トップ 新規 一覧 検索 ヘルプ RSS ログイン

〈《CA47》エリス〉の変更点

+!!!〈《CA47》エリス〉{{br}}{{br}}
+
+!!(元ネタ エリス/Renaissance/Scramble House){{br}}{{br}}
+
+!■イタリア戦車史{{br}}
+ 第1次世界大戦において陸上戦闘に革命をもたらした戦車ではあったが、大戦後の軍備削減と旧来思想の板ばさみにあってなかなか発展しなかった(*注1){{br}}
+ そんな中、戦車先進国英国を発祥とする2人乗り軽戦車であるカーデンロイド系列が開発された。小さく安く使いやすい。戦闘力はともかく数を揃えて部隊を運用するのには実に手ごろで役に立つ。{{br}}
+ 20カ国近くに輸出され、それぞれの国の戦車達の礎となったルノーFTとともに各国に輸出されていく。もちろんイタリアもルノーFTをフィアット3000として自国版にするとともにカーデンロイドMk.IVを輸入(*注2)してイタリア式のアレンジを施しCV29(CVは高速戦車の頭文字)として試作、続けてL3/33(Lは軽戦車の意味、30年代後半に分類名称変更をした)、L3/35、L3/38と進歩。火炎放射戦車タイプや指揮車タイプも生産され、拡大改良タイプのL6/39が後を継ぐ。{{br}}
+ しかし、スペイン内戦に投入したL3系列は樹上からゲリラに斬り付けられ(!)て撃破される程の弱装甲ぶり(*注3)を露呈し、その限界がはっきりとしてきた。{{br}}
+ ムッソリーニや陸軍首脳もそんなことはわかっていたが、いかんせん予算と時間がなく、第2次世界大戦開始時でさえ戦車戦力の7割を占める状態。これでマチルダ戦車を主力とする英機甲部隊と戦えば・・・ドイツ将兵が操っても結果は同じだったろう。{{br}}
+それでもM11/39、M13/40と主力戦車は強化されたが英のクルセイダー、日本が派遣した〈瀬能《九七式中戦車改(新砲塔チハ)》英里子〉には歯が立たずひたすらヤラレ役、またはいじめられっ子に徹するしかなかった。{{br}}
+ようやく1942年秋に主砲砲身を長くし、エンジンを強化したM15/41(M14/41はキャンセル)が登場したがこの時の相手は〈穂村《一式中戦車チヘ》悠夏〉。努力は報われなかった。そしてイタリアはついに戦車戦で勝利することなくWW2を終える。{{br}}{{br}}
+
+!■カーゴ・オートブリンダ{{br}}
+ WW2終結後、イタリア陸軍は二つの派に分かれた。片方は正統派とも言うべき「強力な戦車」を造るべき勢力。彼らは英国から捕獲した〈クルセーダー〉巡航戦車を元に走攻守にバランスの取れた戦車を開発していた。{{br}}
+ 片や一方の派・・・その中にはあのアルコンがいた・・・は発想を逆転させた、敵戦車に正面から勝てない戦車をわざわざ乏しい予算を使って造る必要があるのか?戦車ならドイツが造っている。さらに彼らはこちらとほぼ同じ戦線で戦っている。いっそ「戦車のない陸軍」というのはどうだ?確かに戦車の無い陸軍は人が自ら「人を捨てる」ようなものだが、これならそんなに予算は食わないし、個人戦闘なら民族性にも合っている。{{br}}
+ 彼らは陸上戦闘の常識を覆す軍備が始めた。まずは歩兵に強力な対戦車能力を与えねば話にならない。これはスウェーデン開発のカール・グスタフ(*注4)無反動砲をライセンス生産することになった。この砲は試験でドイツ戦車や自国試作戦車の装甲を呆気なくぶち抜くと同時に戦車開発派を一斉転向させている。他にもパンツァー・ファーストや日本の八十九式重擲弾筒の連合版ホチキス60mmコマンドーを開発、装備させた。{{br}}
+ そしてこれらの装備で重くなった歩兵を輸送するとともに移動途中での防衛戦闘も出来る車両が要求された。これが〈《CA47》エリス〉(CAとはカーゴ・オートブリンダ=輸送戦闘車の略)である。{{br}}
+ 北アフリカの砂漠で移動に苦心惨憺したこと、その移動中にしょっちゅう英日軍の攻撃を受けた戦訓を元にし、エンジンには信頼性と酷暑の砂漠を考慮して冷却効率のよい水冷ディーゼル(当然メタノール燃焼可能)を採用。車体は軽機銃防御を講じた軟鋼製(戦後はアルミ製も生産された)でシルエットを低くし、安価で簡単に製造できるようにした。予算割当の少ない陸軍としては安く造れればそれにこしたことはない。他に浮航性を持たせて不意の豪雨による湖状態にも対応させた。砂漠は時によって物凄い豪雨が来ることもあるのだから。{{br}}
+ 履帯も構造の簡単なクリスティー式を採用。必要ならば履帯を外して高速移動もできるようにされ、迅速な移動に貢献している。{{br}}
+ 武装は砲塔に海軍と共通の70口径35ミリ機銃1基を搭載、他に8ミリ機関銃も対人用に搭載。通信装備としてアンテナを砲塔左右斜め後ろに装備(ツインテールと呼ばれた)
+ そして画期的なのは後期型から車体横に銃眼を設け、乗車兵自らが自衛戦闘できるようにしたことである。これもまた北アフリカ戦での不意襲撃の戦訓。これらの特徴により英国がマシンガン・キャリアーとして多数配備したユニバーサル・キャリアーの思想=魂を受け継ぎ、新たな発想を追加した車体=肉体に宿らせた輸送戦闘車として誕生した。しかも構造は簡単、かつ安価。早速1946年から量産が開始されてWW3開戦頃には約400両が各師団に配備されている。{{br}}
+ ちなみに兵士からは「戦車見習い」という愛称を貰った。確かに戦車を廃止するという画期的(というか無謀)な決断は兵士達にとっては多少は戦闘性能がある<CA47”エリス”>を「戦車見習い」とでも名づけたくなるだろう。生身で戦車と戦う軍隊になってしまったのだから。{{br}}
+ だだしこの「戦車廃止論」に対して復讐のみに燃えるコルマーナ少将は独自に復讐のための戦車を開発することになったが、これは〈山岡《N48》あみ〉の説明に譲る。{{br}}
+{{br}}
+!■おっちょこちょい、そしてかいがいく{{br}}
+ 北米戦線の第137機甲師団<アメリゴ・ヴェスプッチ>、及び第4機械化師団<クリストファロ・コロンナ>、そして第138軽機甲師団<ジョヴァンニ・カボット>に配属されていた〈《CA47》エリス〉は(さすがに戦車無しは味方からも無茶と感じたのか)ドイツから傾翔遊睨づを貸与されて後方警備や補給部隊護衛につき、独陸軍の素早い攻勢を支えた。歩兵部隊も個人戦闘に強いと評価されるイタリアだけあってグスタフ無反動砲を抱えて襲撃にやってきた枢軸部隊をしばしば追い払う。{{br}}
+ 〈《CA47》エリス〉はそんな兵士のお役に立つべく呼べば文字通りどこでも現れて戦場を賭け回った。が、構造上の問題なのか用兵上の問題なのか妙な失敗が相次ぐ。初期型でミシシッピ河の渡河をやった時には浮航性能を追求しすぎたことが仇になり、乗員が窒息(!)するという前代未聞の事故をやらかしている。{{br}}
+ カンザス市街戦時には臨時にロケット砲を積んだタイプも造られたが、「どんな敵戦車にも勝てる兵器を呼び出しました!」という技術部の宣伝。何かを呼び出したかのような異様に派手な発射煙の割に戦果は軽戦車1両。{{br}}
+ こんな「ドジ」なエピソードも多かったが、それは〈《CA47》エリス〉が献身的に活動していた証拠だろう。それについてはイタリア空軍のシエロビーノの「やはり、俺(自国?)には必要だ」という言葉を代表として明記しておく{{br}}。
+ 何しろあのマンシュタインやホト、モーデルが上層部を説得して回避させたくらいなのだから。主力戦車に傾注しすぎて後方が弱くなっていたドイツ陸軍にとっては「どこにでも出てこられて、献身的に働く」存在は大きかった。大体最強無比と豪語するドイツ陸軍といってもその6割は歩兵(擲弾兵)。かいがいしく働き、「ご主人様」「お兄ちゃん」と呼んでくれる存在(つまり後方部隊)がなければ「主人公」たる戦車は何も出来ないことに気付いたのだ(心底では気付いてはいたのだが・・・){{br}}
+ 結局ドイツは「イタリアには勿体無い」とばかりに〈CA47《エリス》〉をライセンス生産し〈《マルダー》レン〉と名づけ、ドイツ陸軍の「使い魔」とした。{{br}}
+ なお、一部はあの超異端戦車〈山岡《N48》あみ〉に「肉体(車体)を提供して」スエズで英日軍をパニックに陥れている。{{br}}{{br}}
+
+!■魂を受け継ぐもの{{br}}
+ 戦後すぐに〈CA47《エリス》〉は休戦の隙を突いてロシア統一を企むロアの部隊を叩くためにウラル戦線に旅だった。この頃には不具合も解消され汎用装甲車としての価値を発揮、腑海林派軍との戦いでは<モスキート>ATM(有線誘導式対戦車ミサイル)と無反動砲をもって突撃してきた腑海林派軍を出鼻をくじき、駆け付けたドイツ軍とともにこれを粉砕。この時ドイツの〈《マルダー》レン〉が彼らの支援を担当して高い評価を受け、〈《CA47》エリス〉の精神(発想)が正しいものであることを証明。戦後は各国に輸出されていく。何しろ安くてよく働く。「契約書(説明書)一枚で充分」と言われるほど整備性も高い。同僚(?)の〈《マルダー》レン〉がドイツ式の凝った改良のおかけで高級化する中、「お試し」のような価格で買える〈CA47《エリス》〉はより国力の弱い国家に重宝された。中には中国共産党のように同車をYW531として(勝手に)量産して配備し、調子に乗って攻めこんだところを〈《四五式装輪戦車》琥珀〉に粉砕されるという一幕まであった(*注5){{br}}{{br}}
+ そして戦闘輸送車、歩兵戦闘車という〈CA47《エリス》〉の「精神」を受け継ぐものは日本でも〈《四七式歩兵戦闘車》翡翠〉として花開き、今や各国でなくてはならない存在となっている。{{br}}
+ 〈CA47《エリス》〉自体の生産数は約1万両で、〈《マルダー》レン〉に比べれば遥かに少ないが、開発者自体は満足しているのかも知れない。それは歩兵戦闘車という「魂」を受け継いでいるのだから。{{br}}
+ ちなみに当のイタリア自身は自国の戦車の弱さを晴らすかごとく歩兵戦闘車を発展させ、装甲を強化したCA60、ミサイルが撃てるようになったCA80と続いた後、1990年にはようやく完成させた国産戦車〈ナルバレック〉を補佐するべく115ミリ砲を積み、複合装甲とアップリケ装甲を施した「世界最強の歩兵戦闘車」CA90を就役させている。(注6){{br}}{{br}}
+
+!■要目{{br}}
+全長 6.74m{{br}}
+全幅 2.94m{{br}}
+全高 2.15m{{br}}
+重量 14.2t{{br}}
+発動機 フィアットSPA12TM45・12気筒水冷ディーゼル{{br}}
+出力 340馬力{{br}}
+最高速度 70km(陸上)/90km(陸上:履帯無し)/8km(水上){{br}}
+行動距離 420km{{br}}
+武装 35ミリ機関砲1、8ミリ機関銃1(+6門分の銃眼あり){{br}}
+乗員 3人+乗車兵8人{{br}}{{br}}
+
+#注1:それでも日本は世忍大尉を中心とした後の「ヨシノ機関」によって機甲戦に対応する戦車が開発されていた(これが〈芳野《八九式中戦車》雨音〉となる){{br}}
+#注2:別に安いからではなく、道が険しく狭いアルプス山岳地帯での戦闘を考慮したため、平原地帯ではフィアット3000を使用する。{{br}}
+#注3:というか、二人乗りで重さ3トンばかしの車体にまともな装甲は無理である。{{br}}
+#注4:イタリアでもそのままカール・グスタフと呼んだ。明かにドイツへの嫌味である{{br}}(命名は30年戦争でプロイセン軍を打破ったグスタフ・アドルフから)
+#注5:俗に「チャイニーズ・コピー」と仇名されるだけあって安いのが取り柄。しかもなぜかデザインが泥臭い。{{br}}
+♯注6:形状は装甲を付けたBMP-3{{br}}