であったが、戦闘の結果は、{{br}}
+ 「〈保科《天城》智子〉小破。戦闘、航行に支障無し。〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉いずれも大破。特に〈岡田《赤城》メグミ〉は自力航行不能」{{br}}
- 演習においてその実力を見せつけた〈保科《天城》智子〉だが、対立は解消しなかった。そればかりか、僚艦による「嫌がらせ」は、エスカレートし、ついには連合艦隊司令部からの命令書に朱塗りの落書きをされるまでに至った。第3戦隊内の不和は兼ねてからGF司令部でも懸念されていたが、この嫌がらせを知ったGF司令部は、これ以上の対立は海軍の作戦行動そのものにも支障をきたすと判断、直接介入にうって出た。司令部に呼び出された〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉の艦長たちはGF長官直々の厳しい叱責を受け、この対立を速やかに改善することを命じられた。3艦の艦長も良心がとがめたのか、〈保科《天城》智子〉艦長に直接謝罪し、長かった対立に一応の終止符が打たれたのだった。以後は何かと文句を言いながらも旗艦からの命令には従い、作戦行動にも支障をきたさないまでにはなった。{{br}}
+ 演習においてその実力を見せつけた〈保科《天城》智子〉だが、対立は解消しなかった。そればかりか、僚艦による「嫌がらせ」は、エスカレートし、ついには連合艦隊司令部からの命令書に朱塗りの落書きをされるまでに至った。第3戦隊内の不和は兼ねてからGF司令部でも懸念されていたが、この嫌がらせを知ったGF司令部は、これ以上の対立は海軍の作戦行動そのものにも支障をきたすと判断、直接介入にうって出た。司令部に呼び出された〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉の艦長たちはGF長官直々の厳しい叱責を受け、この対立を速やかに改善することを命じられた。3艦の艦長も良心がとがめたのか、〈保科《天城》智子〉艦長に直接謝罪し、長かった対立に一応の終止符が打たれたのだった。以後は何かと文句を言いながらも旗艦からの命令には従い、作戦行動にも支障をきたさないまでにはなった。{{br}}
- 1942年末、「葉号作戦」が発動し、日本軍は苦心の末ハワイ諸島を占領した。翌1943年1月30日、ハワイを奪還しようとする合衆国海軍との間で、空母機動部隊と基地航空隊が入り混じった一大航空決戦「東太平洋海戦」が発生した。この戦いは両軍痛み分けのような状態で終わり、同日夜、ついに戦艦同士の夜間艦隊決戦「ハワイ沖夜戦」が発生、〈保科《天城》智子〉も第3戦隊の旗艦として〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》〉〈吉井《高雄》〉を率い、彼女たちが主敵と想定していたダニエルズ・プラン艦隊と雌雄を決することとなった。{{br}}
- この極めて熾烈な海戦が日本海軍の辛勝で終結したとき、第3戦隊は半分になっていた。3番艦〈松本《愛宕》〉、4番艦〈吉井《高雄》〉が撃沈されてしまったのだった。2番艦〈岡田《赤城》〉は中破、そして〈保科《天城》智子〉は奇跡的にも小破で済んでいた。過去には色々しがらみがあったものの、それでも僚友として大西洋を共に駆け回った僚艦の損失を、〈保科《天城》智子〉艦長は悲しんだ。{{br}}
+ 1942年末、「葉号作戦」が発動し、日本軍は苦心の末ハワイ諸島を占領した。翌1943年1月30日、ハワイを奪還しようとする合衆国海軍との間で、空母機動部隊と基地航空隊が入り混じった一大航空決戦「東太平洋海戦」が発生した。この戦いは両軍痛み分けのような状態で終わり、同日夜、ついに戦艦同士の夜間艦隊決戦「ハワイ沖夜戦」が発生、〈保科《天城》智子〉も第3戦隊の旗艦として〈岡田《赤城》メグミ〉〈松本《愛宕》リカ〉〈吉井《高雄》ユカリ〉を率い、彼女たちが主敵と想定していたダニエルズ・プラン艦隊と雌雄を決することとなった。{{br}}
+ この極めて熾烈な海戦が日本海軍の辛勝で終結したとき、第3戦隊は半分になっていた。3番艦〈松本《愛宕》リカ〉、4番艦〈吉井《高雄》ユカリ〉が撃沈されてしまったのだった。2番艦〈岡田《赤城》〉は中破、そして〈保科《天城》智子〉は奇跡的にも小破で済んでいた。過去には色々しがらみがあったものの、それでも僚友として大西洋を共に駆け回った僚艦の損失を、〈保科《天城》智子〉艦長は悲しんだ。{{br}}
- 〈保科《天城》智子〉は第1次改装後、〈来栖川《紀伊》綾香〉級、〈宮内《伊吹》レミィ〉級など、後の新型艦に採用される塔型艦橋と、それに伴う煙突煤煙の逆流問題を調査するため、パゴダ・マストの外側に張りぼてをし、外見だけは完全な塔型艦橋になったことがある。それと同時に煙突にも手を加え、これまでの〈保科《天城》智子。とは大きく異なる姿となった。{{br}}
+ 〈保科《天城》智子〉は第1次改装後、〈来栖川《紀伊》綾香〉級、〈宮内《伊吹》レミイ〉級など、後の新型艦に採用される塔型艦橋と、それに伴う煙突煤煙の逆流問題を調査するため、パゴダ・マストの外側に張りぼてをし、外見だけは完全な塔型艦橋になったことがある。それと同時に煙突にも手を加え、これまでの〈保科《天城》智子。とは大きく異なる姿となった。{{br}}
-〈松本《愛宕》〉1943年ハワイ沖夜戦にて沈没{{br}}
-〈吉井《高雄》〉1943年ハワイ沖夜戦にて沈没{{br}}{{br}}
+〈松本《愛宕》リカ〉1943年ハワイ沖夜戦にて沈没{{br}}
+〈吉井《高雄》ユカリ〉1943年ハワイ沖夜戦にて沈没{{br}}{{br}}