はじめに

 本作は、拙作「名雪と『名雪』」の後日談となっております。
 以上の点をふまえてお読みいただければ幸いです。



 四方(よも)は海もて囲まれし
 秋津島根(あきつしまね)の守りなる
 誉れは高きいくさぶね
 みそなわすこそ目出度(めでた)けれ


  「観艦式」(池田敬之助 作詞 佐藤清吉 作曲)


名雪と「名雪」

(原案:ブラック・ストーン/著:U−2K)

 平成15年度 自衛隊観艦式 10月25日編

艨艟の情景


「くー」
「……やれやれ」
 上野駅、午前8時。
 電車からホームへ降りても、俺――相沢祐一のいとこにして恋人、水瀬名雪は夢の中だった。
 仕方がないので、俺は名雪の手を取って山手線のホームへと向かう。
「ほら、起きないとホームから落ちちゃうぞ」
「ん……イチゴけろぴー……うにゅ」
「? いったいどんな夢を見てるんだ? こいつは……」
 まぁ、目が覚めないのは仕方がない。前よりは幾分か改善されたとはいえ、熟睡してるこいつを起こすのはやっぱり骨の折れる仕事だ。
 おっと。俺たちはあの雪の街から、夜行列車で一晩かけて東京の玄関口――上野駅へやって来たんだけど、最終的な目的地はここじゃない。
 これから東京駅まで行き、そこで横須賀線に乗り換えて、横須賀市へ行くのが俺たちの今日の目的だ。
 なんでわざわざ、地元(俺にとっては、あの街はもはや「地元」と言えるほど馴染み深い所だ)から横須賀へ向かうのかというと、その理由は俺の鞄の中に入っている2枚の紙切れにある。風が吹けば簡単に飛ばされてしまうような薄っぺらい紙なんだけど、今回、とても大切になるものだ。なぜならそれには、

 この海を駆ける
 平成15年度自衛隊記念日記念行事
 観艦式乗艦券

 と書いてあるからだ。
 そう。明日10月26日、相模湾において海上自衛隊の観艦式が挙行される。俺たちはそれを直に見る権利を得たのだった。


 これを手に入れるまでには色々とあったんだけど、事の始まりは、去年の大湊への旅だった。
 名雪の名前の原点を探し、行き着いた先が大湊港の防波堤になった駆逐艦「名雪」――俺の恋人と同じ名を持つ昔の海軍の軍艦だったのだ。
 そこで、駆逐艦の「名雪」さん(俺よりも遥かに年上――昭和9年生まれだから、ここでは一応敬称をつけておく)は、人の形(しかも美人だった)になって俺たちの前に現れた。その時は本当に、夢か幻を見てるんじゃないかと思ったもんだ。
 でも、名雪も俺もすぐに彼女と仲良くなって、いろんな話をしたし、名雪も全ての疑問を解消できたようだった。
 そんな中で、海上自衛隊の大湊基地から、護衛艦が出港して行く光景に出くわしたが、その時「名雪」さんは、海を進む艦を優しげに見つめながら、こう言った。
「もし良かったら……貴方たちも、あの娘たちのことを応援してくれたら、私も嬉しいわ」


 俺は、彼女の願いを実行した。
 日本の駆逐艦や昔の海軍については、「名雪」のことを調べる過程で色々なことを知ったけど、その後継者たる海上自衛隊についてはさっぱりだった。ただ、その組織が日本の海を守っている、ってことだけは漠然とだけど理解していたと思う。
 で、大湊以来、今度は自衛隊について興味を抱くようになって、それについても少しずつ調べ始めた。応援するなら、ある程度のことは知っておかなきゃ話にならないからな。
 でも、今年の8月にひとつの転機を迎えることとなった。
 4月に大学に入学し(名雪と香里、北川ももちろん同じ大学だ)、それと同時にバイトを始めた俺は、稼いだ金でパソコンを買った。そのついでにインターネットの環境も整えてみたんだけど……。そしたら、得られる情報の量は劇的に増えた。ネットの海の中には、とにかく世の中のありとあらゆる情報が漂っていることを、驚きと共に実感したのだが、それは自衛隊についても全く同じだった。
 もちろん、海上自衛隊のホームページもあった。何気にそこを開いてみたら、その中に観艦式のホームページが開設されていて、しかも民間から乗艦希望者を募集していた。
 観艦式。
 その国の海軍の威容を、国家元首などが見る式典。もし運が良ければ、俺もそのおこぼれに与れるってことだ。かなり魅力的なイベントだと思った。
 ちょうど手元に数枚のはがきがあったので、応募要綱に従い必要事項を書き込み、当たれば儲けもの、くらいの軽い気持ちでポストに入れた。ちなみに、乗艦希望者は2名まで記入できたので、名雪の名前を使わせて貰った(事後承諾になったけど)。
 しかし、友人の北川潤にそのことを話すと「たった数枚で、当たる訳ないだろ」と笑われてしまった。北川曰く「ああいうイベントは人気があるから、何十枚も出さなきゃダメだ」だそうだ。言われてみれば、確かにそうかもしれないけど……。
 でも、もう遅かった。締め切りは過ぎてしまっていて、今から応募はがきを追加することなんてできない。やがて、応募したという「冒険行為」がその後の日常生活の陰に隠れ、「些細なこと」として記憶から消滅しようとていた。
 だが、10日ほど前、それは突然やって来た。
 水色の封筒に「海上自衛隊横須賀地方総監部 観艦式支援室」と送り主の宛名書き。
 信じられなかった。でも、本当に当たった。そして届いた。封を切ると、それを現実だと証明するものが入っていた。
 まず「ご当選おめでとう御座います」の文字から始まる観艦式当日の注意事項が書かれた紙。そして2枚のチケット――軍艦の見事な鉛筆絵が描かれたもので、その下には「護衛艦『あさゆき』(横浜:新港)」とある。
 北川の言葉は、実に良い意味で間違ってくれたのだ。


 それからは少し忙しかった。
 名雪にこのことを話したら「わぁー、すごいよ。良かったね」と喜んでくれて、「一緒に行かないか?」という俺の誘いを、満面の笑顔を伴って受け入れてくれた。
 次に秋子さんから関東行きの了承を貰って、さらに宿の手配をして……。
 ちなみに、北川も「やっぱ海は男のロマンだな」とかなんとか言って、とりあえず俺の幸運を祝ってくれた。
 そうして、昨日の夜に街を出発し、今日10月25日、俺と名雪は関東へやって来たのだ。
 あ、観艦式の本番は明日26日なんだけど、海上自衛隊では今週初めから「観艦式ウィーク」に入っている。艦の一般公開や予行演習などで、もう既に艦に乗ったという人も多いだろう。さらに横浜と横須賀で、音楽隊のコンサートも開かれている。
 で、今日も護衛艦の公開とコンサートがあるから、せっかくだからそれも見学してみよう、と思い立った訳だ。それで俺たちは艦に乗る横浜を素通りして、横須賀に向かおうとしている。
 なお、今日見せてくれる艦は、イージス艦の「きりしま」と通常の護衛艦「いかづち」だ。
 これまで写真でしか見たことのない護衛艦の実物を見られる、そして乗れるということで、俺の心は躍っていた。そんな気持ちを抑えつつも、俺はまだ寝ぼけている名雪を連れて山手線へと乗り換えた。


「ん……あっ、あれ?」
「お、やっと起きたか」
「あ、祐一、おはよう。って、ここは……」
「夜行は降りて、ついでに山手線も降りて、ここは横須賀線のホームだ」
「そっか……わたし、また寝ちゃってたんだ」
 東京駅の地下。横須賀線のホームで久里浜行き(横須賀線の終点だ)の電車を待っていると、名雪がようやく夢の世界から帰って来た。
「ほら、もうすぐ来るぞ」
 と言ってから間もなく、列車が入線して来る。銀色のボディに、青とクリーム色のラインが入った車両だ。これに乗って、1時間ほど揺られれば日本有数の軍港に到着できる。
「さて、行くか」
「うん。楽しみだよ〜」


 ホテルを予約している横浜を通過し、かつて幕府があり、今では有数の観光地となっている鎌倉を過ぎると、電車の中はそれらしい人――自衛隊の艦を見に行くと思われる人たちばかりになっていた。
「うーん、曇っちゃってるね」
「天気予報でもそうなってたからな。ま、折り畳み傘は持ってるし、降ってきても大丈夫だけど」
「でも、やっぱり晴れて欲しいよ。せっかくの旅行なのに」
 確かに、雨に降られるのを心配しながら見学、ってのはちょっとイヤだな。しかし、天気に関してはあれこれ言ってもどうにもならず、ただ運に任せるしかない。
「それに、問題は明日だぞ。台風が来るって言ってるし」
「それも困るよ……」
 さて、すっかり目の覚めた名雪と話をしているうちに、電車はトンネルに入った。路線はあらかじめ確認しておいたが、この辺は短いトンネルが連続している。こうなってくると、田浦って駅がもうすぐで、横須賀はその次だ。
「名雪、そろそろだぞ」
「あ、うん。でもトンネルだらけだね。外が見えないから……」
 だが、トンネルから出た瞬間、
「あっ!」
 周りに人がいるにも関わらず、俺は思わずそんな声を上げてドアに駆け寄った。
 窓の外を流れる景色は、灰色の空と海と……そして、軍艦があった。
 いずれも色とりどりの旗を揚げて、自らを飾っている。
「わぁ……」
 遅れて窓際にやって来た名雪も呟く。
「ここが横須賀なんだね……」
「ああ」
 大湊の駆逐艦――今は防波堤として余生を送っている「名雪」さんに逢いに行った時、ちょうど港から出て行く自衛艦を見てからおよそ11ヵ月。
 これが、俺たちと海上自衛隊の、2度目の出逢いとなった。


 山に挟まれた感じの田浦駅を過ぎ、電車は横須賀駅に到着した。
 駅のホームからは、今回のために買った「海上自衛隊ハンドブック」には掲載されてない軍艦が見えた。多分、米軍の艦だろう。ここは米海軍も使ってる港だからな。
 そうして港を眺めながら歩き、ホームから改札を経て外へ出るが、そこで名雪があることに気づき、俺に教えてくれた。
「この駅、階段が全然ないね」
「ああ、この駅はそういう駅なんだ」
 観艦式に行けることになったので、この辺の旅行ガイドブックを読んでいた時、横須賀駅は段差の全くない、実に珍しい構造になっていることを知った。
「昔はバリアフリーなんて考えはなかったから、それとは関係ないとは思うけどな」
「うーん、不思議だね」
 そんなことを話しつつも、駅前の道路を渡って左に。そこからは、もう海自の艦が一望できる。ただ、あまりその場で時間をかける訳にもいかなかったので、俺たちと同じ目的を持つ人たちの流れに沿って歩くと、すぐにそこに辿り着いた。
 海上自衛隊横須賀地方総監部。今回、護衛艦「きりしま」と「いかづち」を見せてくれる、いわゆる「吉倉地区」だ。
 門をくぐると、まず大きい錨とスクリューのオブジェ(「あまつかぜ」っていう昔の護衛艦が使っていた右舷スクリューだと、台座のプレートにはある)が出迎えてくれた。それらを眺め、または触ったりしながら、基地の奥へと進んで行く。
 途中、庁舎みたいな建物の脇で簡単な身体検査(金属探知機のチェックと、でかい電子レンジみたいなのに鞄を入れるだけだった。これで開けなくても中身がわかるらしい)を受けて、いよいよ護衛艦の間近に向かう。
 その間、対応してくれたりすれ違ったりした黒い制服の人たちは実に礼儀正しかった。ただ、その挨拶というのが……。
「う〜、なんか緊張するよ〜」
 それは俺もだ。隊員が丁寧にも敬礼をしてくるから、俺もつい恐縮してしまう。今まで敬礼なんてされたことないからな。ここがいかに特別な場所か、ってことだ。
「ま、それがあの人たちの礼儀作法なんだろうな。だからこっちは普通に挨拶を返してれば良いんだよ」
 と割り切ることにした。いちいち気にしてたらこれから先が大変だからな……。
 さらに歩くと、敷地の端っこの方――桟橋のある辺りまでやって来た。護衛艦が横1列に綺麗に並んで、俺たちに艦尾を向けている。風が弱いので、旗竿にある軍艦旗――自衛艦旗はたれ下がったままだ。
 さて、ここからが本番だ。波がチャプチャプ鳴っている桟橋を暫し歩き、そして……。
「はー……」
「おっきいんだね、軍艦って」
「ああ……」
 明るいグレーの船体が「どっしり」って感じで目の前にいくつもある。なんというか、その……小山が連なってるみたいだ。
「どっちから乗る? とりあえず、近い方からにするか?」
「うん」
 となると「きりしま」だな。右隣にいる「しまかぜ」、左の「しらね」のどちらよりも明らかに大きい。「海上自衛隊最大の戦闘艦」と言う謳い文句が本当だと実感できる。
 さて、「きりしま」に乗るには、いったん「しらね」に乗って、そこからさらに乗り移らなければならない。その「しらね」は、桟橋に隣接していて、タラップのある辺りに受付があった。そこで簡単なパンフレットを貰って、急斜面になったタラップを渡る。
 下を見ると、海面が随分と遠く見えた。いくら手すりがあるとはいえ、もし落ちたら大変だな……。
「わぁ……」
 護衛艦「しらね」に上がるとすぐに、大砲が出迎えてくれた。名雪が驚きの声を漏らす。俺の背丈よりもずっと大きい。これは確か口径が5インチ――12.7センチあって、駆逐艦「名雪」の砲と同じサイズのはずだ。こっちは連装じゃなくて単装だけど。
 その砲塔が2基。2番砲の位置は1番砲より高く、台座の上に乗っかっている。その後ろには箱のようなもの――「アスロック」という対潜水艦用のロケット魚雷が入っている発射装置が置いてある。俺たちは2番砲とアスロックの間を通り、反対側に移ると――。
「でかいな……」
「大きいね……」
 イージス艦「きりしま」の艦橋が、圧倒的な存在感を伴ってそびえ立っていた。それを見上げながら「しらね」から橋を渡って「きりしま」の甲板を踏んだ。
「あの白い8角形のやつ、あれがフェーズド・アレイ・レーダーって言って、イージスの象徴だぞ」
「あれがレーダーなの? レーダーってクルクル回るんじゃないの?」
「普通のレーダーは、電波は直進しかしないから、回さなきゃ360度捜索できないけど、あれは電波を出す方向をある程度自由に変えられるんだ。そのレーダーが4方向についてるから、回さなくてもいいし、それに探知距離とか、探知できる数とか、性能も高い」
「そうなんだ……」
「で、このレーダーからの情報をコンピュータで処理して、目標へ自動的にミサイルを発射するのがイージス・システムという」
 実際にはもっと複雑――154の目標を一度に見つけて、その中から最も脅威度の高い12目標をコンピュータが判断し、同時に自動で攻撃できるんだけど、まぁ名雪にそこまで説明することもないだろ。
「そのミサイルってのは……そうだな、それは後にしよう」
「うん。でも、凄いよ祐一。詳しいんだね」
「大湊に行った後から、自衛隊についても結構調べたからな。あの時は『応援して』としか言われなかったけど、それでも興味は持っちゃうんだよな」
 となると、俺にはもともとそっち系――ミリタリーマニアの気があったのか? そりゃ、確かに軍艦や戦闘機をカッコイイと思うし、昔はプラモを作ったりはしたけど。
「うーん……じゃあさ、わたしも勉強した方がいいかな?」
「いや、俺の方は好きでやってる訳だし、なにも無理に、ってことはないだろう。『名雪』さんだってそこまでは求めてないと思うぞ」
 と言いながら、俺は艦橋を見上げる。
 確かに大きい。隣の「しらね」と比べても一目瞭然だ。全体的に見ても突起物が少なくスッキリとしたデザインで、比較的新しい軍艦だというのもわかる。
「ね、あれ何だろう?」
 その艦橋の正面にある白いドームを指差しながら、名雪が聞いてきた。映画「スター・ウォーズ」に出てきたロボットを連想させ、なんとなく愛嬌すら感じる。
 でも、そんなお茶目な外見とは裏腹に、これが艦の命運を左右するほど重要なものだということを俺は知っている。
「あれはCIWSっていうんだ」
「しうす?」
「ああ。これで飛んで来たミサイルとかを撃ち墜とすんだ。説明があるだろ」
 CIWSの真下に、説明文と簡単な図が張ってあった。
 CIWSってのは……確か「Close in Weapon System」の略で、邦訳すると「近接防御兵器システム」となる。なお自衛隊ではこれを「高性能20ミリ機関砲」と称している。
 俺がさっき名雪に教えた通り、ミサイルや大砲で撃墜できなかった敵の対艦ミサイルを迎撃するためのもので、これで駄目だったらミサイルが当たってしまう。文字通り最後の砦、サッカーに例えるとゴールキーパーってとこか。
 説明のパネルに目を通し、再び艦橋を見上げる。このままだと首が痛くなってしまいそうだ。と、その時、艦橋の窓がある部分の両脇――ベランダみたくなっている場所に、人影が見えた。
 どうやら、艦橋も一般人に解放されているようだ。
「さて、どうするか……とりあえず、中に入ってみるか?」
「うん。わたしは良くわからないから、任せるよ」
 背後にはVLS(ミサイル垂直発射装置のこと)と127ミリ速射砲があるけど、そっちは後回しにして、俺たちは開け放しになってる右舷側の扉をくぐり、でかい艦橋の中に入った。


 ハッチの先は通路で、艦橋を前後に貫くトンネルみたいになっている。それを少し進んだ所の左にさらにハッチがあり、そこに入ってすぐの所は、なんだかロビーみたいな感じの空間だった。室内には3枚の絵と3つの模型が飾ってある。
「あれ? 同じ名前の船があるの?」
「大きい2隻は昔の海軍――駆逐艦の『名雪』さんと同じ時代の戦艦だよ。『霧島』って軍艦があったんだ」
 旧海軍の巡洋戦艦「霧島」と、改装により高速戦艦となった「霧島」、そして俺たちの乗っているこのイージス艦「きりしま」だ。伝統のある名前なんだな……。
 それぞれの絵と模型を少し眺めて、上を目指すことにした。


 護衛艦――つまり軍艦は、戦うための船だ。したがって、無駄な空間はなく、無駄ではない部分も可能な限り削り、その代わり戦闘力に関係する部分に集中する。こうして限られたスペースを戦うための空間として有効に使い、強い艦にする。軍艦はこうした設計で造られている。
 その典型が、この階段じゃないかと思う。今こうして上っている、艦橋へと繋がる階段はやたらと傾斜が強い。しかし、これなら場所はあまり取らずに済むという利点もある。
「ふぅ……」
 そんな上りにくい階段を、足を踏み外さないように1歩1歩、慎重に上って行く。こりゃ確かにきついな……息切れまではしないけど、結構疲れる。これを平気で上がり下がりする乗組員って凄いな。
「名雪、大丈夫か?」
「うん。ちょっと大変だけど、大丈夫だよ」
 と、けろっとした表情の名雪。さすが元陸上部。今でこそ現役は退いたが、定期的にランニングをしている名雪ならではだな。こっちも大したもんだ。
 そんなこんなで、少し脚が重くなったが、階段を上りきると……。
「へぇ……」
 不思議な空間が開けた。
 薄暗い中に、見たこともないような機材が並び、何もなければそれなりに広いだろうと思われる部屋が狭く見える。しかも、俺たちと同じ見学者でひしめき合っているので、すれ違うのもやっとなほどの面積となっている。
「ここが艦橋の中か……ほら名雪、こっち来いよ」
「あっ、うん……すいませーん、通りまーす……よいしょ」
 それでもどうにか、比較的空いているスペースに滑り込むようにして入る。
 と、その時、乗組員のひとりがマイクのようなものを手に取って、話し始めた。その声はスピーカーから出てきて、艦橋の内部全体に、そしておそらく、甲板も含めた艦内全てに響き渡る。
『本日、防衛庁におきまして自衛隊殉職隊員追悼式が挙行されます。それに合わせまして1000時より、殉職隊員への黙祷を1分間捧げます。ご来艦の皆様も、ご協力くださるよう……』
 そうか……。やっぱり、今年も亡くなった人がいるんだ。
 自衛隊は国防組織で、前に「名雪」さんが言ってた「みんな『国を守りたい』と思って」いる人たちで成り立っている。そして、その思いを実現するために色々と危険なこともしなくちゃならない。その結果、不幸にして……職に殉じた。
 国の、国民の平和のために亡くなった人々。恋人や家族――大切な人だっていたんだろうに……。
「祐一……」
「ああ」
 名雪の言いたいことはもうわかっている。
 俺たちの――日本のために命を使い果たした隊員たちに、俺たちができる精一杯のことをしたい。それは俺だって全く同じだ。
 その意志を目配せで名雪に伝えると、彼女も黙って頷いた。
 いつの間にか、騒がしかった艦橋の中はしんと静まり返っている。隊員も民間人も思いは共通しているのか。
 それから間もなく、窓の上にある時計の針が、10時ちょうどを示すと――。
『黙祷』
 その号令を受けて、俺は目を閉じた。
「……」
 耳が痛くなるほどの静寂に包まれる中、俺はただ2つのことを考え、念じる。「ありがとうございました」と「安らかにお眠りください」と。それ以外、何を願えば良いのか。そして、名雪もおそらく同じことを思っているはず。
 時間の感覚が希薄になってくる。1分だけのはずなのに、もう何分間も続けているように思えてくる。でも、じっと目を瞑って冥福を祈っていると、それは唐突に終わった。
『黙祷止め。ご協力、ありがとうございました』
 こうして、俺の視界に光が戻り、空間も賑やかさを取り戻した。
 しかし、傍らの名雪の表情はあまりすぐれず、唇をきゅっ、と引き締めている。
 優しいこいつのことだ。名前も知らない亡くなった隊員に、まだ思いを馳せているんだろう。
「名雪」
「え?」
「なにもそればかりを考えることはない。ただ、頭の片隅には置いといて、忘れないようにすれば良いんだ」
「あ……うん。ありがとう、祐一」
 ちょっとしんみりしてしまったが、気を入れ替えて、艦橋を一通り見て回ることにする。
 そんなに広くはない所に、色々な機械や装置が置いてあり、その上さらに乗組員や民間人が多数いるもんだから、外見から受けた印象よりもずっと手狭に感じる。
「あ、ハンドルだ」
「これは舵だよ。まぁ機能はハンドルと同じだけど」
 右に回せば艦は右に、左へ切れば左へ曲がる。そんなこと言うまでもない当たり前のことだけど。ちなみに、今はロープで縛られていて、回らないようにされているが。
「え、これが?」
「どう見てもそうだろ。名雪には何か違うものに見えるのか?」
「だって、舵って……もっと大きくて、木でできてて、取っ手がついてて……」
「……ああ、あれのことか」
 名雪の言うのは、いわゆる「古風」な舵輪のことだろう。木製で、8本の取っ手が45度おきにあるやつだ。確かに「舵輪」と言えば、こっちのイメージの方が強いだろうな。
(そうか、改めて思うけど、今の船ってこんな風になってるんだ……)
 興味を引かれるのはそれだけではなかった。舵輪のすぐ左にある、透明の箱に入った2本のレバー。「鉄人28号」のコントローラーっぽい。
「あの、これは何ですか?」
 妙に気になったので、近くにいた隊員に聞いてみる。
「これはテレグラフ――速力指示器と言います。ここにメーターがあるんですが……」
 透明のパネルの前に、ふたつの丸い計器。その中には「半速」とか「強速」とか、スピードに関係すると思われる単語がたくさん刻んである。
「レバーを動かすとメーターの針が動いて速力を設定します。それで、これと同じのが機関室にあって、機関室はこのメーターの表示に従って速力を調整するんです」
「え? じゃあ、これは知らせるだけなんですか?」
「そうですね。実際の制御は機関室で行います。本艦よりも新しいあめクラスでは直接制御できるんですけど」
「あめクラス」とは、「むらさめ型」という海自の中でも新しい部類に入る護衛艦のことだ。今日「きりしま」と一緒に公開されている「いかづち」は、むらさめ型の7番艦になる。
 ふーん、この「きりしま」も結構新しい艦だけど、そんな違いもあるのか……。
「あの……なんでふたつもあるんですか……?」
 その時、これまでは俺と隊員のやり取りを傍目で見てるだけだった名雪が、ぽそっ、と遠慮がちに質問した。
 そんなおずおずとした名雪にも、隊員は親切丁寧に説明してくれる。
「本艦は2軸推進ですので、右が右舷のスクリュー、左が左舷のスクリューをそれぞれ制御します。戦闘艦に推進軸がひとつだけでは損傷した時に不安なんです。それに、舵が壊れた時は左右の回転数を変えて曲がったりすることもあります」
「そうなんですか……ありがとうごさいます」
「いえ、なんなりとお聞きください。機密でお話しできないのもありますが、可能な限りでお教えしますから」
「はいっ」
 隊員の紳士的で、それでいて親しげな対応に、名雪の緊張も解れてきたようだった。
「祐一、ここの人たち優しいね」
「そうだな。海軍には昔からスマートな人が多かったっていうけど」
 海自の人たちにも伝統は受け継がれているらしい。そんなことを感じさせるようなやり取りだった。
 さて、新たな発見をした後、艦橋の窓際に寄ってみると、そこには絶景といえる景色が広がっていた。
「うわぁ……」
 またも感嘆の呟きを漏らす名雪。まったく、今日はこいつにとって(いや、俺にもだけど)驚くことの連続だ。
 甲板から見上げても、上った階段の数から考えてもここは結構高い場所だとは思ったが、この光景はそんな想像を見事に肯定してくれた。
 具体的に言えば、ビルの4階くらいに相当すると思われる。見下ろす先には、艦橋に上がるのを優先したため、見学を後回しにした兵器――127ミリ速射砲とVLSが見える。
「船って、眺めが良いんだね」
 俺は名雪の言に頷いたが、この「きりしま」は護衛艦の中でも特別だと思う。イージスの艦橋は他の護衛艦よりも大きいからな。
「んじゃ、直接見てみるか」
 名雪をいざない、艦橋の脇にある張り出しの部分に行ってみることにした。
 右舷にあるドアの外に出ると、潮の匂いが香る風に吹かれる。そしてすぐそこにはミサイル護衛艦「しまかぜ」。この「きりしま」よりも1世代前のミサイル護衛艦で、イージスほどの高性能はない(いや、イージスがずば抜けているだけなんだけど)。
 でも、艦首にミサイル発射機を搭載した「しまかぜ」も、結構カッコイイと思うんだけどな……。
 さて、艦だけでなく、それ以外のものにも目を向けてみると、
「……こっちの方がよく見えるね」
「窓枠も天井もないからな」
 ベランダ(とは呼ばないと思うけど)からの眺めは、窓からのとは違うけどまた素晴らしいものだった。晴れてたらもっと見晴らしが良いんだろうけど、今日が曇りなのがつくづく惜しまれる。
 でも、そのおかげでわかったことがひとつあった。
「艦、目立たないよな」
「うーん、そうだね。なんかさ、海と空の色に溶け込んでる、って感じかな?」
 なぜ軍艦があのようなグレーで塗られているのか。戦車とかの迷彩のように、背景に紛れたいのなら、軍艦も海と同じブルーに塗ってしまえば良いのに、と思ったことがある。
 しかし、今こうして見ると、隣の護衛艦や少し離れた所に停泊している米海軍の艦など、見事に名雪の言ったようになっているではないか。
「あれでもちゃんとカモフラージュになるんだな……」
 結局、あのグレーの塗装も軍艦にとっては迷彩のようなものだったんだ。
 そんな感心をしつつ、横須賀港内をぐるっと見渡してみると……ふと、気になるものを見つけた。遠くて良く見えないけど「63」と番号が振ってあるのは確認できる。
「っと、双眼鏡、双眼鏡……」
 ここにも双眼鏡は設置されている(大きくて、台座に乗っかった本格的なものだ)が、あいにく他の見学者が使っている。なので、俺は鞄を開けて、水瀬家から持って来た双眼鏡を取り出した。
 ちなみにこれは、秋子さんから借りたものだ。観艦式に行けることになって、自前で用意しようと思ってたら、「これを持って行くと良いですよ」と言って渡してくれた。このニコンの14倍双眼鏡は防振機能(手や足元が揺れても画像がブレない)のある高級なもので、秋子さんはなぜこんなのを持ってたのか、何に使ったのか、理解に苦しむ。
 しかし、俺が手に入れようとしていた双眼鏡よりも遥かに高性能なので、ありがたく借りることにしたのだった。
 スイッチを入れて、スタビライズが作動したことを確認し、目標にレンズを向ける。すると……。
「空母?」
 まず、平べったい。そして大きい。周囲の建物や車と対比すると、呆れるほどに巨大だ。
「わっ、大きいよ」
 と、名雪もあれを見つけたようだ。さっきまで人が取りついてた「きりしま」装備の双眼鏡を覗きながら驚き声を上げる。
「『キティーホーク』か」
 日本は空母なんて当然持ってないし(「16DDH」という、空母に似た艦が今度建造されるけど)、となると、あれは米海軍のものということになる。それで、ここ横須賀を母港としているのは、今年のイラクでの戦争にも参加した「キティーホーク」だ。
 目を凝らすと、甲板にはニュースの映像で良く見られる飛行機が1機もなく、代わりにクレーン車のようなものがいる。整備中なんだろう。
「ほかには……おっ」
 潜水艦だ。これもかなり遠くの方だけど、真っ黒い船体の潜水艦が2、3隻。艦尾に自衛艦旗らしきものが見えるから、海自のかな?
 あの辺は確か「ショッパーズプラザ」という複合ショッピングセンターがあるはず。今日の2時から、海自音楽隊のコンサートが行われる場所でもある。
 さらに、そこから目線を少し左に動かすと、横須賀駅のホームから見えた米海軍の艦。双眼鏡を通している分、細かい所がはっきりわかる。手前の艦はなんだかわからないけど、奥にいるのは……この「きりしま」に良く似たデザインだ。ただ、マストがカメラの3脚みたいで、スッキリとしている。こんごう型のヒントとなったアメリカの「アーレイ・バーク級」ってイージス艦だろう。
「……」
 ふと振り返り、顔をうんと上げてみる。
「こっちは複雑だよな」
 櫓のように骨組みが組み合わされた「きりしま」のマストは、ステルス性の上では不利だとかいう話だけど……でも、アーレイ・バーク級のマストよりもがっしりしていて、頑丈そうではある。
 ま、それぞれの国の事情ってのがあるんだろ。俺はよく知らないけど。
「ここはもう十分だろ? 次に行ってみようぜ」
「あ、うん。そうしよっ」
 その後は反対側のベランダ(正式には「ウィングブリッジ」というって、乗員に教えて貰った)で、俺も添え付けの双眼鏡を覗いてみた。凄く大きく見えて、しかも像がはっきりしていて、その性能に驚いた。レンズにも目盛りが刻んであって、実に本格的なものだった。
 この右舷ウィングブリッジをもって、艦橋は一通り見学し終えたので、これで甲板に戻ることにした。艦橋は人がひっきりなしに出入りしてたから、いつまでもたむろしてたんじゃ、他の見学者に迷惑がかかるからな。
 それで引き続き、さっきは後回しにしていた甲板を散策することにした。


 前部甲板にあるものの中で、一番目立つのはやっぱり大砲だ。艦橋から外に出た俺の目には、上り坂になった先にある127ミリ砲がやたらと大きく見える。「しらね」の大砲も口径は同じだけど、心なしか砲塔自体の大きさはこっちの方が勝っているように思える。
 そして、性能に関しては実際に勝っている。
 この127ミリ砲はイタリアの「OTOブレダ」って会社が開発したもので、1分間に45発もの弾を発射できる。「しらね」の砲が1分間におよそ30発だから、1.5倍も多い。射程も1キロほど長いらしい。
「おっきいね……」
 間近に寄ると、圧倒的な存在感というか、威圧感というか……。家の2階部分と同じくらいの高さがありそうだ。名雪もその迫力に驚いている。
 長く突き出た砲身がなんとも頼もしく、「日本を侵略する奴には容赦しない」とでも語っているかのようだった。
 砲塔が大きいのは実感できたが、こうして良く見ると、結構複雑な形をしているのがわかる。曲面と平面が交じり合って、全体的には滑らかなんだけど無骨さも微妙に滲み出ていると感じる。
 で、そんな砲塔は台座に載っていて、クルクルと旋回する構造になっている。台座は完全な円で、もしこれが木の幹だとしたら、相当な大木になるだろう。その周りをぐるっと一周してみる。その時、
「ん……なっ、なんだこれ!?」
 砲の左下に、絵が描いてあるのが目に留まった。いや、これはもう絵というよりも印だ。そしてそれは……。
「こ、これって……」
 軍艦が波間に沈む様子をかたどっていた。戦闘機につける撃墜マークみたいだ。名雪もそれの示す意味に気づいて絶句してしまう。
 どういうことだ? 「きりしま」は戦って敵を沈めたのか? いや、自衛隊は戦争をしたことがないからそんなことは……。
 湧き上がる疑念を解消するためには、やはり専門の人に聞くのが一番だ。例によって、近くの乗組員に質問をぶつけてみると、
「これは演習での成果です。実際に撃沈した訳ではありません」
 と、セーラー服の若い隊員(俺たちと同じくらいの年齢かな?)は笑いながらそう教えてくれた。
「そうだったんですか。でも驚きました」
「本当に艦を撃沈するようなことにならないのが一番なのですが」
「戦争にならなければ、ってことですよね?」
「はい。ですから、自分たちの訓練が無駄に終われば、それがベストです」
 あ……やっぱりそうなんだ。あの時「名雪」さんが言ったことは正しかったんだ。軍人は戦争を望んでいない、ってことは。
 現にこの人もはっきりとそう言った。訓練は厳しいんだろうし、せっかく訓練した以上、実際に結果を出したいと、普通の人なら思うはずだ。このことは、陸上部で頑張っていた名雪の方が良くわかるかもしれない。
 でもこの人たちは、平和を望みつつも戦争の訓練をして「万一」に備えている。俺たちと年齢がさほど変わらないのに、立派だよな……これが自衛官の心構えなのか。
 俺たちはその乗組員に礼を言いつつ、砲塔の背後にあるVLSに移動する。
 こっちは甲板に埋め込まれていて、艦を横から見た場合、有るのか無いのかわからないような装備だ。少し高くなった部分――そうだな……縦は3メートル、横は6メートルくらいあるかな? そこにたくさんの分厚い蓋が均等に敷き詰められている。
「うーん……?」
 名雪はこれがなんだか良くわからないようだ。ま、一見しただけじゃこれが武器だと理解するのは難しいかもしれない。
 しかし、その地味さとは裏腹に、これはイージス・システムの一角を成す非常に重要な装備である。
「ここにはミサイルが29発入ってるんだ」
「え、この中に?」
「ああ。縦に装填されてて、蓋が開いて飛び出すんだよ」
 隣の「しまかぜ」は、砲塔のように旋回するランチャーに1発ずつ装填して、発射したらまた装填して……。その繰り返しで、次のミサイルを発射するのに時間がかかるけど、このVLSは短い間隔で次から次へと発射できるのが特徴だ。
「でも……そんなことしたらそのまま真上に飛んで行っちゃうんじゃないの?」
「発射直後に方向を変えて、目標に向かうんだ。そもそも誘導ミサイルだしな」
 このMk−41VLSはいろんなミサイルを使えるようになってるけど、こんごう型のは「スタンダードSM2」という対空ミサイルと、「アスロック」対潜ロケット魚雷(隣の「しらね」だと、箱型のランチャーに入ってるけど)を内蔵している。
 特に前者は、イージス・システムで捕捉した目標を撃墜するもので、射程は100キロ以上もあるとか。ソフトと合わせて、イージス艦の絶大な防空性能をハード面から保証している主力兵器だ。
「ふーん……なんか不思議だな」
「ああ。俺も実際に見たことはないから、説明は難しいけど」
 とにかく、このVLSというシステムが、今までのランチャー型発射機よりもメリットが大きいのは確かだ。
 少しの間、VLSを眺めてはいたが、前部甲板にはこれと127ミリ砲以外に見るべきものは特になかった。舳の方には錨の鎖とかがあるんだけど、残念ながらそっちは立ち入り禁止になっていた。おかげで「タイタニックごっこ」もできない(いや、行けたとしてもするつもりはないぞ)。
 そんな訳で、俺たちは艦の後ろの方に行ってみることにした。


「わっ、ボートだ」
「お、ホントだ」
 艦橋のトンネルを抜けると、そこは雪国……じゃなくて、すぐ頭上にボートがぶら下がっていた。長さは6、7メートルはあるだろうか、金色に輝く3枚羽のスクリュー(真鍮でできてるのかな?)が目を引く。
 ボート自体はがっしりとした支柱2本に支えられてるから、落ちてくる可能性はあまり考えなくて良いだろう。
 そのボートの下から出てすぐの所で俺たちを迎えたのが、「ハープーン」という名の対艦ミサイルだ。1番煙突の真後ろ――ちょうど俺たちから見ると右斜め上に、4本の筒を束ねた発射機が鎮座している。
 イージス・システムとスタンダードミサイルがこの艦の「盾」だとしたら、さしずめこっちは「槍」に値するだろう(「ハープーン」という名前も「銛」を意味している。実にマッチした名前だ)。100キロ以上も先にいる敵艦を沈めることができる装備なのだから。
 しかし、対艦ミサイルもさることながら、この船が戦闘艦だということを如実に示すものを、ハープーンのすぐ近くの壁に見つけた。
「『総員離艦安全守則』……」
 銀色のプレートに、強調するように赤い字で彫ってある。曰く――。

 1 あわてるな。
 2 衣服を着用せよ。
 3 救命胴衣を装着せよ。
 4 早く艦から遠ざかれ。
 5 集団を作れ。
 6 無理な泳ぎはするな。
 7 水中爆発及びサメに注意せよ。

 いずれも穏やかではない事項が箇条書きされていた。
「なんか怖いこと書かれてるよ……」
「そうだけど、必要なことなんだ」
 敵と戦う以上、自分も損害を受け、最悪の場合は沈んでしまうことも有り得る。そうなってしまった際の規則だ。まぁそりゃ、名雪の言うように、怖いのを感じない訳ではないが……。
「こういうこともちゃんと決めておかないと、万一の時には命に関わるだろ」
「でも、やっぱり戦う船なんだね。今まではちょっと実感が湧かないこともあったけど」
「ん? どういうことだ?」
「あのね、大砲とかがあっても、これを本当に撃つのかな、って思ったりしたの。だけど、これ見たらそんな考えも吹き飛んじゃった」
「なるほどな……そうか」
 名雪はこのプレート1枚から、軍艦というものを感じ取って、自分なりの解釈を構築したようだ。
 なお、その下にもまたプレートがあり、そこには「洋上給油安全守則」とあった。洋上給油の実物は明日、見せてくれるはずだ。あのニューヨークで起きた忌わしい9・11テロの後、海自の船がインド洋に派遣されて洋上給油をしている姿は一時期、ニュースで頻繁に流れてたけど、実際に見るのは当然初めてであり、楽しみでもある。
 そんなことを考えつつ、さらに後ろの方を目指すことにする。


 目を引くものが無数にあって、それらにいちいち興味を示しながら歩いているので、艦尾まで行くのに結構時間がかかってしまった。特に3連装の魚雷発射管なんか、5分ぐらい費やして見入っちゃったし。
 それにしても、発射管には「破壊責任者」のプレートがあって、近くには斧が用意されていたことには驚くを通り越して呆れてしまった。なんて用意周到なんだろう、と。
 とにかく、ようやく開けた所に出た俺たちは、まず意外なまでに面積の大きいそこに驚いた。
「わぁ……広いね」
 テニスコートならふたつは入るかもしれない。そんな風に感じさせるような広さだった。
「ヘリが降りられるようになってるからな。そのための目印もあるだろ」
 甲板には赤や黄色の線が引いてある。ヘリはこれを目安としながらここに着艦する訳だ。
 ただし、この「きりしま」はヘリを搭載する能力はない。隣の「しらね」は3機も搭載できるDDH――ヘリコプター搭載護衛艦なんだけど。
「祐一、祐一っ」
「ん?」
「しらね」の、大きい箱を思わせるヘリ格納庫と、それとは対照的に複雑な形をした「きりしま」の後部の建物を見比べて、その違いを改めて確認している時、名雪が俺を呼び、思考を中断させた。
「ねぇ、さっきから気になったんだけど……」
「ん、どした?」
「これ、何だろ?」
 名雪が注目したのは、パイプだった。甲板から突き出て、先は小さいノズルのようになっている。
 そういえば、さっきいたブリッジウィングにも、前部甲板にも似たようなのがあったな……俺もわからないや。
「すいません。これはいったい何ですか?」
「あ、これですね? 甲板散水用のスプリンクラーです」
 乗組員に質問をぶつけると、すぐに明確かつ明瞭な回答がある。
「NBC兵器――核の放射能や細菌兵器、毒ガス兵器に汚染されないよう、これで海水を艦に浴びせて洗い落とすんです」
「それって、明日の観艦式でもやりますよね?」
「そうですね。実際に見せるのは本艦ではありませんが」
 さっき貰った観艦式のプログラムにあったし、観艦式HPにも書いてあったな。なるほど、これがそうか……。
「船の中は大丈夫なんですか?」
「艦内は外よりも気圧を少し高めてあるので、ガスとかは入ってこないようになってますから、被弾して大穴でも開かない限りは大丈夫です」
 リラックスしてきた名雪がさらに質問すると、そんな答えが返ってきた。
 なるほど、軍艦にはいろんなものがあるんだな……。大砲とか目立つものとは違い、こういう地味で小さいのは本の写真ではなかなか見えない。でも実際に乗って見ると、新しい発見がいっぱいあるし、とても有意義だ。
 教えてくれた隊員に礼を言って、後部甲板をさらに散策する。
 明日のためだろうか、中央のスペースにパイプ椅子が敷き並べられ、緩やかな坂になった一番後ろの部分は残念ながら立ち入り禁止になっている。
 足元にはVLSがあり、艦首側にあったのよりも蓋の数が多い。61セルというから、前のよりも倍以上のミサイルが入っている(当然全体のサイズも、前部の2倍ほどだ)。でも、今は実際に入ってるかどうかなんてわからないけど。
 そのミサイルを誘導するアンテナが2つ、後部の建物の上に、雛飾りのように載っている。その1段下にはCIWS、さらにその下には窓が3つあり、どうやら部屋になっているようだ。それ以外にもレーダーなど、いろんなものが整然と1列に並んでいる。
 それらを眺めつつ、右舷側に来る。隣の「しらね」はペンキを塗っている最中だ。ヘリ甲板に書いてある「43」の数字を塗り直している。これも明日のための準備だろう。特にこの「しらね」は、首相が乗る艦だしな……。しかも格納庫の中には、紅白の幕が張ってあって、まるで入学式か卒業式の会場みたいだ。
「あっ、帽子だ」
「ん?」
 名雪が俺の袖をくいくい、と引っ張って注意力をそっちに移させた。そこには、名雪の言った通り、小さい机に帽子が置いてある。いかにも士官が被るみたいなデザインで、その正面には「第61護衛隊」と書いてあった。
 立て看板の説明によると、この「第61護衛隊」というのは、「きりしま」の所属する部隊で、護衛隊がいくつか集まって「護衛隊群」になる。ちなみにここ横須賀は、第1護衛隊群の根拠地である。
「……」
 とりあえず「自由に被ってみて下さい」とは書いてあるけど……で、名雪はそのメッセージと帽子を交互に見つめる。いまいち踏ん切りがつかないようだ。もどかしいな。
 よし、ここはひとつ俺が背中を押してやろう。
「ほれ、被ってみろよ」
「わぷっ」
 おもむろに帽子を取り、半ば強引に、名雪の頭に押し込んでやる。
「きゅ、急になにするんだよ〜」
「なんか被りたそうな顔してたから……」
 サイズが大き過ぎて、帽子を被るというよりも、帽子に被られている、って感じだ。
「アンバランスだな。でも似合ってるぞ」
「う〜、どっちなの〜?」
「両方だ。似合ってる、ってのは本当だぞ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「ありがとう。えへへっ……びしっ」
 右手を額に当てる名雪。思わず背筋が引き締まるような綺麗な敬礼をして見せた。
 だが、俺の精神は逆に柔らかくなってしまう。
(う……可愛いじゃないか)
 しかも、普段は絶対に見られない名雪の軍帽姿。ここに来たからこそだ。くそっ、デジカメを買っとくんだった。なんてこった。
 しかし、そんな俺の内心の後悔も知らず、名雪はそれで帽子を下ろす。あとはもう、いつもの――普段、俺が良く知る名雪に戻っていた。ちょっと惜しい。
「さっ、行こ?」
「あ、ああ」


 その後は左舷側を後ろから前に歩いて行き、壁に張られていた注意事項や日程のホワイトボード、役割のネームプレートなどを眺めながら最初の場所――「きりしま」に乗り込んだ所に戻って来た。
 これで見られる所は一通り回ったことになる。「きりしま」の見学はもうこれで十分だろう。
 乗ってからどれくらい経ったのか、腕時計を覗いてみると、もうすぐ正午になろうかという時間だった。
(護衛艦の見学は12時から13時まではいったん中断するはずだったな……)
「名雪、これからどうする?」
「あ、わたしたち、まだご飯食べてないよ」
「そういえば……」
 艦に夢中ですっかり忘れてた。そして思い出すと、急激に空腹感が増してゆく。

 ぐうぅぅ〜っ

「あ……」
「ぷっ……あはははっ」
「わ、笑うなよっ」
「だ、だって〜。あは、あはは……」
 盛大に鳴いた俺の腹の虫に、名雪がさも可笑しそうな顔をして、可愛く笑った。
 しかし、腹が減ったことに無理に逆らうのも愚かしいので、このまま食事に行くことにした。
 場所は昨日のうちに決めてある。さっき「きりしま」の艦橋から見えたショッパーズプラザという所だ。総合ショッピングセンターなので飲食店は複数あるだろうし、なによりも2時からここでコンサートが開かれることが、選定の決定的な理由だ。
 艦を降りる時も「しらね」経由で、そこからタラップを下って、さらに受付で一言お礼を言う。その時、「カーン、カーン」と、金属同士が激しくぶつかる甲高い音がどこからか聞こえてきた。
「何の音だ?」
「あ、ほら、あそこ」
「あっ、あれか」
 なるほど、そういうことだったのか。
「しらね」のボートの付近で、乗組員が作業をしている。ハンマーを振るったり、ボートについてるスクリューを丹念に磨いている。
 さっきのペンキ塗りと同じように、明日に向けての用意なんだろうか? やっぱり首相を乗せる観閲艦ともなると、準備も大変だ。
 青い作業服を油で汚したその人たちと一瞬、目線があったので、軽く会釈をして、これで護衛艦の見学はいったん終わりとなった。


 見学前は「これから見知らぬものに触れる」という期待と興奮から、基地内の建物とかに気を向ける余裕があまりなかったけど、今はある程度落ち着いて見ることができた。
 そうして頻繁に視線を移しながら、元来た道を引き返し、錨とスクリューのあった正門を目指していると、俺たちの少し先で隊員と親子連れが何かやっている。
「風船……だね」
 ハンドポンプのようなもので細長の風船を膨らませる隊員と、それを見守る親子。
「夏祭りの縁日で良くやってるやつだよな」
 そう。風船細工とでもいうのか、風船を動物やハートの形にしてしまうあれだ。
「何を作るんだろうね?」
 その名雪の疑問は即座に解消されることになる。なぜなら、隊員は細長い風船を、あっという間に剣の形にしてしまったからだ。
「わぁ、すごいよ」
 名雪がパチパチと拍手を送ると、向こうもそれに気がついて、笑いながらお辞儀をして、そしてでき上がった剣を子供に渡す。
 その子は喜びながら、元気良く埠頭の方へ駆けて行った。
 その光景を見て、俺は思う。
(紳士だよなぁ……)
 軍人というと「怖い」ってイメージが先行しがちだけど、そんな偏見を吹き飛ばす光景。なんというか、実に微笑ましい。
「平和なんだなぁ」
「うん」
 自衛隊員と子供のふれあい。こういうのが見られるのも、日本が平和だからだとつくづくそう思った。
 そして、この人たちがそれを守っている。去年のあの日、駆逐艦の「名雪」さんが言ったことが、ようやく実感できたような気がした。


 横須賀基地からショッパーズプラザへ行くのには、「ヴェルニー公園」にある遊歩道を使った。そこからは海自の潜水艦が間近に見える。さっきの「きりしま」で見たよりもずっと近い。セイル(潜水艦の艦橋)の左右の扉が開いて、向こう側の景色が見えるのまで確認することができた。
 肉眼で、または双眼鏡で潜水艦や米海軍の艦を眺めていたので、ショッパーズプラザに着くまでに30分以上かかってしまった。別に急ぎじゃないから構わないけど。
 ちなみに、ショッパーズプラザの向かい側には「横須賀プリンスホテル」がある。真っ白い高層ビルで、ここからなら基地も含めた市内が一望できそうだ。もしも明日、横須賀から出港するのであれば、ここに泊まっていたかもしれない。
 さて、総合ショッピングセンターであるショッパーズプラザには、飲食店もたくさんある。その中で、何を食べるかについてはもう決めてあるし、名雪も快諾してくれた。
 カレーライスだ。
 この街は日本のカレー発祥の地だそうで、その昔、イギリス海軍に倣って日本海軍が食事にカレーを導入したことがその始まりだとか。それで、ここは海軍の本拠地だから、ここから全国にカレーが広まっていったらしい。
 探すもの――「横須賀海軍カレー」をメニューに置いてある店はすぐに見つかり、ようやく今日初めての食事にありついた。
 素朴だけどコクが深く、飽きが来ないと思わせるカレーの味は最高だった。秋子さんの手作りカレーに匹敵するかもしれない。そう感じるのは、俺が空きっ腹だったという理由だけじゃないはずだ。とにかく美味しかった。
 名雪もその味に満足してくれたようで、俺のチョイスは間違っていなかったってことにもなる。


 食欲を満たすと、いよいよ海自音楽隊のコンサートに臨む。護衛艦の見学と並ぶ、今日の(俺たちにとっての)メインイベントだ。
「うわぁ……満員だね」
 1時40分。開始まであと20分もあるというのに、会場となっているエントランスには大層な人だかりができていた。ここは吹き抜け構造になっているが、2階、3階の部分にも人垣。まさに大盛況だな。
 しかし、これじゃ満足に見れないぞ。席は既に埋まってるから、立ち見するしかない。
 どうするか、どっかにスペースは……あ、あった。
「そこが空いてる。行こう」
 ステージのちょうど正面に、運良く小さな隙間があった。そこに身を割り込ませると、ステージの様子が明らかになる。上からはいくつもの照明が下がっている本格的なものだ。
 単なる立ち見コンサートだと思っていたが、どうやら見くびっていたようだ。
 待っている間にも人は増え、やがて今回の主役である人たちがやって来た。左肩から金モールが下がる制服を着た音楽隊。広島県の呉基地に所属する部隊だという。
 そして午後2時を迎え、華やかな演奏と共に音楽会が始まった。観衆も拍手や手拍子で応じる。場は明るく賑やかな空気に満ちていたから、俺も名雪も終始笑って次々と奏でられる音楽を聴いていた。
 曲目についてはちゃんと解説があったが、そもそも聴いたこともなければタイトルすら知らないものが多かったので、良くわからなかった。それでも十分楽しめたけど――いや、彼らはトークを駆使して、わからない曲でも楽しめるような配慮をしていた。それに演奏は上手いと思った。
 しかし、ここで俺も知っている曲が出てきた。
 音楽のジャンルの中には「アカペラ」というのがある。簡単に言うと、楽器を使わずに歌うこと――と言うか、声を楽器の代わりにすることだ。
 で、日本では「ゴスペラーズ」ってグループがそれを歌うことで有名で、店の中に流れている有線放送でよく聞いたことがある。その代表曲である「ひとり」ってラブソングを歌ってくれることになった。

「愛してる」って最近 言わなくなったのは
 本当にあなたを 愛し始めたから

 歌っているのは4人。いずれもさっきまで楽器を扱っていた人だ。1名が歌い、他の3人がコーラスを奏でる。美しいハーモニーが、会場を包み込み、流れていく。心地良い響きが耳を撫でる。

 瞳の奥にある 小さな未来のひかり
 切なくて愛しくて吸い込まれてゆく

 俺は音楽に関しては素人だけど、こうして聴いてると凄い歌唱力だというのはわかる。というか、まるで本物みたいだ。

 たったひとつのこと 約束したんだ
 これから2度と 離さないと
 たったひとりのため 歩いてゆくんだ
 あなたに2度と 悲しい歌
 聴こえないように

「……」
 身体が震えてくるような思いだった。音楽隊といえば、指揮者の合図で楽器を演奏するというイメージばかりがあったけれど、これはもう考え直さなきゃならないだろう。音楽隊って、歌っても凄いんだな……。

 不思議な気持ちさ 別の夢追いかけたあなたが
 今僕の傍にいるなんて

 うたがってた3月 涙が急にこぼれた
 許し始めた5月 わだかまりも夏に溶けてく

 もう、完全に曲に引き込まれていた。心の中は、もうあらゆる良い感情でごちゃ混ぜになっている。音楽を聴いてこんな思いをするなんて、もしかして初めてなんじゃないか……?

 前に恋してたあなたとは 今はもう別人だね
 こんなに 静かに 激しく あなたのこと愛してる

 たったひとつのこと 約束したんだ
 これから2度と 離さないと
 たったひとりのため 歩いてゆくんだ
 あなたに2度と 悲しい歌
 聴こえないように

 魂に直接響くような熱唱はいつしか終わっていた。呆けがちだった俺は沸き起こった拍手によって我に返り、そして俺も心からの拍手を贈る。
 あれ、すぐ隣からは聞こえないな。こいつはなんにも感じなかったのか?
 と、名雪の横顔を盗み見ると、頬に光るものがあった。
「? 名雪、お前、泣いて……」
「あの約束……思い出しちゃって……」
 目元を拭う名雪は、泣きながらも微笑んでいた。
「……あの目覚ましのか?」
「うん」
 ……名雪。あの約束だけは、なんとしてでも守ってやるからな。
 俺は名雪の手をそっと握った。今の曲にあったような、俺が抱いている彼女への愛しい想い、それを口ではなく、態度で伝えるように。
「……」
 そんな俺の心が伝わったのか、名雪も俺の手を、ぎゅっ、と強く握り返してくれた。


 その後も数曲演奏されたが、これでステージの前に書いてあるプログラムは全て消化された。でも、俺はそれで終わるとは思っていない。
 すると予想通り「アンコール!」のコールが一斉に上がる。その中には「軍艦マーチ!」というものまで。
 って、じゃあ、もしかしてあれを演奏してくれるのか?
『ありがとうございます。えー、軍艦マーチとのご要望がありましたので、アンコールにお応えしたいと思います』
(おっ、やった! 「軍艦」の生演奏が聴ける!)
 帝国海軍や海自について調べる過程で、ネット上で聴いた昔の行進曲。普通の人はおそらく「パチンコの曲」としか認識していないだろう。それの「本物」――本場の人たちが演奏する文字通りの本物をこれから聴かせてくれる。なんだかさらにワクワクしてきたぞ。
 再び演奏する姿勢になった音楽隊。隊長が指揮棒を持った腕を大きく振り上げると、ファンファーレのようなメロディーが鳴り響く。
「!」
 その瞬間、隣の名雪が肩を震わせた。結構大きい音だから、びっくりしたのかな?
 そして前奏が終わると、周りからちらほらと手拍子が、そして声が上がる。

 守るも攻むるもくろがねの浮かべる城ぞ頼みなる

 そう。「軍艦行進曲」の歌詞だ。これは鳥山啓という、昔の女学校の先生が作ったんだけど、当時の海軍軍楽隊にいた瀬戸口藤吉という人が曲をつけ、行進曲になった。もう100年以上も前の話で、それ以来帝国海軍と海上自衛隊で脈々と受け継がれている。
 俺もごく自然に、周囲に合わせて小声で口ずさんでいた。
「♪浮かべるその城日の本の皇国の四方を守るべし……」

 まがねのその艦日の本に仇なす国を攻めよかし

 ここで曲は2番に入るが、音楽隊の演奏も観衆の声も、大きな盛り上がりを保ったままだ。もちろん、俺の気分も。
「♪石炭の煙は海洋の龍かとばかり靡くなり……」
 ちらりと隣を見ると、名雪もパチパチとテンポ良く手拍子を打っている。さらに、ごく僅かだけど身体を左右に揺らして、リズムを取ろうとしている。名雪はどうやらこの軍歌に好感を抱いたらしい。
 だから、俺も安心して歌うことにした。

 弾撃つ響はいかづちの声かとばかりどよむなり
 万里の波濤を乗り越えて皇国の光輝かせ

 この歌詞は2番までしかないが、曲はそのまま長めの間奏部へと突入する。でも、さっきほど大きくはないけど、周囲から「うみゆかば……」とか聞こえてくる。間奏にも歌詞があるのかな?
 ま、俺はそれを知らないので、間奏は手拍子だけでじっくり拝聴することに徹する。
 やがて1分以上のそれが終わり、再びあの前奏が鳴り響き、1番が始まった。観衆と音楽隊が一体になって。

 守るも攻むるもくろがねの浮かべる城ぞ頼みなる
 浮かべるその城日の本の皇国の四方を守るべし
 まがねのその艦日の本に仇なす国を攻めよかし

 そして、3分ほどの最後の演奏が終わった。
 割れんばかりの大拍手がショッピングセンターのエントランスを包み込み、鳴り止まない。その喝采ぶりが、音楽隊への感動と「これで終わってしまうのか」という名残惜しさを明確に示していた。
 もちろん、俺も名雪ももっと聴きたいと思ってるし、またそれが叶わないだろうとも思うから、懸命に拍手を贈る。その拍手が鳴り止んで、音楽隊が退場すると、夢のような45分間が終わった。
 観衆も次々に散らばり去って行く中、俺たちも次の行動を起こす。
「基地に戻ろう。まだ見てない艦があるし」


 さて、再び横須賀基地のゲートをくぐり、手荷物検査を受けて、埠頭へ。朝よりも人が多くなってるような……。
 まぁ自衛隊としては、より多くの人にPRできれば望ましいんだろうけど、艦内は狭い場所が多いから、見る側としてはちょっと不安だ。
 そんなことを考えながら、「いかづち」が停泊している場所へ向かう。護衛艦が何隻も並んでいるが、「いかづち」はその一番左端にいた。右側にはそれぞれ「たちかぜ」「さわかぜ」「はたかぜ」と、風の名を持つ艦。
 で、肝心の「いかづち」だけど、さっきのイージス艦「きりしま」と比べると、地味というか、スッキリしているというか……とにかく、シンプルなデザインだと感じた。
 だからといって、別にそれが悪いって訳じゃない。「きりしま」にはなかったヘリの格納庫は実に重厚な雰囲気を放っているし、ステルス追及のためにはシンプルな方が良いらしい。
 ともかく、こっちでも色々と興味深いものが見られそうだ。
 乗艦の手続きは「きりしま」となんら変わらない。テントの受付でパンフレットを貰ってラッタルを上がるだけだ。
 しかし、今度の「いかづち」は、右舷を岸壁に直接横づけしていたので、他艦を経由せずにそのまま乗り込めたことと、ラッタルが艦の真ん中あたりに架かっていたので、乗ってすぐにちょっとしたビル並みの高さはありそうな1番煙突が迎えてくれた2点が、先の「きりしま」との差異だった。
「前の方に出てみるか」
「うん」
 とりあえず、大砲の置いてある前甲板へと行ってみるが、その間にすれ違った乗組員はいちいち声と敬礼をかけてくれる。皆、礼儀正しい人たちばかりだ。
 そんなこんなで前甲板にやって来たが、心なしか「きりしま」のそこよりも狭い――いや、本当に狭いんだ。「いかづち」の幅は「きりしま」より小さいのだから。
 さて、この場で最も目を引くのはやっぱり大砲だけど、それは――。
「さっきの……えっと、えーっと……」
「127ミリ速射砲か?」
「あ、うん。それよりも小さいね」
 そう、違いは一目瞭然。
「きりしま」にあった127ミリ速射砲塔の高さは、家の2階ほどだったのに対し、この「OTOブレダ76ミリ速射砲」(127ミリと同じメーカーだ)は、俺の背丈よりも1.5倍ほど大きいサイズ。形も単純で、卵みたいな丸いドームに棒が刺さっているような感じだ。可愛いとすら思ってしまう。
「たった5センチしか違わないのにな。こんなに変わるのか」
「なんだか大人と子供みたいだね」
 砲口径が小さいのだから、威力も射程も、見た目の迫力も劣る。しかし、それだけで済ませて良いものでもない。
「でも、これだって凄いんだぞ。1分に80発も弾を撃てるんだからな」
「えっ? そんなに?」
「ああ。『きりしま』の127ミリの倍近くある」
「へぇ〜、凄いんだね……」
 小さく丸っこい砲塔に、しきりに感心したところで、目線をその後ろに移すと、少し離れた場所にVLSがある。こっちも「きりしま」と比べて小さい。蓋が16個だから……そうだ。「きりしま」の29発のおよそ半分。
「こっちも小さいんだね」
「そうだな。2つの煙突の間にもVLSはあって、そこにも16発のミサイルが入るけど、これとは種類が違うんだ」
「え、なんで?」
「それはそっちに行った時に説明してやるよ。ほら、上に行こうぜ」


「あんま変わんないな……」
 それが、「いかづち」の艦橋内に足を踏み入れた俺の第一声だった。
 広さも、船を動かす装置の置き場所なども「きりしま」とほとんど同じだと思ったのだ。
 ま、車だってハンドルやアクセル、ブレーキはだいたい同じ位置にあるしな……変なとこにあっちゃ困る。
 でも、良く見てみると細かい所が色々と違っている。
 まず、デジタルの計器が多い。アナログのよりも先進的だ。やっぱりこっちの方が新しい艦なんだってことを実感する。
 となると、さっき「きりしま」で聞いた話――機関をここから直接操作できる、ってのもなんとなく納得できた。
 しかも、その速力指示器には、「きりしま」のようにレバーとダイヤルがない。代わりにキーボードとモニターがあり、それで動かすらしい。ハイテク化がどんどん進んでいる証左だ。
 艦橋の高さは「きりしま」と比べて随分と低い。ここに来る時に上った階段も段数がずいぶん少なかったから当然なんだけど……窓の下を眺めるとそれが実感できる。しかし眺め自体は良い。やっぱり艦を操縦する場所なんだから、視界が良くなければ話にならないんだろう。
 艦橋を見て回った後はブリッジウィングに出てみる。すると名雪が俺を呼んだ。
「ねぇねぇ、祐一」
「ん?」
 名雪が指差す下を見てみると、隙間のような場所にモップがいっぱい立てかけてある。ちょうど艦橋と第1煙突のある建物の間だ。
「……なんだか、生活感があるね」
 確かに場違いとも思える。でも……。
「ここはさ、家なんだよ。これは軍艦だけど、乗組員が寝泊りしてる家でもあるんだ。だから掃除だってするだろ」
「そっか、そうだね。綺麗だもんね、この船」
 もしかしたら、一般公開の前に大掃除をしたのかもしれない。だからたまたまそこに置いてあるのかな? 名雪の一言から、そんなことを思った。とにかく、手入れが行き届いている、ということを感じた1コマだった。
「でも、俺たちはここにモップを見に来た訳じゃないぞ。せっかくなんだから、隅から隅まで見て回ろうぜ」
「うん」
 さて、このブリッジウィングにも「いかづち」の乗員が配置されていて、民間人の質問に答えたり、雑談に気軽に応じたりしている。俺も折を見て、何か質問をしてみようと思うが、何を聞こうか?
 結局、思いついた問いは大したものじゃなかった。
「あのー、この艦は明日の観艦式に出るんですか?」
「あ、はい。ここにありますように――」
 目の前の壁には「観閲部隊等の編成」というタイトルの看板がかけられていた。さっきこれに乗る前に、さらには「きりしま」でも貰ったパンフレットの1面と同じだ。
「本艦は観閲部隊の4番艦で『きりしま』の後ろですね」
 それを指差しながら丁寧に教えてくれた。と思いきや、今度は逆に質問をされる。
「おふたりは観艦式に参加されるんですね?」
「あ、はい。『あさゆき』って艦に乗れることに」
「ああ『ゆきクラス』ですか。あれは揺れますよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、この『あめクラス』はあんまり揺れないんですけれど」
「そんなに違うものなんですか……?」
「はい、かなり違いますね。このあめクラスは新しい艦ですし、ゆきクラスの1.5倍は大きいですからね」
 なんだか不安になってきたぞ……。せっかく観艦式を見られるのに、船酔いでダウン、なんて御免だ。明日は酔い止めの薬をちゃんと飲んでおかないと。
 それ以外にも、俺たちはその人と色々なことを話して、程よいところで礼を言って、艦橋から降りることにした。


 艦橋から出て、左舷側の通路から後ろへと見て回る。装備品は「きりしま」と似たようなものばかりだったが、もちろん違うものもある。例えば対艦ミサイルは国産だし(ランチャーの形が同じだから見た目じゃわからないけど)、そのすぐ近く――2番煙突の手前にあるのもそのひとつだ。
 っと、それを名雪に教えてやる約束だったな。
「名雪、これ」
「え?」
「これがさっき言った『種類が違う』VLSだ」
「これが?」
 いかにも信じられないといった表情をする名雪。目の前にあるのはただの壁。疑念を抱くのもわかる。だから、俺はそれを多少ゆっくりとした口調で説明してやった。
「ああ、本当だ。この奥にミサイルが入ってるんだよ」
 確か、本に写真で出てたな。「海上自衛隊ハンドブック」を取り出し、後ろの方のページを見せる。
「これを上から見ると、こうなってるんだ」
「へぇ……この筒の中に?」
「ああ。ここに『シースパロー』って対空ミサイルがあるんだ」
 目の前にある箱のような建物の中に、四角い筒やら丸い筒やら色々入っていてよくわからないけど、とにかくそこにミサイルを合計16本格納している。これが垂直発射装置Mk−48だ。
「あのさ……『きりしま』は前も後ろも同じのだったんだよね? どうしてこっちは違うの?」
「……うーん、なんでだろうな? 俺も知らない」
「そうなんだ」
「俺は専門家じゃないからな。悪いな、疑問を解消できなくて」
「ううん、こっちもごめんね」
「あ、でもな、むらさめ型の次のタイプ……えーと……」
 あれ? なんて名前だったかな……あ、そうだ。「たかなみ」だっけ。
「そうそう、たかなみ型ってタイプの艦がこれの改良版なんだ。それだとVLSは1種類で、しかも前に集中しているけどな」
 確か今年完成したばっかりの艦で、明日の観艦式には参加しないな……残念だ。
「さて、次に行くか」
「うん」
 後部VLSを離れ、さらに進むと、「きりしま」とは劇的に違う印象を持つ場所へ出た。
 ヘリの格納庫だ。巨大な箱が置いてある、といった感じだ。
 中に入ってみると、かなりの広さがあり驚いた。
「体育館みたいだね」
 名雪、それはちょっと違うと俺は思うぞ。
「体育館というよりも、倉庫だな、こりゃ」
 天井の高さや剥き出しになった鉄骨は、確かに体育館っぽいけど、縦横に走るパイプやクレーンは、倉庫……いや、工場みたいだと言えるかもしれない。
 シャッターが開ききっているので、暗いという感じは全く受けない。とにかく、なんとも言えない独特な雰囲気の場所だった。
 その一角、ちょうど通路のようになった2階部分に、とあるホワイトボードがあった。
「無事故記録……」
 着艦回数が3031回、飛行時間が642.7H――約643時間か?
 つまり、ヘリコプターがこれだけの着艦や飛行をしていて、今まで1度も事故を起こさなかったということだ。大きく書かれたその数字は、ボードが自らを誇らしげに主張しているように見えるけど、これは本当に誇って良いものだと思う。
 そして、あの数字はここがヘリ関係者にとっての真剣勝負の場であり、戦場そのものであることをも示しているのかもしれない。
 でも……そういう場所にはちょっと似つかわしくないようなのも見つけた。
「……売店?」
 会議用の長テーブルに、帽子やらジッポーやら、色々並んでいる。どうやら、それらを売っているみたいだ。
 販売を担当している人に話を聞いてみると、これらのグッズは護衛艦の乗組員がお金を出し合って仕入れていると教えてくれた。しかし、儲けは出ないとのこと。売れてもプラマイがほとんどゼロになるくらいに価格を設定しているからだ。
 元々が、艦を見学した人が記念品の販売はないのかと聞かれたことから始まったサービスで、お金儲けが目的じゃないのだ。
 でも、記念品か。良いな。せっかくだから……。
「何か欲しいのあるか?」
「えっ、良いの?」
「まぁ、ひとつくらいならな」
「ありがとう! じゃあねぇ……これが良いな」
 名雪が選んだのは携帯のストラップだった。そう高い値段でもなかったので、すぐに買い求めてやると、名雪の喜び方は見てるこっちまで嬉しくなるほどだった。
「ありがとう、祐一。ずっと大切にするね」
 ちょいちょいと自分の携帯にストラップをくくりつけて、掌に乗せながらにっこりと笑った名雪に思わずどぎまぎしてしまう。
「わたしもプレゼントしてあげるよ。ええと……」
「別に俺はいいぞ」
「あの、これください」
 しかし、名雪は俺の言うことを無視して、ひとつの帽子を買うと、いきなり俺に被せてきた。雷神様がデフォルメされた柄の、「いかづち」専用の帽子だ。
「帽子持ってなかったでしょ? 明日はこれを被ってれば、もし日差しが強くても大丈夫だよ」
 それもそうだな……いや、それ以前に、名雪が俺のために、というのが一番嬉しい。
「ありがとな、名雪」
「ううん、どういたしまして、だよっ」
 この艦の帽子を――つまり、名雪の思いやりを頭に載せて、格納庫を出てからさらに甲板を巡る。
 右舷側を艦首方向に歩き、途中、通路の上にあったドラム缶のようなカプセル状の物体について質問してみたら、その中身は救命ボートだということがわかった。
 それ以外にも、魚雷発射管や注意書き、洋上補給用の支柱など、とにかくゆっくりと、この艦から降りる時間を少しでも引き延ばそうとするかのように、細かいものひとつひとつに目を通しながら歩いた。しかし、それでもラッタルに戻って来てしまう。
 そうして、この「いかづち」の見学も終わった。
「なんか降りるのがもったいないね」
「そうだけど、でもしょうがないな。見学できるのは5時までなんだし」
 だが、これで見るものがなくなったってことにはならない。「いかづち」から降り、海に浮かぶ埠頭から陸地に向かう間のことだった。
「ん……?」
「ゆうだち」という艦(多分「いかづち」と同じタイプだろう)の艦尾にボートが張りつき、何かをしている。甲板の上からは何人もが下を覗き込み、ボート上の数人もやっぱり下を向いている。
「何か探してるみたい」
「そういう風にも見えるけどな……」
 俺は違うと思っている。もしも何かを落としたのなら、海に潜らないと見つからないし。
(これも明日の準備かな?)
 そう思うのが自然だろう。「しらね」でもペンキ塗りやボートの整備をしていた。そしてこっちでも準備らしきことをしている。それで一部の艦は一般公開で民間人をいっぱい乗せて……。自衛官の皆さんも大変だ。
 そんなことを思いつつ、踵を返して埠頭の上を再び歩き出した。もはや見るべきものは全て見たんだろうけど、もっと他に何かないかな?
(あれ? 人がやたらと出入りしてるな)
 埠頭と陸地の境目付近、体育館みたいな緑の屋根の建物に、私服の人たち――俺たちのような民間人だろう――が出たり入ったりしている。
 となると、俺たちも出入り自由だな。ならとにかく行ってみよう。今日の俺の好奇心はなかなか旺盛だった。


 緑の屋根の建物は、隊員の福利厚生施設だった。
 内部には、なんとコンビニと、結構品揃えが良い売店も。そこは自衛官だけでなく、見学に来た民間人も対象としているようで、様々な自衛隊のグッズが並んでいる。
 その中でも俺が特に目をつけたのが、2枚のCD。タイトルはそれぞれ「海上自衛隊」と「歴史的日本海軍行進曲集」。
 前者はそのものズバリで、海自に関係ある曲が収録されている。さっき、呉音楽隊の生演奏で聴いた「軍艦」をはじめ、以前に海自のHPからダウンロードした隊歌の「海をゆく」、さらには国歌や儀礼曲など。趣味のというよりも、実用CDみたいな感じだ。
 で、後者もまぁタイトル通り、海軍の行進曲集なんだけど……その中にある「太平洋行進曲」という曲名から、とあることを思い出したのだ。同じ名前の曲を、俺は――名雪もだけど、聴いたことがある。
 大湊の「名雪」さんが「古い歌なんだけど」と言いながらも俺たちに歌ってくれた「仰ぐ誉の軍艦旗……」という歌詞の「太平洋行進曲」と同じ曲なのかはわからないが、これも一度聴いてみたいと思った。それに最後の「海上自衛隊行進曲」ってのも気になる。「軍艦」は海軍の頃からあるけど、海自にも専門の行進曲があったんだな。
 財布の中身と相談しながら、それなりに思い思いの買い物(といっても、秋子さんや北川、香里たちへのちょっとした土産だけど)をした俺と名雪は、ご機嫌のまま曇天の外に出る。時計の針は4時半近くになったから、もうそろそろ頃合だろう。
「名雪、もう良いだろ? ホテルに行こうか」
「あ、そうだね……ここはもう十分だよ。いろんなものをいっぱい見せてもらったから」
 そうして、また基地の門を目指すべく、歩き出す俺と名雪。空模様とは反対に、表情は明るかった。
 その道すがら、俺たちはしきりに振り返る。その度に、あれほど大きかった護衛艦の姿が小さくなっていく。身を彩る色とりどりの満艦飾が「また明日、相模湾で」と暫しの別れをしているようにも感じられる。
 外界に通じる門まではあと少しだった。それでここ横須賀での楽しい時間が終わると思うと、自然と歩みが遅くなる。
「明日が楽しみだな」
 俺は、傍らの名雪に言うでもなく、そう呟いていた。
 すると、名雪も意味深な表情を浮かべながら、
「さよなら。また、明日ね」
 小さい声だったが、彼女は確かにそう言った。灰色の海に浮かび、明日の晴れ舞台を待つ護衛艦たちに。


 横須賀線の上りで横浜へ行き、そこから京浜東北線の下りに乗り換えて、ひとつめの駅が桜木町だ。横浜の象徴である超高層ビル、ランドマークタワーの最寄り駅。それ以外にも遊園地とかショッピングモールとか、俺たちのような若者向けのアミューズメントが色々とある。
 さらに、この近くには有名な中華街もある。今日は土曜日、週末の繁華街はさぞかし人がいっぱいなんだろうな。ちょっと今回は見て回る暇がないけど。
 外はもうすっかり日が落ちていた。でも、駅前をはじめとして、横浜の街は夜ということを感じさせないほど賑やかだし、人工的な光に溢れていた。俺たちの住む街にもネオンサインとかの夜景はあったけど、ここはその比ではなかった。
 そういう観光地の只中で、俺たちが今晩お世話になる宿は、駅のちょうど真ん前にある「桜木町ワシントンホテル」っていう、かなり立派なホテル。部屋も高い。本当ならもっと安いホテルに泊まろうとしたんだけど、探してみるとあいにくどこも満室で、ここのセミダブルルームが予約できる部屋の中で一番安かったのだ。
(でも、いくらここしか見つからなかったって言っても、随分と奮発しちゃったよなぁ……)
 俺はまだ学生の身分だし、バイトは人並みにしてるけど財布の中身にそんな余裕があるって訳でもない。なのにこれほど立派な宿に泊まる。十数階建てのホテルを見上げながら、少し分不相応じゃないかと思った。
「どうしたの? 入らないの?」
「あ、ああ。行こう」
 思わず後込みしてしまった。自分で予約を入れたってのに、今になってその豪華さに躊躇してしまう。典型的な小市民じゃないか……。
「すっごく素敵な所だね。ホントに泊っちゃって大丈夫なの?」
「ああ、だったら予約なんてするか。それに一晩だけだしな」
「でも、もしわたしがいなくて祐一ひとりだけだったら、もっと安い所に泊れたのに……」
「俺はお前と一緒に来たかったんだ。金なんて気にするなよ」
 内心の本音を隠しつつ、精一杯の虚勢を張ってみる(ただし、「名雪と来たかった」ってのは一点の曇りもなく本当だぞ)。だが、名雪はそんな俺の言葉を素直に信じてくれる。
「祐一、ありがとう……わたし、嬉しいよ」
 いや、やっぱり訂正しておこう。せっかく名雪と一緒の旅行なんだ。そんな時くらい、少し贅沢なホテルを使っても別に良いじゃないか。それに、名雪がこんな笑顔を見せてくれるなら……。
「さっ、行こっ!」
「そうだな」
 今度はためらったりはしなかった。堂々と、まではいかないものの、とりあえず変な遠慮はもう捨てて、フロントを目指す。


 そのフロントは、ビルの5階にあった。そこのすぐ脇には24時間営業のコンビニもある。これなら明日、艦の上で食べるものもここで買えるから便利だな。
 予約確認をして、部屋代を払い、鍵を受け取った。俺たちにあてがわれた部屋は16階にある海側の部屋。ここの客室は海側と駅側に分けられており、一般的に海側の方が高値だ。
 俺たちの部屋がなぜその高い方なのかというと、海側しか空室がなかったからで、別に意図した訳じゃない。できれば安い方が、俺の財布には優しかったんだけど……今更言ってもしょうがない。
「ここだ」
 ドアの前に立ち、鍵を開ける。これでようやく、落ち着ける場所を得られた。今日は1日中歩き回ってたからな。
「おじゃましまーす」
「今日は俺たち専用だぞ」
 誰もいないにも関わらず、律儀に挨拶をして部屋に入る名雪の後に続き、足を踏み入れた。
「……ま、普通の部屋だな」
 左にトイレとバスがあり、通路の奥にはベッド。特に変わってるとか、豪華だとか、そういう感じはしない。ま、綺麗にまとまってはいるし、過ごしやすい空間だとは思うけど。
 でも、なんでこっちが反対側より高いんだろう?
「ゆういち、祐一っ! ほらほら見てよっ!」
「なんだ、どうした――」
 スリッパに履き替えて、興奮気味な名雪の方に行ってみると……。
「はー……」
「綺麗……」
 大きな窓の外に映るのは、街の光だった。
 ランドマークタワーをはじめとする、みなとみらい地区の建物の明かりに、ライトアップされた遊園地。
 アーチ状に光が連なるのはベイブリッジ。
 海に浮かぶ船の照明は夜空の星々、すぐ下の道路を走る車の光は天の川をそれぞれ連想させ、言葉も不要になるほどの美しさを俺たちの前に披露していた。
「100万ドルの夜景」なんて言葉があるけど、これはまさにそれ――いや、もっと価値の高そうな、とにかくロマンチックなものだった。
(これが、海側の部屋が高かった理由か……)
 これなら、少しくらい割高でも十分納得がいく。これほどの景色を見せつけられては。
 そうして、俺も名雪も、ただ黙って光のアートを見つめる。心に直接、この美しさを刻み込むために。
「……あれ?」
「ん、どした?」
「海自さんの船も明かりをつけるんだよね、今日。どこかな?」
「あ、そういや……」
 そうだ。確かに電灯艦飾は、ここ横浜でも行われる。時間は6時からのはずだけど……今は5時半を僅かに過ぎたあたり。まだ始まってないから、どの辺に護衛艦がいるのかは良くわからない。
「せっかくだから、見に行くか? 明日の場所の下調べもかねてさ」
「うん」
 俺たちは荷物を置いて、横浜新港まで行ってみることにした。そんな遠くもないし、財布だけ持って出れば大丈夫だろ。


 ホテルの前に「みなとみらい大通り」という広い道がある。そこをランドマークとは反対側の方に歩くと、「第2合同庁舎」という、古いレンガの建物の上に近代的なビルを乗せたような、変わったデザインの建物に辿り着く。
 今度はそこの十字路を左に曲がり、しばらく進む。途中、リング状になった歩道橋があったが、それを越えて少し行くと、闇の中に黒い大きな影が2つ、浮かび上がっているのが見て取れた。
 これのどちらかが、明日お世話になる予定の「あさゆき」だろう。で、もう片方が「やまぎり」だ。
「真っ暗だね」
「でももうすぐだぞ。6時からだからな」
 ここまで来るのに、歩いておよそ20分。だからもう3、4分ほどでライトアップが始まる。
 しかし、ここでは埠頭のターミナルが邪魔で艦が見えない。都合の良いことに、左へ少し行った所に公園があったので、そこの小さい丘のようになった芝生の上に腰を下ろす。
「こんな所でも、釣りしてる人もいるんだね」
「もう暗くなってるのにな」
 釣り人が垂らす糸の先、浮きがカラフルに光っている。ランプが入っているのかそれとも蛍光材でできているのか、少しだけ綺麗だと思った。
 それや遠くの夜景を前座として、6時ジャストになるのを待つ。
 そして――。
『よーい』
『じかーん』
 艦からのアナウンスの直後、たくさんの光が生まれ、広がった。
「うわぁ……っ!」
「……!」
「ゆういち……見てる?」
「当たり前だろ。見なくてどうするんだよ……」
 光で艦が造られている。そう思わせるほど、シルエットが見事にくっきりと電灯でなぞられた。それが2隻。いや、もっと遠くの「瑞穂埠頭地区」でも、そこに停泊している3隻の護衛艦が同じように光で彩られた。
「ほら、あっちでもやってるぞ」
 さらに右側を望めば、「大桟橋地区」に停泊している輸送艦「くにさき」の電灯艦飾。午後6時をもって、合計で6隻の艦が横浜の夜景の仲間入りを果たしたのだ。
「すごぉい……綺麗だよ。ホントに素敵……」
「ああ……」
 名雪の言葉に、俺も完全に同意していた。
 軍艦が――戦うために造られ、その性能を追及した船が、こんなにも美しく見えるなんて……。これが本当にあの、昼間に見たような精悍な護衛艦なんだろうか? と馬鹿な考えすら浮かんでしまう。それほどのものだった。
「ロマンチックだね」
 こてん、と俺に身を預ける名雪の肩に手を回し、軽く抱き寄せると、名雪もさらに身体を密着させてきた。愛する人の温もりが、俺の身体と心を暖めてくれる。
「ずっと、こうしていたいな……」
 それも良いけど、でも、今はそれよりも……。
 俺は名雪の頬に手を添え、顔をゆっくりとこちらに向かせる。
「あ……」
 一瞬、驚いたような声を漏らしたが、俺が何を欲しているかをすぐに悟り、瞳を閉じてくれた。
「名雪」
「んっ……」
 護衛艦の光に優しく照らされながら、俺たちは、唇を重ね合わせた……。


 新港パークから汽車道を通って桜木町に戻った俺たちは、駅前に出ていた屋台で数匹のたい焼きを買い、さらにホテルフロント脇のコンビニで弁当やおにぎりなどの軽食、そしてペットボトルの飲料水を求めて、部屋へ戻った。
 窓の外の夜景は、出かける前とは少し変わっていた。さっき間近で見た護衛艦の電灯艦飾がここからも見える。遠くからでも綺麗だ。
 美しい夜景を肴に夕食とは、なんとも贅沢だ……とは言っても、肝心の晩飯はたい焼きとコンビニ弁当なんだけどな。
 たい焼きから思い出すものは俺も名雪も共通している。
 月宮あゆ。俺のあの街での昔なじみだ。
 俺たちの前からしばらく姿を消していたが(「探し物が見つかった」とか言ってたけど)、再び俺たちの前に現れたのが3ヵ月ほど前のこと。今では、亡くなった両親の遺した家にひとりで住み、そこを守っている。
 とはいえ、俺たちも頻繁に顔を出してるし、水瀬家にもちょくちょくやって来て、一緒にメシを食べたりもしてるから、お互いの動向は大体理解し合っている。
 たい焼きを食べている間、名雪との話のネタはあゆのことばかりだった。
 そんな一風変わった夕食を終えると、時計はそろそろ9時を指そうかという頃になり、今日1日の疲れをシャワーで洗い落とす。俺が先で、名雪が後だった。
「今日は色々あったな……」
 シャワーを浴びている名雪を待つ間、俺はこれまでのことを回想していた。
 昨日の夜、俺たちの街の駅から夜行列車に乗ったこと。
 横須賀線の窓から見た護衛艦の姿。
 初めて乗った護衛艦「こんごう」の装備と艦内の様子。
 心に染み入る音楽を聴かせてくれた呉音楽隊の演奏会。
「こんごう」よりも小さかったけど、力強さを感じた「いかづち」の見学。
 そして、幻想的なほどに美しかった電灯艦飾。
 本物の軍艦や海上自衛隊との交流でこんなに驚き、そして感動するなんて、正直予想外だった。まさかこれほどとは思っていなかった。
 前夜祭でこういう調子なんだから、観艦式本番の明日はいったい、どうなってしまうんだろう?
「想像はできてもなぁ」
 護衛艦が一堂に集結して、海上パレードを見せてくれるってのは理解してるけど、その迫力が果たしてどのくらいのものなのか、こればっかりは実際に体験してみないと……。
「……」
 ふと、テレビをつけてみる。チャンネルをいくつか回し、目当ての番組――天気予報を見つける。
「やばいな……」
 日本列島に近づきつつある渦巻のようなもの。台風だ。お天気キャスターの説明によると、明日の朝には直撃する可能性もあるとか。
 ちょっとシャレにならないぞ。でも、天気は心配してもどうにかなるってもんでもないし。はぁ。
 こりゃ、名雪が風呂を出たら、無意味な心配などせずさっさと寝ちまった方が良さそうだな。
 っと、噂をすればなんとやら、名雪がバスルームから出て来た。
「祐一」
「なゆ……」
 って、おい……服はどうした、服は。
 お湯を浴びたばかりの、ほんのり桜色に染まった名雪の身体を隠すのは、ホテルが用意したバスタオル1枚のみ。
「お前……し、下着は?」
「う、うん。荷物の中に忘れちゃった」
 その格好のまま、窓際に寄る名雪。彼女の身体が、横浜の夜景に溶け込み、ひとつの芸術になったかのような錯覚すら覚える。今の名雪は、それほど美しく見えた。
「は、早く服を着ろ。そしたら寝るぞ」
「う、うん……」
 しかし、彼女の動きはもたもたしていた。下着は鞄の中にあるはずだけど、それをなかなか取り出そうとせず、ただ表情には羞恥が表れ始めて……。
 まさか、あの……そのつもりなのか? そして、名雪の大胆な姿を目の当たりにしている俺も……。
 もうこうなると、俺が名雪に何を望み、何を求めているのか、自分に正直にならざるを得ない。
 まぁ、自分で言うのもなんだけど、俺たちは、その……まだ若いし。
「名雪、おいで」
「うん……」
 結局、俺は名雪の誘い(結局そう判断した)に乗った。
 今日は海上自衛隊づくしの1日だったけど、その日の最後はやっぱり名雪との時間になってしまうようだ。
「明日は早いからな、あまりゆっくりとはしてやれないぞ」
「あっ、ゆういち……」
 俺は名雪をゆっくりとベッドに押し倒した。弾みでバスタオルの縛めが解かれ、生まれたままの姿になった名雪の美しい身体がベッドマットに横たわり、スプリングがかすかに軋む。
 夜はまだまだ長く、俺たちの「今日」も、もう少し続くみたいだった。


 
つづく




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